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「以上がお前の問いに対する私の答えだ」

 榊は誠実に全てを話してくれた。

 佐々木や佳乃や大地、たった三人の話を聞いただけでもはるひは悩み自分の無力さを感じたというのに、それをずっと聞き続けた榊がどれほどの思いを抱えてきたのか推し量ることも出来ない。

 書き残したところで人々が苦しみから救われるわけではないと言うが、例え解決に繋がるわけではなくともその行動に意味はある。

 榊の小説を読むことで、救われる人はこの世のどこかにきっといるだろう。もしかしたらはるひが考える以上にいるのかもしれない。それはとても凄いことだ。

 それなのに、はるひの中には落胆する気持ちがあった。

「はるひ、お前の望む答えが見つかる日はこない」

 押し黙る様子から内心を察したのか榊がそう諭す。

「それだと、……困るんです。だって私、間違えるから。間違えて、朱里のことも、佳乃さんのことも、傷つけて……だから、間違えずにすむ方法を知りたいんです」

 全ての悩みも苦しみも解決するような魔法の言葉があればいい。

 そうすればきっと誰もが間違わずに傷つけずに、人と接することが出来るだろう。

 榊なら、そんな魔法を知っているのではないかとどこかで期待していた。

「間違えるのが怖いのか」

「……怖いです。間違えて、人を傷つけてしまうのが……こわい」

 しかしはるひの恐れは、それだけではない。

「本当にそれだけか」

 からからに乾いた口内からはるひは言葉をしぼりだす。

「……………………わた、し。…………私、本当は、自分が朱里に間違ったことを言ったとは、思って、いません」

 榊は先程、祈りが鏡に映し出されていたと言っていた。すでに知られてしまっているなら隠すことに意味はないだろう。

 はるひは、朱里を、そして佳乃も傷つけた。何かを間違えたのだと思った。

 自分の行動が、考えが、間違っていたのだと。なのに何度考え直しても駄目だった。

 美術室での朱里との会話をやり直せる機会がもしあったとしても、はるひは頷けない。

 無視されても我慢して、やり過ごす。気づかないふりをする。そんな真似を許容することは、出来ない。どうしても、出来ない。

 誰とでも仲良く出来て、誰からも好かれて、当然のように人に優しく出来て、良い子で、正しい。朱里はそう言ったけれど、本人が望んでいないのに自分のエゴを捨てられない人間のどこが良い子だというのだろう。はるひにはちっとも自分を優しい人だとも良い子だとも正しいとも思えない。

 だって、はるひは、朱里に、萌たちに、そして佳乃に投げかけた言葉も、考え自体は間違ったものではなかったと思っている。

 一度くらいちゃんと萌たちと話した方がいいと朱里に言ったことも、無視はやめなよと萌たちに言ったことも、和泉の気持ちを無視しないでほしいと佳乃に言ったことも、それ自体は間違いではなかったと思ってしまっている。

「――もしも。正しさに形があるとしたら、言葉のままにそれはきっと正方形だろうな。整っていて、揃っていて、歪みがなくて、角が鋭利に尖っている。……正しさは球体には出来ていない。人の心とは人によって形が違っているものだ。見分けなければ尖った正しさは人を傷つける」

