第216話 再び迫る影
国土の殆どを海が占めているこの国では朝が兎に角早い。
本来ならばあり得ない筈の時間帯でも国の要人は動いているし、客人相手でも失礼を承知で飛び込みの挨拶もするらしい。
と、いうことで。
現在、俺の前には何ちゃら議員とやらが居る。
珍しく連邦制度だそうで、気の弱そうな顔をした髪の薄いその男は顔中を汗だくにしながら話していた。
「……以上が我々に出来る最大限の譲歩かと。度重なる無礼、申し訳なく思っております。しかし何卒、何卒理解いただきたいっ」
ハンカチで汗を拭っている最中にも髪がパラパラと抜け落ちている。
代わりに口元のちょび髭は立派なもの。髭よりハゲの方がインパクトデカいからちょびハゲと呼ぼう。主に心の中で。
「申し訳ないっ、本っ当に申し訳ない次第ですはい……!」
何度も何度も謝罪しながらペコペコと頭を下げ、その拍子に抜け落ちた毛が床に散乱していく。
その様子は見ていて少々可哀想になるほど。
表向きは挨拶だが、その実情は釘刺し。
内容の殆どが『色々失礼なことしたけど許してね? おたくの仲間助けたでしょ? 後、連合軍につつかれたら庇えないよ? 普通に売るよ?』といったもの。
まあ妥当な判断ではある。正直に言い過ぎだろとは思うが。
しかし、それを言いに来るのがあまりに早すぎた。
この国に到着したのが一昨日の夜。昨日は丸一日仲間達と情報や意識共有。で、今朝はこれだ。昼からジル様との決闘なんだけど。
そういうお国柄と言われればその通りではあるものの、部屋で寝ていたエナさんも「えっ、嘘っ、何でそんな急にっ……っていうかまだ朝日登ったばっかりなのに!?」と、凄い勢いで服着て化粧して準備してた。片手がないので、俺も着替えやら何やらを手伝ってもらった。
「了解した。もし仮にだが……連合が手を出してきた場合は?」
「ご配慮、感謝致します。正直に申し上げますと、我が国には現状対抗出来る術がありませぬ。意見出来たとて属国にされるでしょう」
言いつつ、またまたペコリ。追随するようにパラパラ。
どんだけビビってんだこのちょびハゲは。
にしても……どの程度偉いのか知らないが、国の要人がこうも簡単に頭を下げて良いものなのかね。相手はただの海賊だぞ。
「成る程。我が師はその為の傭兵であると?」
エナさんに目と顎で隣に座るよう促した上でそう睨むと、ちょびハゲはビクゥッと大きく震え、凄まじい勢いで冷や汗のようなものをだらだら流し始めた。
姐さんは俺のことを『砂漠の海賊団』の副団長と紹介したらしい。実質的には帝国の全権を掌握している者であるとも。
そういった補佐、指揮能力があり、権限があり、『狂った剣聖の弟子』の弟子であり、連合軍の主力艦隊を尽く沈めた内の一人だと。
背後関係や功績を考えればビビるのも納得だ。連邦と言えば聞こえは良いけど、弱小国家の集まりだもの。国というより、島と島とが協力して生きてるだけだもの。国力なんてアーティファクトが出てくる前のシャムザ以下だもの。
ルゥネには帝国の名を使って良いとも言われているし、功績も事実だし、弟子の件はジル様が認めてくれたと姐さんは言っていた。つまり、このちょびハゲやこの国は完全に俺を『やべぇ奴』として認識しているということだ。自国なんて吹けば消し飛ぶ存在だとでも思ってるんだろう。
「そそそそそれに関しましてはももも申し訳っ、なくなく思っておりおりましててですねっ」
汗がヤバい目の挙動がヤバい頭髪のダメージがヤバい。
ただでさえびちゃびちゃだった顔や頭からは水が漏れてるのかと思うくらいだらだらだらと。狼狽えていた目はとんでもない速度で右へ左へ。動いてもない頭の毛もストレスではらりはらり。
いかん、笑ってしまいそうだ。
思わず吹きそうになっていた俺の耳元に「ちょっとユウ君いじめ過ぎ。可哀想だよ」とエナさんが声を掛けてくれたことで正気を取り戻した。
