悪役令嬢続けますか? やめますか?
「マリー、君との婚約を破棄し、追放する!」
「やっりましたわああああああ!」
王太子からの、婚約破棄アンド追放のテンプレセットを喜ぶのは、侯爵令嬢のマリー・アントワネッコ。誰もが認める悪役令嬢である。
だが、その中身に異変が生じていた。
マリーは前世の記憶を思い出す。
今、彼女を支配しているのは、鈴木秋子36歳、独身。
とある中小企業に勤める、地味な容姿とつまらない性格の、どこにでもいるジャパニーズガールだ。
秋子の趣味は、ストロングゼロを飲みながら恋愛短編小説を読み漁る事。それが彼女の唯一の至福のひとときだ。
その日は、日間上位作品が粒ぞろいで、1位から30位まで読みふけってしまう。
ストロングゼロの空き缶は3本に達してしまい、話が理解できなくなり始めていたが、ひたすら星5を押していた。まあ、作者も喜ぶので問題無いだろう。
そんな時、評価欄の下に見慣れないバナーがある事に気付いた。
『悪役令嬢やりますか? やりませんか?』
こんなものあったかしら? 新しい広告?
酔っていた秋子は、特に考える事もなく『やる』をクリックした。
――そして現在に至る。
秋子は完全無欠の悪役令嬢となった。
マリー・アントワネッコ(ギロチンで処刑されそうな名前ね!)の記憶は、そのまま引き継いでいるので、彼女が何をしたかを秋子は知っている。
なんとこの馬鹿女、「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃない?」をガチで言っている。
しかも通っている魔法学院では平民出身の子を虐め、性格の悪さを思う存分発揮し、家では贅沢の限りを尽くし、市民の血税を湯水のごとく使っているのだ。
馬鹿、性格最悪、器量無し、優れているのは容姿だけと、まさに純度100%の悪役令嬢である。
王太子による婚約破棄と追放は、まったくもって正しい判断だ。
次期国王として申し分ないだろう。
「それでは、ごきげんようー!」
旅行用鞄を肩に下げ、マリーは実家に手を振りながら旅だった。
ちなみにお嬢言葉なのは、秋子の意思ではない。
頭の中では「さようなら」と言っているのだが、自動的に変換されてしまうのだ。
まったく困ったものである。
「さあ、冒険者ギルドに行きますわよー」
秋子の心は軽やかだ。
何故なら、この後成功が約束されているからだ。
おそらく冒険者ギルドには、冒険者に成りすました凛々しい帝国の皇太子がいる。
彼と軽くひと悶着起こした後、なんだかんだでパーティーを組むのだ。
「そして、だんだんお互い惹かれ合っていき……うふふ……」
マリーはスキップルンルンで、冒険者ギルドへと向かった。
「何だこの野郎! 殺すぞおおおおおおお!」
「酒だ! 酒を持って来い!」
マリーが期待していたような、黒髪の麗しい騎士はいなかった。
どいつもこいつも悪人ヅラした、むさくるしい親父ばかり。
マリーは汗を一筋垂らしながら、そっと冒険者ギルドを後にする。
「あ、あら? おかしいですわね……?」
冒険者ギルドパターンでないとすると、召使パターンか?
召使として雇われている内に、王子に気に入られるパターンのやつだ。
「そ、そうに違いないですわ!」
マリーは服を売り、隣の国まで移動する為、馬車駅に向かう。
この国ではすでに顔が割れているので、マリーが雇われる事はないからだ。
「てめえ、マリー・アントワネッコだな! 俺達の血税を無駄にしやがって! ぶっ殺してやる!」
「ひ、ひいいいいいい!」
ゴロツキに襲われたマリーは、必死に逃げる。
(――あ、もしかして、素敵な王子様が助けに来てくれるパターン?)
まったくそんな事はなかった。
マリーは命からがら馬車に逃げ込み、なんとか一命を取り留める。
この国の人達は、マリーを心の底から憎んでいるようだ。これでは命がいくつあっても足りない。
「一体どうなってますの!? わたくしは、いつになったら甘々を味わえるのかしら!?」
マリーは雲行きが怪しくなるのを感じながら、隣国へと向かった。
隣国にたどり着いたマリーだったが、召使の募集などなかった。
よく考えてみれば当たり前の事だ。
国の最重要人物が居る王宮に、得体の知れない者を入れる訳がないのだ。
「やばいですわ。どうしましょう?」
このままでは金がなくなる。
マリーは、酒場で働く事にした。秋子は居酒屋でバイトした経験があるからだ。
「いちいち『喜んで!』と言うのは、本当に辛かったですわねー……」
秋子は根暗な性格なので、笑顔と元気な声が苦手だった。
手ぬぐい工場と、椎茸の収穫のバイトが一番合っていたと思う。
酒場の仕事はうまくいかなかった。
業務自体は問題無くこなせていたのだが、客の中にマリーの祖国の人間がいたのだ。
マリーに気付いた男は、マリーがどれだけ悪人かを大声で叫んだ。
そして、それを聞いた店長にクビにされてしまった。
「どうしましょう? お金の事もですが、何より身の危険を心配しなくてはいけませんわ」
祖国の人間に見つかれば、以前のように襲われてしまうかもしれない。
身を守る手段を得なくては……!