「……私の、考えは、……本当に正しいのでしょうか」

「正しさとは変化するものだ。断言することは出来ない。だが、お前はそれを正しいと信じているのではないのか?」

 否定出来なかった。

「私は、私の正しさを……朱里や佳乃さんに考えなしに押し付けたから彼女たちを傷つけてしまったのでしょうか」

「さあ。私は彼女たちではないから、本当のところは分かりかねる」

「私は……私が、どうすれば、よかったのか、教えてください、榊様…………」

 こんな風に自分勝手に困った時だけ榊に頼るつもりはなかった。それなのに言葉はするりと口からこぼれてしまって止められない。

「……お前には分からないと、川村佳乃に言われたことをお前は随分気にしていたな」

 佳乃に対してむきになって言い返してしまったのは、朱里にはるひには分からないから言わなかったんだ、と言われたことが心の片隅にずっとあったせいでもあった。

「今はもう、気持ちが分かるとか、理解するとか、簡単なことではないと思い知りました。どうしても分かり合えないこともあるのだと」

「差別も区別もなくなるものではない。しかしそれらの全てが悪というわけでもない。分かり合うことが全てではないのだ。分からなくとも、理解出来なくとも、共に生きることは出来る。そもそもが人は全員異なる性格、環境、経験を持っている。全く同じ思考を持つ人間は一人もいない。もしもいるとしたら、それは洗脳の類だろうな」

 同じ地区に産まれ、同じ幼稚園に通い、同じ小学校に中学校に高校に通っても、はるひと朱里の考え方は違う。

「親子であろうが夫婦であろうが友人であろうが、完全に頭の中を共有することは出来ない。血縁関係であっても他人である以上、分からないことの方が多いのが当たり前だ」

「……はい」

 話し合えばきっと分かる。それは話せば相手に分かってもらえるだろうと期待を押し付けていたということでもある。

 一方的に無条件にそう思い込んでいた。だから朱里は打ち明けられなかったのだろう。

「人はなまじ知能が発達してしまったせいで、生きるというシンプルな本能すら複雑になりそれによって孤独を自覚しやすくなってしまった。動物社会では集団で生きる方が生存確率が上がりやすいというのにな」

 人と違うことがいっそ死んでしまいたいとすら思うほどに恐ろしい、と佳乃は言った。

 差別も区別もなくならない。仕方ない。どうしようもない。

 分かり合うことが全てではない。分からなくとも、寄り添ってくれる人はいる。

 現実はちっとも優しくなくても、どこかに優しい人はいる。

 悲しみや苦しみと同じくらいに喜びや安らぎは生きてさえいればいずれ訪れる。

 幸、不幸すらも生きている間に変化していく。不幸も悲しみもいつかはなくなる。思い込んでいるほどには世界は暗くない。

 きっと佳乃はそんなこととっくの昔に考えているし理解しているだろう。けれど恐ろしさというものは、理性でどうにかなるものでもないのだ。

「死と孤独からは全ての生き物が逃れられない。だからといって、いつか死ぬとしても、今、生きている限り生物は栄養を摂取することを止めないだろう。それと同じように他者との断絶に苦しんでも、最後に一人死ぬとしても、人は人を求める」

 本能が求めるのか、感情が求めるのかの判断は出来ない。もしかしたら両方がそうさせているのかもしれない。

 頭では早く離れるべきだと思っていたのに佳乃が和泉から離れられなかったように、人は、人を求めてしまう。

「人が他者を求めるのは、人が初めから欠けた存在であるからだ」

「欠けて……?」

「一人で己の全てが完成している人間はいない。だから求める。自分とは違う思考を持ち、違う経験を持つ存在を」

 人が完全なクローンやロボットでない限り、無意識の区別はなくならない。大なり小なり差別も区別もどんな人間の中にもある。それが諍いや、すれ違いをうみ、深い孤独がうまれたりもする。

 けれどその区別の原因になる違いがあるからこそ、人は人を救うことがあるのだ。

「川村佳乃はお前に話したことを後悔していると思っているか?」

「……そう、思います」

 はるひが泣いてしまったせいでもあるが、彼女は何度も謝っていた。

「心の中で欠片も思っていないのなら、口を開かせることは誰にも出来ない。私にもオモイカネ様にも出来ない。ならばそれは、例え表では否定していたとしても真実当人がどこかで望んでいたということになる」

「望んで……なら、私が佳乃さんの話を聞いたことに意味はあったんでしょうか?」

「一度でも誰かに話せば心は緩む。お前に話したことで川村佳乃に変化は起きたはずだ。現代社会で生きていく限り誰とも関わらずに生きていくことは出来ない。出会い、関わり、影響し合い、いつか別れる。それが良い結果になるか悪い結果に繋がるかは神にも判断出来ないが、無意味なものなどこの世にはない。それが人生観を変えるくらい強い場合もある。明日になれば忘れてしまうような些細な変化の場合もある。そのように程度に差はあれど、良くも悪くも影響し合うのが人間だ」

