閑話 その4
すいません、本っ当にお待たせしましたっ……タイミングがおかしいですが、何とか書けたので投稿。
脳死状態で全然書けなかったのを、あまりの申し訳なさから無理やり書いたので、変なところがあるかもです。
「ガアアアアアアアッ!!」
「おっと」
魔粒子で上体を反らそうとして身体ごと横に捻り、回避する。
《縮地》並みの速度で突撃してきたスカーレットの拳は空を切り、制御しきれていないのか、そのままオアシスに突っ込んだ。
「成る程成る程……? こりゃ確かに狂化だな。風変わり……というより、これが本来のもの……か? そうだよな、制御出来るんなら狂化じゃない。ただの攻撃特化状態だもんな」
勢いあまって水中へと消えた彼女の状態を冷静に見極めつつ、再び大量の水飛沫を上げながら現れ、一瞬のうちに殴り掛かってきたのを、シキは今度こそ上体反らしで躱す。
「ウガアアアアアッ!」
「会話も出来ないと見た。……移動するだけで脚が折れている……? そこら辺は加減してない時の俺と同じか」
獲物は無くとも、スカーレットは徒手空拳で強烈な猛攻を繰り出している。
しかし、本気時のアリスに匹敵するであろう速度、威力のパンチ、蹴り、頭突きまでもが尽く躱され、観察されている。
「あーあー白目まで剥いちまって……ブ○リーかお前は」
戦場や出自の育成機関で学んだらしき我流の動きはまさに獣。
殴ったかと思えばその勢いのまま一回転し、蹴りを。
蹴ってきたかと思えば当たりさえすれば終わりだと言わんばかりの頭突きを。
魔物も斯くやという、攻撃しか考えていない立ち回りにも引くが、当たれば大抵の者が一撃で死ぬ即死レベルの攻撃にも引く。
僅かながら冷や汗を流していたものの、シキはそれら全ての攻撃を躱し、冷静に感想を述べていた。
ゴキンッ、メキィッ……
空気を裂く轟音の中、シキの耳は確かにそんな音を拾う。
見れば腕を、脚を振るう度にスカーレットの関節が変な方向へと曲がり始めている。
「……端から見るとここまで間抜けなのか、俺」
関節部分まで《狂化》を使っているから防御力が0になり、手足の首や肘、膝といった部位を傷付ける。
力を生み出しているのは筋肉だ。
腕で言えば肩、背中、上腕、場合によっては腹や腰の筋肉も使っているだろう。
客観的に同タイプの人間を見たからこそ、シキは理解した。
「攻撃力を底上げするだけなら、拳や関節は《狂化》しなくて良かったのか……そりゃスキルの制御は中々難しいが……馬鹿だな、お互い」
殴っただけで肘関節はへし折れ、拳は潰れ、酷い時には手首まで陥没していた嘗ての自分を思い出し、笑う。
しかし、これからはそこまでの大怪我はしなくて済みそうだ。
そう思えたのは大きい。
これは収穫だと喜んだのも束の間、妙なことに気が付く。
「撫子! こいつ、再生系のスキルは持ってないんだよなっ?」
思わず訊いてしまう光景。
折れ、傷付いている筈の彼女の四肢が治り始めている。
「ないでござるよ! 基本構成は貴殿と同じ狂戦士タイプでござる!」
返ってきた答えに「嘘つけ似非侍っ、ならこの現象は何だっ」と内心毒づきつつ、たった今バキィッと嫌な音を立ててぷらんぷらんした腕に着目する。
相変わらず蹴りや頭突きは止まらないが、理性を失っている分、大振りが過ぎる。
端的に言えば……それはもう避けやすい。
直進的にしか来ず、流れるような動きで次の攻撃に移ったところで元が見切りやすい動きなのだから、自然と次の行動も予測できる。
勿論、その領域にまで達している者が少ない為、ここまで冷静に見切れるのは何度も死地を経験したシキのような者か、撫子達のような強者くらいだろう。
総合力で言えば撫子達と同等。
以前の自分ならいざ知らず、動体視力も撫子達の居る次元に片足を突っ込んでいる。
シキは自分でもそう思っていたし、その自負があった。
「んぎぎぎっ、ウガァッ!!」
「痛そうだなおい」
そうして彼女の攻撃を受けることなく躱し続けていると、目を背けたくなるような状態の腕が徐々に元の向き、位置に戻りつつあるのがわかった。
(回復薬を飲んだ様子はない。回復魔法も……そもそも適性がない筈……話せないくらいだから、使えたとて今の状態じゃ不可能……どういうことだ?)
