井戸川大地 1
茶太郎がいなくなった日常はとても平坦なものに戻った。
あの日以来、母親も父親も学校に行きなさいと言うのをやめた。
泣いていた理由を説明出来なかったけれど、母は無理に聞こうとしなかった。
何かあったことは気づいていても、二人とも過剰に心配はせず、普段通りに振る舞いながら見守ってくれている。
それが、ねえ、どれだけ――。
もう自覚している。自分は、恵まれているのだと。
榊たちに別れを告げてから、四日が過ぎた。
あれからずっと考えている。
学校に行かずに部屋に閉じこもっていると時間は山ほどある。けれど考えても考えても、答えにたどり着けない。そもそも答えがあるのかすら分からない。
佐々木の場合は愚痴を言えてすっきりしたと言っていた。でもそれは佐々木が誰かに自分の話を聞いてほしいと思っていたからだ。
佳乃の場合は? 和泉にすら黙っていた彼女は、きっと誰にも話したくなかっただろう。けれど、あることを思い出す。茶太郎が話してくれた、榊の力についてのことだ。
気が緩みやすくなることで我慢出来ていたことをついしてしまう。と言っていた。
それなら佳乃は自分の中からあの言葉たちを吐き出してしまいたかったのだろうか。いやでもしかし、彼女は話したことを後悔していた。
もしかしたら心のどこかで誰かに話したいという気持ちはあったのかもしれないけれど、それでもあれは、はるひに聞かせたい言葉ではなかったはずだ。
そんな堂々巡りを繰り返している。
出口のない答えを探していると、空を仰ぐ佳乃の空虚な目を思い出して、このところ部屋の窓からぼうっと空を見上げてしまう。
春のように華やかではないけれど、冬のような静けさもない二月の世の中を、暖かで安全な自分の部屋から眺めている――と、今日もとある人影を見つけた。
この四日間、はるひが外を眺めているのと同じように、毎日同じ行動をとっている人がいるのだ。
窓からは近所の公園が見える。
小学生までは愛犬の散歩でよく遊びに行っていた公園は、ブランコにすべり台。砂場、鉄棒とジャングルジムなど一般的な遊具があり、休日の昼は親子連れで遊ぶ人も多く、賑わっている。
花壇の手入れも綺麗にされていて、春になれば元気なチューリップが咲き誇るのを見るのがはるひの密かな楽しみだった。
その公園にぽつんと一人でいる人影を毎日見かけている。
人影は夕方になると現れて、日が沈み周囲が暗くなるまで、何をするわけでもなくジャングルジムのてっぺんに座っている。
行き場を失ったような寄る辺のない雰囲気にシンパシーを感じて妙に気になり、いつしか人影から目が離せなくなっていた。
あの人はどうしてあそこにいるんだろう。何を考えているんだろう。
ここからでは年齢も性別もよく分からない。もう少し近くで様子を見るくらいならいいのではないかという気持ちが日に日に膨らんでいく。
それに、部屋に閉じこもり続けるのもそろそろ息が詰まってきた。
決心がつけば行動に移すまでは早かった。
思い立った勢いのままにコートを羽織り、財布もスマートフォンも持たずに家を出る。
玄関を開けて家を出ると、日が沈みはじめた外の寒さに震えた。冷たい空気を久しぶりに吸い込むと、いつも以上に肺が冷たく感じる。
つかの間訪れた春の陽気はもうどこにもない。まだ春にはたどり着けない冷たい空気に戻っている。
住宅の隙間からのぞく空はうっすらとオレンジと淡い薄紅に染まり始めていて、どこか淋しい色をしていた。
家から歩いて二分の公園に足を踏み入れると、ジャングルジム以外にはもう誰もいなかった。
二月の太陽はすぐいなくなってしまうから、小学生はもう帰ったのだろう。
近づいても夕日の逆光で見えにくい後ろ姿は、ぽつんと頼りなげで不安定な幼さがある。
ジャングルジム脇の地面には鞄が置かれていた。見覚えがあるその鞄は、はるひも通っていた中学校の指定鞄だ。
隠れる前にまぶしさを増した夕日のせいで分かりづらいが、上に座っている人物は学ランを着ているようだった。
「やっと外に出てきたな」
中学生の男の子がどうしてあんなところで何日も、とますます謎が深まった時だ。背後からかん高い女の子の声が聞こえた。
「……ん?」
誰もいないのを確認していたはずなのに。
ばっと振りかえって声の主を探すが姿がどこにもない。
この公園に幽霊が出るなんて話はないはずだ。聞いたことがない。おかしい。
そもそもはるひに霊感はないのだ。見えるはずもなければ聞こえるはずもない。
「ここだここ」
幽霊ではないということを証明するために必死になって探していると、かん高い声は下の方からまた聞こえた。
自分の足元に目を向けると、まん丸い黒々とした瞳と目が合う。
そこには、もう二度と会えないと思っていた白いふわふわの毛玉がいた。