 出会いが、無意味ではなかったのならいいと思った。

 はるひが望む答えが見つかる日はこないし、正しさは変化するものだと榊は言った。

 どんな悩みにも苦しみにも対応出来るような魔法の言葉は存在しない。人の心は複雑に出来ていて、理屈では量れないからだ。

 言葉に、正解はない。

 瞬間瞬間で、時代で、相手で、場所で、立場で、正解は変化していく。

 誰かを傷つけた言葉が誰かを救ったり。誰かを癒した言葉が誰かを苦しめたりする。

 はるひは間違えたくなかった。相手のためにも、自分のためにも。

 誰のことも傷つけずに自分の信じた正しさを貫ければ良かったけれど、残念ながら世界はそう単純には出来ていない。

 正しさだって人を傷つける。正しいからこそ、それは鋭く心に刺さる。

 そして人を傷つけないために当たり障りのない言葉だけを使えばいいのかといえば、そうでもないのだ。

 佳乃が大事なことを伝えないままに離れていこうとしたから和泉が激昂したように、大切な人であればあるほど本心を望む瞬間がある。

 例え傷つこうとも、傷つけようとも、伝えなくてはならない言葉というものもあるのだ。

 ぐっと、口元に力を入れた。これから先も生きていれば、誰かと関わり続ける。だからはるひがはるひである以上は、避けられない。

 唇をぎゅっと噛みしめたはるひを、榊は波紋の一つもない澄んだ水面のような目で見ながら言った。

「はるひ、己の正しさを疑え。考え、悩み、そしてそれでも揺らがぬなら貫け。誰をも傷つけない言葉は存在しない。ならば考えろ、伝え方を、傷つけ方を考えろ。逃げたくないのなら考えることを放棄するな」

「私に、それが出来るでしょうか」

「それを決めるのは私ではない」

 ぴしりと叱責されたような気持ちになった。甘えるようなことを口にした自覚があったからだ。問うことで、出来ると言ってもらおうとした。

「私……、自分で思っていたよりもずっと弱かったんです。それが情けなくて、恥ずかしくて、見られたくなくて、けど、私、自分の弱さに負けたくない。もう逃げたくない。逃げてもいいんだと言う人は多いけど、私は逃げたくない。諦めたくない」

「ならば諦めるな。結果はやらなければ分からぬものだ」

「――はい」

 もっと楽に生きる方法はあるのだと思う。

 朱里が言うようにやり過ごしたり、見ないふりをした方がきっと楽なのだと思う。でもそれは、はるひには出来ないのだから仕方ない。

 はるひの目指す生き方はきっと人と衝突してしまう。空気が読めないと言われるだろう。損だとも言われるだろう。いつかまた誰かを傷つけるかもしれない。また逃げたくなる日も来るだろう。

