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 本当に、凄い。自分が恥ずかしくなるほどに凄い。

 はるひは間違えて、逃げて、安全な場所でただぐるぐる考え込んでいただけだった。

 自分は大地よりも年齢は年上だけど、それだけだ。

 引きこもってうじうじ悩んでばかりだったはるひより、大地はずっとずっと戦ってる。現実と誠実に向き合おうとしている。

 ――でも、彼はまだ中学生だ。

 もっと誰かに寄りかかっても良いだろう。はるひが母親にすがったように。大地も、誰かに。

「大地くんは、友達って……」

「引っ越してから? 出来たよ。中学にあがるのに合わせて引っ越したから色々楽だった」

「友達には、相談とかって」

「無理だよ。変な空気にしたくないし、知られたくない。気を遣われたくない。福島にいた小学生の頃だって、そんな話は友達と出来なかった。県内でも場所が違えば経験したことも変わってくるし、話してもどうにもならないんだから、わざわざそんなことを話題にしないよ。どう話したところで変な空気になるから避けていたってのもあるけど.」

 これは、はるひが女子だから相談という発想になるのであって、もしかしたら男子はあまり友達に相談をしないのかもしれない。

 でも男女の差だけでなく、変な空気にしたくないと重ねて言っていたように、友達だから言えないこともある。はるひにだってある。

「じゃあ、大地くんはどうして私に話してくれたの?」

「はるひさんとは、明日会わないから」

「……そうだね」

「いやそうじゃなくて、会いたくないとかではなくて、家とか学校とかで絶対会う相手ではないって意味!」

 返答するまでに変な間を空けてしまったせいで、大地が必死にフォローを入れた。

 あんまり一生懸命弁解してくれるので、申し訳ないけれどちょっと嬉しくなってしまう。

「大丈夫、ありがとう。大地くんは優しいね」

 顔をそらして、もごもごと大地は、そんなことないというような言葉を口の中で言った。照れているようだ。

「それでだ! どうして話したかって、ことだけど。何があっても明日会わなきゃいけない相手だって思うと言えなくなるんだよ。相手にとっては言わなくてもいいことを言ってわざわざ気まずくなりたくない。そうなるくらいなら、黙ってた方がましだ。なんともない顔して馬鹿やる方がずっといい」

 相手のために口をつぐむというのは大人でも簡単なことではない。やっぱり、大地は優しい人だと思う。

「でもたまに、たまにだぞ、いつもじゃないけど、大地は悩みがなさそうでいいなって言われたりすると……なんか、なんか無性に、ムカつくような、全部台無しにしたくなるような、そんな気持ちになる」

 優しい人が損をする姿を見る切なさをはるひは今はじめて感じていた。佳乃が、和泉に対して幸せになってほしいと願う気持ち。

 この優しさが、報われてほしいと願う気持ち。

「俺は、頭そんな良くないし、いつもちゃんと考えて行動してるわけじゃないし、だからなんにも考えてなさそうってよく言われるけど、でも、本当にまったくなんにも考えてない奴なんて、……いるわけねえじゃん」

