第237話 散花
すいません、遅れましたm(_ _)m
ちょいグロ注意です。
マナミを連れ、全速力で前線空域を抜ける。
ロベリアが妹と、艦隊が敵艦隊と戦っている光景を背に、ライはただ急ぐ。
「マリー一人の命はあの艦隊に居た人達より重いんだね?」
荒れ狂う風が阻むようにぶつかってくる中、マナミが訊いてくる。
「……そうじゃない。マリーは連合軍の要だ。俺の大事な人だ。見殺しには出来ないよ」
「まあ……後退しながらの戦闘だったし、何隻か沈んだとしても数千人の犠牲で済むもんね」
「マナミっ」
怒っている訳ではなさそうだが、拗ねている訳でもない。
ライは「最近の君はおかしいよっ?」と続けた。
「まるで……まるでっ……」
「ユウ君みたい?」
「っ……」
言葉に詰まり、ついといった動きで視線が泳ぐ。
「ユウ君は出来得る限りの現実を見てるだけだよ。私もそう。救える命には限りがある。そして、救えるからこそ人は私に頼る。依存して、使って、死なせたら私を詰る。ライ君だって私が責められるところを何度か見てる筈だけどね」
悲しい話だが、それは事実だった。
ギリギリで力尽きてしまった者、身体は戻せても内臓の異常で復活出来なかった者、再生した食糧を口にする体力すらない者、死者の首や四肢を持って「助けてほしい」、「生き返らせて」と懇願する者。
またそれらの遺族、友人、知り合い。
時には石を投げ付けられることもあった。
小さな子供が目の前で死ぬこと、ここまで出来て何で死者の蘇生は出来ないのかと絶望したことも一度や二度ではない。
つい先程もライがマナミを連れていくと言った時もそうだ。
彼女が居たブリッジから向けられた視線は様々な悪感情を含んでいた。
既に数万規模の軍人が死んでいるというのに、少しでも犠牲を減らせる人間を、たった一人……あるいは要人用の母艦が危ないからと連れていくその根性は現場の人間にとってどう映るだろうか。
ほぼ強制だったとはいえ、実際に向かう羽目になったマナミもまたその対象である。
過程はどうあれ、結果的に自分達を見捨てたのだと捉えられてもおかしくはない。
マナミはその目が嫌だった。
見殺しにするのか。
この状況で居なくなるのか。
あんたが居ないと戦線が崩れるんじゃないか?
結局は我が身大事か。
絶望と失望の視線。
幾度となく経験してきたマナミも今度という今度は堪えたらしい。
「もう疲れたよ。この戦争も……皆が望んで始めたことでしょ? 何で私が全部治す前提なの? 何で私が居なきゃ嫌なの? 被害を出さず、一方的に他種族を殺したい? 帝国みたいに反抗的な勢力を下して土地を得たい? 何て醜いの……?」
ライは何も言えなかった。
疲れきった目で戦場を見つめるマナミの表情が酷く擦れていたから。
「「…………」」
無言で飛び続けていると、シキ達の居る空域へと入った。
そこはいつの間にか怪しい空模様へと変わっていた。
前線の方に向かって黒く不気味な暗雲が広がっている。
ゴロゴロという重苦しい音が辺りを響き、稲妻が走る。
そうして空域を横切り、イサムと撫子がシキと戦っている光景を横目に母艦に帰投する。
甲板に降り立ち、雨で滑る床に険しい顔を向けつつ、中へ。
「よ、よくぞおいでくださいました!」
「そういうのは良いんでっ、マリーは何処なんですっ?」
自分が必要とされる場所まで来れば……内心でそう思っていたライの予想は当たり、迎えに来ていた『天空の民』の乗組員に連れられたマナミはそれまでの疲れを忘れたように走り出した。
ライはその様子を見届けた後、外に出ようとして引き留められる。
「お待ちくださいっ、勇者様!」
「専用の〝鎧〟っ、完成しましたぞ!」
一瞬、無視して行こうかと思い、立ち止まった。
シキの異常な加速力と機動性を思い出したのだろう。
ほんの僅かな迷いの末、マナミ同様に廊下を走り出す。
その迷いと答えがどんな結果を生むとも知らずに。
◇ ◇ ◇
艦隊同士が遠方射撃で撃ち合う中。
その中心でメイとロベリア機が戦う中。
マナミをお姫様抱っこで持ち上げたライが高速で飛ぶ中
神々しくも何処か不気味な白金色と黒紫色の光が縦横無尽に飛び回り、ぶつかり合っている空域があった。
「く、ろ……やっ……しゃああああっ!」