 けれどそれが諦める理由にはならないのだから、仕方ない。

 間違えることを恐れたら誰とも触れ合えなくなる。布団の中は安全だが、後悔と焦燥からは逃げられなかった。

「榊様、一つ。私のお願いを聞いてはくれませんか」

 話を聞く中で、一つ思ったことがある。弱い自分が逃げずにすむ方法だ。

「叶えられるかは分からないが話は聞こう」

 崩していた足を正座になおす。足を動かすと、もう大丈夫だと判断したのか茶太郎が膝の上からシロがいる座布団に移った。

 言うべき内容は決まっているのだが、口にしようとすると何故か好きな人に告白をするくらいに緊張した。

 榊がくれた言葉が頭の中で暗闇に浮かぶ街灯のようにきらめく。

 ――心の底から何かを願う時、人は己と向き合わずにはいられない。

 ――私が小説を書いたのは虚しかったからだ。

 ――身勝手にも忘れられてしまうその人生を書き残したいと私は思った。

 ――他者との断絶に苦しんでも、最後に一人死ぬとしても、人は人を求める。

 ――己の正しさを疑え。

 ――結果はやらなければ分からぬものだ。

 手を強く握り込むと、心臓の鼓動と手のひらの脈動を同時に感じた。

「榊様、私の――神様になってください」

 じっと見据えて言うと、榊はこれまで見たことがない、ぽかんとした表情を浮かべていた。

「私はもう神ではないと先程言っただろう」

 横目で茶太郎とシロの様子を伺うと、二匹とも榊と似た表情をしていた。だが、突拍子もないと思われようとも冗談ではなく本気の言葉だ。

「祀る人がいさえすれば榊様は神様なんでしょう? だったら私が榊様の祠を綺麗にします。会いに来ます。そうすれば私が生きている限り、榊様は神様でいられるんじゃないですか?」

「……そう簡単に神に戻れるものでもないとは思うがな」

「結果はやらなければ分からないって言ったじゃないですか」

「それとこれとは、」

「やってもいないのに言いきれるんですか?」

「……何故そこまでして私を信仰したいのだ」

 頭でも痛いのか榊は額を押さえている。

「信仰、かどうかは分かりません。私は目の前にいる榊様のことは受け入れているけど、ちゃんと信仰を持っている人のように神様を信じているわけではないから。……でも榊様がいいんです。神社で祈りを奉げる時は、自分の内側にいる神様を同時に拝んでいるんだって教えてくれたでしょう。だから思ったんです。その内側にいる神様を自分で選べるのなら、私は榊様がいい」

 もともとは人間だったのだと知ると、驚いたように目をみはる姿を見ても違和感はなかった。

「榊様。どうか私のこれからを見守っていてください。そうすれば、きっと私は頑張れる」

 逃げたくなった時、榊が自分を見ていると思えばきっと背筋を伸ばすことが出来るだろう。

「私を祀ってもお前に利益はないぞ」

「構いません」

 そんなものは求めていない。はるひの望みは自分で叶えねばならないのだから。

「私に……お前の行動を制限する権利はない。好きにしろ」

「はい! そうします」

 許可を得られにこにこしていると、榊は大きく息をついた。

「……どうせ」

「どうせ?」

 尋ねると顔をそむけられた。しれっとした表情を保っているが、その珍しい行動で今のは失言だったことが予想出来た。

「どうせ、何ですか?」

 詰め寄ると、盾にでもするように座卓に肘をついて、身体ごと本棚側に向きも変えて榊は遠ざかった。

「気にするな」

「気になるに決まってるじゃないですか」

「しおらしそうにしていたお前はどこにいった」

「もともと私はこんなもんです」

 ここ最近が例外だっただけで、元来うじうじ悩むタイプではないのだ。習うより慣れろを信条に生きてきた。

 助けを求めるように榊は茶太郎とシロに目を向けたが、いつもなら失礼な口をきくときゃんきゃん怒る二匹が今回は静観している。

「……どうせ、お前も遠くない日にいなくなる。お前がいなくなればまた私は神でも人でもなくなるだろうな、と。考えても仕方のないことがふと頭を過っただけだ」

 見送り続けなければならない苦しさは自分にはきっと一生分からないだろう。はるひは人間で、絶対にいつか自分が置いていく側になるから。

「榊様、私はまだ高校生だけどその内大人になります。高校を卒業して、大学生になって社会人になって結婚して子供だって産むと思います」

「そうだろうな」

「想像は出来ないけど、そうやって大人になって、私もいつか寿命をむかえる日が来るんだと思います。榊様を置いて」

「そんなことをお前は気にせずともよい」

 人が死ぬのは当たり前で避けられないことだとよくよく理解しながらも、悼む心を榊は捨てられない。きっと榊は、はるひが亡くなるその日が来たら悲しむのだろう。だから関わることにためらいもあったのだろう。