疑問と共に首を捻り、迫ってきたスカーレットの拳を躱す。
ここまで理性が飛んでいるならスラスターも使えないだろうという判断の下、オアシスの方へと足を運んでから上昇してみれば、追撃しようと水上までやってきた後、その水面を蹴ってこちらに向かっているスカーレットの姿を視認。
思わず、「っ、一桁台はどいつもこいつもっ……」と悪態をつく。
しかし、どこまで化け物染みた動きであろうとスラスターを使えない状態で空中に来てしまった以上、シキの独壇場だった。
一度目の移動で片脚が折れ、水面を蹴っての二度目の移動でもう片方も折れ……と、両脚が使えなくなったらしく、スカーレットは咆哮を上げながらバタバタともがき、殴り掛かってきている。
「止められる訳だ。戦闘スタイル、装備、性格……全てにおいて俺の下位互換で相性が悪いんだからな。恨むなら……弱い自分を恨みな」
くるりと反転し、オーバーヘッドキックをスカーレットの右上腕部に食らわせる。
肩まで外れたのか、彼女の腕は一瞬のうちに明らかに変な方向へと曲がった。
「グギャっ!?」
「これで終わりだ」
ゴブリンのような声を漏らして墜ちるスカーレットに向かってシキは加速。
追い付いたと見るや、魔粒子で体勢を整えながらローキック気味の蹴りを繰り出し、幼い身体の左肩を砕いた。
「あぎいぃっ!?」
あまりの激痛で理性を取り戻したらしい。
完全な白目に彼女の髪と同じ赤い目が戻り、撫子達の居る砂浜へと墜ちていく。
「……つまらねぇ」
クレーターを作り、砂埃を立ち上げ、尚も砂地に埋まっていく幼女を見下ろしつつの一言。
それは意識しての言葉ではなく、先程の悪態同様、ふと出たものだった。
言ってから初めて自身の本音、本心に気が付き、一瞬呆ける。
口では無意識下でそう言ったくせに、手は震えているのだ。
争いが嫌いなムクロの影響を受けていたのにルゥネとの殺し合いを楽しんでしまったこと、騒動と戦争で亡くなった者達を間近に見聞きし、感じたこと。
様々な要因で腑抜けていた筈の自身の身体が火照っているのだ。
「チッ……何なんだこの感じは……熱い……熱い……! はーっ……ふーっ…………フーッ……ルゥネ……お前もか……お前も俺に……!」
遥か遠くに飛んでいった獲物を拾いに行ったらしいアリスに手を上げて感謝を示した彼は、何が面白いのか、キャーキャー騒いでいるルゥネの元に降下していった。
「好きです素敵です旦那様ぁっ! 誰であろうと容赦ない冷徹さっ、鈍っている筈なのにあれだけの動きっ……くうぅぅっ、一ヶ月も戦闘訓練無しでっ……しかも慣れてない片腕でっ……」
「黙れッ!」
ルゥネに続いて持ち上げようとした、あるいは労おうとしたレナやメイ、アカリといった面々はおろか、他全員も硬直する怒号。
着地と同時、シキは殺気のようでいて怒気のようでもあり、しかし、その二つでは決してない興奮を露にしていた。
フラフラとゆっくり歩き、薬物中毒者か何かのように震える手をルゥネに伸ばす。
「何を、しやがった」
自慢の固有スキルでシキの思考を読んだのだろう。
ルゥネはふざけた態度を一変させ、ニタァ……と狂気的な笑みを浮かべた。
「……僭越ながら、旦那様を縛る枷を外させていただきました。私の【以心伝心】は思考をリンクさせる力。余計な感情や情報無しに伝導する人の心はやがて両者を相互理解へと導き、同調させる」
シキの手が彼女の首の前で止まり、深い深い愛を携えた紫色の美しい瞳と揺れている紅い瞳が交差する。
「侵食、と言っても良いかもしれません。それは今の旦那様には不要の代物。この一ヶ月、私と旦那様はずっと繋がっていました。朝も昼も夜もずぅっとっ……全てを理解したつもりです。全てを理解してもらったつもりです。どうですか? 私という存在そのものを理解し、そのものと同調した気分は」
