第252話 星空の密談
気が付けば夕陽が沈んでいるようだった。
パキッ、ピシッ……パリィンッ……と、右肩のマナコンデンサーが砕け散る中、上空特有の強風が夜特有の冷たさを纏って吹いてきたことでそれを自覚し、逆に言えばそれほどまでに没頭していたのかと少し意外に思った。
「い゛っ゛……ぐ、ぅっ……はぁっ……はぁっ……や、やって……くれ、るっ……」
蒼い刀剣を食い込ませたままぶるぶると震える左腕をだらんとさせ、上手く稼働しない義手に意識を向ける。
「っ、魔力の通りが……壊れちまったか……?」
頭まで痛くなってくる極限の痛みを努めて無視し、素人ながらに調子を確認。同時進行で伸ばした義足のアームクローを収納していると。
「強くなったじゃねぇか」
余裕のある声が聞こえてきた。
義眼には最初から魔導砲の直撃を受けたジル様がほぼ無傷で滞空している様子が映っていた為、驚愕はない。
よくよく見れば若干……本当に僅かながら生命反応が薄くなっている。
直撃の寸前、爆発したかのような〝気〟の流れと魔力の展開も確認していた。
その時の規模からして俺との殺し合いも八割……いや、七割も本気を出してないと見た。
つくづく遠い場所に居るこって……と、寂しくて悲しくもあり、何処か誇らしくもある。
嘗てのような悔しさはもう無い。我ながらよくわかってなかったが、吹っ切れたらしい。
「フーッ…………ったく、お前はこんな夜中に女をひん剥いてどうするつもりだ? ああん?」
口調は暴漢かチンピラのそれ。
しかし、魔導砲のせいで半裸か全裸に近い状態になっているらしい。
幸いというべきか、戦意は削げたようで声音に今までのような殺意や闘志は感じられない。
「あー……すんません、必死過ぎて……」
素直に謝ったからか、思っていた返答と違ったからか、今日だけで何度目か鼻で笑われる。
「ハッ……」
嘲りとは違う。
納得と……安心?
内心で首を傾げる俺の心を読んだのだろう。ジル様は「まあ、な……」と話し始めた。
「イクシアで別れた時は折れてたからな。前回と今回は多少荒んでる程度……ま、今回はちぃとばかし折れ掛かってるみたいだが」
相変わらずプライバシーやデリカシーという言葉を知らない人である。
「仲間を……大事な友達を一人、斬ったんすよ。他にもジル様と別れた後、色んな奴を見捨てて、逃げて……」
俺らしくないというのは誰よりも俺自身が痛感していること。
けど、手から撫子を斬り殺した時の感触が消えてくれない。
あの時の光景が、撫子の死に顔が、血が、傷が頭から離れない。
ただ思い出してるだけ、トラウマ、センチな気分を引き摺ってるだけと切り捨てるのは簡単だろう。
「だとしても、この感覚を捨てたら……その一線を越えたら俺が俺じゃなくなるようで怖いんです」
二人きりだからか、敬語でもジル様は何も言わない。
代わりに、溜め息のような一息を吐いて返した。
「テメェがソレをどう感じてようが知ったこっちゃねぇがな。オレから言わせりゃそんなのはただの甘えだ。幻……幻想だよ。お前は心の底からキレたことがないんだろうな。いっそ死にたくなるほど誰かを憎んだことが」
「……悲しいことはありましたがね」
「ハッ、そうじゃねぇ。内に秘めて自己完結するんじゃなく、火が付いたみてぇな……この世の全てを呪う、殺す、喰ってやるっつぅ衝動に覚えがないんだろ?」
憐れむような、羨むような……そんな声音。
死にたいなんて何度思ったかと、つい噛み付いてしまったが、また笑われた上によくわからないことを言われた。
「さあ……似たような経験ならあったような気が……じゃなきゃ《闇魔法》なんて使えませんし」
極限の怒りをトリガーに使えるようになる纏わり付く炎なんてその典型だと思う。
アレが使える対象はライと白仮面、早瀬……それと聖騎士ノアとミサキくらいだ。相手を選ぶ攻撃法なんて扱い辛くて敵わん。
「オレと同じ大罪スキルを持ってねぇことに説明が付かねぇんだよ。オレで言えば《憤怒》。魔王や『付き人』、後は聖神教の『最強』も恐らく持ってる筈……何せ固有スキルと違って後天的に取得出来る。そのくせ、効果は固有スキル並みと来たもんだ」
曰く、取得条件は感情の爆発。条件さえ揃えば誰でも得られるものだという。
以前見せてもらった際、ジル様のステータスにそんな中二チックなスキルがあるのは見てたけども。
「えっと……それが?」
失礼だけど、だから何だとしか。
強さの源の話か?
