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14『それに怒った魔法使いは、ご令嬢の瞳を砕いてしまいました』

**



「……おじいさん?」

アリアネルは、クレイの手で引きずられてきた男に、震えながら声をかけた。

「おじいさんなの?」

背の高い男だった。

烏の濡れ羽のような、長く伸びた漆黒の髪で、その顔は隠れてしまっている。

ぼろ切れ一枚を羽織っただけの姿は、物語に出てくる魔法使いそのものだった。


アリアネルの嘆願から二時間足らずで、彼は発見され、地下から引き上げられた。

しかしその二時間で、王宮内は荒れ果てた。

他国の軍に攻め入られたのではないかという有様だ。壁や床は躊躇なく剝がされ、書架も宝物庫もひっくりかえされている。

謁見の間での出来事を知らない衛兵や士官は、内乱でも起こったのではないかと勘違いし、人間同士の小競り合いによる殺傷も少なくなかった。

中でも国王、クレイは、地下から男が引き上げられた途端、その場にいる全員を躊躇いなく叩き殺すという暴挙に出た。

手柄を独占する気か、と貴族たちは彼を詰ったが、クレイはまるで聞く耳を持たない。

彼の手から魔法使いを奪い返そうと向かって行くものもあったが、それは居合せた正気の衛兵たちによって防がれてしまう。

事情を知らない衛兵たちにとって、クレイは仕えるべき主であり、それを守ることは当然の職務だった。


そうしてクレイは、貴族や衛兵、無数の観衆を従えて、謁見の間に戻ってきた。


彼はアリアネルの前に魔法使いを投げ出した。

「君の望みは、これで間違いないな?」

クレイの問いに、アリアネルは答えない。

アリアネルはただ一人、目の前に膝をつく男だけを見つめている。

「おじいさん、私よ。アリアネルよ」

魔法使いはその名を聞いて、ぴくりと肩を動かし、顔をあげた。


「アリアネル……?」


低くかすれたその声は、紛れもなく、老人のものだった。

アリアネルは涙をあふれさせた。

けれど言葉が詰まって、なにも言うことはできなかった。


魔法使いは、青白く痩せた、長身の青年だった。

凛々しい眉と、高い鼻筋。彫りの深い顔立ちは、彫刻のように整っている。

固く閉じられたその瞼が開けば、どんな女性でもため息をつかずにはいられない。魔法使いは、そんな美貌の持ち主だった。

「それがあなたなんだね」

アリアネルはやっとの思いで言葉を紡いだ。

「また会えて、本当に、うれしい」

「アリアネル……」

魔法使いはよろよろとアリアネルに歩み寄った。

「待て、彼女に触れるな」

クレイはそれを止めようとするが、伸ばした手は、見えないなにかによって弾かれてしまう。「っ!?」

クレイは全身が痺れ、声を発することもできなくなる。

魔法使いは瞼を閉じたまま、縛り付けられたアリアネルのもとへ、まっすぐ向かっていった。

「危ないよ、段差が……」

「だいじょうぶだ、見えている」

魔法使いはそう言って、玉座へ至る階段を難なく登った。

いつの間にかその足取りは、しっかりとしたものに変わっている。

どこか威厳のさえある、とても数百年動かずにいたとは思えない歩みだった。

「……ずいぶんな仕打ちを受けたようだ」

魔法使いは頬を腫らし、椅子に縛り付けられたアリアネルを前に立ち止まり、嘆いた。

「許し難いな」

老人はアリアネルの頬に触れた。

瞬く間に腫れが引き、捕縛布ごと、椅子が砂となって砕け落ちる。

人びとの間に、ざわめきが走る。

魔法使いは、その名の通り、難なく魔法を使ってみせた。

呪文も道具も使わずに、ごく自然な動作だけで、奇跡を起こして見せた。

椅子が崩れる前に、魔法使いの胸へ抱えあげられたアリアネルも、目を丸くして驚いていた。

「痛みはないか?」

