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プロローグ

 綺麗なでんぐり返しで女子高生が社に飛び込んできた。

 彼女が転がり込んだそこには本が溢れていた。出入り口にも本の山が一つ、二つ、三つ。ぱっと見では数えられないくらいに並んでいる。

 通り道なのだろう。移動できる程度に本は端に寄せられていた。が、その道はとても狭い。この場所に慣れない人間は普通に移動するだけで崩してしまうだろう。

 当然、勢いよく部屋に突入した女の子は本の山を崩した。

 入口近くに積まれていた書物から連鎖してドミノのように崩れていく。

 通り道を作るために隙間なく床に並べられていたのが災いして、それはもう見事に部屋にある本という本は崩れていった。

 そして勿論、そんな状況で被害が本だけにおさまるわけがない。

 崩れた本の先、机の上に置かれていた何かが雪崩に巻き込まれてガチャンと割れる音がした。

「いたたたた……」

 着地した時にぶつけたのか、女の子は痛そうに座ったままローファーを履いた踵をさすった。

「ここ、どこ?」

 自分の居場所を確認するようにあちこち見回すが、女の子――はるひには見覚えの無い場所だった。

 そんな彼女をふわふわちまちました毛玉が二匹、じっと見つめていた。

「ポメラニアン! 可愛い!」

「失礼な」

「失礼な」

 子供みたいなかん高い声が二重になってはるひの耳に届いた。

「え?」

 しかし、辺りを探してもここにあるのは本ばかりで子供の姿はない。

「我らは社を守る神使ぞ」

 と、少し男の子らしい声で茶色のポメラニアンが。

「そこらのペットと一緒にするな小娘」

 と、少し女の子らしい声で白色のポメラニアンが。

「しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ」

「しゃしゃしゃ?」

 茶色のポメラニアンが右にこてんと首を傾ける。

「しゃしゃしゃ?」

 白色のポメラニアンが左にこてんと首を傾ける。

「犬が喋った!」

「だから我らはそこらの犬ではないと!」

「我らの話を聞いていないな小娘!」

 はるひの膝をポメラニアン二匹が肉球でてちてち叩く。

 普段であれば大喜びする可愛さだが、パニックになったはるひには肉球の幸せを味わう余裕はない。

「静かにしろ」

 一人と二匹で騒いでいると、凛とした声がはるひたちをたしなめた。

 雪崩た本の向こう――隣の部屋のふすまが開き、袴姿の男が姿を現している。

 男は白衣に袴という神社によくいる神主の服装をしていたが、浅葱色の袴ではなく白袴を穿いていた。

 上も下も真っ白。

 家事が一切出来なさそうな恰好だな。と思ったところで、男がはるひを警戒するような目つきで見ていることに気づく。

 例え不可抗力だったとしても今の自分は家屋に無断侵入している不審者だ。

「榊様すみません」

「そこの小娘がいきなり社に飛び込んできたのです」

 榊様とポメラニアンから呼ばれた白袴姿の男は、眉間に皺を寄せながら部屋の惨状を見渡していたが、机の上に目を止めると崩れた本を踏まないように跨ぎながら、足早に部屋を横切った。

「鏡を壊したな」

 本の雪崩に巻き込まれて机の下に落ちた木箱を榊が拾う。

 はるひの位置からでは木箱の中を伺えないが、一目見て分かるほどに破損させてしまったらしい。

「ごめんなさい!」

「ごめんで済んだら警察はいるのか?」

 淡々とした声音だったからこそ恐ろしさを感じてはるひは縮こまる。

「いりませんね……。はい……」

「取材の予定が全て台無しだ。どうしてくれる」

「ごめんなさ……。取材? まさかその鏡、国宝、とか、もうめちゃめちゃお高い代物だったり、します?」

「まあ、貴重な物だな」

 ざあっと血の気が引いた。手のひらの汗を制服のスカートで拭う。これは思っていたよりも最悪な状況なのかもしれない。

「それって、それってそれってそれって、すっごい有名な鏡とかじゃないですよね?」

 はるひの脳裏には、よく漫画やゲームにも登場する、教科書にだって載っている日本で一番有名な鏡の名前が浮かんでいた。

「違うな。だが、これも代わりは存在しない」

「ごめんなさいごめんなさい。本当にすみません。私に出来ることがあればなんでもやります!」

「言ったな?」

 言葉の圧に嫌な予感がして、座ったまま後ずさった。

「お金はないです。うち家のローンも残ってる一般家庭だし、私のお財布には今三千円しか入っていません。なので弁償とかだと、その、ちょっと難しいというか。なんかこう、そう雑用! 雑用ならいくらでもしますので!」