 出会ってしまえば、出会わなかった頃には戻れないから。

 榊と出会うことではるひは榊の影響を受け、はるひと出会うことで榊もまたはるひの影響を受ける。

 捨てることも出来るだろうに、それでも悼み、人を書く榊は、どうしようもなく人が好きなのだと思う。

 だからやっぱり、はるひは榊がいい。

「私は私の大切な人に榊様の話をします。自分の子供に榊様の話をするし、孫が出来たら孫にも話します。信じてくれるかどうかは分からないけど、不思議な話を聞いたなって、記憶には残ると思います。もしかしたら、その子たちもこっそり大切な人に内緒話をするかもしれない。そうすれば私がいなくなっても誰かは榊様のことを覚えているはずです」

 実際、そんなに上手くはいかないかもしれない。はるひが引っ越して祠に来られなくなる可能性もあるし、結婚出来ない可能性も子供には恵まれない可能性もある。

 榊のことを話すことではるひの頭がおかしくなったとか、変な宗教にはまったとか思われる可能性だってある。

 けれどそれだって、やってみなければどうなるかは分からないのだ。

「…………お前の好きにしろ」

「そうします!」

 根負けした榊に向けてガッツポーズをつくっていると、様子を伺っていた茶太郎とシロがぱたぱたと尻尾を振った。

「はるひ、お前やはりまあまあだな」

「初めはどうなるかと思ったがまあまあだったな」

 まあまあと言うわりには喜びを示すように尻尾が振られている。

「ねえ茶太郎、シロ。その、まあまあ。ってとっても良いってこと?」

「そこまでは言っておらん」

「まあまあは、まあまあである」

 つん、と顔を背けて言う二匹の素直じゃないところも可愛い。自然に顔が緩んで勝手に顔に笑みが浮かぶ。

「あ、それと。学校ある時は難しいですけど、それ以外であればこれからも鏡の代わりに取材にも行きますよ。だって鏡を壊しちゃったのは私だし。榊様、誰かに頼ったりするの苦手そうですし」