こういう考えを持っているからこう感じ、こう言い、こう行動する。
例え最初はどんなに否定していようと、常に繋がった心はそれらを理解していく。
日常のちょっとしたこと、些細なことでも生まれ育った環境や周囲の人間が違えば感じ方も違う。
ルゥネの言う相互理解とは、それを強制的に理解させること。
二人の場合、実に一ヶ月間、常にその相互理解状態を続けていた。
起床と就寝、食事は勿論、傷が疼き、痛むタイミング。血を吐き、目眩に頭痛、吐き気、臓物から来る激痛に苦しむ時間、その感情、痛みすら。
ふとした時に感じる身体の痒みや慣れない気候、気温に対する不快感、着替え、身体の清め時、排泄の瞬間の感覚をも。
全ての感覚と心を共有していた。
互いに互いの状態、思考、心そのものが伝わり、じわりじわりとそれが日常になっていく。
自身の身体にない部位や失くした部位の感触も感じ取り、共有している環境。
成る程、同調だろう。悪く言えば侵食だ。
相手の心と同調し、侵食されればどうなるか。
当然、相手の心に飲まれ、知らず知らずの内に似たような思考を持つようになる。
否定的に感じていたことでも一ヶ月もあれば理解し、疑問に思わなくなる。
「っ……俺、は…………」
感じていた違和感や火照りの正体を知り、ヨロヨロと後退ったシキの手を、ルゥネは上気した顔で掴み、自らの頬に押し付ける。
「あはぁっ……どうですかどうですかっ? お慕いしているでしょう興奮するでしょう昂るでしょうっ!? もう貴方は私を殺せないッ! 傀儡っ、そのものとまではいかなくてもっ、貴方は私っ、私は貴方なのです! 互いの全てを理解している相手は殺せませんわよねぇっ!?」
掴んだ手に頬ずりしながら好き勝手に喚くだけに飽き足らず、無事な方の乳房へと持っていき、揉ませてくる。
「うふふふっ、愛してますわ、旦那様……ん……ちゅっ」
あまつさえ抱き付き、キスまでしてきたルゥネに対し、シキは何も返さなかった。
彼の震えはいつの間にか止まっていた。
「拾ってきてやったぜ~って何だこの空気。修羅場……って訳じゃなさそうだな」
「なっ……し、し、しっ……死にたいようだねルゥネさん……! ここまで頭に来たのは初めてだよッ!!」
「理解し、理解させ、同調し、侵食する……短時間なら相互理解、長時間なら思考や価値観の侵食……己の思想を他者に伝え、植え付け、支配する力……それが貴様のっ……」
「シキ君何してるの振りほどいて! いつもみたいに殴れば良いじゃない!」
「あー難しくてよくわからなかったんだけど……あいつが敵になるってことか?」
「……大丈夫よヘルト。坊やは正気。悔しいけど……悲しいけど……彼女は坊やを癒し、もう数段階上の強さに引き上げたのよ」
戻ってきたアリスに続き、メイ達も武器を構えたり、怒りを露にしたりと、各々の反応を見せつつ、ルゥネの凶行を止めるべく近付いてくる。
しかし、シキは自分の為に近寄ってきていた友人達に殺気のプレッシャーを放ち、止めた。
「ユウ、兄っ……?」
「主様っ、くっ、一体どうなって……!?」
「っ……このっ、シキ君に何したのよ!」
「ひ、怯むなっ、女帝は殺しても構わん! やれ!」
本気のものではなく、あくまで牽制。その一歩を止めただけ。
故に、ナールですら容易に踏み込んできた。
そんな彼等を止めたのは、シキの意思で揉まれたことで出たルゥネの嬌声ではなく、撫子に介抱されていたスカーレットだった。
「煩い煩ああぁいっ!! 何終わった気になってるのさ! なに人のこと忘れてくれちゃってるのさ! まだだよ! まだスーちゃんはやれるっ! 殺してやるっ!!」
撫子が「スカーレット殿っ、もう勝敗は付いたでござろうっ? 止めるでござるっ」と制止するのも聞かず、再び《狂化》。埋まっていた砂浜から轟音共に脱出する。
