第158話 来たる時に向けて
無惨に破壊されたシャムザの王城跡、オアシスの水面がキラキラと日の光を反射させているその横の庭にて、俺、船長、レナ、ナールの計四人はテーブルを挟んで会食していた。
「残念ながら。俺にその『力』は効かない。他の奴等にしても無効化出来る」
「……そのようだな。やはり速度は同じかそれ以上……いや、私のが遅いだけか」
堂々と告げる俺に対し、悔しそうに俯くのは馬鹿王子ナールだ。
レナがその横で大きな溜め息をついて謝ってくる。
「ごめんなさい、シキ君。……兄上、何故そう彼を敵視するのです。彼は我々や国を、民を救ってくれたのですよ?」
国のアーティファクトを強奪し回っていた罪で指名手配されていた俺達『砂漠の海賊団』は今回の騒動で粗方不問となり、晴れて街中を堂々と歩けるようになった。
元々盗んだり、奪うだけで人に大きい被害は出てないからってのもあるんだろうが、船長の固有スキルを公表したのが大きい。
予めこうなると予想していたから防ごうとしていた。しかし、色々あってその目論見が外れてしまった。だから被害を拡大しない為に戦った。
と、少々粗い建前を立てることが出来たからな。
小型魔導戦艦の増えた最近は定期的に魔物の間引きをしたり、各街を回って物質の運搬を担ったりもしていたから、商人や客からの信頼を築けていたってのもある。
聞くところによると、そういう人達が挙って俺達のことを広めてくれたらしい。
お陰で俺やアリス、撫子にヘルトといった、暴徒シレンティと直接戦っていた奴は外を歩いただけで人集りが出来てしまうほどの人気ぶりだ。
一方でシレンティの暴走による犠牲者の数は計り知れない。未だに被害の全貌は調べきれておらず、怪我人を含めれば少なくとも二千から三千人にも及ぶ被害が出ている。
にも関わらず、この騒動の発端に関与している俺達を歓迎してくれるなんて……。
という俺の複雑な心境はさておき、中でも大きかった被害が二つ。
「……王亡き今、この国のトップは貴方です。発見されている遺跡の中で最も巨大な王都の遺跡もあの通り……復旧作業も追い付かず、被害者への釈明も、補償も、何も出来ていないこの状況を、貴方はまだ理解出来ないのですか?」
この食事中、レナの何度目かになる溜め息と共に語られるのは騒動後に発覚した事実と現状だ。
シレンティとかいう古代の人造人間が最後に放ったビームは王城を焼き、その先に鎮座していた遺跡を溶かして入り口を塞いでしまった。
そのせいで、あの騒動の中、断固として王城から離れようとしなかったというレナの父、現シャムザ王と必死に王を説得していた騎士達は塵一つ残さず消え、城は半壊。遺跡に至っては跡形もないほど溶けている。
城も遺跡も、アンダーゴーレムで何とか出来ないか議論されているものの、解決の糸口すら見えていない。
王が何故城に固執していたのかも不明だが、ギリギリで逃げ出すことに成功していた使用人の数人は「象徴足る城無くして何が国か!」という王の言葉を聞いている。王には王なりの理由があって残っていたのだろう。
しかし、現実として王は死に、シャムザの行く末はナールかレナのどちらかに委ねられた。
理由や経緯はどうあれ、二人は王族としての義務を果たさなければならない。
だというのに、目の前でしょぼくれているこの豚王子はことあるごとに俺に喧嘩を売ってくる。
こいつの固有スキル、【責任転嫁】は確かに強力な力だ。
今回の件で王族としての使命感だか何だかに目覚めたと自称している豚王子曰く、【責任転嫁】は自身の状態そのものを少しずつ他者に移す能力らしい。
豚王子本人が毒状態で【責任転嫁】を使えば、任意の相手にその毒を移すことが出来、逆に回復薬や回復魔法を受けている状態で使えば回復効果を移すことが出来る。が、その速度は極めて遅い。
とはいえ、移す場所を選べるらしく、特定の臓器だったり、特定の血管だったり、脳だったりと速度や効果は半ば選べるようなもの。
公にしていなかったという【責任転嫁】の説明の際、豚王子が協力してくれたお陰で両腕が完全に折れていたアリスは瞬く間に回復した。