優しい魔法使いの声に、アリアネルはまた涙をあふれさせてしまう。

魔法使いは眉間にしわをよせる

「痛むのか」

「ち、違うの。嬉しくて、止められないの……」

魔法使いは苦笑し、アリアネルの瞼に接吻する。

アリアネルはてっきり涙を止める魔法をかけられたのだと思ったが、涙は一向に止まらない。

「あれ……魔法……」

「今のはただの祈りだ」

魔法使いはアリアネルの涙を拭った。

「……きみが、私を救い出したんだな」

「うん」

「きみには、私のことなど忘れて、幸せになってほしかったんだが」

「私の幸せには、おじいさんがいるんだよ」

アリアネルは魔法使いの胸に顔をうずめた。

「貴方がいなきゃ、わたし、幸せになんてなれないよ」

魔法使いはそうか、と呟いて、アリアネルを抱きしめた。


「それならば、私はもう二度と、きみの傍を離れることはできないな」


再会を心から喜ぶ二人を、観衆はただ、見ていることしかできない。

彼らは未だ混乱の中にいた。

二人の間柄がどのようなものであるか、まるで想像していなかったのだ。


「茶番は終わりだ!」

ようやく痺れの収まったクレイが、怒鳴る。

「アリアネル!今すぐそれから離れろ!」

アリアネルは魔法使いと顔を見合わせる。

「ここは騒がしいな」

「そうだね。話したいこと、たくさんあるんだけど、移動した方がいいみたい。……でもその前に、終わらせないと」

アリアネルは真剣な顔で、魔法使いにだけ聞こえるよう、呟いた。


「これは私がはじめた惨劇だから。私の手で、終わらせないと」





そうしてアリアネルは、いつかクレイにぶつけられた暴言を、そっくりそのまま返してやった。

「貴方みたいな醜い人、視界にもいれたくない!」

「貴様……っ!」

クレイは激昂し、剣の柄に手をかける。

しかし血に塗れたその剣は、鞘から抜けた瞬間、砂となって崩れ落ちた。

「バケモノめが!」

クレイはなおもアリアネルに手をのばす。

「しつこいぞ」

魔法使いは軽く腕をふる。

するとクレイは、まるでなにかに押しつぶされるかのように、その場に倒れ伏す。

「くそ……くそが……!」

クレイは周囲の衛兵や貴族たちに向かって叫ぶ。

「なにをしている!私を助けろ!」

応じる者はいない。

みな魔法使いに恐れをなし、すでに逃げ惑い始めていた。

魔法使いは、アリアネルが彼らにかけた魔法をすでに解いていた。

彼らはアリアネルに対する執着をすでに失っている。

「無能どもが……!」

クレイだけが、なおも狂気に孕んだ目を、アリアネルに向け続けている。

「私はたしかにお前にそれを渡したぞ。誓いを守れ!アリアネル!」

「いいえ、貴方は約束を果たしていません」

アリアネルはそう言って、魔法使いの手をとった。

「おじいさん」

「なんだ」

「私に、貴方を、ちょうだい」

アリアネルは魔法使いの左胸に、ぴたりと手をあてる。


「今日から、あなたは、わたしのものよ」


魔法使いは驚きに眉を跳ね上げたが、すぐにそれは笑顔に変わった。

「出会った時と逆だな」

だがいいだろう、そう言って、魔法使いはアリアネルに傅いた。


「たったいまから、私のすべては、君のものだ」


アリアネルは目を伏せて微笑み、魔法使いに立ち上がるよう促した。

そして魔法使いの手をとり、自身の左胸にぴたりと当てさせた。


「ありがとう。それじゃあわたしも、今日から貴方のものよ」


二人は固く手を結ぶ。

クレイは半狂乱になって喚き散らす。

「私の前でこれ以上の茶番はよせ!気が狂いそうだ!!」

「貴方はもうとっくに狂っています」

アリアネルは冷たく言い放つ。

「それに私は言いました。魔法使いを私に差し出してくれた人のものになる、と。おじいさんは自分自身で私のものになった。それなら私も、誓い通り、おじいさんのものになるだけです」

