第17話 成長
「帰りません?」
「ダメだ」
「……帰りません?」
「ダメだ」
「もう止めましょうよぉっ、命が勿体なぁいっ!」
「ダメだ。魔物以外誰も死んでねぇだろ」
森でのサバイバル修行を始めて数週間。
その日、俺はジル様と交渉していた。
にべもなく切り捨てられてるが、ジル様の足にしがみつき、俺に出来る最大の涙目上目遣い+土下座で懇願する。
「も、もう嫌だぁっ、風呂にも入れねぇし、トイレもろくに落ち着いて出来やしねぇっ、地獄かっ!?」
「知るか。そして引っ付くな鬱陶しい」
内心、「ぐへへっ、ジル様の美脚だぁっ、鱗の生えたスベッスベの太腿とちっちゃい足最っ高~っ」とか変な考えが過ったからか、顔面にかなり強めの蹴りを入れられ、ゴロゴロと転がってその木に背中を打ち付けて止まった。
「ぐはっ……!? ま、また鼻血っ……口ん中も切ったぁ……」
泣きそうだった。
意識も飛びそうだった。
HPも1減った。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日。
蒸した森の中を走らされ、倒した虫の体液を頭から被っても水浴びかタオルで拭く程度。身体中痒いし、物凄く臭いし、衛生的にも悪い。
その上、主食は何と虫。当然、腹は壊すし、毎日のように「すいません、お花を摘みに行っても?」とか美少女、もとい、全ての元凶に言わなきゃいけないし、その元凶は俺の修行の為に来てるから護衛を考えればトイレだろうとそんなに離れられない。
竜人族は人族より五感が鋭いらしい。
トイレ行った後、大小関係なく必ず睨まれる。しかも無言で。
マジで気まずい。
「もうゴキブリみたいに黒光りする謎の虫なんて食いたくないんですぅっ」
「じゃあカマドウマとかコオロギとか……あ、毛虫とかカメムシもあるぞ? 好きなの食え」
「好きなのがあるわけねぇだろバカかあんたっ!?」
目玉が飛び出るかと思った。
「生意気だ……なっ!」
「ぐはぁっ!?」
腹パンならぬ腹尻尾ビンタで腹の中の芋虫の肉片と汁が飛び出るかと思った。
「げほっ、げほっ……おえっ……はーっ……はーっ……危ねぇ……」
「……口の端から変な汁出てんぞ」
「だ、大体っ、何で【抜苦与楽】使っちゃダメなんです!? 漏れるわ!」
「そりゃお前……異性が戦闘中に『うんこ消えろうんこ消えろうんこ消えろ』とか念じてたら怖いだろ。キモいだろ。ドン引きくらいするわ」
「スルーしてくれよそこはっ! そして美少女がうんこ言うな! 恥じらいはっ!?」
「んなもん、その辺に捨ててきたわ」
「カムバック羞恥心っ! また拾ってあげてっ! 大事だよそれっ!」
芸人にでもなったかのようだ。
俺はどちらかと言えばボケ担当なのに。
「て、てか何でジル様はトイレ行かないんです!? 仕返しに覗いてやりたかったのに!」
「怒りながら何を暴露してんだお前は」
「何故だっ、Whyっ!?」
「きんも」
「あはんっ、尻尾尻叩きも良いけど、もう罵倒も気持ち良いっ!」
「……扱き方不味ったかな」
ジル様はどこまでも冷めた目をしていた。
俺の心は常に読まれているからな。慣れたんだろう。
羞恥心の他に、プライバシーという概念も抜け落ちているようだ。
「竜人族と魔族にゃ排泄器官はあっても機能はねぇんだよ。殆ど栄養に変えられるからな。老廃物や消化しきれねぇもんとかが溜まりに溜まれば出すか……? って程度でよ。何か……体内の魔力と構造が関係してるとかなんとか?」
ジル様もわかってないっぽいが、不思議種族なんだそう。
後、話振っといてアレだけど、マジで恥じらいとかないんかこの人。
……あれ? じゃあ生理は? え、女だよな一応? 一応……一応……? うん、一応……多分……恐らく、きっと……いや、女……お、女……? これが?