現在、必殺技の代償で寝込んでいること以外に後遺症やダメージは残っていない。
本来、回復薬や回復魔法は連続して使うと効果が薄れていく。
【責任転嫁】はその常識を覆すという。理由は色々考察出来るが、まあどうでも良いな。兎に角、【責任転嫁】を上手く使えば回復量は倍になるし、その逆の毒殺も余裕ってことだ。
弱点と言えば【責任転嫁】で移せる物質や効果は少しずつであること。
つまり、転移速度がめちゃくちゃ遅い。人に移せると言っても、使用者であるナールは実際に毒や薬物を受けている訳で。その速度よりも速く効力を発揮してしまう薬、毒物は使えない。
そんな【責任転嫁】の対極……いや、天敵とも言えるのが俺の固有スキル。
触れる必要こそあるものの、任意の対象と俺の身体の中の物質や状態異常、スキルと魔法の効果を『抜』いて消失させる【抜苦与楽】は速効性のある毒物を服用出来ないナールにとって、最低最悪の相性を誇るスキルだ。
無理に速効性のある毒を飲んでしまえば、他人に擦り付ける前に自分が苦しむことになる。それで意識を失ったりでもしたら最早それはただの自殺と変わらない。
「何度か言っただろう。学習能力のない奴だな」
「……な、ならば貴様が大切に想っている人間に使えばっ」
「やりたきゃやれ」
「なっ……」
「そん時はお前が死ぬ時だ。速効性のあるものは使えないんだろ? ならさっさとお前をぶっ殺して俺が除去すりゃ良い。鑑定スキルだってあるしな」
俺は砂漠の中を泳ぐ鮫みたいな魔物の肉を咀嚼しながら絶句しているナールを睨んだ。
あの切羽詰まった状況で、大して役に立たなかった時点でナールは勿論、レナも俺の中の評価を著しく下げている。
レナはそれがわかっているからか、前ほど距離感が近くないし、ナールもやたら敵視してくる以外は大人しい。攻撃手段も、毎回【責任転嫁】による毒物投与だし。
「スキルではなく、固有スキルの連続使用ならスキル頭痛は来ない。お前がその特性を利用して毎日毎日懲りずに使ってくるように、俺も常日頃から悪影響のあるものを除去し続けている。何度やっても無駄だ」
「その偉そうな態度が気に食わんのだっ。私を殺すと言ったな。騎士共をけしかけられたいのか! もし私を殺せたとて、騎士どころか民が黙ってないぞ!」
「はっ、このクソ忙しい時に態々死人を増やしたいんならやれ。俺ぁ敵なら誰だろうと殺す。皆殺しにするだけよ」
「ちっ……下民が」
唾でも吐きそうな感じで吐き捨てる王子だが、俺同様何だかんだ普通に食事を続けている。
漸く不毛な争いだと理解してくれたらしい。
「シキ君まで……もうっ、帝国との戦争が控えているというのに、何故貴方達は仲良く出来ないのっ? シキ君だって、使える力だって褒めてたじゃない!」
その使える力の矛先を向けられりゃあ仕方ないだろうよ。
レナの言い分に思わず脱力してしまう。
駄目だ、やっぱこの兄妹は好かん。思った以上に嫌悪感があるぞ。
「姐さ……船長、こんな時くらい能力行使は止めたらどうだ? 一口も食ってないじゃないか」
どうも二人に対して冷たい対応になってしまうことを気まずく感じた俺は俺と同じように一つしかない瞳を無言で輝かせて未来を『見』ている船長に話し掛けた。
なんでも【先見之明】を使っている時は瞳が色んな模様や色に光るらしいが、正直不気味だ。それを隣で、しかも延々無言でやられると尚更。相変わらず寝れてないのか隈もすごいし。まあムクロや俺ほどじゃないけど。
「っ……そうよお姉ちゃん。皆、私達が一番大変だからって美味しくて栄養のあるものを作ってくれたんだから……」
「…………」
「お姉ちゃんってば!」
「……はぁ。聞こえてるわよぉ……しょうがないわねぇ」
レナが少し怒ると同時に、船長の瞳は輝きを失い、普通の目玉に戻った。
「それで……何だったかしらぁ?」
「……聞いてないじゃない。今後の話よっ、今後の!」
「食事中に怒鳴るな、汚ぇな。お前、それでも王族か?」
何を苛々しているのか、ぷんすかしているレナにそう突っ込むと「うっ……」とか言って固まる。