「言質は取ったぞ」

 げんちって何? ときょとんとしている隙に、榊が本を避けて目の前にしゃがみ込んだ。

「手」

「手?」

 はるひが持ちあげた手を榊がすくいあげる。榊はその手を自分の口元まで持っていき、手の甲にふっと息を吹きかけた。

「え? は? せ、セクハ」

「違う」

 否定すると同時に、自分で掴んだはるひの手を榊はぞんざいに投げた。

「私に出来ることがあればなんでもやります。雑用ならいくらでもします。そう言ったな?」

「…………はい、言いました」

 軽々しくなんでもなんて言わなければ良かったと後悔したが、もう遅い。

「だからやってもらうぞ」

 不穏な空気を感じて心細くなったはるひは、近くにいた茶色のポメラニアンを抱え込む。紺色のダッフルコートが犬の毛まみれになることなんて今は気にしていられない。

「小娘! こら小娘なにをする!」

 ポメラニアンは腕から逃げ出そうとするがはるひは一心に触り心地の良い頭を撫でた。もふもふを触ると気持ちが落ち着く。

 ここがどこかも分からないし、ポメラニアンが人の言葉を喋る。神主のような格好の男だって素性の分からない相手だ。

 不可抗力だとしても鏡が壊れたのは自分のせいなので逃げだすつもりは毛頭ないが、不安で仕方なかった。

「チャイロを離してやれ」

 じたばたするポメラニアンを見かねて榊が助け舟を出したが、はるひには今の発言が引っかかった。

「茶色? もしかして、それ、この子の名前ですか?」

 ぎゅっとポメラニアンを抱きしめる。飼い主の責任。という一言が脳内を占めた。

「そうだ」

「じゃあ、この子は?」

 はるひに捕まらないようにするためだろう。胡坐をかいた榊の膝の上まで逃げていた、白い毛並みのポメラニアンを指差して尋ねる。

「シロ」

 そんな気がしていた。安直。いや、そもそもそれは名前と言っていいのだろうか。あまりにもそのまますぎる。そう思ったはるひは先程までの不穏な空気をよそに力説した。

 小学六年生の時に老衰で亡くなってしまうまで愛犬を可愛がっていた身としては、口を挟まずにはいられなかったのだ。

「茶色はないです。百歩譲ってシロは分かります。実際シロって名前のわんちゃんいますし。でも茶色はない! さすがにない!」

 愛情を持って育てているのであれば名前がチャイロでもいい。チャイロという名前が可愛いと思ってつけたのであればまったく問題はない。しかし榊の場合はきっと違うだろう。

 名前すらきちんとつけない飼い主が最後まで面倒を見るのか、というのが今一番重大な問題だ。

 真剣に二匹の今後を心配しているはるひだが、そもそもの犬が喋っているという前提を忘れてしまっている。

 普通の犬であれば飼い主に文句を言うことが出来ないが、この二匹であれば文句があれば自分の口で伝えられるのだ。

「なら、お前が考えろ」

「え?」

「え?」

 そんな返しをされるとは思わず、はるひはぽかんとしてしまったが、チャイロもまさか先程から小娘小娘と呼んでいる相手に自分の呼び名を任されるとは思わなかったようだ。

「ちゃ、ちゃ、茶太郎?」

 咄嗟にそれしか出てこなかった。ネーミングセンスがない。

 そういえば愛犬の名前はワン太郎だった。ワンワン鳴くからワン太郎。

 名付けたのは、父親だ。可愛いだろう? と幸せそうに名前を呼んでいた。

 ネーミングセンスって遺伝するんだ、と頭を抱えそうになった。チャイロに口を挟めるレベルじゃないとすぐに訂正しようとしたのだが、それを待たずに榊はとっとと話を進めてしまう。

「ではそれで」

「待って下さい榊様! このような! このような品も考えも足りない名前を了承しないでください!」

 チャイロ改め、茶太郎は精一杯抗議したが、榊はそれを普通に無視した。

「それで、なんでもやるというお前にやってもらいたいことだが」

 手近にある本から地道に積み直しながら榊は言う。

「壊れた鏡の代わりに取材に行ってもらう」

 想像も出来ないような無理難題でも言われると思っていたはるひは面食らった。

「取材に、行く?」

「そうだ」

「鏡、が、取材されるんじゃなくてですか?」

 はるひの認識では取材される対象は鏡のはずだった。

 鏡が壊れたから取材の予定とやらが台無しになってしまって、取材されるくらいに貴重な鏡を壊してしまったと思ったので、焦って出来ることがあればなんでもやりますと口走ってしまった。

 だというのに、どうやら実情は想像していた事態とは違うらしい。

「鏡は取材されない。取材するのはお前で、する相手は……まだ決まってはいないな」

「決まってない? これから決めるんですか? 予定があったのに?」

「私が決めることではないからな」

 まったく要領を得ない。本当に取材に行かせる気があるのだろうか。

 考えに気を取られ手の力が緩んだのか、それまで地味にずっと抵抗していた茶太郎がはるひの腕の中から逃げ出すことに成功していた。

「榊様本当にこの小娘なんかを使うのですか?」

 逃げ出した途端、また元の態度に戻った茶太郎だ。賛同するようにシロも続く。

「頭がよさそうにも見えませんし、何か特別秀でているものがあるようにも見えません。取材に行くにしても無駄足に終わりそうです」

 これをポメラニアンが口にしているので怒る気にはなれないが、結構ひどいことを言われている。

「いないよりはいいだろう」

「榊様がそうおっしゃるなら」

「仕方ありません。しっかり働くのだぞ、小娘」

 なんでこんなにこの人達は偉そうなんだろうと思ったが、さっき口を出して失敗したのではるひは我慢した。

「あの、それで取材ってどうすればいいんですか」

 とにかく取材に行くということしかまだ分かっていない。けれど相手、というからには対象はきっと人物なのだろう。

「どうなるんだろうな」

「いや、だから、何日の何時にどこどこへ行けとか、何のための、とかあるでしょう」

 取材する相手が決まっていないとはさっき言っていたが、それ以外の情報が何もないのだ。それなのにはぐらかして教えてくれないとは不親切すぎる。

 先行きに不安しか感じないが、少しでも榊から情報を得ようとはるひは食い下がった。

「何のための取材かは決まっている」

「良かった! 私はこれから何の取材に行くんですか?」

 やっと手がかりが! と前のめりになったが、続いた言葉によって勢いは止められる。

「小説を書くための取材に行ってもらう」

「しょうせつ?」

 呆けるはるひを茶太郎とシロが冷ややかに見つめていた。

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