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 目を、覚ます。

 顔を右に向けると白いふわふわな毛が視界をうめた。

「おはよう、シロ」

「早起きだな、はるひ。おはよう」

 スマホで時間を確認すると六時だった。カーテンを開けてもまだ外は暗い。

「緊張して早く起きちゃったみたい」

「不安か?」

「ううん、そうじゃないよ」

 足音を忍ばせて一階におりる。母親が起きてくるのはいつも六時半頃だから、まだ眠っているはずだ。

 起こさないよう音に気をつけながら身支度を整える。キッチンをあさると菓子パンがあったので牛乳でパンを胃に流しこんだ。

 朝食を終え二階の自分の部屋に戻ると少し服装に悩んだが、制服を着た。

 コートを羽織って、マフラーを巻く。

 茶太郎はいないけど黒いリュックサックを背負った。一応シロにリュックに入る? と聞いてみたのだが、即決で断られた。乗り物は嫌いらしい。

 外に出て、家の前の道路から真っ直ぐ道の先を見通すと、やわらかな朝日が周囲を照らしていた。

 二月の朝日はひそやかで優しい。そっと世界を照らしてくれる。

「朝だね」

「日が出たな」

「朝でも日が出てないと駄目なんだ?」

「夕方や夜にくらべればまだ安全だが、避けた方がいい」

 まだ人通りの少ない静かな道を歩く。

 シロは歩く速度を合わせてくれた。シロは茶太郎は繊細さに欠けると称していたが、実際に気が利くタイプのようだ。

 優しいなと微笑ましい気持ちになったが、それと同時にさっさとはるひを置いて歩いていってしまう茶色い小さな後ろ姿が懐かしくなった。

 早朝の神社の裏手の林はいつも以上に神聖な気配が漂っていた。

 空気は冷たく清められていて、葉擦れの音しか聞こえない。

 五日ぶりに目にした祠はやはり今にも壊れそうなほど寂れている。感情が高ぶっていたにしても前回はよくためらいなく進めたものだ。

 不安な目で眺めているとシロが前足と鼻をつかって祠の扉を開けた。

「よいぞ」

「ありがとう、シロ」

 そのまま飛び込むのは怖いので、目をつむり足を踏み出す。

 一歩、二歩、三歩目ですっと周りの空気が変わった。

 目を開ければ、そこはあの本で埋まった社だ。

 土足で畳を踏んでいるので被害を広げる前に急いでスニーカーを脱いだ。

「元気にしておったのか」

「……茶太郎」

 本と本の間にちょこんと茶太郎が座っている。

 ふわふわの小さな茶色い姿を久しぶりに見られた嬉しさで、ほんのちょっとだけ目に涙が滲んだ。

「ごめんね茶太郎」

「何故謝るのだ? お前が謝ることなど何もない」

「ううん。それでも、ごめんね。また会えて嬉しい」

「ではその謝罪は受け取ろう。我も……まあ、少しは嬉しいと思っているぞ」

「茶太郎おおおおお!」

 これはあれだ、ツンデレのデレだ。破壊力が凄い。

 衝動のままに駆け寄って抱きあげようとする。が、本に阻まれて近寄れなかった。たどり着く間に、積まれた本の山を崩す未来が簡単に予想出来る。

「ここの本、もっと片付けた方がいいよ」

 喜びに水をさされたような気持ちになって、変な味のお菓子を食べたような複雑な表情になった。

「片付けてこれなのだ」

「なるほど問題なのは量……捨て」

「捨てるな」

 発言を遮るように、すぱーんと隣の部屋のふすまが開く。

「こちらに来い」

 と榊に手招かれる。

「榊様……、あの、私……」

「話はこちらで聞く」

 顔を合わせると、あの日、一方的に言葉をぶつけたことを思い出して申し訳ない気持ちでいっぱいになり言葉が詰まった。

 だが相変わらずマイペースな榊はふすまを開けるだけ開けるとさっさと部屋の中に戻ってしまい、その変わらなさに張り詰めた気持ちが緩む。

 そっけない言動なのにはるひは不思議と榊に対して冷たいとかきついとか思ったことがない。

 説明が全然足りてないと不満に思うことは多々あったが、率直で端的な物言いをするわりに彼の言葉には攻撃的なところが一切ないのだ。それは榊がいつも事実だけを静かに告げているからかもしれない。