「……レナは簡単に今後と言ってくれるが、セシリア殿の話では近い内に帝国が攻めてくるのだろう?」
「えぇ、時期は読めないけどねぇ」
「んんっ……だから、その対策について話し合う必要があるんでしょ」
仮定した未来を予知出来る【先見之明】はそれこそ魔王の【不老不死】並みに非常に強力だが、タイミングや仮定によってコロコロ内容が変わってしまうのは面倒この上ない。
しかもDVDやビデオのように巻き戻しも早送りも出来ず、場所指定も任意、ひたすら現実と同じ速度で事象を確認しないといけないと来たもんだ。
「ただでさえ忙しいのに、こうやって会議もしないといけないなんて大変だな」
「他人事みたいに言わないでくれるかしらぁ? 私だって坊やみたいな固有スキルの方が良かったわよぉ……まあ、お陰で色々知ったり、見ることが出来るけど」
「……おい、このタイミングで人の下半身見んなよ。セクハラだぞ」
「…………」
「いや頬を赤らめるな顔逸らすな、どういう意味だコラ。恥ずかしくなるんなら何で話題に出した? てか何でそんな力を覗きに使うんだよ」
冗談なのか、マジで言ってるのか知らないが、げんなりしながら食事を続けていた俺達は気まずさ故か、一斉に水を飲んで話を戻した。
「で、今後の方針だけど……」
「復旧作業と遺族や被害者家族への補償が最優先よぉ。チラッとしか見てないけど、下手したら暴動が起きるわぁ」
「だろうな。当分はそれらを優先するとして、俺達はどうする? また遺跡発掘か? 警備用のアンダーゴーレムの相手はアリス無しじゃちとキツいんだが。下手したら死ぬし」
「私と兄上が国の対応、シキ君とアリス、撫子、ヘルト君で遺跡っと……あれ、アリスの寝たきり状態って後、二~三日掛かるんじゃなかったかしら」
「いや、それも良いが貴様の刀剣で王都の遺跡の入り口を再度開けてもらいたい。頑丈な筈の人造人間とゴーレムの操縦席を丸ごと溶かすほどの熱だ。出来ないことはないだろう?」
「……出来なくもない。ただ人が通れるほどの大きさの穴を作るのは時間が掛かる。ゴーレムを投入するなら軽く倍以上だ。後、やってほしいんなら元々あった地下への入り口の場所をビックアップしてくれ。何もない空間に穴作ったってしょうがない」
と、真面目に議論を続け、一時間程だろうか。
時折、口喧嘩したり、行き詰まったりしたものの、概ね方針は決まった。
「民への補償と説明、復旧作業に被害調査……帝国や今後の対応、見つかっていない遺跡の把握、その他未来予知……遺跡の発掘、アーティファクト集め、弾の補充……やはり時間と人が足らな過ぎる。こう言ってはなんだが、帝国と話し合う余地はないのか?」
自分でも今更何を……と感じているのか、複雑そうな顔で船長に訊くナール。
当初の予定ではシレンティを利用して同盟を組むつもりだったらしいので、交渉の駒が消えた現状では無理があると承知の上での疑問なんだろう。
「ないわ。現女帝ルゥネはこれまでの皇帝同様、残忍で好戦的。貴方も知っている筈よ」
「し、しかし……」
船長に真剣な時の口調でバッサリ切られてもナールは引き下がろうとしない。
勝てる見込みがないと踏んでいる、あるいは単純に勝てる自信がない感じだ。
「体制の古い旧帝国軍を解体し、銃やミサイルランチャー等のアーティファクト使用を前提とした新しい軍の編成を終えた……反対勢力は既に制圧済み……新聞だけでこれだ。その上、転生者も複数引き連れてるんだろ? あ、小さく新兵を増やしてるとも書いてあるな。一般兵が使い慣れてない銃を問題なく扱える部隊を作るつもりか……」
食後の飲み物にショウさんがくれたコーヒーを飲みつつ、テーブルに置いてあった新聞を睨む俺に船長が無言で頷く。
「新型の魔導戦艦についての情報も出回っている。多分、半分くらいはわざと流してるんだろうが、船長の予知的に真実も幾つかある。巧妙と言えば巧妙だぞ。建前と言い訳作るのに船長の存在を公表しちまったせいで、こちらの未来予知も知っているだろうし」
「一応、箝口令は敷いてるけど、人の口に戸は立てられないわよねぇ……」
「既に女帝ルゥネの策略は始まってるってことよ。戦は始まる前の行動で決まるもの」
