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人が少ないドラッグストアに入店すると、時間帯のせいか店員の視線を感じた気がした。
自意識過剰だと思いつつも棚に隠れるようにそそくさと動く。
焦ると目がすべって目的のものが中々見つからない。
利用したことがない店だったこともあって同じところをぐるぐる探し回ってしまう。
無駄に時間をかけながらもなんとか衛生用品が集められたコーナーまでたどり着けたが、そこでまた時間をかけて悩むことになった。
肌色タイプ。透明タイプ。防水タイプ。大きさも様々の絆創膏が棚に並べられている。
はるひの家では絆創膏や消毒液、風邪薬は母親が買ってくれている。いつもは家にあるものを使うだけなので、絆創膏を自分で買いに行くこともなかった。どれを買うべきなのかが分からない。
あれこれ手に取り悩んだが、大は小を兼ねるはずだ。
怪我よりも絆創膏が小さくては困るが大きすぎる場合ならそこまで困らないだろう。そう思い、はるひは一番大きいサイズの絆創膏と消毒液を購入した。
ドラッグストアから駅前広場までは三分もあれば着く距離だったが、棚の前で悩んだせいで十五分以上時間が過ぎている。
そこまで考えが及ばなかったが戻ったら女性がいなくなっているかもしれない。
会計中に急に気になり出し妙にそわそわした。だが、店を出れば遠目からでも広場の時計台の下に佇む女性の姿が見えた。
杞憂だったことに安心し、信号が赤から青に変わるとはるひは横断歩道を急いで渡った。
「お待たせしました」
はるひが買い物をしている間に女性は最低限の身なりを整えていたようだ。
散らばった荷物は鞄に全ておさめられていたし、ぼさぼさになっていた髪も綺麗に一つに括り直している。
「すみません、ありがとうございます。あの、お金いくらでした?」
「いや大した金額じゃないですよ」
「いくらなんでも十代の子にお金使わせるわけにはいかないから」
傷口の手当ての前に押し問答しても仕方ないので、大人しくレシートを女性に渡す。
「はい、本当にありがとうございました」
金額を確認すると「お釣りはいいから」と購入したよりも多い金額がはるひの手のひらの上に置かれた。
「どういたしまして」
手間賃と考えて素直に受け取っておこう。
そう自分を納得させて、受け取ったお金を財布にしまった。それよりも、やり取りの間で見えた彼女の手のひらが赤く擦りむけていて痛そうだったのが気になったのだ。
「手当てしましょう」
「そこまでは悪いよ」
「ここで中途半端に立ち去る方が気になっちゃうので」
途中で放り投げるのは、性に合わない。それに急ぐ用事だってないのだ。
「ありがとう。あ、佐々木です」
「三春です」
ようやくお互いに名乗り合ってから、二人は広場に設置されているベンチに向かった。
「先に消毒した方がいいですよね」
「うん。パッケージとか開けたりしにくいから、箱から出してもらえたら嬉しいかも。その後は自分でやるから」
言われた通りに、はるひは消毒液と絆創膏を箱から取り出した。
「ありがとう」
受け取ると、佐々木は顔をしかめながら膝の消毒をはじめた。両膝ともストッキングが破けてしまっている。特に左膝は傷も広範囲で痛々しい。
見るだけで痛くなってしまったはるひは、治療する姿から目をそらした。しかしそうすると、本当にもう何もやることがない。
ただ黙って待っているのも座りが悪くて話題を探すが、初対面の大人との共通の話題が全く思いつかなかった。
「そういえば! 急いでる感じでしたけど大丈夫ですか?」
盛大に転んだインパクトが強すぎて忘れていたが、頻繁に時計を確認しながら走っていたのだ。
「あ、ああ、うん、そうだね。うん、でも、もう大丈夫」
煮え切らない返事をしながら佐々木は両膝に大きな絆創膏をはり終えた。すぐに手のひらの治療に移ったが、傷口を触らないようにしているのでもたついている。
「手のひらって自分ではやりづらくないですか?」
「そうだけど、いや、でも悪いよ。人の怪我触るのって嫌じゃない?」