「お前それ女には禁句だかんな? それと……遺言はそれだけか? 変わった自殺方法もあるもんだなぁ?」
とうとう青筋すら浮かばなくなった。
ただ……一瞬で俺の目の前まで移動し、首もとに刀剣を突き付けてきた。
咄嗟に両手を上げ、降参のポーズを取りながら首を振って命乞いをする。
「ひいぃっ、ごめんなさいごめんなさいぃっ! 違うんです誤解なんですぅっ、てか心の中まで覗かれたらそりゃあ不利じゃないっすか!?」
「うんうん、わかるよ、死にたいんだろ? 恥ずかしくはなくても怒りはするって何回言ったらわかるんだ? ん? 喧嘩売ってるよな? オレ買うよ? 幾らでも買うよ?」
いつになく優しい口調だったが、言ってる内容がヤバかった。
口元は微笑を浮かべていたが、目の方はまるで笑ってなかった。
「…………。ら、ライいいいぃっ! マナミいいぃっ! ついでにリュウもおおぉっ! たぁすけてくれえええええぇぇぇぇっ!!!」
俺の絶叫は森中に響いていたと思う。
その後、全身ズタボロの状態で放置され、虫の群れに襲われたのは言うまでもない。
訓練を始めた当初、グレンさんに重り代わりの防具を渡された時のことを思い出した。
今回は特別重い短剣、長剣、大剣の三種。防具も重いが、こっちはまあ良い。
「腕が下がってる。後、腰入れ過ぎだ。重心がブレてんだろ」
「あだっ!? わ、わかっとるわ! 重いからしょうがないでしょ!?」
「生意気」
「あべしっ!」
あらゆる角度からの素振りを千回ずつ。実戦的な動きをしながらの素振りも千回ずつ。
ジル様から見て出来てないという判定のものがあればカウントされないそれは全身が動かなくなるまで続けられ、ようやっと出来るようになった頃には魔物との実戦。
ステータスに筋力値があればマシだったかもしれない。
実際、多少の補正はあるとは思う。素振りより魔物と戦った時の方が剣が軽く感じたし。
それでも倒し方が甘かったり、危ういところがあればそのまま筋トレを数種類千回ずつ。
死ぬ。
色んな意味で死ぬ。
けど、回復薬があるから筋肉痛も直ぐ治る。
就寝時も週に数回、あるいは夜に数回、数時間おき、数分おき、寝た直後等々、ランダムで尻尾が飛んでくる。
ガード出来れば良いらしいが、例えば上から振り下ろされたものを両手でガードした時は指が何本か折れる。後は足が地面に埋まったりとか。
手のひらはマメだらけ。そのマメも潰れ、無理やり治してその上にマメが出来、潰れていく。
素振りでも怪我、実戦でも怪我、お仕置きでも怪我。
回復薬の効果を考えると、使えるのは日に数回。必然的に怪我をしないよう意識、工夫するようになる訳で。
「痛いのは嫌だぁっ!」
と必死に食らい付けば修行の内容は濃くなり、少しでも心が折れようものなら尻尾による往復ビンタ。
泣く暇もありゃあしない。
だが。
起床時、理不尽にも「何か顔がムカつく」という理由でぶっ飛ばされる時、実戦、その他お仕置きで役に立つのが俺が持つ唯一の防御スキル。
《金剛》。
使いたい部位に念じることで発動。一秒くらいの短い間、その部位が硬化する。
発動部位さえ変えれば連続で使用が可能であり、例えば突き抜けていく衝撃を殺すことも可能。まあかなりの技術力が必要だが。
それと、弱点がもう一つ。
体力が0になれば当然死に、魔力が0になれば気絶か嘔吐等の不調が来る。
スキルの場合はそもそも項目がない。が、使い過ぎればスキル頭痛と呼ばれるとんでもない激痛に襲われる。
どうやら戦闘に関するスキルは消耗が激しいらしい。
その為、《金剛》もそう何度も使える代物じゃない。
因みに、他のスキルは消耗が少なく、固有スキルにはそもそもスキル頭痛が存在しない。
後、リンスさんの授業で習った時より、やたらスキルが使える回数が多いことにも気付いたが、ジル様に一瞬で解決された。
「お前が持ってる《負荷軽減》スキルが働いてんだろ。他の異世界人も何人か持ってたし」
鑑定してみたら、ストレスやスキル使用に対する負荷を軽減するものと出る。
ステータスといい、職業といい、スキルといい、属性魔法を無詠唱で扱えることといい、異世界人への優遇がしゅごい。
お陰で、「……死ぬ寸前までは追い込められるな」という恐ろしい独り言を聞いてしまった。
俺は泣いた。
俺の理想とする修行は『よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む』もの。現実は前半の二つのみ。しかも裸足で逃げ出したいくらいの超スパルタ修行。
しかし、その成果が着実に出ているのもまた事実。
毎日毎日盛大に喚き、盛大にボコされこそすれ、その事実は認めざるを得ない。
レベルアップによる身体能力の上昇。
戦闘センスは磨かれ、無駄な動きは嫌でも削ぎ落とされる。
戦闘訓練で助けてくれるのは本当に死にそうな場面だけ。生存本能をも利用して鍛えられれば思考の柔軟性、属性魔法への理解、修練度は深まるし、痛みや空腹、恐怖といった意識を阻害するものへの執着も薄れる。
虫という動きの読み辛い相手だろうと、経験でどう動けば良いのかわかってくる。
それらの成長はジル様との稽古で如実に感じた。
どの攻撃にどう対処すれば良いか、受けるならどう受けるか、避けるなら次の動作に繋がる動きを、攻撃を返すならどう攻撃すれば相手が嫌か。
思考系スキルのレベルが上がったことで思考の領域と速度が拡大されたのもあるんだろう。自然とそういった思考と動きが身に付いていた。
叱られることは未だに多いが、ジル様の口振りに以前のようなトゲはない。寧ろ、俺の成長を喜んでいるように笑うことが増えた。
その分、修行の内容は追加されるから嬉しいことばかりではないものの、稽古を通じて闘争や戦いの面白さが知れて楽しい。
第六感的な何かが目覚めたのか、ただの経験か、感知系スキルも無しに魔物の位置や不可視の攻撃を探知するという技術も会得しており、音や気配を殺す術、魔物の解体方法、弱点といったこの世界で生きる術一式もある程度叩き込まれている。
少しずつ少しずつ。
俺は酷く命の軽いこの世界に順応していった。
そして、少なくともジル様との戦いや修行の日々が楽しいものだと思えるほどには俺の中の何かが変わりつつあった。