船長が溜め息をつき、レナがメモを書き連ねながら戦争経験者らしいことを言う。
「……しかし、遺跡はあの通りだ。今後は発掘作業も出来ないし、どうすることも出来ないと、こちらの価値を低く見てもらえば何とか……」
「くどいな。先方にはチート持ちの転生者も居る。宥められたところで属国にされるのがオチだ」
どうしても諦められないらしく、溶け固まった遺跡を見てそう言うナールを、今度は俺がバッサリと切った。
船長の予知が何度も外れている時点で、本来の歴史から決定的な何かが変わってしまっていることは間違いない。それでも、ある程度の信用は出来るが、外れる可能性と当たっている可能性がある不明瞭な予知能力だ。
「何と言っても軍備増強。遺跡発掘とアーティファクト集めはどうしたってする必要がある。敵だって同じことをしてるんだ。備えておけば憂いはあれど諦めもつくだろうよ」
言うだけ言った俺はカップに残ったコーヒーを飲み干すと立ち上がり、目元と角だけだった仮面を、顔全体を覆う形に変えるとスタスタと歩き出した。
「はぁーあ、大人ぶっちゃって……坊やって本当に可愛いわよねぇ」
「言ってろ」
「……またムクロさんのところ?」
「ああ。悪いが今日一日は好きに使わせてもらう。明日から協力する」
手をヒラヒラさせて歩いていると、後ろの方で「あれで貴方より若いのよぉ? もう少し見習ったらどう?」、「……いつも思うのだが、あの仮面は何なのだ?」、「そうやって話をはぐらかすのは兄上の悪いところですよ」と小声で話す声が聞こえた。
冷静に考えると、何で一用心棒に過ぎない俺があの場に居たんだ? と思いつつ、俺はムクロに宛がわれている宿屋に向かった。
ノックに返事がなかったので、そっと部屋の中に入る。
ムクロは品質の良いベッドですやすやと寝息を立てていた。
戦闘の余波で辺りがめちゃくちゃになっている中、偶々無事だったこの宿屋はこの国にしては珍しく二階建てで、冷房みたいな魔道具が置かれていて全体的に涼しい。
金はレナが払ってくれてるし、変な気を遣って両隣も貸し切り。お陰でとても静かだ。
「…………」
無言でベッドに腰掛け、ムクロの顔に手を伸ばして止める。
シレンティ騒動から丸二日。
騒動の最中、いきなり暴れ出したと思ったら気絶して倒れたというムクロは一度も目を覚ましていない。
シレンティに止めを刺した後、焦った様子で駆けつけてきたリュウから聞いた話によると、俺がさっさと来いと怒鳴ったあの時、リュウは船長やムクロを連れ出してくれていたらしい。
引き続き、未来を予知して危険の把握に努めていた船長と『砂漠の海賊団』の皆を逃がし、一人別の牢に閉じ込められていたムクロを救出後、合流。
その時点で顔色は大分悪く、心なしか震えていたそうだが、決定的だったのはシレンティが放ったビームだ。
リュウ曰く、あの光を見た途端にムクロは両手で頭を抑えて過呼吸気味になり、そのまま取り乱してどうにも出来なかったとのこと。
離れていたからリュウやムクロ達に直接的被害はなかったらしいものの、破壊された王都の様子や被害にあった国民達の姿を見て泣いていたように見えたと言っていた。
子供のように泣きじゃくり、駄目、駄目と小声で言っていたので一緒に逃げようと声を掛けた時、最後のビーム……遺跡を狙ったビームが放たれた。
城は抵抗という抵抗もなく崩壊したが、問題は遺跡。
その道中を消し飛ばしながら飛んでいたビームは頑丈な遺跡の入り口を塞ぐと共に少し弾かれ、火の雨が至る場所に降り注いだ。
それはリュウ達のところにも落ちたらしく、リュウとその他船員の奴等が防いだ。
しかし、流石に全ては防げない。精々が近くの仲間を守ることくらいしか出来なかったそう。
防げなかった火の雨、拡散されたビームは再び建物を崩し、テントを焼き、人や物を溶かしていった。
その光景に全方位を囲まれたムクロはいよいよ以て発狂。一際大きな悲鳴を上げて気絶したらしい。
幸いムクロに怪我は一切なく、ただ酷い光景にショックを受けただけのようだが、それで丸二日というのは少々長い。