しかし、流石に回復が追い付いていないのか足取りは怪しく、瞳も白目になっていない。粉砕された腕もぶらんぶらんと痛々しく揺れていた。
「おっと嬢ちゃんっ、撫子ちゃんの言う通りだぜ。止めとけ。な?」
「まだやろうって言うの?」
アリス、メイも制止に回り、レナ達は避難。
そんな中、一触即発の空気をぶち壊す者が二人。
「あんっ、だ、旦那様そこはっ……はうぅっ……激しいっ、でもちょっと痛いのがまた気持ち良い! どうぞこのままお好きになさってくださいっ、私の身体は貴方様のモノで――」
「――うるせぇ黙ってろ」
誰もが目を剥いて驚く光景だった。
あのシキが、あのルゥネの胸をまさぐっている。
まるで自身の身体でも掻いているような自然さで、何故か首を傾げながら。
ルゥネは彼の行動の意味を理解しているらしく、三十センチ前後もの身長差のある大男に肩を預け、嬉しそうに、為すがままに柔い乳房を差し出しており、段々発情してきたのか、怪しい位置に手が伸びている。
「あぁっ、そっちまでっ……ご友人方の前で大胆ですわぁっ」
ふと思い出したかのように、シキの手も慎ましい胸から桃のように丸い尻へと狙いを変更。撫でてみたり、揉んでみたりと忙しない。
不思議なのは痴漢行為に耽っている彼が真面目な顔であること。
下衆な考えや黒い欲望に根差したものではなく、疑問に満ちているような顔だ。
何かを確かめているような、そんな顔なのだ。
しかし、あまりの光景に言葉を失っていた外野も、ルゥネが再び彼の手を掴み、より危ない部位へと誘ったところで止めに入る。
「ちょっとちょっとちょっと!? 何やってんの何やってんの!?」
「主様もどうなされたのですっ!」
「おおおお、落ち着いて!? 興奮したとか!? でもその興奮は違うと思うな!」
「止め止め止めぃっ、姫さんと姉さんになんてもの見せてんだテメェこら!」
「私のユウ兄を誘惑するとか……ルゥネさん……ホントさ……殺すよ?」
レナとアカリがルゥネを、リュウとヘルトがシキを羽交い締めにし、メイは青筋を浮かべてルゥネにメンチを切っている。
遅れて撫子とアリスも「な、何があったんでござる?」、「……どしたん? 溜まってたん?」と微妙な反応を返してきた。
「いや……何か身体が妙に熱くてな。こいつの言う相互理解も思考の侵食もわかった。俺の価値観や考えに影響を与え、変化を及ぼしたことも自覚した。けど、この火照りだけは理解出来ないんだ。完全に侵食されたんならこいつと同じ性的興奮の筈……なのにムラムラしてる訳じゃない。こうして触っても全っ然興奮しやがらない。寧ろ萎えてきた。何なんだお前」
「……え? えぇ……あっ……し、辛辣ッ! 人前で辱しめられたのに! でも好きっ!」
人の乳房やら尻やらを好き勝手弄っておいてあまりな言い草にルゥネとてショックを受けたのか、一瞬本気の「えっ?」みたいな顔をしたものの、直ぐ様普段のテンションに戻った。
それでも残念に思っている感が拭え切れていないのは、予め自身の固有スキルでシキの心情を理解していたが故の反応なのだろう。
「と、兎に角っ! し、シキ君はこの変態女に欲情したわけじゃないのよね? ねっ?」
「そんな確認せんでも。見てみろ、俺の息子も一切反応してないだろ」
若干涙ぐみながら訊くレナ、あっけらかんとした態度で身体の一部を指差すシキ。
レナの顔は一瞬で真っ赤に染まった。
「っ……~っ……シキ君のバカ! えっち! 変態!」
「……今のは確実にセクハラだよユウ。後、普段温厚な僕でもイラッと来るようなやり取り止めて? は? うっざ、マジうっざって思っちゃったから。目の前で見せ付けられる友達のイチャイチャほどムカつくことってないよ?」
