第31話 地竜
グロ注意。
翼が退化し、地上での動きに特化した個体。
鈍重そうな見た目に反して走行速度はその辺の馬以上。
討伐推奨レベルは不明であり、一個師団が毒や罠、遠距離兵器による一方的かつ小狡い攻撃を数日掛け、その大半が喰われて漸く倒せるか否かの災害規模の魔物。
それが地竜である。
すっぽんを思わせる平べったい形状、横幅十メートル近い巨体。首や脚が異様に長く、鉱石や岩石染みた甲羅のような分厚い背中といい、本当に亀のようだった。
いつだったか、図鑑で見たものとそっくりだ。
可愛らしいちっちゃい翼も全身を覆った硬そうな鱗も圧倒的なプレッシャーも何もかも。
地竜の最大の特徴は硬度だという。
純粋な鱗の硬さや質量、高い魔力が合わさり、大抵の物理攻撃と魔法を弾いてしまうらしい。
攻撃力も……飛行機並みの巨体が暴れることを思えばある程度想像がつく。
だからこそ。
思考系スキルで急加速させた思考の中でそれらの情報を必死に思い出し、反芻、確認した俺は急いで叫ぶ。
「逃げるぞ皆っ! ライ、走りながらで良い! 地竜がこっちに気付いたら『雷』の属性魔法で牽制っ! アカリはマナミを馬車へ! リュウと他の奴等もだっ! 馬車を動かせる奴はもう動かして良い! 飛び乗ってでも乗り込めぇッ!」
勝てない。
アレは今の俺達とは別の次元に居る生物なのだと直感した。
いや、厳密に言えば戦うことは可能なのかもしれない。
だが、何にしてもこちらの装備が貧弱過ぎる。兎に角硬いことで有名な魔物相手に度胸試し感覚で戦いを挑む勇気は俺にはない。
気が逸る中、固まっていたライ達は矢継ぎ早な指示……それも撤退という内容を聞いてハッとすると、さっさと動き出す。
皆も似たような確信を覚えたんだろう。
「っ、ジル様っ、奴を倒してくれたりはっ!?」
「面倒くせぇ」
荷台から顔を覗かせていたジル様は「何でオレがそんなことを?」みたいな顔で吐き捨て、中に戻ってしまった。
正直、この状況でまだ駄々を捏ねるのかと怒鳴り付けたいが、まあ何だかんだ優しい人だ。本格的に危なくなったら助けてくれる筈。俺の指示を否定しなかったのも正解かそれに近い解答だったからだろうし。
となれば……
「早瀬とお前っ……イサムだったか!? お前らもライと一緒に牽制してくれ!」
色々と癪なことはさておく。背に腹は代えられない。
ある程度の罵倒や侮蔑を覚悟しての要請はやはりまさかの返答で裏切られた。
「ど、ドラゴンっ……こ、こんなっ……でっけぇ!?」
「は、はは……丁度良い! そろそろドラゴン退治でもする頃だと思ってたんだ! 勇者である僕がこいつを――」
二人はまるで俺の話を聞いていなかった。
否、それどころか腰を抜かしているイケメン(笑)は何処か浮わついた顔で戯れ言をほざいている始末。
地竜からすれば目の前に無防備な餌がある訳だ。
当然、地竜が大きく口を開け、狙いを定め始めた。
バックリと開かれた口内にはゾッとするほど鋭く大量の歯。
この後に起こるであろう惨劇は想像に難くない。
「この馬鹿っ、まだそんなこと言ってっ……!」
サッと背筋に冷たいものが走った俺は背中から魔粒子ジェットを噴出させて急加速。地面を滑るようにして両者の間に移動すると、勢いに任せてイケメン(笑)の横っ面をぶん殴った。
「へぶぅっ!?」
車にでも跳ねられたかの如く錐揉み回転しながら崖へ突っ込んでいく馬鹿には目もくれず、間髪入れずに手のひらと腕から逆噴射を掛け、素早く後ろへ下がる。
瞬間、地竜の首がにゅるりと伸び、ほんの数瞬前まで俺とイケメン(笑)が居た空間に齧り付いた。
眼前で鳴る恐怖の音と間近で見た大きさ、威容、質量に鱗と尽く恐ろしい。
「っぶねぇっ……!」
冷や汗が飛ぶ勢いで流れる。
幸い、俺は何処も食われてないし、馬鹿も付近の崖岩に血まみれでめり込んでピクピクしてるくらいで無事だ。
間一髪、何とか助かった。