「私、中学生の頃は運動部だったので軽い手当てくらいなら大丈夫ですよ。貸してください」
払い切れなかった砂を落すために、差し出された両の手のひらに消毒液をかけた。膝ほどひどくはないがこちらも痛そうだ。
「しみます? 痛かったら言って下さいね」
「…………………………いたい」
ぽつりとこぼれた声はとても小さくはるひの耳までは届かなかった。
「じゃあ、右手からはりますね」
膝にはちょうど良いサイズだった絆創膏も、手のひらにはる分には大きすぎた。余った部分をぐるっと巻きつける。
「よし。あとは左……」
絆創膏をもう一枚手に取ると、佐々木のコートのポケットからスマートフォンが振動する音が聞こえた。
二回、三回、四回とバイブレーションの音が着信を知らせたが、彼女は手当ての終わった右手でポケットを押さえるだけで取り出すそぶりを見せない。
「出なくていいんですか?」
「……そうだね」
促されてやっと佐々木はポケットからスマートフォンを取り出す。
「はるひ、こやつだ」
それまでずっと時計台の下に座ってじっとしていたはずの茶太郎が、いつの間にかベンチまでやって来ていた。
「茶太郎、しゃべ、」
「我の言葉はお前にだけ聞こえているから問題はない」
都合良く出来ているな。とはるひは関心した。
「そんなことはいいのだ。はるひ、この女子だ」
この、ってどの? と一瞬悩んだが今近くにいる女性は一人しかいない。
佐々木に目を向けてみると、彼女は取りだしたスマートフォンの画面を何をするわけでもなくぼうっと見つめていた。
「電話、もう終わったんですか? 早かったですね」
「…………………………ちゃった」
「どうしました?」
太ももの上に力なく手を置いて俯きながらスマートフォンを見ていた佐々木は、ばっと顔をあげた。すると、目にみるみるうちに涙を浮かべていく。
「電話、切っちゃった」
急に泣き出したことに驚き、はるひは言葉を失ってしまう。
「どうしよう、どうしようどうしよう切っちゃった」
ぼろぼろ涙が頬を流れていく。さっきまでは大人の顔をしていたのに、急に女子高生よりも幼い泣きっぷりだ。
大人が号泣する姿を見るのは、初めてだった。
「佐々木さん、あの、お、落ち着いて」
「切っちゃったああああああ」
慌てるはるひをよそに、顔を手でおおって佐々木は更に泣きだす。
「痛いいいいいいいいいいい」
左手の治療はまだだった。擦り傷が涙でしみたのだろう。もっと痛そうだった両膝の治療の時は黙っていたのに、箍が外れたのか子供のように泣きわめいている。
「左手! 左手出してください」
痛いというのだから、とりあえず手当ての続きをしようと佐々木の左手を掴む。
涙で砂も流れたのか消毒液を使う必要はなさそうで、迅速に絆創膏をはった。
手当てをしている間は黙っていたが彼女の涙は止まらず、はるひの手にもぽつぽつと涙が降り落ちていた。
「出来ましたよ」
無言で佐々木はこくりと頷いた。
「何かあったんですか?」
ずびっと鼻をすする音は聞こえたが、待ってみても返事はない。
「ティッシュあります?」
そう聞くと佐々木は鞄をごそごそ漁り、ポケットティッシュを取り出した。けれどどうやら最後の一枚だったようで、鼻をかむために一枚出したら、手に持っているのはぺらぺらのビニールだけになる。
この泣きっぷりからしてティッシュ一枚くらいではどうともならないだろう。
「さっきのお釣りでティッシュ買ってきますね」
ティッシュは絶対に必要だし、はるひがいない方が落ち着けるかもしれない。そう思い、再び買い物に行くためにベンチから立ちあがる。
ついでに近くにいた茶太郎をがしっとわし掴み、佐々木の膝の上に置いた。
「もふもふ触ると落ち着くと思うのでどうぞ。茶太郎、頼んだよ!」
「我はぬいぐるみではないぞ! おい! 聞いてないなはるひ!」
茶太郎の叫びを背に、はるひは走りだした。
今度は迷うことなく売り場を歩き、会計を含めて五分もかからずに終えることが出来た。戻って来た広場には茶太郎を抱えた佐々木が静かにベンチに座っている。
「落ち着きました?」