マリーは王子とのラブラブライフなどすっかり忘れ、生存する事に頭をフル回転させ始めていた。
その結果、彼女は冒険者となった。
理由は二つある。
まず一つ目は、己自身の戦闘能力の強化。
これは護身としての基本だ。説明は不要だろう。
もう一つは、強い仲間のそばにいる事。
強い仲間と共にいれば、それだけで身の安全が保障される。
冒険者以上に、生き延びる事に適した職業は他に無かった。
マリーは美しい髪をバッサリ切り、化粧もやめた。これなら正体がバレる事はないはず。
名前はアキコと名乗った。馬鹿女の名前は捨てる。
そしてアキコは、ガチムチのおっさんしかいないパーティーに入れてもらう。
「もっと脇を締めやがれ!」
「はいっ!」
「腹に力を入れろ! 腹! 腹!」
「はいっ!」
報酬の分け前を減らす代わりに、アキコは特訓してもらう事にした。
厳しく辛い訓練だが、生きる為には仕方ない。アキコは必死に学ぶ。
そして、彼女の心は折れないまま、3か月が過ぎた。
「ふふふ、不思議ですわね。お料理教室、英会話、テニススクール、どれも1か月すら続かなかったのに、剣や魔法の訓練はまだ続いていますの」
そりゃまあ、生きる為なんだからと思ったところで、アキコはふと気付く。
「わたくし、今を楽しんでおりますわ……」
できない事が、できるようになっていくのが楽しいのだ。
失敗が怖くないし、失敗しても恥ずかしいと思わない。余計な見栄が無いからだろうか?
これが日本だと、そうはいかない。
仕事も趣味も、とにかく失敗したくない。
怒られるのは嫌だし、恥ずかしい。
他の生徒より劣っていると思われたくない。
そんな事ばかり気にして、仕事も習い事もまったく楽しむ事ができなかった。
スキルアップしようという気持ちより、どうやったら恥をかかないかの方が強かったと思う。
結果習い事には、まったく通う事がなくなった。
今の自分と、以前の自分とは何が違うのだろうか?
「――あ、きっと若さですわ! 若ければ、失敗しても大目に見てもらえる! だから、失敗が怖くないんですわ!」
そう口にしてみてから、自分の言葉に疑問を持つ。
果たしてそうなのだろうか?
この肉体は15歳。確か高校1年生くらいだろう。
だが日本での自分は、すでに中学生くらいの頃から、周りの目を気にして失敗を恐れて生きてはいなかったか? 年齢は関係ないのでは?
「……そうかもしれませんわね。とにかく、レールから外れないようにする事だけを考えてましたから」
リスクを最小限に抑える、賢い生き方だ。
安定した仕事に就き、老後の為に貯蓄する。
それが幸福な人生を約束してくれる。
……本当にそうなのだろうか?