「いや……だからこそそんなもんがあるように思えるのか……ってな」
少し肌寒かったのか、翼を避けるように尻尾を自身に巻き付かせながら続ける。
「魔王の為に連合をぶっ潰す算段をしてると聞いたぞ」
「いやまあ潰せるんなら潰しますけど、流石に俺一人じゃ無理ですよ。だから前会った時アンタを下して自軍に組み込もうとしたんでしょうが」
まあボッコボコのギッタンギッタンにやられてプライドとかその他色んなもんがぶち壊されたけども。
「魔王の為って部分は否定しないのな」
一瞬、言葉に詰まってしまった。
「そりゃあ大事な嫁さん…………ん? あ、俺が婿入りする形になるのか、よく考えたら」
言ってて身分差やら何やらに気が付き、その場合は奥さんのこと何て言うんだろうなんて下らない思考が過る。
「…………」
「……いや、急に無言になられると怖いんすけど」
訊かれたから答えたのに。
「「…………」」
そうして、どれくらい夜風に当たっていただろうか。
暫くして漸く口を開いてくれた。
「オレはな……ずっと一人だった。家族を含めた知人が全員死んで故郷が滅んで……キレて殺して斬りまくって……ただそれだけの日々。今だって生きる理由がないから傭兵稼業で食ってる始末だ」
……おい何か語り出したぞ。誰だこんな話求めた奴。
「お前マジそういうとこだぞ雑魚コラハゲテメェぶち殺されてぇのか良いから黙って聞いとけやダボが」
「すいませんすいません、ホントすいません……謝るんで首からその竜の爪離してもらって良いでいぎゃあああっ!? あ、刺さってる刺さってるっ、めっちゃ痛いっ、血ぃ出てるってこれっ!」
やっぱり本気じゃなかったなこの人。慣れたと思ってたけど、普通に背後に回られた。
あれか? 《神速》とかいう……それっぽいスキルを持ってた気がする。
ソニックブームも発生してないし、《縮地》と同じ物理法則無視の移動スキル……かつこちらの認識が遅れるくらいだから上位互換……?
何にせよ、全く底が見えてこない。
「はぁ……兎に角茶化すんじゃねぇ。オレにとっちゃ真面目な話なんだよ」
「っす」
頷きながら反応の鈍い義手の本体で左腕の刀剣を抜き取り、隠し腕で回復薬を掛けつつ、〝粘纏〟を発動。傷口の閉塞と修復を同時に試みる。
……じんわり指先の感覚が戻ってきた。神経まではやってなかったらしい。
成る程……俺より人の部分を失っていたゲイルにこういう芸当が出来るのならそりゃあ強い。
寧ろよく勝てたなあの時……なんて、今になって感心してしまう。
「ん」
手を差し出された。
…………。
え、何これ返せって?
「ん」
「えぇ……か、返した瞬間に斬り掛かってくるとかは無しっすからね?」
恐る恐る刀剣を手渡したところ、ジル様は普通にそれを腰に差すと話を戻しに掛かった。
「で、だ」
「だ」
「殺すぞ」
「すいませんて」
見えないけど、いつもの超絶美少女面に大量の血管を浮き立たせながら笑顔で俺を見つめている様子が目に浮かぶ。
「イクシアでお前を鍛えたのだって最初はただの暇潰しのつもりだった。城なら金目の物もそれなりの待遇も期待出来そうだったし。けど……」
曰く、俺とバカやって笑うのが楽しかった。
実際はもう少し長かったが、要約すればそういうこと。
「初めてだったよ。格も見てるものも立ってる場所も違うオレを純粋なまでに好いてくれたのは昔も今もお前だけ。嬉しくねぇ訳がねぇよな?」
何が言いたいのかは理解した。
だが、残念ながら俺の淡い恋心はもう無い。
愛はムクロに、情はルゥネに全て注がれている。
あるのは尊敬や憧憬の類いだ。
どう返答すれば良いのかわからなかった俺は取り敢えずマジックバッグマントから取り出した上着を渡した。
「ん、さんきゅ。……はあぁぁあ。だろうなー……だよな……こんだけ離れてりゃ気持ちなんて冷めるよなぁ……」
受け取りながら盛大な溜め息を吐き、次に後悔と納得の心情を吐露するジル様。
何というか……物凄くこそばゆい。
言外に俺の告白を受けるつもりだったみたいに言われてるようで如何ともし難い感情に襲われる。
「いや、だって……その……『付き人』がお前と距離を取れって言ったから……」