佐々木は抱きしめた茶太郎に顔をうずめていたため、泣きやんだのか分からなかった。
声をかけてみても、反応はない。
「落ち着いてないな」
代わりに茶太郎が様子を教えてくれた。文句を言っていたわりに、大人しくぬいぐるみ役に徹してくれていたようだ。
「ティッシュ、使ってください」
茶太郎から手を離し佐々木はポケットティッシュを受け取った。
解放された茶太郎は、ぴょんと膝から地面に飛びおりる。その姿を見ていたはるひは何かにはっと気づくと、がっと掴んで膝の上に持ちあげた。
「何をする」
「いいからいいから」
そう言って購入してきたポケットティッシュで毛を拭いた。
理由を教えられないことに茶太郎はじたばた動くことで抵抗していたが、はるひとしてはこれを教えるのもどうかと思ってはぐらかし続けた。
茶太郎の首の後ろの毛の部分、佐々木が顔をうずめていたところに鼻水がついてしまっていたのだ。
「もういいよ」
解放すると、茶太郎は逃げるように地面におりた。着地すると水をかぶったわけでもないのにぶるぶる身体を震わせている。
「佐々木さん……その、大丈夫、ですか?」
あまり返事に期待しないで様子を伺ったのだが、佐々木は想像以上の反応をみせた。
「大丈夫………………じゃない!」
それまで押し黙っていたのが一転して、堰を切ったように喋り出す。
「寝坊するし、そのせいで朝ご飯食べてないし、転ぶし、恥ずかしいし、せっかく急いだのに遅刻するし、めちゃめちゃ痛いし、会社からの電話だって切っちゃったし、全然大丈夫じゃない!」
「な、なるほど」
「大丈夫じゃないよ、……全然、全然大丈夫じゃない」
佐々木の目からまた涙がこぼれ落ちた。
「どうして、電話切っちゃたんですか?」
問いかけると再び押し黙ってしまった。
だが何度か口を開け閉めしてとても言いにくそうにしたあと、佐々木はやっと理由を口にする。
「…………つい」
「つい?」
「つい魔が差して切っちゃったの! 切るつもりじゃなかったのに、つい切っちゃったの!」
はるひが口を挟む間もなく彼女は続けた。
「だって電話に出たら絶対あのメタボリックバーコード禿げ予備軍にねちねち言われるもん。出たくなかったの!」
「メタボリックバーコード禿げ予備軍……」
ものすごく悪口だが会ったこともないのに姿が想像出来る的確な呼び名だった。
推察するに、失敗をねちねち注意してくる上司がいるのだろう。
はるひだって、口煩い嫌いな先生に呼び出されでもしたら無視したくもなる。しかし、大人もそんな行動を取っていいのだろうか。
「ここ最近良いこと全然ないし。仕事疲れたし、もう、もう、全部嫌!」
佐々木は膝に突っ伏してまた泣き始めた。
つい今しがたも子供のように泣いてはいたのだが、手当てをしている時は静かに泣いていた。
それが今度は声がくぐもっているにも関わらず、離れていても気になるくらいの声でむせび泣いている。
ちょうど駅から出てきた人がぎょっとした顔でこちらを見ていた。これだけ騒いでいればこの先、人の注目も集めてしまうだろう。
今はまだ人通りの少ない時間帯ではあるが、まったく人気がないわけでもない。このままでは注目を浴び続けてしまうし、目立ってしまうと、はるひとしては少々差し障りがある。
泣いても目立たない場所。出来れば防音。個室ならなお良し。――思いつく場所は一つしかなかった。
「佐々木さん。……佐々木さん。立ってください。とりあえず場所を移動しましょう」
促すと、ぐすぐす泣きながらだが、佐々木は言われた通りに動いた。
涙で視界があやしそうなので、手を引いて歩き出す。
本当ならはるひに面倒を見る義務などないのだが、泣いている人を置き去りにすることは出来なかった。
全然大丈夫じゃない。と泣く姿が辛そうで放ってもおけなかった。
「……はるひ。お前まあまあだな」
ぽそりと独り言のように茶太郎はこぼした。
「何か言った?」
振り返って尋ねるはるひに対して茶太郎はつんとすましている。その様子に、気のせいだったかと結論づけ、泣いて体温が高くなった手を握り直して足を進めた。
そうして二人と一匹はカラオケボックスにたどり着いたのだった。