冒険者の仕事は真逆であった。
常に死と隣り合わせ。いつまで続けられるかまったく分からない。
おまけに、今のアキコは貯金ゼロ。儲けた分はすぐ使ってしまう。
「今が良ければそれでよし! その方が、ずっと生きてるって感じがしますわ! 将来? 堅実? クソくらえですわ! 冒険者最高!」
アキコはおっさん達と共に、ダンジョンの奥深くへと潜って行った。
1年後。アキコは優れた魔法剣士に成長し、パーティーメンバーとして完全に認められていた。
冒険者ギルドでも、彼女の人気は高い。
冒険も訓練も、山の中での野営も、ドラゴンに追いかけられる事も、何にでも楽しそうにし、生き生きとしている彼女は、誰が見ても魅力的だった。
「うおっ!?」
「っしゃああああああですわ!」
2メートルはありそうな大男に、腕相撲で勝利する。
その後はみんなで乾杯だ。
もうそこには、悪役令嬢マリーも、地味でつまらない女、鈴木秋子もいなかった。
生きる事を心から楽しみ、誰からも愛される女、冒険者アキコ。それが今の彼女だ。
さらに1年後、アキコはさらに腕を上げ、上級冒険者となる。
装備はどれも伝説級だ。その姿はまるで女神のようである。
アキコのパーティーは依頼を受け、ひさびさ彼女の祖国へと向かう事となった。
「思い出しました! わたくし、王子様とラブラブになる事が目標だったんですわ!」
己のスキルアップに夢中になりすぎて、王子の事などすっかり忘れていた。テヘペロである。
「がはははは! 俺達があんまりにも良い男だから、忘れてやがったんだろう!」
ガチムチオヤジ達が大笑いする。
今でこそ、アキコを受け入れてくれる彼等だが、当初は厳しかった。
冒険者は、というかこの世界は完全に男性社会。
女性の力は、そう簡単には認めてもらえない。
だが彼女は、彼等の尊敬と信頼を勝ち取った。
失敗を恐れず立ち向かったから……いや、アキコは失敗すら楽しんでいた。
全力で楽しむ。それが彼女の成功の秘訣だったのだろう。
アキコ達は依頼された大型モンスターを退治し、街一番の宿屋に宿泊した。
そしてその夜、王宮から激しい炎が噴き上がるのを目にする。
アキコ達は急いで王宮に向かう。
城が炎に包まれる中、兵士達と魔物達が激戦を繰り広げている。
アキコは兵士に加勢しながら、城の奥へと進む。
「――王太子殿下!」
玉座の間には倒れた国王と、王を庇うように立ち塞がり、剣を構える王太子の姿があった。アキコを追放した、あの王太子だ。
彼の前には、漆黒の全身鎧を着た魔物が一人立っていた。
「アキコ……あれは大魔公の一人だ」
大魔公……魔王の側近である。
その強さは、上級冒険者でも歯が立たないと言われている。だが……!
「皆さん、いきますわよ!」
「おおおお!」
アキコと、3人のガチムチおっさんが大魔公に斬り掛かる。
大魔公から黒い波動が放たれ、おっさん達が吹き飛ばされた。
「えいっ!」
アキコの剣と、大魔公のハルバードがぶつかる。
「今ですわ! 殿下!」
「うおおおおおおお!」
王太子は剣を構え、大魔公に突っ込んだ。
彼の剣が、大魔公の胸を貫く。
大魔公は消滅した。
「さすが聖剣ですわね!」
王太子の剣は、魔王を打ち破る事ができる聖剣。
大魔公はそれを狙って、この城を襲撃したのだろう。
「感謝致します。美しい冒険者様」
王太子はアキコの手を握る。彼女の正体には気付いていないようだ。
「どうかお名前をお聞かせください」
「アキコと申しますの」
「アキコ様、無礼をお許しください。私と結婚していただけませんか……?」
「え……?」
っしゃあああああああ! やっと王子とのラブラブきたよこれ!
砂糖舐められるまでなっが! 正直諦めかけてたわ!
でも正直、追放してきた王子とってのはないかなー。
この国と敵対している国の王子とかが理想だったんだけど。
ま、贅沢は言ってられないか。
その時、目の前に文字が現れた。
『悪役令嬢続けますか? やめますか?』
は? ここまできて、やめる訳ないっての。
私がどれだけ苦労したと思ってるのよ。死にかけた事なんて、10回、20回じゃすまないんだから。
でもあれね。今の私なら、もしかして日本に戻っても……。
アキコは右の選択肢を押した。
「――もう! 信じられない!」
あの世界で習得したスキルは、何一つ持ち帰る事ができなかった。
「普通、こういうのって現実世界をスキルで無双できるんじゃないの!?」
秋子は今、部屋の中で反復横跳びをしている。
強力な魔物を相手にした機敏な動きも、今や見る影もない。
鈍くさいジャンプに、揺れるわき腹……最悪だ。
以前の秋子ならば、ふてくされてレッツストロングゼロだ。
だが今の彼女は違う。
「おほほほ! またレベル1からなんて楽しみですわ! レベル上げは序盤が楽しいんですもの!」
異世界で培ったガッツだけは引き継いでいる。
今の彼女は失敗を恐れない、自分磨きに貪欲な悪役令嬢である。
フィットネスジム、テニススクール、英会話、お料理教室、彼女はありとあらゆる習い事に手を出した。
当然、どれも下手くそだ。
だが彼女は、その事を大いに楽しんだ。
その姿は、みんなを虜にするほど眩しかった。
テニススクールに通う、一人の才ある好青年がいる。
彼は今、秋子を見つめていた。
彼女は自分より年上の大人の女性。
しかも、誰からも好かれる高嶺の花だ。俺の事など相手にしてくれないだろう。
だが……!
青年は勇気をもって、一歩を踏み出した。
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