「何でこいつらとそんなことせにゃならんのだ。心だけでなく、身体までムクロ一筋ってことだろうが。俺ぁ嬉しいくらいだぞ。侵食が不完全で。……あ、でも尻は良かったな、形も綺麗だし。そこだけはムクロのより好みかもしれん」
「ありがとうございます! 実は私も美という観点で言えば最も自信がありまして! いつでも好きな時に提供致しますわ!」
「でも次見せてきた時はスパンキング食らわす。なんなら赤熱化させた手甲で食らわす」
「どっ……どうぞっ、覚悟は出来てます!」
「何なんだよお前ら……バカップルじゃん。そして当然のように見たことあるんかい。ショウといい、お前といい……はぁ……オイラなんかやっと手繋いだところなのに……」
各々、コントのような会話を続けているが、スカーレットは未だ激おこ中である。
撫子とアリスが落ち着かせようと肩をポンポンしているが、彼等の会話のせいで殺気やら何やらの嵐が凄いことになっている。
「だからッ! スーちゃんをっ、忘れる、なーーッ!!」
そんな下らないことをしている間に彼女の四肢の怪我は消えており、押さえようとしていた撫子とアリスを吹き飛ばした。
「むぅっ……!」
「いってっ!?」
弾かれるようにして離れた二人をよそに、スカーレットはシキに肉薄。
《狂化》無しにしてはかなりのスピードだが、モーションが少ない分、シキの方が早かった。
「それと。お前の《狂化》な」
「っ!?」
そのまま殴っていたら刺さるであろう位置に爪を構えて牽制し、レナ達に顎で離れろと指示する。
先程の戦闘で学習したのか、スカーレットはギリギリで踏み留まり、額から微量の血を流す程度で済んだ。
「本来、一度使えば要領がわかるところを、敢えて身体が理解せずに使っているか、理解はしているものの、別の何かで理性を飛ばしているとかそんな感じか? 理性が無けりゃ痛覚や躊躇いは激減するし、脳のリミッターやら何やらも外れるもんな」
「な、何をっ」
後退りしたスカーレットを追う形でシキは顔を近付け、仮面の形状を変化させる。
戦闘時に呼吸が楽になる、目元だけを隠す形だ。露になった彼の口元は裂けたように、犬歯を剥き出しにして笑っていた。
「こう……いや……こう、か……?」
「っ、何なのさ! それ以上近付いたら、こ、殺っ、殺すから! 来ないでっ! 来ないでってばっ!」
ズイッと近付きながら《狂化》を使い、赤黒いオーラを身に纏っては消すシキに、スカーレットは言い様のない恐怖を覚えたらしく、更に後退った。
明らかに彼の雰囲気は変わっていた。
自身の変化に戸惑い、怒りや混乱に震えていた彼は何処へと言わんばかりの変わりっぷりだ。
相変わらず顔は見えないが、挙動が違う。瞳の力強さがまるで違う。
自信に満ち溢れた動きだった。
揺るがない意志を感じさせる瞳だった。
巻き添えを嫌がって急いで離れたルゥネやリュウ達も眉をひそめており、他の者は付いていけずに黙している。
「んー……難しいな。どうすれば………………あ。あ、そうか。あの手があったな。あの時も確か同時に使って……クハッ、懐かしいなぁオイ……今の俺なら出来る筈……ん、《直感》先生も〝死〟の予感は無いと言っている。試しに……やってみるか。悪ぃ撫子、アリス。何かあったら止めてくれ。多分、これで終わる」
何か良からぬことを思い付いたらしい。
口角を更に吊り上げた彼は唐突にそう提案した。
「お、終わる……? 今、終わるって言った!? 何も終わらないもんっ! スーちゃん諦めないもんっ!!」
「……何をするつもりでござる?」
「うへぇ、嫌な顔っ。好かれててもドン引きされるぞそれ」
三人が三者三様の反応をする中、アリスの発言に異議があったのか、「私は興奮しますわ!」と野次が入る。
「うっそん。変態じゃん。……変態じゃん」
アリスがげんなりした顔でそう言った直後だった。
シキの身体から〝闇〟の気配が漏れ出した。
