第159話 休息と若き女帝
……朝チュンだ。いや、鳥なんて鳴いてないけど。馬代わりの魔物の嘶きなら聞こえるけど。え、てか待って、逆じゃね普通? 男が慰める側なの? アレって女側癒されるの? ……いや、いやいやいや……そういうこともある、のか……?
と思ったのも束の間、少し肌寒い部屋の中、布団にくるまりながら裸で抱き付いてくるムクロの姿に俺は気恥ずかしさを覚え、早速遺跡に来ていた。
「……どうしたのだ、腰を抑えて」
「思わぬ疲れが……いや、何でもない」
不審者でも見るような目で睨んでくるナールを横目に、「この違和感、皆経験してんのかな……」と学生みたいなことを思いつつ、ジル様の刀剣を抜き、軽く運動がてら素振りをする。
「恐らくの位置ではあるが、印を付けておいた。外れた場合はそのままで良い。わかった時点で言ってくれ」
「……印、多くないか?」
約一年ぶりの爽快感と疲れで軽く怠い身体で赤い印だらけの遺跡跡地を見下ろしていると、少し離れたところでマイクみたいな魔道具を使って何やら演説しているレナの姿が目に入った。
「この遺跡は巨大なだけあって入り口が多いのだ。何の為かは概ね検討も……む? あぁ、あれか。あれは民への説明と呼び掛けだ。ああいうのは民に人気のあるレナの方が良いと思ってな」
あらぬ方を見ていた俺にナールが納得したような顔で、そう説明してきた。
「……お前暫定でも王だろ、一応」
「……煩い黙って仕事しろ下民」
自分でも思ったのか、若干間があった。
休息というほど休めはしないが、まあ戦いがない分、休みみたいなもんか……と思った俺はナールの反応を鼻で笑うと、「はいはいわかりやしたよっ、と……」なんて言いながら剣を構え、魔力を思い切り乗せた。
◇ ◇ ◇
「メイっち~!」
黒髪黒目の日本人。それも学生だろう年若い少女は付近で駄弁っている者達の間を縫うように駆けてくると、腰まで届く茶色の髪を右側に纏めているもう一人の少女の胸に飛び込んだ。
「わっ……ちょっ、抱き付かないでよ……」
「えへへっ」
軽く嫌そうな反応も何のその、自慢の童顔をぐりぐりと押し付ける少女は短く切り揃えられている日本人らしい黒い髪と日本人らしからぬ短刀を腰に揺らしており、抱き付かれたサイドテールの少女も短杖を携えている。
「相変わらずのイナミ好きだな、お前は」
「微笑ましいね」
二人の仲睦まじい様子に苦笑いと優しい笑みを浮かべて近付いてきた体格の良い青年と幼さを感じさせる甘いマスクをした少年までもが、それぞれ武闘士に勇者のような格好をしていた。
それだけではない。
彼等の周りで各々盛り上がっている者達も同様に己に見合っているであろう装備を惜し気もなく晒している。
その数、二十と少し。
それらが知り合い、クラスメートならいざ知らず、兄の同級生ともなれば幾ら広い場所でも息苦しくなる、と茶髪の少女メイは内心で溜め息をついた。
「……やっぱり人混みは嫌い。外に行きましょ」
虫か何かを見るような目で辺りを見渡した彼女は徐に胸元の黒髪少女をお姫様抱っこの要領で持ち上げた。
「ゃっ……あ……た、たっは~……こ、これは恥ずかしいなぁ、にゃはは」
いきなりの浮遊感と自分の格好に顔を赤くした少女には見向きもせず、食堂のような広場を出ていくメイ。
その後ろ姿に何人かの人間が声を掛けたり、視線を向けたのだが、反応はなかった。
「……あいつは相変わらずの人嫌いだな。俺らガン無視だったぞ今。先輩達のことも無視したし」
「ま、まあ、そういう女の子だからとしか……」
今度は揃って苦笑した男二人も目を合わせて肩を竦めると、置いていかれないようにとその後を付いていく。
メイに声を掛けた者も、追いかけるほどの勇気はなかったのか、直ぐ様仲間との会話に戻ったようだった。
やけに光沢のある黒い金属で出来た不思議な廊下。
四人の少年少女が無言で歩く中、時折見かけるガラス窓の外は何処も青い空模様しか見えない。
道中、騎士のような格好をした者や薄汚れた作業着を着た者とすれ違った。
片や舌打ちされ、片やにこやかに挨拶をしてきたが、そのどちらも会釈だけ返したメイは目的地に着くやいなや、乱暴に扉を蹴って進んだ。
「れ、メイっち……怒ってる……?」
「別に」
「いや怖ぇよ」
「い、言ってくれれば開けたのに……」