「何でいきなりこんな奴がここに」だとか「さっきの玉が原因か」だとか「あのクソッタレ勇者には考える頭がないのか」だとか、まあ凄まじく膨大な感情やら思考やらが一瞬にして脳裏を過ったが、一先ずライ達の橫に着地し、皆を急かす。
「け、牽制頼むっ、他はっ!」
「「「了解っ!」」」
「承知です!」
ライは俺と代わるように前へ。マナミをお姫様抱っこで持ち上げたアカリはリュウと一緒に走り出した。
その様子を横目に、今も震えて呆然としている早瀬を怒鳴り付ける。
「テメェも早く逃げろっ、死にたいのかっ!」
吠えながら気絶しているイケメン(笑)を回収。トモヨさん達の馬車目掛けて思いっきり投擲した。
「今、そっちの馬鹿投げたかんなぁっ! 上手くキャッチしろよぉっ!」
「えっ、ちょっとぉっ!?」
「そ、そんな無茶苦茶なっ!」
「ふええぇっ、何でこうなるんですかぁっ!?」
女三人の悲鳴をBGMに俺も後退を始める。
チラリと地竜の方を見ると、ライの稲妻をものともせずに受け止め、咆哮を上げながら周囲の崖や岩、地面を長い首や尻尾で破壊して回っていた。
細かく砕かれた岩やら石やら砂やらが舞い、視界が一気に悪くなる。
右へ左へと地面を蹴って回避運動を取りつつ、大剣女と男の方に向かうが、拾えたのは女だけ。
男の方は俺が手を伸ばしたところで飛んできた岩が直撃し、血を撒き散らして何処かへ行ってしまった。
「ちぃっ!」
ギリッと歯軋りし、諦める。
奴は敵だ。どの道、俺も殺す気で戦ったじゃないか。ライにあんなことを言っておいて何を今更……!
そう自分に言い聞かせ、首根っこを掴んだ女を片手に飛んでくる石礫を避けながらアカリ達の跡を追っていく。
「マナミ様っ、揺れますよっ」
「う、うんっ、大丈っ……くぅっ……!」
「いひひひぃっ、怖い怖い怖い怖ぁいっ!」
馬車は既に走り出していた。その荷台に飛び込む形でアカリがマナミと共に突っ込み、リュウは変な泣き笑いをしながらダイブした。
その先ではジル様とショウさんを乗せた馬車の姿がある。俺に返答した直後から逃げていたようだ。
「こ、こいつをっ!」
ステータスと鍛え抜いた脚力に物を言わせて馬車に近付き、大剣女を追加で投げ入れる。
「ユウ様はっ!?」
「野暮用だっ、向こうの馬鹿パーティが遅れ出してやがるっ!」
俺が指差すその方向ではトモヨさん達が何やらモタモタしており、肝心の馬車はその場で停車していた。
あんな化け物相手じゃ防具なんてただの重りだと、取り外せる装備とマジックバッグを全てアカリに投げ渡し、代わりにマナミが「そ、それならこれっ!」と渡してきた回復薬と魔力回復薬を一気飲みする。
「んっくっ、んっくんっ……! らっ……うぷっ!? ……げぼぉっ……ごほっごほっ、ら、ライぃっ! もう十分だ! お前も撤退してくれ!」
背後がピカピカと光る中、少し吐きながら叫び、何とかこちらの状態を伝えると、辺りが一際盛大に光った。
見れば目潰しとして何らかの属性魔法を使ったらしく、それまでこちらを狙って付近の岩を砕き飛ばしてきていた地竜が一気に暴れ出した。
「ギャオオオオオオッ!?」
「~っ……相変わらず煩い奴だなっ!」
堪らず耳を押さえた直後、頭部や腕を所々負傷したライが血を流しながら《縮地》で退いてくる。
「い、良いなぁそのスキルっ、俺も欲しい!」
「言ってる場合かっ!?」
そんなやり取りの最中、ライは荷台の皆と合流。俺は再び馬車を離れ、崖を蹴って跳ぶようにしてイケメン(笑)達の馬車の元に降り立った。
「一体全体っ、何やってっ……!」
飛来する岩やら何やらを避けるのに必死で近付いてから気付き、絶句した。
このパーティは捕縛した盗賊達を見捨てられなかったらしい。
馬車の中やその周囲では薄汚い男達が詰め込まれ、積まれ、馬達が悲鳴を上げながら走らせようと地面を抉っている。
どう考えても重量オーバーだ。車じゃないんだから動かせる訳がない。
俺は声を張り上げようとしてミサキさんに阻まれた。
「ゆ、ユウっ! 丁度良いところに! ちょっと手伝ってくれない!? てか早瀬っ! あんたも働けっ!」