 最後は消え入りそうな小さな声でそうこぼすと、大地は何かを耐えるように俯いて黙り込んだ。

 その姿を見てしまったら、手が、勝手に動いた。

 触れた彼の短髪は、女の子よりも硬い髪だった。はるひの手より髪の毛は冷たかった。

「えらいね、大地くんはえらい。すごいよ」

 小さい子供にするように、はるひは大地の頭を撫でた。

「……えっと」

「うわ、ごめん! つい!」

 下からのぞき込むようにしてこちらを見ている顔が赤い。寒いからというだけではないだろう。

 赤くなった大地の顔を認識してしまうと、自分の顔に熱が集まるのを感じた。

「ごめん、ごめんなんか、なんか、その、つい、あの、手が、勝手にですね」

「いいよ。……ありがと、はるひさん」

 どこか肩の荷がおりたように大地はジャングルジムの上で伸びをする。

「あのさ、誰でも良かったわけじゃないよ」

「え、何が?」

「誰かに話したかった。けど、その誰かはこれまでいなかった。けどはるひさんになら話してもいいかなってなんか思ったんだよ」

「私……大地くんにそんな風に言ってもらえるような良い人じゃないよ……」

 本当の自分を白状するのは少し抵抗がある。けれどもしも勘違いされているなら、訂正せずに黙ったまま去ることは出来なかった。

「それがどうかしたの?」

「いや、だって、だから話してくれたんじゃないの?」

「は? どういうこと?」

「だから、私のこと良い人だと思ったから大地くんは話してくれたんでしょ」

「違うよ」

「え?」

「は?」

 話が噛み合っていない。最初に良い人だと言ったのは大地だったのに。

「ちょっと良い人だと思ったからって、簡単にべらべら自分のこと話さないよ俺」

「ならどうして私に」

「俺が部活やっても意味ないって言った時にはるひさん、そう。って、それだけだったじゃん。だからなんかいいかなって思ったんだよ」

「なにそれ」

「なんかいいかなは、なんかいいかなだよ。そんなちゃんとした理由なきゃ駄目?」

「駄目じゃ、ないけど」

 引っかかるのは、自分の意思でそう言ったわけではないからだ。ただ佳乃のことを思い出したから結果としてそうなっただけ。偶然そうなっただけだ。

 だからどちらにしろやっぱり大地は勘違いしている。

「これってそんなに気にすること?」

「ごめん、もう大丈夫。なんとなくね、うん。なるほどなるほど」

 空々しい返事だ。子供でもごまかされてはくれないだろう。案の定、見逃してはくれなかった。

「逆にそんな言い方されたら気になるっての! なに?」

「…………ごめん、言えない」

 榊たちとのこと。佳乃とのこと。上手く説明出来る気がしないし、勝手に話していい内容ではない。

「どうして言えないの?」

「私だけの問題じゃないから」

「……じゃあ、仕方ないか」

 もっとぐいぐい聞いてくると思ったのに、あっさりとしたものだった。彼は人との距離感のはかり方が中学生にしては相当上手い。

「いいの?」

「だって話したくないこと無理に聞くのも変じゃん。それともやっぱり話したくなった?」

「ううん、これは……私がちゃんと向き合わないといけないことだから」

 大地の言葉を素直に受け取れないのは、はるひの問題だ。

 自分で、ちゃんと答えを出すべき問題だ。

「そっか。じゃあ頑張れ」

「ありがとう……寒いね」

 気が抜けるとすっかり忘れていた寒さが戻ってきた。暗くなった空には白い息がくっきりと浮かぶ。

「そろそろ帰るか。……の、前に、ええと、だな。最後に一個はるひさんに聞きたいことあるんだけど」

 前置きをしたわりには肝心の聞きたいことを聞かずに、彼は髪の毛をがしがしかいたり、あっちこっちせわしなく視線を動かしたりした。が、最終的に勢いをつけるように大声で言う。

「はるひさんってどこ高?」

 とても言いにくそうにしていたので、もっと重大な話だと思っていたため拍子抜けした。

「北高だけど、どうかした?」

 北高は、隣駅にある公立高校だ。はるひも去年度まで通っていた、大地が今いる中学から進学する子は結構多い。

 制服はよくある紺色のブレザーに女子は青のチェックスカート。男子は同じ色と柄のズボンだ。校風や授業内容にこだわりがない子はだいたい北高に進学している。

「じゃ、北高にする」

「……それ、……え?」

 北高にするというのはどういう意味なのか考えた瞬間、隣にいたはずの大地の姿が目の前から消えた。

 目の端でとらえた動きを追ってぱっと下に視線を向けると、するすると猿のようにジャングルジムをおりている。

「じゃあ、またな。風邪ひくなよ」

 地面にたどり着くと鞄をひっつかみ、そう言い残して大地はさっさと帰宅していった。

「うん……バイバイ」

 急に取り残される形になり、ぽかんとしながら立ち去る影を見送る。

 ぼうっとしていると、ぴゅうと冷たい風に吹かれた。寒さに震えたはるひはのろのろジャングルジムからおりる。

「お待たせシロ」

 ちょうど地面におりたところで、砂場の方からシロがとてとて近づいてきた。

 白い毛にぱらぱら砂がついている。どうやら話している間、シロはシロで遊んでいたみたいだ。狛犬なのに。

「ご苦労。はるひ、お前まあまあやるのだな」

「ん?」

「あの小僧、晴れやかな顔をしていたぞ」

 きっとシロはお世辞を言わない。であれば、それは事実そう見えたということだ。

「なら、話を聞いて良かった」

 今回だって、はるひは何もしていない。ただ話を聞いていただけだ。けれどそれが大地の役にたてたのならば。

「あのね、シロ。お願いがあるんだけど……」

 考えるだけの時間はもう終わりにしようと決心がついた。

 引きこもるのはもうやめだ。決意を込めて頼みごとを切り出そうとした。

「はるひ?」

 しかし驚いた様子の声がはるひの言葉を遮る。

 公園の入り口に目を向けると、街灯に照らされた女の子の姿が見えた。いつもは低い位置でゆるくふたつ結びにしている髪の毛がマフラーの中にしまわれている。

「…………朱里」

 彼女と会うのは、はるひが最後に教室に行った日以来だった。

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