「……あぁ、魔国でそんなこと言ってたな、そういや」
以前色々なことを教わった際に聞いた。
俺にまつわる未来を見せた、と。
だから絶望していた俺を一人で生きていけるよう敢えて冷たく突き放したんだとも。
俺の防寒着を着てもじもじと指と指を合わせている姿は恐らく世界一可愛かったことだろう。
声からして赤面してるし、恥ずかしがってる気配も伝わってくる。
けど……
「好きでしたよ、本当に。秘めたい想いを当の本人に読まれ、それをからかわれてめちゃくちゃ気まずくて……でも、そんな日々も楽しくて……」
その結果があの大告白だ。
……今思えば思い出したくもない黒歴史No.1だな。胸とか頭が痛くなってくる。
「大好きでした、世話になりました。貴女は……俺の恩人です」
夜の帳が下り、瞬くような星空と月夜が広がる上空で、相手は半裸か全裸と考えると今も今で中々ヤバいが、そう言わずにはいられなかった。
気付けば滞空しながら頭を下げていた。
「…………」
「俺は……大恩人のアンタを見ることすら出来ない。今年中に子供が産まれるってのにそいつの顔も成長もだ。ムクロやルゥネだって……仲間達や他の女達の姿形しか。それもぼんやりと、だぜ……?」
敬語を解き、例の告白を再現するかのように本音を吐露する。
嘆きという名のただの愚痴が漏れていく。
「そりゃっ……悲しいさっ。寂しいし、虚しいよっ……自慢の美少女面を拝めないのだって悔しくて仕方がないっ……本当に好きだったんだ。憧れてたっ……アンタの隣に立ちたいって思ってたっ」
全ては過去形。
目標もやりたいこともなかった昔の俺なら今もジル様を追ってたと思う。
ジル様を越えて一緒に……それこそムクロと出会わなければ強くなることだけを目的にしてた筈。
けど、違う。
俺はムクロに救われ、姐さんに支えられ、ルゥネに矯正された。
いや……俺がそうさせた。
そういう意味で言えばレド達やシャムザの皆、帝国の連中、フェイ達、魔国の奴等もそうだ。
皆との出会いと別れが俺に生きる意味を教えてくれた。
「俺はムクロとこれから産まれる子供の為に世界を正す。実際に神が存在するからと歪んだ宗教観で他種族を迫害し、今まさに侵略戦争を目論んでいる人間達をぶっ殺さなきゃいけない」
それか……魔国だけでも戦争や飢餓のない国にしなければ。
どの道ルゥネはあの性格だ。俺が止めたとしても真の戦争狂いであるアイツは止まらない。世界から戦争は失くならない。
シャムザも魔国も守りの体勢で居るだけじゃ食い潰される。人の欲を甘く見ている連中に国は守れない。
理想的な世界の創造……
完全なる王が全ての国を完全統治し、完全な管理下に置く。
ロベリアの提唱していた統治論は【不老不死】であるムクロにこそ相応しい。
戦争を忌み嫌い、憎悪し、人の痛みや不幸を平等に悲しく思えるムクロこそ世界の王足り得る器だ。
だから。
「っ…………~~っ……そう、か……」
心中様々な想いが入り混じった返答だった。
何度か何かを言おうと口をパクパクさせ、躊躇した挙げ句の返答。
宗教で成り立つ世界でそれを否定するのは大戦争の始まりである。
ジル様はこの世界の人間だからこそ、そう返すことしか出来ない。
故に、俺とルゥネ、アリス間で共有していた今後の計画について話す必要がある。
「話があります。基本的にアンタは変わらず殺し合いを楽しむだけで良い。俺達、同盟側が勝つ為の駒として」
「……何をするつもりだ」
態度を改めた俺は静かに降下を開始すると、見向きもせずに言った。
「俺が世界の王になる話ですよ。そのプロセスと結果について。謂わば野心……野望と言っても良い。具体的な計画を教えます」
いずれはリヴェインとも共有しなければいけない。
その計画こそ最もムクロを戦争から遠ざけ、最も早期的に戦争を終わらせる手段なのだから。
「さあ、夜の空は冷えます。長い話になりそうだ。お早く」
促すように続けたところ、囁くような呟きが耳に入った。
「ゆ、ユウ……お前…………変わったな……昔のお前は何処に行っちまったんだよ」
と。
殆ど独り言。
俺は何も返さなかった。
ただ……
アンタと同じになっただけのことだろうが。
なんて、冷たく思うだけ。