「何だァ!? 白仮面ッ!」
ライに酷似した〝光〟の魔力は放出するスラスターの性能差故に、〝闇〟に劣る。
速度も出力も全てにおいて、シキは勝っていた。
だが、その熱量だけが違う。
両者が持つ魔法スキルは感情を糧に通常とは異なる摂理の魔力を生む能力。
必然的に、何がなんでも殺してやるという勇者らしからぬ憎悪はシキをしても互角に持ち込ませていた。
「殺してやる殺してやる殺してやる……ッ!」
「ほざけッ!」
何度目になるか、二人の身体を包んでいた光が交差する。
その速度は異常の一言で、尾を引いた魔力の光が数秒間、軌道上に残留するほど。
光の軌跡を残す超高速戦闘は二人の身体を軋ませ、じわじわと破壊していく。
が、止まることはなく、寧ろ激化の一途を辿りつつあった。
もう一人の参戦者である撫子は完全に置き去り。二人がぶつかり合った場所はわかっても、居場所とその軌道が読めない。
「は、速すぎるっ……何て速度でござるかっ、あの二人っ」
圧倒され、気圧された彼女は呆然する他なく、そんな彼女の真上を二つの光が横切った。
「何でだっ……何でだっ!? 勇者でもない奴がどうしてこんなに強いっ! 何で僕と張り合えるっ!?」
「ちぃっ、腐っても勇者ってことかっ……しゃらくせぇっ!」
イサムはその飛行に《空歩》と《縮地》による移動法を織り交ぜ、シキは純粋なセンスとスラスターの性能だけで飛翔し、獲物をぶつけ合う。
だが、互いに決定打足り得ない。
「僕は勇者だっ、勇者なんだぞっ……ただの凡人っ……魔族風情がぁっ……!」
「何をごちゃごちゃとッ!」
一度距離をとった二人が口々に毒づきながら助走を付けて近付いた。
トカゲやエナ達のお陰で戦線からライという『最強』が一時離脱した。
一時。
十数分か、はたまた数分か。
あくまで一時。
その現実が枷となり、シキを焦らせる。
それまでは互いが持つ最高級の獲物をちゃんばらのように当て合うことしか出来なかったところ、今度という今度は違う結果が訪れた。
すれ違うほんの一瞬の間。
瞬間的なタイミングで発生するは乾いた発砲音。
途端に黒紫の光がその軌道を変え、速度を落とした。
「くっ……クハッ……バカには敵わんか……」
苦笑いするシキのMFAの装甲には穴が空いている。
反対に、離れていくイサムの手には聖剣に引き続き、専用のライフルが握られている。
《光魔法》を宿した弾丸はシキに確実なダメージを与えた。
光の粒子が残像として残る速度から一変、撫子でも追える速度になった。
それ即ち隙。
「斬り捨てっ……御免ッ!!」
師に勝るとも劣らない神速で迫ってきた撫子に対し、「っ、馬鹿野郎っ! お前は前に出るなっ!」と意識を向けたシキは避けるのではなく、逆。
逆に加速を掛け、前に出た。
抜刀術に必要な距離を、逆に詰めることで封殺したのだ。
「な、にをっ……!?」
「お前の弱点は速すぎて急停止出来ないことっ! だから突然のことに対処出来ねぇっ!」
吠えると同時、シキはエアクラフトから外した右足を振り上げ、トーキックを突き出す。
嘗て隣になっていた仲だ。その推測は当たっており……
撫子の胸に深々と刺さった。
ドゴォンッ……! と、レーセンの腹に叩き込んだ蹴りさながらの威力のものが相応の衝撃音を出し、撫子は一際大きな血の塊を吐いて停止する。
「カハァッ!?」
「レーセンといい、ノアといい……聖騎士……いや、現代人にゃ空は不向きだってことを……わかりやがれっ」
かの老人よりもステータスが高いお陰か、肉を凹ませ、骨を砕かれた程度で済んだらしい。
押すように蹴られた撫子は白目を剥いて墜ちていった。
胸部が不気味なまでに陥没していたこと、その感触を思い出し、シキは仮面の奥でその顔を歪ませる。
「全くっ……それくらいじゃ死なないだろ……? 退けよっ……」
彼の右足もまた妙にだらんとしていた。
関節か骨をやったようだ。
エアクラフトは左足だけを固定しており、片側だけが酷く不恰好。
そして……酷く無防備。
「馬鹿野郎っ、馬鹿野郎っ……お前はもう俺には勝てないんだよっ……それくらい俺達はっ……!」
悔やむような声と共に左手を伸ばし、右肩のマントから回復薬を取り出そうとした次の瞬間。
ザンッ……!