見た者、感じた者を訳もなく震撼させるような、本能の部分に訴えてくる嫌な気配だ。
その場に居る全員が思わず身構え、目を見開く。
「《闇魔法》と……《狂化》、の……併、用っ……こいつぁ、キツい……ナァ……!!」
濃厚な、何処までもどす黒い『負』のオーラと赤黒い《狂化》のオーラ。
どちらが強いとも、どちらが多いとも言えない絶妙な差だったそれらは少しずつ減り始め……
否。
混ざり始めた。
最も危険で、最も強力な力と力の融合。
いつの間にか出ていた殺気によるプレッシャーは物理的な圧力となって周囲に充満し、強者の部類に入らない全員の膝を付かせる。
レナとセシリアもガクガクと震えていたが、シキの変貌ぶりに予感めいたものを感じたらしく、声を張り上げた。
「いやっ、いやっ……! シキ君止めてっ!」
「坊やっ! その力だけはダメっ! 撫子ちゃんっ、アリスっ、坊やを止めて! 今の坊やには早すぎるっ!」
【以心伝心】で直にソレを感じ取れるルゥネ、召喚以前の彼を知っているメイ等は圧倒的なまでの殺気に飲まれ、ペタンと尻餅を付いている。
メイが恐怖で何も言えなくなっているのに対し、ルゥネの怯えようは尋常じゃなかった。
「あ、は……は……伝わってくる……きますわ! 人格が崩壊しかねないほどの破壊衝動っ! 感情の暴走! 身体が芯から変わっていくような、不快感と恐怖っ、苦しみっ! くっ……こ、これが《闇魔法》っ……これがっ……が、がっ……か、はっ……!」
頭を押さえ、涙を浮かべ、歯をガチガチと震わせながらもシキの心と同調し続けていたルゥネは暴れ狂う〝闇〟の力、その奔流に飲まれ、気絶した。
それだけに留まらず、ナールや護衛の騎士達、メイといった彼の殺気そのものに慣れていない者達までバタバタと気を失って倒れていく。
「ぐ、がっ……ぎぎっ……くあっ……ァ……グッ……グ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァッ!!!」
突然の咆哮。
スキル化までしたその咆哮は気絶した者を砂と共に吹き飛ばし、オアシス全体に巨大な波を形成するほどの衝撃を生み出した。
シキの瞳からは先程見せた強い意志が消えていた。
あるのは全てを壊し、殺し、蹂躙してやるという恐るべき感情のみ。
本格的な顕現ではなく、〝粘纏〟まではいかない状態。
ただただ〝闇〟による苦痛や不調といった悪影響だけを受けた状態での《狂化》。
本来は使用者の理性を奪い、魔族、魔物に身体を変質化させる禁忌の力を利用し、普段は必死に耐えるところを敢えて我慢せず、暴走意識に飲まれることで、シキはスカーレットと同じ特殊な《狂化》……謂わば極限暴走へと至った。
違うのは圧倒的なまでのプレッシャー。際限なく溢れる殺気と力は余波だけで地の底から震えるようなエネルギーを生み出し、そして、事実地面をも揺らしており、底が全く感じられない。
シキを止めるべく、何とか立ち上がろうとしていたレナとセシリアはそのまま力尽き、リュウやヘルト、アカリは辛うじて耐えているものの、震えて力が出ないのか、何も出来ずにいる。
既にこの場に居た半数以上が倒れており、唯一、撫子とアリスだけが正気を保っている状況だった。
「な、何て殺気っ……! こ、んなの……初めてでござるっ……!」
「うひぃっ、全身の毛が逆立つこの感じっ、こりゃあ死ねるぜ……! チッ、しかもあの野郎理性持ってかれてやがるなっ!? 撫子ちゃんっ、こいつはマジでヤバいっ! 剣聖以上だ! 弱いくせにっ! 制御しきれてねぇ!」
強者である筈の二人でも未だかつて体験したことのない〝圧〟らしい。
武器を構えて話すことは出来ても、青い顔で動けずにいる。
ならば、その矛先であるスカーレットは?
この中で最も強い二人が硬直するほどの力を最も間近で向けられたスカーレットは?