「……すまない、責めるつもりはないんだ。あの性格だからな」
なんて言いながら左横に腰掛けているエナさんの肩を抱いてやれば、ちょびハゲの顔は白から土気色に変色していく。
今更になって来る時間が失敗だったと気付いたようで今にも泣きそうな顔でこひゅこひゅと過呼吸気味になっていた。
本当にこいつで議員勤まってるんだろうか。ちょっと心配になってきた。
「ぁ……は、恥ずかしいよぉ」
エナさんはエナさんで真に受けてるし。
その反応がガチっぽいからちょびハゲも怯えてるんだろうに。
「……で?」
愛人ぶらせて威圧するのも程々に、俺は本題を要求した。
対するちょびハゲは相変わらず怯えた様子で首を傾げる。
「と、おっしゃいますと……?」
何を言っている、何が言いたい。
怯えつつもそう書いてある顔。
そのまま臆することなく突っ込む。
「下らん演技は止せ。あんた、目がふざけてないんだよ」
日本に居たおっさん刑事。このちょびハゲはあの男と似ている。
恐怖もあれば保身、背景も感じられる。
逃げるに逃げられない職務でありながら、それを全うすべく嫌々俺の前に来たのも察せられる。
現にそのサインは先程からちょびハゲの身体が出しているくらいだ。
しかし。
感情の奥に理性がある。芯のようなものが。
おっさん刑事と似ているのはそこだ。
このちょびハゲは確かに臆病で本来下げて良いものじゃない頭をこれでもかと下げる性格。
それは何の為か。
我が身可愛さも当然ある。
交渉役として長らくジル様と関わっているのならそのストレスは尋常じゃないだろう。
だが、それでもこうして前に出てきているのは国の為だ。
おっさん刑事も日本の為に怪しさ満点、化け物である俺達を警戒していた。
このちょびハゲも国の為、ひいては国民の為にと行動するタイプの人間。
レナや改心したナールと同じ志が感じられる男だ。
「は、はて……そう仰られましても……」
「止せと言った。三度目はない」
しらばっくれられても凄んでやれば盛大に溜め息をついて認める。
「~っ、はぁ……! あ、し、失礼しましたっ、今のは見逃していただきたいっ」
ちょびハゲは焦った様子で取り繕った後、本題を切り出した。
「感服致しました。お若いのに鋭いお方だ。……私は我が国が貴方方の情報をターイズ連合に売り込んだ、という情報を伝えに来ました。それは一重に保身の為、我が国の防衛の為に」
言われてみれば最近、人心の機敏がわかるようになったような……?
なんて思っていた俺には冷や水をぶっかけられるような話だった。
「ハッキリ言ってしまえば国民や議員の中に貴方方を快く思っていない者がおるのです」
やはりというべきか感じているストレスは本物のようでチラチラと下を見ては俺を見上げ、髪をポロポロと落として溜め息をついている。
「売り込んだ、か……それはいつだ?」
エナさんは「うぇっ!? 酷くない!? ねぇそれ酷くないっ!?」と俺の肩をポンポン叩いてきてるが、情報を得るのが先。
「セシリア船長が貴方の到着を予見した頃……一週間は前の話になります」
思わず唸ってしまった。
帝国からここまでおおよそ二日。慣らしも兼ねた上に戦闘し、途中から銀スカートに乗った状態でだ。
「奴等の本拠地は?」
「う~ん……た、多分聖都テュフォスの近くじゃないかなぁ……確か前は交渉でイクシアを離れてたから……」
エナさんの情報は古く、アーティファクトすらない国の人間であるちょびハゲがそんなことを知る訳もなく。
姐さんもアイも態々攻め落とす予定のない天空城の居場所など『見』てないだろう。
「聖都は西だよな。中央にイクシア、東に帝国……空飛ぶ島ってんなら帝国に近い位置で待機してそうなもんだが」
先の戦争を完全に予想してなかったとも考え辛い。艦隊だって補給も必要なんだから。