そんな音と衝撃がシキを襲った。
「ひゃはぁっ! す、き、あっ……りいいぃぃっ!!」
遅れてイントネーションも抑揚もおかしい絶叫が聞こえていたことに気付く。
激しく騒々しい戦場故に、それを声と認識するのが遅れた。音としてスルーしていた。
「あ……?」
ふらりと。
シキの身体が倒れそうになった。
シキ自身、何が起こったのか理解出来ず、急にコントロールを失ったエアクラフトの方に目を向ける。
そこには彼がよく知る左足があった。
「あ……ぁ……?」
まさかという思いで自分の下半身を見て絶望する。
シキの左足、その膝から下が失くなり、血が滴っている。
魔粒子供給の止められたエアクラフトは独りでに墜ちていった。
「くひっ、くひゃっ……アハハハハっ! ふふふひひひひっ! ざまぁみろ! やってやったっ……一矢報いてやったぞぉっ!」
聞こえてきた馬鹿笑いの方に視線を向ければ、無防備にも聖剣を振り切った状態で満面の笑みを浮かべているイサムの姿がある。
状況を悟ったシキの行動は早かった。
「ぐっ……オオオオォォッ!!!」
ショックを受けるよりも。
痛みを感じるよりも。
元仲間への攻撃、結果、後悔で油断していた自分に怒るよりも。
それまで常時出ていた《光魔法》の気配を消すことで自分を欺き、見事四肢の一つを斬り落としてくれたイサムに驚くよりも。
何よりも前に行ったのは《咆哮》スキルの使用。
「っ!?」
ビクンッ……とイサムの身体が硬直した。
MFAさえあればエアクラフト無しでも飛べる。滞空どころか飛行そのものが可能。
「お返しだっ、白仮面……!」
手首を返し、刀剣の持ち手を反対に持ったシキは槍投げの要領でそれを投擲。ご丁寧に《狂化》まで使われて飛んでいった刀剣は弾丸のような速度でイサムに迫り、その背中を貫いた。
「がっ……!? が、はっ……!!?」
ライフルで撃つのではなく、聖剣で斬ってきたくらいだ。元より距離は近い。
投擲に関するスキルや技術のないシキでも、容易に当てることが出来た。
決着。
一瞬の静寂が訪れ、広がりつつあった黒い雲の中で雷鳴が鳴り響き、閃光が迸る。
やがて、戦闘空域全体で雨が降り始めた。
スコール。大雨の類いのもの。
シキもイサムも瞬く間に濡れ、髪や顔からは水滴を、傷口からは血と混ざって薄くなったものが垂れていく。
「は……? な、何っ……何だよ……こ、れっ……? 僕は……僕は勇者だぞっ……偉くて……た、正しく、て……ぼ、僕……は……がはっ……ゴホッ、ゴホッ……ごぽっ……」
イサムは自身の胸から生えた深紅の刃に首を傾げ、ダラダラと口から血を流し、噎せ……ビクビクと痙攣していた。
痛みを感じるよりも先ず困惑しているらしく、スラスター装備からは相変わらず魔力の粒子が放出されている。
「ふーっ……ふーっ……い、ぐぅっ……やりやがったなっ……?」
シキは取り出した回復薬で止血と左手、右足の治療を図りつつ、背面スラスターで加速。イサムに近付くと、彼の鎧を突き破り、柄まで埋まり掛かっている刀剣を掴んだ。
「あ、あがっ……ぐっ……ああぁっ……!? 痛いっ……痛い痛いっ……はひゅっ、こひゅっ……む、胸がっ……息が……か、はぁっ……」
肺か心臓か。
確実に穴が空いた。
回復魔法でも簡単には治せない深手だ。
致命傷。
だが、その傷口を更に斬り開いてやる。
そんな思いで持ち手を引っ張り、右足でその背中を押し蹴る。
「はーっ……はーっ……よ、よくもっ……ふーっ……!」
「ぐぁっ!? き、貴様っ、何を……うぐうぅっ……!?」
互いに大したことは言い合えず、ずるずると音と血を出しながら刀剣が抜けていく。
柄、半ば、剣先とイサムの体内を通った刀身は熱を帯びていた。
「がぁっ……!? あがっ、あがぁっ!? があああぁぁっ……!!?!?」
赤熱化。
何者をも斬り裂く刀身は傷口をズタズタにし、金属が赤く染まるほどの熱がイサムの胴体内部を焼く。
肉が、骨が、内臓が生きたまま焼かれる。
想像を絶する激痛、地獄のような苦しみだろう。
ジュウウゥッ……!