「あっ、あっ……ああああああっ!?!!? 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないし死にだぐないっ!! アアアァァァアアッ……イヤダアアアアアアァッ!!!?」
その様子はまさに発狂。
両手で頭を押さえ、涙や鼻水、涎、冷や汗に小便とありとあらゆる体液を撒き散らして身悶えていた。
座り込んでいたかと思えば土下座気味に頭を下げて許しを乞い、それでもやはり理性より恐怖が勝るのか、泣き喚きながら暴れる。当然、あっという間に服は汚れ、顔も髪も砂にまみれていく。
「ひぐ、がっ……ぐひッ、かひゅっ……はひゅっ……!? か、はっ……!」
やがて呼吸もままならなくなるほどにまで達した恐怖は彼女の思考を更に奪い、無様にも這う這うの体でシキから逃げようとする始末。
最強の一角に名が上がる彼女がここまで怯える姿は何よりも彼女の心情を語っていた。
「っ、そ、そこまででござるシキ殿っ! スカーレット殿は降参でっ、ご、ござっ……ござ……るぅ……!」
シキとスカーレットの間に割って入った撫子が直に強烈な殺気を受けることとなり、直ぐ様膝を付く。
しかし、脂汗で湿った苦し気な顔を歪ませながら、それでもと立ち上がり、両手を広げると魔物のように唸っているシキを見据えた。
「ウウグウゥゥッ……!!」
見た目に変化こそないものの、紅目の部分が無く、白目を剥いている。
全身から〝闇〟と《狂化》のオーラを放っているのもそうだが、爪の出ている左腕をだらんとさせ、半身になりと、いつ突っ込んでくるかわからない構えが尚更恐怖を煽り、撫子は無意識に息を飲む。
「っ……」
ゴクリ……
彼女の喉が音を立てた瞬間。
彼女はシキと目が合った気がした。
仮面に隠れて見辛いどころか、色の付いた部分が無いのにも関わらず、標的が自分に移ったような感覚に襲われた。
死ぬ。
本能がそう叫んだのだろう。
思わず後退りし……
スカーレットやシキのそれとは似て非なるオーラを纏ったアリスが超高速でシキの背後に移動し、頭部に掌を当てる瞬間を目撃した。
「ぐがっ!?」
「フーッ……フーッ……っしゃナイス囮っ、撫子……はぁ……はぁ……ちゃぁんっ」
《狂化》を使っていたシキにダメージを与えず、意識だけを刈り取った。
恐らく何らかの技。武に関する技術。
撫子もそれらしい技術は幾つか持ち合わせている。
故に、断末魔のような声を上げた途端、フッと全ての力を失い、静かに倒れたシキには目もくれず、瞳孔を開いたまま肩で息をしているアリスに返事も返さず、周囲を見渡した。
死屍累々。
彼女が守ったスカーレットを含め、ほぼ全員が気絶し、倒れていた。
中には泡を噴いている者や逃げようとしてオアシスに半身を突っ込んでいる者も居る。
スカーレットだけなら兎も角、自身に好意、好感、敬意を抱いている者や友人達まで巻き込んだ威圧だ。どう考えても宜しくない。さしもの撫子でも「これは罰が必要でござるな……」と呟いてしまう。
そんな、へなへなと座り込んだ彼女の弱々しく、恨めしそうな声が届いたのだろう。
「あぁ……こいつめっ、このっ……! へっ、後でもう一発ぶん殴ってやる……はー焦ったぁっ……死ぬかと思ったぜ……はぁ……」
アリスは大の字に寝転がり、思い出したかのようにシキの頭部をゴンッと殴り付けると、思い切り脱力し……
「なぁ撫子ちゃん。この状況、何て説明すりゃ良いかな」
何事かと続々集まってきていた大量の騎士達を指差してそう言った。
「……知らぬ。拙者は何も見てないでござる。おやすみなさいでござる」
僅かの間を経ての返事。
ついでにごろんと寝返りを打ち、狸寝入りを始めている。
こうしている間にも「王子ーっ! レナ様ーっ! ご無事でありますかーっ!?」、「報告っ、街の方でも津波や集団パニック等の被害がありましっ……うわっ、皆様どうなされたのでっ!?」、「だ、誰か担架を持ってきてくれ! 早くっ!」、「英雄殿達までっ……一体何が起きた! 襲撃かっ!?」と騒がしいのが来ていた。
アリスは数秒綺麗な青空を見上げ、無言で目を瞑った。
来週からいつも通り月曜0時更新になる……出来る……筈っ、きっと……!