そんなやり取りをしていた彼等を出迎えたのは程よい強さの風と青空、ふわふわと浮いている雲だった。
彼等が今現在乗っている船の名は魔導戦艦ヴォルケニス。
パヴォール帝国が自国領で掘り出し、専用チームで補修改造した新型の魔導戦艦である。
『砂漠の海賊団』が所有している巨大魔導戦艦サンデイラと負けず劣らずの巨体。しかし、地球で言う戦艦の造形をしているサンデイラとは違い、繊細さを感じさせる滑らかな船体は何処かソーマ一派が持っていた潜伏型魔導戦艦ハルドマンテに近いものがある。
特徴的なのはその形状だった。三叉槍の穂先を立体にしたような形をしており、出っ張った外側二つの先端は半ばからデッキに、中心はブリッジになっている。全方位各所にスラスターがあるのは勿論、背面に当たる三叉の尻は推進力を担っているであろう一際巨大なスラスターで埋まっていた。計六つの主力ブースターがジグザグに横並び、補助ブースターらしき八つのスラスターがそれらの上下に挟まれるようにして付属している。
ブリッジ下の小さなデッキで魔導戦艦ヴォルケニスの異様な存在感、そこから見える空の海と称するに相応しい光景を驚くことなく受け入れ、端の方でテーブルと椅子を何処からともなく出すと、メイは漸く一息付けたらしく、ドカッと雑に座った途端にいつもの口癖が漏れた。
「はぁ……ユウ兄に会いたい……」
これには変わらず持ち上げられている少女も、男二人も脱力してしまう。
「も~……またそれぇ? メイっちってばいっつもそう言ってるじゃーん」
「でもそのユウって奴のことを言ってる時だけ明るくなるよなこいつ」
「それだけ好きってことなんだろうね。あんまり大っぴらにされるのは何だかこっちが恥ずかしくなってくるけど」
メイ=イナミはシキの元親友、ライの実妹である。
先程の人だかりも、メイの友人達も、時と場所を同じくして、異世界イクスへと召喚された。
一年以上前、日本のとある町、とある交差点付近で起きた集団神隠し事件は日本中を驚かせ、『現代に起きた神隠し』、『消えた十人の謎』と、連日マスコミに報道されていた。
そのニュースは一ヶ月と経たない内に新たな事件や情報で上書きされ、ネットの海に沈んでいったが、件の被害者家族、親戚、知り合い、友人はそうもいかない。
特に同年代に人気のあったライやイサムの失踪には凄まじい数のファンが悲しみ、事件が起きたであろう場所に群がった。
しかも消えた十人の内、九人は学生だ。友人だけでなく、兄弟姉妹、あるいは息子に娘、孫が行方不明となってしまった家族も定期的に訪れては涙を流していた。
しかし、時の流れというのは残酷で、報道がされなくなったと同時に熱心に捜索していた警察は手を上げ、各々の伝手や足で日本中を探していた家族達も次第にその元気を失っていった。
そんな矢先、今度はメイ達が召喚された。
誰もが諦め、忘れていた交差点。
何の因果か、定期的に置かれる花束の山の前でメイとその友人三人、兄達のクラスメート達は出会った。
見覚えのある淡い茶髪に、クラスメート達はライの親族だと一目でわかったらしい。
無言で会釈したり、挨拶する者も居たが、好奇心に駆られて好き勝手質問してきた者も存在した。
それを嫌がったメイが友人達を連れてその場を離れようとしたその時。
いつしかイサムとライ、その他八人の人間を巻き込んだ魔法陣のようなものが現れ、彼等は消えた。
気付いた時にはパヴォールという帝国に捕まっており、同年代の女帝にあの手この手で雁字搦めにされ、帝国軍に取り込まれていた。
最初こそ脅しで、程々に力が付けば容姿の整った男や女を宛がわれたり、最高級の寝床に食事、宝石や武器、防具、権力、地位といったもので、大半の者は釣られてしまった。
メイ達と一部の者はありとあらゆる誘惑をはね除け、しかし、抵抗して殺されるのも嫌だという理由で従属の道を選び、現在に至る。
「一年以上も会ってないんだよ……? 私にはユウ兄が居ないとダメなのに……ユウ兄っ、ユウ兄っ……あぁっ……!」
「……大親友メイっちがシンプルに怖い件について」
「大丈夫だ、俺も怖い」
「愛されてるなー」
光のない瞳でブツブツ呟くメイと、その他ドン引き顔の三人。内一人は抱かれているので真顔だ。
そこに一つの影がバサバサと音を立てて降りてきた。