肉の焼ける音と煙、臭いが立ち込め、酸素が尽きたのか、絶叫も滞る。
少しでも抵抗しようとライフルを持ち上げつつあったイサムはひたすらに苦悶の表情を浮かべ……聖剣を、ライフルを落とした。
全身から力が抜け、瞳から光が消えた。
そのタイミングで刀剣は完全に抜き取られ、紅く輝く光が、その熱がイサムの血も雨の雫も関係なく蒸発させる。
「こ、これで……ふーっ……ふーっ……二人……いや、違う……か……?」
主人公ってのは死の淵から蘇ってくるもんだからな。ここは確実に殺させてもらう……!
そう続けたシキは刀剣を高々と掲げると、力強く振り下ろし――
――ガキィンッ! と、何処からか飛んできたクナイによって阻まれた。
意識を失ったのか、失い掛けているのか、イサムは静かに墜ちていく。
それを見下ろしながら、シキはふらふらと戻ってきていた撫子を睨んだ。
「テメェ……! まだ邪魔するつもりかっ!」
「うっ……がはっ、ごほっ……と、当然で……ござ、ろう……?」
《再生》による修復が追い付いてない。
胸は陥没したままだ。まともに呼吸すら出来ていないだろう。
だが、それも数秒のこと。
撫子の身体はみるみるうちに元通りになっていき、呼吸も安定。青を通り越して土気色になっていた顔色も血色を取り戻した。大量に出ていた脂汗は雨によって洗い流され、本来の美しさと凛々しさを持った顔へと変貌する。
「ふーーっ……! 痛かったでござるよ、シキ殿。……痛いでござろうな、それ」
痛みが消えた、治ったと言わんばかりの息。
たった今失われたシキの左足を見て、悲痛な目を向けてくる。
「マナミ殿に治してもらおう? 拙者も……貴殿が傷付く姿は見たくないでござるっ。貴殿は悪い御仁じゃっ……」
「嫌だね、死んでも嫌だ。施しを受けるくらいなら死んだ方がマシだ」
この裏切り者が。
拒絶するような冷たい目で返されたことで、撫子は途端に感情的になった。
「何故っ……何故だっ、何で意地を張るっ!? 我々を見逃す代わりにその怪我も目も右腕も再生してもらうっ、それで納得出来ないんでござるか!?」
「敵は殺す。皆殺しだ。報復が怖いからな。それに……」
シキは言いながら墜落途中のイサムがスラスターに点火した瞬間を確認。顎で示して撫子に教える。
「っ、良かったっ、やはりまだ生きて――」
「――奴だけは殺すっ! ムクロの為っ、ムクロの安寧と笑顔の為にっ……! そう思えば足の一本や二本……腕だろうが、首だろうがくれてやる! 例え死んでもっ、俺は戦うッ!」
それは覚悟だった。
嘗て、師に習った教え。
我を通し、貫く強固な意思。
生き方で、剣で、言葉で、強さで、様々な観点から示してくれた教え。
「言ったろっ、一番支えてほしい時に居てくれたのはあいつなんだよ! テメェの大好きな勇者様じゃねぇ! ライは裏切ったっ、マナミは死ぬ邪魔をした! 他は助けようともしなかった! 力が足りなかったっ! 自分勝手なことばかり言うなっ! そんなんだから簡単に裏切るっ! 裏切りカップルだなんてお似合いじゃねぇかっ、あぁっ!?」
ピカッ……一瞬、空域にある全てが真横に走った稲妻によって見えなくなる。
撫子は悔しそうに、諦めるように俯き、返した。
「そうか……ならば拙者は貴殿の敵として立とう。殺させないでござるっ……例えこの身に変えてもっ、勇者殿だけはっ……!」