「お前は……それで大丈夫なのか」

 佳乃の時に泣きじゃくった姿を見ているからか、案じてくれているようだ。

「分かりません。でも、それでもいいかなって思います」

 人の悩みは多面的で想像も出来ない苦しみが隠れていることも多い。接し方を間違えれば佳乃の時のように相手を傷つけてしまう可能性がある。

 けれど、榊の力がはるひを誰かのところへ導くなら、それは会うべくして出会うということなのだろう。

「私、将来何になりたいかなんてまだ分からないけど、いつかこうなりたいって自分は見つけられたんです」

 朱里を見ていると特技も趣味もない自分にがっかりする時があった。

 彼女がコンプレックスを持っていたようにはるひだって彼女を羨んでいる部分はあった。どうも朱里ははるひのことを美化しすぎているからこれから話そうと思っている。

 何もない自分を知られてしまうような気がして今まで伝えられなかったが、多分それが、向き合い直す一歩になるはずだ。

 将来の夢というものは、コンプレックスの一つだった。今もまだふいに漠然とした不安は訪れる。でも見つけられた。こうなりたいという自分だけは、決まった。

「榊様、私――馬鹿じゃないお人好しになりたいんです」

 榊たちと出会って人の悩みを聞くようになってから度々お人好しと言われるようになった。良い子ちゃんでもお節介でもないその呼ばれ方が案外はるひは好きだったようだ。

 それは、佳乃が和泉のことを本当に愛情深い眼差しでお人好しだと評していたことも影響しているのだろう。

 見ないふりの出来ないはるひは、これからも誰かが困っていたら手を貸してしまうし、許容できないような状況と遭遇すれば口を出してしまうと思う。

 そしてそのせいで人と衝突してしまうだろう。でもだからこそ、榊が教えてくれたように考え続けたい。

 不用意な言動で人を傷つけないよう気をつけながらも、自分の信じる正しさを貫く。そんな自分になりたい。

 幼稚な考えだとしても構わない。綺麗事と言われても知ったことか。だって、そういう風にしか人と関われないのだ。

「不器用だな」

「榊様には言われたくないです」

 どうしても捨てられないものがあってあがいているのは二人とも同じだ。

「仕方ないから我々も」

「お前を手助けしてやろう」

 茶太郎やシロがいてくれるだけで、気の持ちようがだいぶ変わってくる。とても心強い味方だ。

「ありがとう。茶太郎、シロ」

 はじめて会った時は、見た目は可愛いけど偉そうで生意気な二匹のことをこんなに好きになるとは思っていなかった。はるひは犬というだけで可愛く思うし好きになってしまうところもあるが、愛犬とよその犬への感情に差はある。

 自分は二匹の飼い主ではないけれど、愛犬に向けるくらいの感情をもう抱いていた。

「そうだ榊様! 榊様の小説のタイトルとペンネームを教えてください!」

 話に一区切りついたところで榊の背後にある本棚が目に入ってきて、まだ一度も聞いていなかったことに気づく。

 これまでは小説は教科書か朝読書で読むくらいで自分から好んで買うことはなかったのだが、榊の書いたものなら読んでみたい。

「読むのか」

「読みますよ、だって気になるじゃないですか。榊様がどんなお話を書くのか」

「本当に読むのか」

 いつも通りあまり感情がのっていないから分かりにくいが、確認以上の何かが言葉の中に込められていた。

「え……読ませられないようなもの書いてるんですか……?」

「そうではないが……本当に読むのか」

 問題がないのなら、とはるひは押し切ることにした。最終的に折れるというのは先程のことで学習済みだ。

「よーみーまーす!」

「読むのか……」

 とうとう遠くを見るような目をし始めた。目線の先には、天井の角しかない。

「榊様は照れておられるのだ」

「それくらい察するのだはるひよ」

 表情が薄い榊の内心を察するのは難しい芸当なのだが、二匹には分かるらしい。

「……読んじゃ駄目ですか?」

「………………好きにしろ」

 嘆息する榊に満面の笑みを向ける。

「好きにします!」

「あとで我が教えてやろう。それ以上榊様を疲弊させるでないぞはるひ」

「ありがとう茶太郎」

 榊は現実逃避するように背後の本棚から本を取り出して、目を通している。

 表情に出すとさすがに茶太郎たちから怒られる気がして、はるひは人間臭いその行動に内心でだけほくそ笑む。

 顔を隠すようにして本を読んでいる姿を見ているとまた笑いが込みあげてくるので、気をそらすためにスマートフォンを確認する。画面にはそろそろ学校に向かわなければいけない時刻が表示されていた。

「それじゃあ、……学校行きますね」

 出来るだけなんともなさそうに聞こえるよう気をつけて声に出した。格好をつけたかったのだ。

 本当はまだちょっぴり怖い。

 笑顔の下で本当は嫌われているのだろうか。本当は我慢させているのだろうか。

 考えてしまえば勇気はすぐにしぼんでいく。

 はるひは朱里のことも萌のことも優香のことも未来のことも好きだから、嫌われるのは怖いし悲しい。

 でも、好きだから、このままでいいわけない。

「行動すれば、何かしらは変化するものだ。……結果は保証出来ないが」

 手を本からは離さないまま、顔だけそろりと出して榊は言った。

「はい。頑張るので、どうか私を見ていてください」

 簡単に励ます言葉だけを投げかけることも出来るのに、そうしない。やっぱり榊だってはるひに負けないくらいに不器用だ。

 コートを羽織りマフラーを巻き、リュックを背負って部屋を出ようとしたところで、ふと言い残している言葉があることに気づいた。

 今しか伝えられない言葉だ。だって、後からこれを口にするのは気恥かしい。

「榊様、いつか私のこともあなたの小説の中に書き残してくださいね」

「……いつか、な」

 本から目を離さずに榊は返事をした。

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