「……殿下の懐刀、ココ様が、我々に何のご用です?」
黒髪おかっぱの少女がメイの腕から飛び降り、他の二人と共に素早く背筋を伸ばす中、メイだけがゆっくりと椅子から立ち上がり、降下してきた少女を嫌そうに睨み付ける。
少女は両腕が翼、両脚が鳥の脚と不気味な見た目をしていた。手入れのされてない黒茶の髪は酷くボサボサで、前は目元が隠れ、後ろは肩まで伸びており、時折見える紅と黒の瞳と相まって余計に気味が悪く感じる。
「ほー? くひっ、ボクじゃなくてルゥちゃんがね~」
少女の言葉で漸く彼女に続いて降下してくる気配に気付く。
梟さながら首を180度回転させるのは癖なのだろうか、と思いつつ、メイは上を見上げた。
「女帝ルゥネ=ミィバっ、只今参っ上っ、ですわっ!」
元気良く名乗りながら降りてくる金髪縦巻きツインテールの少女は以前の短い丈のスカートではなく、踝ほどまでの長いスカートを靡かせていた。
「うぉっ、パンツ丸見――へぶぅ!?」
「――見るなバカっ」
「っ……」
思わず見上げていた他の三人(内一人はビンタされて)は直ぐ様、膝を付き、見ないようにと視線を改めたが、やはりメイだけは下から睨むように見ている。
「魔素……?」
あちゃあ……と、片翼を顔に当てているココを他所に、女帝ルゥネはゆっくりと降下し、やがて着地した。
「そのスカート……内側に超小型のスラスターが?」
「ちょ、ちょっとっ、メイっち不敬だよ殺されちゃうよっ」
真っ赤のドレススカートから黒のショーツと魅惑的な太股を全開にしていたこと、ついでに小声で足元から袖を引っ張って咎めてくる友人のことを丸ごと無視し、メイはシキが魔粒子と呼ぶそれが舞っていたことに目を細めた。
「はいっ! ですが、やはり問題があるようですわね!」
「だから言ったのに……ていうか寒くないの?」
「私はこれが良いんですのよココ! 飛べるスカートはロマンっ、他の方々も言っていましたわ! 後、寒さより身体の火照りの方が強いですわ!」
「……それ、ただルゥちゃんのパンツ見たい人達なんじゃ? 後それじゃまるで露出狂の痴女だよ」
腹心であるココにここまで言われても、一切の恥じらいも見せず、笑って見せるルゥネはメイ達と同じ十六の少女だ。
今でこそ派手な赤いドレスを着て、綺麗に着飾っているが、メイはルゥネが先程すれ違った者と同じ作業着を着て、汗と汚れを気にせずヴォルケニスの改修作業をしていたことを知っている。
制止してくる部下を、自分は皇族である前に生産職だからと強く振り切って自ら下々の者と関わり、自ら辛く、汚れる作業を志願していたことを知っている。
それを証明するように、ルゥネは現在も耳飾りやネックレスの類いは付けていない。
前皇帝の座を強奪した前後で性格は全く変わってないとも聞く。恥じらいもなければ、そういった欲もない。元来、職人気質のようなものを持っているのだろう。
他の貴族や兄のクラスメート達とは違い、公の場であろうとプライベートだろうと妙に着飾らないルゥネを、メイは密かに気に入っていた。
「絶対止めた方が良いって。騙されてるよそれ……」
「むむむ、そこまで言われるとそんな気もしてきましたが……でもこれは私のお気に入りなんですの! 私が骨組みから生地、デザインまで考えて作ったんですから!」
「……じゃあスパッツ履けば? 後はせめてタイツ穿くとか。内側に骨組みあるってことはそんなに全開になることないんだし。まあ下からは丸見えかもだけど、ないよりはマシでしょ」
「…………」
「え、急に無言になられると怖いんだけど」
悩ましいっ、とでも言いたげな顔でココの提案に固まったルゥネが突如「それ採用っ! 天っ才っ、ですわココ!」と叫び、ココはビクゥッと肩を震わせて「そ、そうかな……」と、引く。
何と言うか、二人はとても濃かった。
皇族とその側近と思えば当然なのだが、それにしても変わっている。
何故メイ達の前に現れたのかも謎だ。
許しを出してないせいでメイの友人達は未だに頭を垂れている。友人達の横で自分だけ態度を改めていないのも、少しだけ罪悪感に近いものが出てきた。
メイはここで漸く膝を付き、二人に声を掛けた。
「んんっ。歓談中、失礼……して、私達に用があったのでは?」
本来ならこの時点で……否、膝を付き、頭を垂れない時点で殺されてもおかしくない。