「はぁっ……? あんな奴の何処が勇者だっ、何処が正義だ……? ど、何処までっ……お前は一体っ、何処まで馬鹿なんだァッ!!」
エアクラフト、MFA、移動スキルの有無。
それらは二人の間に出来た溝を埋めるほどのものではない。
撫子は勝敗をわかっていながら戦いを挑んだ。
シキは怒り狂うことで躊躇を忘れさせた。
両者はゆっくりと飛行を始め……先程とはまた違う高速戦闘が再開される。
「撫子ぉっ!」
「シキ殿っ!」
互いの名を呼び合い、何でわからないと獲物をぶつけ合う。
撫子の【一刀両断】は砂や雨に弱い。刀に宿す付与能力であり、一度きりという制約がある為に、その空気以外の全ての物体に反応してしまうからだ。
故に、シキに負ける。
本来ならば必殺である筈の神速移動も、既に対処されている。
やがて、抜刀術を使う余裕すらなくなり、ただただ刀を振るい、シキはそれに応える。
クナイを投げれば手甲と爪で弾かれ、距離をとれば爪斬撃。ならばと近付けば純粋な身体能力が撫子を追い詰める。
「くっ、既に貴殿はっ……」
「そうさ! シャムザ以降っ、どれくらい人間を殺したと思っているっ!? 俺ぁ魔族だ! 良い経験値だったなぁっ!?」
初戦闘時はステータス、スキル構成に技術、経験……全てにおいて撫子が勝っていた。
しかし、今は違う。
その半分でも追い付くか、追い抜かれでもすれば。
そして、空という圧倒的にシキが有利な場所であれば。
どうあっても、撫子が勝てる道理はない。
例えシキの四肢が半分なかろうと、片目を失明していようと、そんなものを枷にしない程度には成長している。
「ええいっ……!」
弾かれるように離れた撫子がこれ幸いにと勢いに身を任せて離れる。
「クハッ、今度は逃げるのかっ!」
シキは笑いながらそれを追い、数秒で追い付いて見せる。
「速いっ……!? 何でこんなっ……異世界人というのは何故こうもっ……!?」
「『付き人』がちょいと言ってたなっ、お前達イクスの人間が戦争の道具にっ、玩具にして壊すから! お前達の信じる神様とやらが次々と力を注ぎ込んで特別仕様にし始めたって!」
刀剣と刀、拳に蹴り。シキは避け、撫子は直撃し、隙を生んだ。
「それをまた玩具にするっ! だからこうして寝返る奴が出てくるっ! クハハッ! とんだ皮肉だっ……なぁっ!?」
「くぁっ……!?」
くるりと回転した勢いと魔粒子によって超加速を得た回し蹴りが撫子の刀を上空へと弾く。
「でも貴殿はっ、最初ライ殿達と一緒にっ!」
仕方なしに殴り掛かる撫子だが、MFAの装甲も超硬度。寧ろ胸当て部分を殴った拳に激痛が走り、硬直した。
反対に胸当ては凹みすらしていない。
シキが衝撃で多少下がっただけ。
そのシキも平然とした顔で爪を突き出し、撫子の腹を深々と貫く。
「がはっ……!?」
「何度言わせやがる。それを裏切ったのがライだ。お前達だ。自分達は被害者ですってか? 環境がそうさせたから許せ? いい加減にしろよ……? なぁっ……!! 何でわからないだぁっ!? そりゃあこっちの台詞だ! 何でっ……何でわからないんだよっ、撫子ッ! 俺達と一緒にあんなに旅してたのにっ、まだ俺をわかってくれてなかったのかよっ……!」
全身を支配する激情がシキをわなわなと震わせ、叫ばせる。
「このっ……馬鹿野郎がああぁぁっ!!」
乱暴に引き抜き、引き寄せられたように近付いてきた撫子の顎に上段蹴りに近い蹴りがクリーンヒットした。
「あがぁっ!?」