となると……
「……不味いかもしれない」
「不味いよ! 間違いなく不味いよ!」
メイドとしての態度を崩し、頭を抱えて喚いているエナさんを無視し、「姐さんにはこのことを?」とちょびハゲに訊く。
「そ、それが我々を警戒しているようで何かと理由を付けてお会いになってくれなくて……穏健派である私共としてもあまり強引に事を進める訳にもですね……」
……どうせその内出ていくと高を括っていたのが裏目に出たのか。かといってちょびハゲの派閥としては波風も立てたくないと。
シャムザを抜けたとはいえ、『砂漠の海賊団』は帝国の援助を受けている組織だ。小規模ながら艦隊を持ち、世界各国が連合の軍門に下る中、今尚抵抗し、先日は泥すら付けた軍隊並みの集団……
そんな組織と敵対したくないちょびハゲらハト派とそんな組織を自国に置きたくない……いや、連合に売り込んで地位や安全を確立したいタカ派ってとこか。
そこにどちらでもない傍観派や抵抗せず従属を受け入れようとする派閥も加わる筈。
「民主主義なんざ所詮国民一人一人のエゴで選ばれた奴等の政治なんだぞ……エゴで選ばれたエリートが己のエゴで動かない訳がねぇだろうが」
現に何処其処が、と言うのも問題か。それが人というものと説かれれば事実なんだから。
「失礼ながら……政治に限らず物事に正解はないかと」
「二人が何言ってるのか全然わからない件! 私だけ置いてけぼりなんですけど!」
民主主義国家の悪い面を見た瞬間、一生王が代わらない魔国のことを思い出した。
絶対君主制でありながら【不老不死】の王が統治する国。上が代わらないのなら政治のやり方も変わらない。いずれ腐敗する人が統治していないのだから成る程平和だろう。それが平和主義者なら尚更。連合が発足してるのに黙りを決め込めるのも頷ける。
連邦制度が悪いとは言わんが、何よりタイミングが悪い。
「ちっ……まあ良い。あんたとしては教えたから許してくれ、か?」
「端的に言えばそうなります」
今度は俺の方が溜め息をついてしまった。
机の上の飲み物を一気飲みした後、ソファーの背もたれにおもいっきり背中を預け、それでも手が暇だったので取り敢えずエナさんの胸を揉んでおく。
「ひゃんっ!? ちょ、ちょっとぉ……最近のユウ君、ワイルドだよ……?」
「お手付きOKっつったのはそっちだろ。元来尻派なのを胸で我慢してんだから許せ」
「うえぇ……こ、答えになってないってばぁ……」
困惑しているが嫌がってはないので気にせず揉み揉み。
尻派という言葉にうんうん頷いてるちょびハゲを見て、ふと思ったことを訊いてみた。
「そういや、ジル様には?」
「……へ?」
「いや、ジル様には言ったのか、この件を。俺達の情報を売ったってことは連合艦隊がこの国に来るんだろう? あの人が新時代の軍隊を見て戦いを仕掛けないと思ってるんなら人が良すぎる。ムカついたって理由で雇い主を殺したことがある人だぞ」
俺の脳裏を真っ二つにされた一国の王の姿が過る。
イクシア王もあの影の薄さでは浮かばれまい。顔も思い出せんわ。
そもそもの話、俺が取り敢えずセクハラしたように、あの人は取り敢えず殺し合いを望む人だ。剣の一本や二本、それもたった一人で国を幾つも滅亡させられる分、帝国やルゥネよりもタチが悪い。
「……………………」
言ってなかったらしい。
段々と青くなり、その後は白くなっていく顔は見ていて面白いが、汗と髪がヤバい。この調子で抜けてしまえばツルッ禿げまっしぐらだ。心なしか過呼吸まで起こしているように見える。
「し、失礼します! やはり反対しておくべきでした! 急いでこの事を知らせなければ! ええいっ、白い悪魔めっ、だから最初から嫌だったんだ! 何が最強の傭兵だっ、最強のごろつきの間違いだろうっ!」
ちょびハゲは扉を蹴り破らんばかりの勢いで出ていった。