しかし、ルゥネはそんな素振りを見せることなく、「そうでしたわっ」と手を叩くと、メイが出した机を指差して言った。
「お茶会っ、私も混ぜてほしいんですの!」
は? と、メイ達の空気が凍り、ココはやれやれと肩を竦める。
「お茶会……?」、「……お茶会に見えたのかな」、「男連れで?」、「それにしてはメイしか座ってないけど……」等々、四人はそれぞれ目を合わせ、無言で会話した。
「あら、違いました? 私、こう見えてココ以外に友人が居ないもので、爺やの話でしか友人達とのお茶会というものを知らないんですのっ。同年代の友人とお茶しながら殺しあいや戦争について語らうっ、ああっ、想像しただけで昂ってきますわぁっ!」
続けて「キャーっ、何て楽しそうなんですの!」と、上気した顔でクネクネする姿にはココも「何言ってんのこいつ」みたいな顔になったものの、どうやらメイ達と話してみたいというのが本音らしい。
お茶会の話題と友人達の青い顔に関しては少々思うところがあるが、メイとしては悪くない提案だと思った。
相手はただ戦闘狂で、戦争マニアで、戦うのが好きで好きで仕方なく、暴れてみたい、戦って蔑まされてきた自分の力を試してみたいという衝動だけで親族を皆殺しにしただけの少女だ。
謂わば根っからの悪人で、根っからの善人。
皇族らしくない言動の彼女なら多少の無礼も許してくれるだろう。
もしかしたら、あの人達のことを知っているかもしれない。
そんな、軽い希望を抱いてしまう。
ルゥネとは何度か顔を合わせたことはある。が、話したことは流石にない天上人だ。
降って湧いた機会とはいえ、この会談は大きいように思える。
メイはブリッジやデッキに続く扉の向こうから様々な視線と気配を感じ取りながら答えた。
「殿下のお口に合うかわかりませんが、喜んでお受け致します」
あれを何とかしてくれるのならば……と、目で訴えたメイに対し、ルゥネはわかっていると大きく頷き、ついでにどちらかと言うと慎ましい胸をこれでもかと張りながら再び爆弾発言を飛ばした。
「お茶なんてどれも同じですわ! ココと一緒に泥水や他人の生き血、果ては死体の血肉を啜ってたこともあるんですのよ!」
「いやー……あれはキツかった……ルゥネの爺やが助けてくれなきゃ死んでたね……」
おほほほ! と、まるで当たり前のように笑っているがまるで笑えない。
ココが後ろで死んだ魚のような目をして遠くを見ているのも笑えなかった。
「喉元過ぎれば何とやらですわ! もう良い思い出です!」
「いや全く良くないね、あんな思い二度としたくないよ……」
「戦時なら普通のことです! 慣れてくださいまし!」
「戦時じゃなかったでしょ。嫌がらせで着の身着のままスラムに捨てられただけで。吐きながら食べた孤児とか魔物の死体の味が忘れられないよ。ボク、未だに夢に見るんだからね?」
二人の爆弾発言が止まらない。
片や瞳をキラキラさせながら、片や死んだ目をしながら、まさかの人肉すら食したという事実を語っている。
「ほうっ、それは良い夢ですわ! 最悪の状況は戒めになります! あれはあれで死の淵を感じられて良かったですわね!」
凄まじいまでの前向き思考で高笑いし、全く気にしていない主兼友人に溜め息をついたココは優しい口調でメイ達に言う。
「……あー、まあ汚い水と誰かの体液とかじゃなければルゥちゃんは喜ぶから安い茶葉でも大丈夫だよ。ついでにボクにもくれると嬉しいな。何か思い出したら吐きそうになってきた」
「そ、そうですか……」
強い。
メイだけでなく、他の三人も思った。
同時に、今度はメイまでもが無意識に頭を垂れた。
日本では考えられない……いや、地球規模でも、この世界規模で見ても中々ないであろう体験をしているルゥネとココは現在、女帝と近衛騎士団長の位置に居る。
そこに至るまでの軌跡と苦労を、ほんの少しだけ垣間見たような気がした。
それを誇る訳でも、嘆く訳でもなく、事無げに告げ、笑い飛ばすルゥネが同い年。
自然と尊敬の念が生まれ、親近感が湧く。
元よりルゥネは部下と上司、皇族、貴族、平民、奴隷の垣根を気にしない性格だ。尚更その思いは強くなってしまう。
例え、ルゥネ達イクスの人間の手により、あるいはルゥネの命令で新たな召喚者に数人の死人が出ているとしても。
メイ達の頭が上がることはなかった。