逆に言えばそれほどのショックと言えなくもない。
しかし、俺達の中で最も強い筈のムクロがそれらを防ぐことも出来ず、悲鳴を上げて暴れていたのはそれはそれで腑に落ちない。
ムクロの過去に関係する何かがムクロを狂わせ、動けなくさせた。
それは間違いない。一体、こいつは……。
と、そこまで考えたところで、思い出した。
いつだったか、あのジル様が恐れる『付き人』がくれた《念話》スキルのことを。
確かリーフ達と知り合って間もない頃だっただろうか。『邪神の使徒』とかいう変な称号を貰って……
使えるかどうかも怪しく、貰った時は用途もわからなかった。その上、自分のことで手一杯だった。
ぶっちゃけ忙しさと余裕の無さ、その後のバタバタで完全に忘れてたし、ついでに邪神と会うことが出来る宝石があるのも今思い出した。
「あの時は魔族化したばかりで気が立ってたってのもあるんだろうな……」
と、言い訳しつつ、ステータスを確認する。
やはりあった。
そのまま、また上がっているレベルと数値を流し読みし、溜め息をついた。
「……やっぱ人を殺した方がレベル上がりやすいのか。人の時は盗賊殺してもレベルは上がらなかったんだが……」
ここに来て嫌な事実を知ってしまった。
どうやらこの世界の人間は他種族の人間を殺すことで経験値を得るらしい。あるいは補正でも掛かるのか。
そうじゃなければ、魔族化した後の俺の成長速度が説明出来ない。
幾ら魔物を討伐してもレベルが上がらなかったのに、盗賊になった子供達やエルティーナを殺した時、急に上がったから何となく思ってはいた。
しかし、これは……これでは……
「ちっ……つくづく……嫌な世界だ」
「ん……」
二度目の溜め息は余程大きかったのか、寝たきりだった筈のムクロの瞼が開いた。
「……ムクロ、大丈夫か?」
それまでの葛藤とかその他諸々の考えを止め、ムクロに詰め寄る。
「………………し……き……」
酷く弱々しく、酷く小さい声。
「ぁ……あぁ、俺だ。何があったんだ? 身体に不調は……いや、腹減ってるよな。ほら、水もある。ゆっくりで良いから」
元々濃かった隈が酷くなっている気がする。声はおろか、態度も瞳にも力が感じられない。
ムクロのそんな様子に、何故か胸を締め付けられるような感覚に襲われた。
堪らず仮面の奥で顔を歪めた俺は早口かつ大急ぎで食べ物と水を用意する。
が、ムクロは水を一口だけ飲むと身体を起こし、自分の両手を覗き込むように俯いた。
「何か……言ってくれないか? 船長達に少しだけ癒されたといっても、俺を支えてくれてるのは今もお前なんだ。お前の《魅了》のお陰で……お前の存在だけが、俺を……」
俺はそう言って、ムクロの頬に触れる。
今度は自然と手が伸びた。止まらなかった。
しかし、ムクロは嬉しそうで申し訳なさそうな顔をするだけに留まり、暫し黙ってしまった。
それから反応を待つこと数秒。
頬に触れていた俺の手を掴み、より強く顔に押し付けた。
「っ……ム、クロ……お前は……」
「わる、ぃが……んんっ……悪いが、今の貴様には何も言えない」
上手く声が出なかったらしく、咳払いをし、ハッキリと告げた。
幼女口調じゃない。
〝芯〟がある方の人格、口調。
にも関わらず、ムクロは静かに涙を流し、大粒の涙が俺の手を伝って落ちた。
「我……わた、私……も、どう接すれば良いのか、わからないの……どれが正解で……何をしたら、良い……のか……」
「……そう、か」
詰まるところ、いつも通り何も言えない、と。
モヤモヤはするが仕方ない。
《魅了》されているからか、素直にそう思えてしまう。
「でも、これだけは……いや、だからこそこれだけしか言えない、かな……」
静かに頷いた俺の仮面にムクロの手が触れた瞬間、急速に形が変わり、床に転がる。
そうして、ムクロは自分の頬に触れている俺と同じように俺の頬を撫でると、言った。
「お願い、私を……慰めて」
弱々しい態度で泣きながら、整った顔を盛大に歪めながら言われてしまっては、それこそ仕方ない。
俺は無言でムクロを抱き締めると、柔らかそうなその唇にそっと口付けした。