 立ち止まっていると茶太郎がとてとて近づいてきて、ぽんと肉球ではるひの足の甲を軽く叩いた。

「行くぞはるひ」

「うん」

 先導するように茶太郎が前を歩く。懐かしさに頬が緩んだ。積まれた本にぶつからないように気をつけて隣の部屋に向かう。

 前に来た時のままにしていたのか、はたまた準備してくれたのか、榊の藍色の座椅子の向かいに一枚、その間にもう一枚、座布団が置かれていた。

「おじゃまします」

「そこに座れ」

 この間も使った座布団を榊が指差す。もう一枚の座布団にはシロがすでに鎮座している。

 リュックとスニーカーを脇に置いて、袴姿でも寒さを感じてなさそうな榊をちらりと見て試しにマフラーを取ってコートを脱いでみる。

 顔や手など外気に触れている肌で感じてはいたが、部屋にエアコンなどの暖房器具がないのに寒くない。つくづくここは不思議な空間らしい。

 座布団に腰をおろすと、膝の上に茶太郎がのってきた。

「茶太郎?」

「気にするでない」

 きっと聞いたって否定されるだろうけど、はるひの気持ちを和らげるためにそうしたのが分かる。温もりとともに遠回しの優しさが身体に沁みわたるような気がした。

「ありがとう」

「なんに対する礼だか分からんな」

 つんとそっぽを向いているがぱたぱた尻尾が振られている。絵に描いたようなツンデレだ。

 温かさと優しさに気持ちを落ち着けてもらうと、変な焦りはぬぐわれた。

「私に聞きたいことがあるのだろう?」

 深呼吸をして息を整えた。きちんと言葉を届けるために。

「はい――教えてほしいんです。榊様がどうして人の悩みを聞いて小説を書いているのか、その理由を知りたいんです」

 ずっとはるひは話し合えば人と人は分かり合えるのだと信じ込んでいた。朱里や萌たちとのことがあってもなおそう信じていた。

 でも、違った。佳乃と会ってそれに気づいた。

 どう思いやっても届かない気持ちはある。どれだけ頭で考えたとしても考えが及ばない物事が世の中にはある。

 知ったところで、聞いたところで、どうにもならないことがある。

 それは、どうしようもできない、仕方ないことなのだ。

 そうだというのに人ではない榊がどうして人の悩みを聞き、あまつさえそれを書き残すのか。それにどんな意味があるのか、知りたかった。

「……正直、どこまで干渉していいものかずっと迷っていた」

「え?」

「はるひ、最初にこの社に来た時のことを覚えているか?」

「最初ですか? ええと、本の山を崩して、そのせいで鏡を、」

「そうではない。お前はどうやってこの社までたどり着いた」

 はじめて社に飛び込んだあの日――いい加減、学校に行きなさいと母親に叩き起こされて、制服を着て家から出た。

 登校の時間帯に外に出されたはいいものの、学校に行く気はまったくなかった。

 だから通勤通学で行き交う人の流れから離れるように、ふらふらと人通りの少ない方に足を動かした。

 そうやってあてもなく歩いている時だ。ざわざわとした葉擦れの音と、ふっと静謐な空気を感じた。

 まるで何かに呼ばれるようにその気配に向かって行くと、見覚えのある神社の鳥居が視界に入る。

 こっちの道からでも来れたんだな。と思いながら、人のいない境内をふらふら歩いた。

 正月にも参拝したけれど、参道を進んでいる内になんとなくそんな気分になったので、財布に入っていた五円玉を賽銭箱に入れ、手を合わせた。

 普段だったら家族の健康とか、受験の時だったら合格しますようにとか、そんなことをぱっと頭に思い浮かべて終わらせていた。けれどこの時は、後悔とか反省とかこれからどうするかとかぐるぐると考えが頭の中でとぐろを巻いてちっともまとまらなかった。

 お願い事にもならないぐちゃぐちゃの思考を向けられても神様も困ってしまうだろうなと、手を下ろしながらため息が出る。

 いつまでも晴れない思考に憂鬱になったはるひは、参拝が終わってからもどうせ暇なのだからと思い境内を歩き回ることにした。といっても、敷地が広いわけでもないので、その散策もすぐに終わる。

 どうしよう。制服を着ているのでファミレスとかで時間を潰すことも出来ない。

 こっそり帰宅するしかないかと、とぼとぼ歩いていると、おあつらえむきに姿を隠せる林に続く道があった。

 林の入り口はきちんと整備されていて一本の道がつくられていた。

 木々に囲まれた土の道を進むと、大通りから聞こえていた自動車の音も聞こえなくなる。時折、自然が奏でる音がするだけでとても静かだ。

 右を見ても左を見ても木々や草花しかない道を真っ直ぐ進み続けると、行き止まりまでたどり着く。ここまで歩いてきた道以外には脇道もなく、もう来た道を戻るしかない。

 あまり時間が潰せなかったなと残念に思ったが、その行き止まりには寂れた祠がぽつんと一つ佇んでいた。

「なんだろうこれ」

 祠の扉は開いていた。

 中に何かあるのか気になって、身をかがめて祠の中をのぞき込もうとした――その時だ。

 とん、と。はるひの背が押された。

 声を発する暇もなかった。咄嗟に何かを掴もうとした手が宙をかく。このままだと祠に激突してしまう、と衝撃を予想して目をつむった。

 しかしはるひが覚悟を決めたように祠に激突することはなかった。押された勢いをころせなかった身体は一回転して、そのせいで書斎の本の山が次々に雪崩る。

 ばさばさと本が崩れる音を聞きながら踵の痛みにうめき、何が起きているのかわけが分からないままはるひは目を開いた。

 混乱しながら辺りをきょろきょろ見渡すと、小さく可愛いふわふわした毛のポメラニアンが二匹視線の先にいたのだ。

 ――思い出した。

来週には完結します。

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