どうしても盗賊達を助けたいらしい。必死な形相だった。
御者台にはイケメン(笑)を椅子にして固定し、鞭を振るっているトモヨさんとその肩に必死に掴まっているシズカさんが居る。
目眩がしてくるような光景に思わず鑪を踏んでしまう。
「こんなときに人助けなんてやってる場合かっ!? 見ろっ、奴はもうこっちに来てんだぞっ!?」
俺の怒声に三人と他盗賊達がバッと一斉に地竜の方を見る。
視力が回復してきたらしく、やたらめったらに暴れるのを止め、こちらに向かってきている地竜を、だ。
「「「「「うわあああああっ!?」」」」」
「煩ぇっ!」
ドシイィンッと地面が揺れる勢いで蹴りを入れ、喧しく騒ごうとする盗賊共を黙らせる。
既に俺やライ達の馬車は遠く離れている。
距離的に、もう合流は不可能だろう。
「で、でも助けるのが人として――」
「――当然か!? こんな時っ、こんな状況でっ、自分達の命を危険に晒してでも人助けするのが当然かっ!? こんな問答をしている暇もないんだ! さっさとそいつらを下ろせ!」
「そんなこと出来るわけないじゃない!」
俺とミサキさんが怒鳴り合い、それを見た盗賊達が口々に助けを求めてくる。
「た、助けてくれぇ!」
「俺達が悪かった!」
「だから俺達もこの馬車に!」
人様のことを襲っといて調子の良い奴等だ。
気持ちはわかるが、反吐が出る。
「俺達は脅されてたんだよ!」
「飯も金もなかったっ、しょうがなかったんだ!」
「殺らなきゃ殺られてっ、殺っても殺られてっ……俺達はどうすれば良かったってんだ!?」
脅されようが、強制されようが……やると判断し、実行したのはお前らだろ。今そのツケが回ってきたんだよ。
口で言い返すのは時間の無駄。そう理解しているからこそ俺は黙り、代わりに青筋が浮かんだ。
「そ、そうよっ! この人達はさっきの二人組に脅されていたらしいの! だ、だからっ……可哀想じゃないっ!?」
養護が入り、益々イラッと来た。
地竜と俺達の距離は三十メートルを切っている。
あの首だ、もう噛み付ける位置かもしれない。
「こっ、なっ……くっ……そおおおぉぉぉぉーーーっ!!」
俺は説得を諦め、荷台を後ろから押してやった。
「っ、ありがとうユウっ!」
「悪いわねっ、黒堂君っ!」
「た、助かりますですぅっ!」
ダメだこいつら。
話にならない。
盗賊達と揃って感謝を伝えてくるアホ女共に一種の見切りを付け、それには何も返さず、ただただ事態の改善、収拾に努める。
「か、『風』と『火』の属性魔法が使える奴っ、爆風か何かで援護しろっ!」
俺が叫ぶと同時、馬車が緩やかに動き出した。
遅れてトモヨさんとシズカさんが俺の言う通りの事象を引き起こし、加速が付く。
ミサキさんは【縦横無尽】で浮くと俺の橫で後ろ向きに押し始めた。
地竜との距離は約二十。いや、刻一刻と詰めてきている。
時折聞こえる咆哮も地響きのような足音と振動も直ぐそこまで来ている。
ダメか。
そう思い掛けたその時。
馬車の上から電撃の雨が降り注いだ。
「ギャオオオッ!?」
短い叫び声。
顔面にでも直撃したらしい。
後ろに振り向こうとしてドサリッと馬車が揺れる。
まるで誰かが乗ってきたような揺れだ。
「ユウっ、無事かっ!?」
荷台の上にて、俺の方をチラチラ見つつ、必死に『火』の矢や『水』の玉、『風』の刃に『土』の塊をぶつけているのはライだった。
「たっ、助かるっ、距離はだ!?」
「もう目と鼻の先だよっ! 速度が均衡しちゃってるっ!」
まだ振り切れないかっ!
スピードはかなり出てきた筈っ、なのに何でっ……っ、やっぱり重すぎるんだよっ……!
未だに悲鳴を上げて荷台に掴まり、震えている盗賊達を見て思わず内心で毒づく。
だが、そのお陰で思い出した。
イケメン(笑)に噛み付こうとした地竜の姿を。
以降も投石こそすれ、こうして追ってきたってことは……喰うつもり……? つまりっ、奴は腹が減って……!?