「ふざけるな!お前は……お前は私のものだろう!」

「我慢の限界だ」

魔法使いはクレイに手をかざした。

「私のアリアネルだぞ」

閃光が走る。

「ああ!?」

クレイは両目を抑えて呻く。

「お前はアリアネルを見るな」

魔法使いは指を鳴らす。

床に抑えつけられていたクレイは、両目を抑えたまま起き上がる。

「光が……」

クレイは震えながら、ゆっくりと両目から手を離した。

彼の瞳は、まるで宝石のように輝いていた。

彼の瞳は、濃い金髪によく生える、紅褐色に変化していた。

返り血にまみれたクレイに、その色はよく似合っていた。

まるではじめから持って生まれたもののように。

「喜べ。お前がずっと欲していたものを与えてやったぞ」

魔法使いは残忍に嗤う。

「まあもっとも、お前自身がそれを見ることはできないがな」

クレイは焦点の合わない瞳をさ迷わせた。

彼は美しい宝石の瞳を手にする代わりに、その視力の一切を失っていた。

「見えない……見えない……なにも……」

うわ言を呟くクレイに、アリアネルは哀れみを感じてしまう。

「おじいさん……」

「嫌なものを見せたな」

「……ううん。平気だよ」

「私はこれを許すことができないのだ。これが今まで君にしてきたことを思うと、百年殺し続けても足りないくらいなんだ」

「私のために怒ってくれたんだよね。ありがとう。でも、もう十分だよ。この人はこのまま生きていくことが、たぶん一番の辛いと思うから」

アリアネルはふと、クレイから少し離れたところで腰を抜かす王太后に目を留めた。

「……陛下、お望み通り、貴方もこの目になりますか?」

王太后は光を失いさ迷う息子を見て、青ざめ、慌てて首を振った。

アリアネルは頷き、魔法使いの手をとった。

「しまいか?」

「うん。これで全部おしまい」

「では行くとするか」

魔法使いはアリアネルを抱え、宙に浮かび上がった。

「ま、待て……どこに行くんだ……」

見当違いな方向に手をのばしながら、クレイは懇願する。

「い、行かないでくれ、アリアネル!」

「……喉も潰しておいた方がよさそうだな」

魔法使いはクレイに手をのばすが、アリアネルはそれを止める。

「殿下」

「アリアネル……行かないでくれ……私は君を……」

「最後に一つ、教えてください」

「なんだ……?」


「なぜ貴方は、私の家族を殺したのですか?」


「……なにを言っている。あれは暴漢の仕業だろう」

「暴漢に命じたのは、貴方でしょう」

クレイは瞼を震わせる。

アリアネルはそれを見て、長年の疑念を確信に変える。

アリアネルを手に入れるためとはいえ、貴族を手にかけることは大きなリスクが伴う。

しかし暴漢は躊躇なくアリアネルの家族を殺した。五人が屋敷を出ようとしたまさにそのとき、予想していたかのように、裏口で待ち伏せまでして。

そして見計らっていたかのように、クレイはアリアネルを助けた。

家族がみな殺され、アリアネル一人になったところで、暴漢たちは一網打尽にされた。

王宮からガーデン家までは距離があるというのに、虫の知らせがしたというだけで大勢の衛兵を連れてやってきたクレイに、後始末の手際の良さに、アリアネルはずっと疑念を抱いていたのだ。

すべてはクレイが画策したことではなかったのか、と。

「家族まで手にかける必要は、なかったでしょう……!」

アリアネルは堪えきれず、声を荒げた。

「私を孤立させたかったんですか?私に恩を売って、あなたしか頼ることができない状況をつくりたかったんですか!?そのために、お父様を、お母様を、姉様を、兄様を……貴方は……!」


「君を愛していたからだ!」


クレイは涙ながらに言った。

「君を愛していたんだ。だから私は……」

赤い宝石の瞳からこぼれる涙は、かすかに色づいていた。

淡い、朱色に。

「……貴方のそれは、愛ではありません」

魔法使いが、アリアネルを抱く手に力をこめた。

アリアネルはその手に自らの手を重ねた。

魔法使いの手は温かった。

人形の身体であったときの魔法使いの手はいつも冷たく乾いていたが、声だけはいつも温かかった。


(私はもう本当の愛を知ってる)


アリアネルはもうクレイに目を向けなかった。

「行こう」

二人はしっかりと身を寄せ合い、飛び立つ。


「アリアネル!」


クレイは誰もいない虚空に向かって叫び続ける。


「待ってくれ、私は本当に君を、君を愛しているんだ!」


姿は滑稽だったが、その声は、聞くに堪えないほど痛切なものだった。


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