「ふっ、はははっ……白い悪魔とは懐かしい。俺が最初に呼んでたよな」
最後の捨て台詞には今度こそ笑ってしまった。
「うぅ~っ……」
「おいおい一緒に寝たのに嫌なのか?」
「寝たって添い寝でしょっ、寝てくれって言うから服まで脱いだのに! 人に恥ずかしい思いばかりさせてっ」
顔を赤くしながらもジト目で睨んでくるエナさんの胸から手を離して一息。
「姐さん達に今のことを伝えておいてくれ。寝てれば叩き起こしても良い。俺はあの人に決闘の中止を伝えてくる」
「……だ、大丈夫なの?」
互いに重苦しい雰囲気を出したのはそれだけ恐ろしい人だから。斬り殺されるかもしれん。
「あぁ……多分きっと恐らく十中八九、な……」
「めっちゃ予防線張るじゃん」
「うわっ、ビックリしたぁっ!? ってメイちゃん!? 何でそんなとこから!?」
いつも通りメイが何処からともなく湧いてきた。今回はソファーの下からズイッと顔だけ出している。昨日は気付いたら背後に立ってたな。
「ゴキブリかお前は」
「酷いっ! 全身黒尽くめなのはそっち! 私はエナさんがユウ兄に変なことしないか心配だったの!」
隠密……いや、勇者だよなこいつの家系。潜伏に全く気が付かなかった。
「私からはないよ! そ、そりゃあ専属だし? 夜伽とか奉仕くらいはしても良いけど?」
「要らん。抱き枕だけしてろ」
「女の子の扱いが雑っ! 人のことなんだと思ってるのさ! 熟睡出来ないからってセシリアさんのことも枕代わりにしてっ……ぼやいてたよっ、全然手ぇ出してくれないって!」
「あーもうマウントがウザい……ウザいウザいウザいウザい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい………………よし殺す……穴増やしてそこから電流流して殺す」
「ひいいぃっ、な、何でそこで矛先が私に向くの!?」
メイがヤンデレモードに突入したことでエナさんはダッシュで逃亡。勇者のくせに闇のオーラのようなものを纏ったメイは髪を振り回して追い掛けていった。
「はぁ……」
一人になった部屋で溜め息混じりに立ち上がり、お茶を入れる。
「撫子は寝返ったし、アリスは修行とか言って帰省したらしいし……ったく、ろくな奴が居ないな」
俺は俺で無駄なプライド発揮して腕と目捨てたしな。
スカーレットがリュウに懐いてるお陰で結果的にこっちに付かせられてるのが救いか。
ああいう手合いは往々にして御しやすい。戦力として数えても良いだろう。
「俺、メイ、リュウにスカーレット、ディルフィンか……」
内、半分以上はハンデ有り、怪我人、修理中である。冗談抜きでジル様と戦ってる場合じゃない。
バーシスもアカツキも飛べないんじゃ良い的だし、シエレンは先ず数がないしなぁ……
戦争の基本は数。物量で負けてる分、個々を強くしたいのに現状だとその個々すら酷い有り様だ。
「一ヶ月は猶予があると思ったのに……この際、約束を無視して魔国に……いや、後が怖いな。やっぱり伝えるだけ伝えとかないと……」
言って通じる相手じゃないが、言いもしないで引いてくれる相手でもない。読心は出来ても、それを無視して我を通す人だ。
「けど、今日にでも出ないと死人が出ちまう……これ以上姐さん達に負担を掛けるのも……と、なると……?」
一戦士ではなく、頭領としての義務。
代替わりしたり、意思を押し通したことはある。
が、姐さんのように人の命を預かり、命令を出す立場に立ったことはない。
戦場での鼓舞、先の会談でルゥネの代わりを務めたのだって一時期なもの。まるで重みが違う。
「ハッ、クソ勇者はこれが嫌でグダグダ抜かしてたんだろうな。わかるのがまた腹の立つこと……」
他者の命と責任。
望まなくとも自然と発生せざるを得ない、厄介なそれは少しずつ少しずつ俺の肩にのし掛かってきていた。