そうとわかれば。
俺は先程も覚えた罪悪感や何とも落ち着かない、胸騒ぎのような思いを切り捨てると、ライに馬車を任せ、荷台に飛び乗った。
「ひいぃっ、助けてくれ助けてくれっ、神様っ、お願いしますぅっ!」
「お前はっ……はぁ……何なんだよマジで」
盗賊達と一緒に震えて縮こまっていた、非常に情けなく泣いている早瀬の頭を後ろから蹴って気絶させ、脱力し掛けながらその腰に差している剣を奪う。
続けてイケメン(笑)や馬を操っているトモヨさん、必死に牽制を続けているライからも同じように回収していく。
「へ?」
「な、何を……?」
「母ちゃんっ、母ちゃんっ……!」
エトセトラエトセトラ。
全くどうしようもない連中だ。
今更懺悔したって遅いだろうに。
俺は冷めた目で固まり、怯えるばかりの盗賊達を見つめた。
「悪いな、俺達の為に死んでくれ」
諭すように声を掛けて縄を解き、グッサリと三人の盗賊の腹を奪った剣で貫く。
これで地竜用の人間串の完成だ。
「ぎゃあっ!?」
「ぐげぇっ!」
「だ、だずげでぇっ!?」
盗賊達は途端に暴れ出し、悲鳴を上げ始めるが、無視して持ち上げ、地竜に向き直った。
「ユウだ!? あ、あんたまさかっ! シズカっ、ユウを止めて!」
「な、助けるんじゃないのか!? 止めろユウっ!」
最後は無言だった。
周囲の制止に逆らい、人間串を地竜に向かって投げ付ける。
地竜との距離は既に十メートルを切っていた。
「うわあああぁぁぁっ!?」」
「し、死にたくない死にたくなあぁい!」
「ぎゃあああっ!?」
好き勝手に喚き散らしていた盗賊達の悲鳴は次の瞬間、とてつもなく耳障りな音でかき消された。
人が……人の血肉と骨が噛み砕かれ、飲み込まれる音だ。
全身が総毛立ち、身震いし、やってきた吐き気と罪悪感に一瞬手を止める。
が、それでもと歯を喰い縛ると、俺は次々に盗賊という名の餌を地竜に与えていった。
「な、何でもするから助けてくれ!」
「この悪魔があぁっ!」
「クソ、呪ってやるっ! 絶対に呪い殺してやるからな!」
懇願、恨み辛み、怨嗟。
それぞれ最期まで好き勝手叫んでいた。
ライ達は最早言葉も出ないようで、絶句し、呆けたように俺を見ている。
慣れてきた頃には抵抗し始めた盗賊も居たが、躊躇いなく首を斬り落とし、袈裟斬りにし、その肉片も投げる。
もう何も感じなかった。
一方で地竜は降ってくる獲物にどんどん齧り付いており、夥しい量の血や油、何かの汁が飛び散り、肉片や臓物を牙の端に見せながら走っている。
亀みたいな見た目のくせしてとんでもない速さだ。
時速六十以上は平気で出ていそうな速度。
しかし、最後に投げた盗賊が断末魔を上げる間もなく丸呑みにされたのを皮切りにその速度は一気に遅くなった。
当然だろう、ライ達の業物の剣ごと喰わせたんだ。腹が膨れる前に口内か腹の中に刺さる。
幾ら尋常じゃない防御力を持っていると言っても所詮は生き物。
体内まで硬いなんてことはあり得ない。もしそうならここまで早く動けたりもしない。
だが、ここで更なる問題が起きた。
軽くすれば速度は増す。
そう考えての行動は遅過ぎたようだ。
馬達が限界でこちらも地竜同様に速度低下が始まった。
ある程度の距離は取れたとはいえ、地竜は未だに追従してきている。
このままだと時期に回復して追い付かれるだろう。
そう判断した俺は俺を非難するだけで手伝ってくれなさそうなライとミサキさんに援護を頼むことなく、馬車から飛び降りると崖上へと上がった。
マジの最後の手段だ。
「ここまでくればっ……居たっ! ならジル様も見てくれてる筈っ……! 頼むぜジル様っ、拾ってくれよっ……?」
崖の頂上から先を行っている二台の馬車の姿を確認した俺は辿り着いた勢いそのままに空中へ全力でジャンプした。
《狂化》を使っての本気のジャンプだ。
その威力は世界最強のジル様にも届く。
両足はへし折れ、潰れ、嫌な音を立て、俺に過去最高の痛みをプレゼントしてくれた。
見ればクレーターが出来ている。
崩れている箇所もある。
やがて落下が始まった。
目がチカチカしてくるような激痛に耐えつつも覚悟を決め、これでもかというほど歯を食い縛る。
「《狂化》っ……! 行くぞ亀蜥蜴野郎っ、生き埋めにしてやるっ……!!」
全体重、全勢いを乗せた俺はまさに全身全霊の一撃を地面に食らわせた。
空間が爆ぜたように感じた。
音は聞こえず、痛みも一周したのか感じない。
ただ、俺の一撃で崖が崩れ、生じた瓦礫が雪崩となって地竜の方に降ったこと。
何処からか瞬時に現れたジル様が落下している俺を優しくキャッチしてくれたこと。
その二点だけはわかった。
ははっ、計画通り……ってな。
ここまでやれば助けてくれるって信じてましたよ、ジル様。
「なら……せめて声を掛けろ、馬鹿弟子」
意識が朦朧とし、視界がボヤけていく中。
少し怒っているような声が聞こえた気がした。