魔粒子の補助を得たそれは彼女の頭部をボールのように吹き飛ばし、浮いた。
そんな撫子に胸に〝粘纏〟の糸を飛ばして引っ張り、戻ってきた顔面に膝蹴り。
「ぐぼっ……!?」
殴り飛ばし、引き寄せ、蹴り飛ばし、引き寄せ、斬り刻み……《再生》が追い付かない速度でサンドバックにする。
撫子の顔面は見るも無惨に腫れ、青紫色になり、目玉や歯を飛び出、顎が砕かれ、服までもが破かれ、全身からは大量の血肉を撒き散らす。
半裸で血濡れというのも生温い格好へとなっていく。
「ぁっ……がっ……ご、ほっ……」
視界を最悪なものにするほどの雨が撫子の血を流していき、ザーッという音が鈍い音と悲鳴を掻き消す。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……も、もう良いだろ……? わかったろっ? お前が退けっ……これでもまだ俺とやろうってのかっ? 俺が怖くないってか……!?」
今度はシキの声に悲痛なものが乗っていた。
爪が収納され、しかし、振り上げられた拳は凄まじい速度で迫り……静かにトンッ……と叩くだけに留まる。
嵐のように吹き付ける雨水が彼の顔を濡らし、涙のように流れている。
仮面のせいでその真意はわからない。
だが、その声は、その目は撫子を安心させたらしい。
「は、ふっ……ぃっ……痛い……痛いでござ、る……なぁ……そ、それと……野郎野郎……さっきから……し、失礼でござる……拙者は……ふーっ……ふーっ……拙者はこれでも美人とか美女とか言われる女でござるよ?」
生きているのかどうかすら怪しかった状態から急速に肉も骨も元通りの状態へと戻る。
ただ半裸に近いだけとなった撫子は「あーあ」と残念そうな声を漏らした。
飛んでいった刀への未練だろう。
既に魔力も抵抗する気力も残ってないのか、シキの前で浮遊するのみとなっており、見つめ合った二人の間に幾度と無言の言葉が飛び交った。
撫子は諦めたように溜め息を吐き、シキはマジックバッグマントに手を突っ込み……
「死いぃぃいっ、ねえええぇぇぇぃぃっ!!!」
と、《光魔法》の光を纏って突撃してくるイサムに対し、『臨界爆発』寸前のエアクラフトを投げ付けた。
危険を承知で予め用意しておいたもの。
刀剣と交換するように出てきた、怪しい光を放つものがイサム目掛けて飛来する。
「っ!? 勇者殿っ……!」
撫子が驚き、イサムは「はっ……?」と腑抜けた声を出し、爆散。
その隙に急上昇を掛けたシキは再度刀剣を取り出すと、空を蹴るようにして降下した。
「退き時を知らないバカはっ、ここで死ねッ!」
今のシキに出せる最速最強の一撃。
「し、シキ殿っ、ダメでござるっ!」
撫子の制止を振り切り。
「ぐああぁっ……!? 目がっ、顔がっ……よくもっ……よくもおおぉっ!?」
イサムの苦痛に満ちた声に終止符を撃つその瞬間。
再び空が光った。
コンマ数秒、全てのものが稲妻の光に包まれて見えなくなる。
シキの手が人を斬った実感を訴えた。
肉を斬り、骨を断つ確かな感触。
血が噴き出す感触。
僅かな抵抗を無理やり押し切った感触。
それらはやがて厄介な勇者を殺したという達成感に昇華し、シキは歓喜の声を上げようとした。
しかし。
「ぁ……?」
代わりに出たのは驚愕と混乱に満ちた声。
稲光が収まり、クリアになったシキの視界には。
イサムを庇い、左肩から右脇腹に掛けてその身を大きく分けた撫子の姿が映っていた。




