第109話 惨劇
グロ注意。
常に風を切る音が鳴り止まず、常に誰かの悲鳴が響いている。
そして……常に血の味がする。
髪数本と引き換えに目と鼻の先に迫る長剣を躱し、その主の腹に蹴りを入れた瞬間、魔法特有の輝きを視界の端に捉えたシキは鎧を粉砕されて激しく吐血する聖騎士の後ろに素早く回りこみ、飛んできた属性魔法から逃れた。
流れるような動きで後ろで起きた小さくない爆発を加速に利用しながら近くで腰を抜かしていた『聖歌隊』の女騎士の上に倒れ込むと、大口を開けて首元に噛み付き、喰い千切る。
「ぎゃああああっ!?」
「ぶふぅっ……! ……不味い」
「なっ!? がっ……!!?」
頸動脈ごと口内に放り込み、何度か咀嚼しながら前転して立ち上がり、盾を持って肉薄していた聖騎士に向けて吐き捨てた。
毒霧のように飛んできた仲間の血肉が兜の隙間を通って顔面に付着し、一瞬硬直した聖騎士の脚を踏み砕いて転ばせる。
「「隙ありッ!」」
「ねぇよっ」
直後にその後ろから二人の聖騎士が長剣を振りかざして現れたので魔粒子を両胸から噴き出し、急速離脱。剣先が宙を舞う魔粒子を斬り裂き、地面に向かったことを確認する前に背中から魔粒子を出して再び急接近すると身体を横に捻りながら一人に蹴りを、一人に頭突きを入れ、脚から魔粒子を噴出させて体勢を整える。
そのまま脚を抑えて悶絶していた聖騎士の顔面を踏み抜いて黙らせた後、また属性魔法が殺到してきたので距離をとった。
(今ので四十二……いや、女入れて三だな。長剣の二人は後で殺して……って死んでやがる。……首の骨でも折れたか? まあ蹴りは直撃したし、頭突きは《金剛》使ったしな。……っと、次は……あいつらにするか……!)
黒い輝きを放つ脚甲が良いところに入ったらしく、蹴りを入れられた聖騎士は仲間の魔法が当たる以前に首が砕け、頭突きを受けた方は衝撃で兜が顔面に当たり、顔を抑えている間に味方の属性魔法で腹に大きな穴を開けていた。
それをチラリと確認しながら狙い目の『聖歌隊』を探して近付き、蹴り殺す。
『聖歌隊』のメンバーは修道服の上に軽鎧を装備しているだけで兜もしていないのでとても柔らかい。
そして、近付きさえすれば素手による反撃しかないから雑魚同然。
それが『聖歌隊』の半数以上を蹴り、噛み千切って殺し回っていたシキの評価だった。
一発の蹴りで頭部を陥没させるだけでなく、そのまま蹴り抜くことで死体を飛ばし、詠唱を行っていた集団の妨害をしつつ、やはり無防備で逃げるか、許しを乞うか、殴りかかってくる『聖歌隊』を殺していく。
背中を見せた者はその背中を蹴って全身を金属で固めた仲間に抱擁させてやり、四つん這いで頭を下げてくる者は有り難く踏み潰す。へっぴり腰で殴りかかってくる者はギリギリで躱してよろけさせ、喉元の肉を喰い千切る。
気付けば『聖歌隊』の数は片手で数えられるほどしか残っていなかった。
とはいえ、聖騎士達が何もしていなかった訳ではない。
シキが面倒だと感じた無名の指揮官は後衛寄りの聖騎士達を束ねて定期的に魔法を飛ばしてくるし、長剣と盾が標準装備の前衛の聖騎士達は続々と突っ込んでくる。
しかし、尽く無駄に終わり、無数の命が散っていった。
指揮官は兎も角、魔法使い達からすれば鎧を砕くだけでは飽き足らず、腹を貫通しかねない蹴りや人を噛み殺すシキの風貌はとても恐ろしいらしく、魔法を放つタイミングが稚拙になりがちなのだ。
腐っても聖騎士。詠唱を間違えたり、遅れたりすることはないが、前衛の聖騎士を上手く盾として使うシキに戸惑い、何処を狙えば良いのか一瞬、判断に迷う。そこへ指揮官が仲間ごと殺せと命令するものだから誰もがバラバラのタイミングで撃ってしまう。
如何に種類があろうとも、生きた盾があり、順番のように迫る魔法等、シキの高いステータスを以てすれば魔粒子を使わずとも容易に避けられる。
突撃してくる聖騎士は言わずもがな。
盾ごと蹴りを入れるだけで軽く吹き飛び、ボーリングのピンのように仲間を巻き込んでいく。その間に兜を蹴るなり、腹部を蹴るなりすれば直ぐに死ぬ。全員が重い装備の為、瀕死の者の後ろにピッタリ付いて牽制しながらすんでのところで離脱し、後ろから蹴り飛ばすのも有効だった。
(クハッ! 痛くて痛くて仕方ねぇってのにニヤケが止まらねぇッ! ノアと『聖歌隊』が居なくなって気が抜けたか!?)
油断だけはしないと、《集中》スキルのON/OFFを繰り返すことで強制的に目の前のことに集中しつつも、「『聖歌』なんか使わず、最初から魔法で叩いておけば良かったものを……」と嗤いながら魔法使いの群れに飛び込み、西洋風の兜に覆われた顎を蹴り砕く。
と、ここで至近距離にも関わらず、自身や仲間の危険を省みずに魔法を飛ばしてきた者が居たので、残心&滞空したまま魔粒子ジェットで身体を回転させることで体勢を整え、脚甲で蹴り返す。魔法を弾く性質を持つ黒い装備は遺憾無くその効果を発揮し、魔法を使用した者の顔面を弾けさせた。
「お? バカがっ、統率者ってのは後ろでふんぞり返るのが仕事だろうよ!」
何故か蜘蛛の子を散らすように逃げていき始めた魔法使い達をよく見れば顔が無くなったのはウザく感じていた指揮官だったらしく、さながら死体蹴りのように悪態を付きながら無防備な背中を晒す者に飛び蹴りをかます。
勢い良く飛んでいった死体が走っていた一人に直撃して倒れるのを横目に魔粒子を瞬間的に強く噴き出すことで一気に加速、混乱しながらも詠唱を始めようとしていた一人の口を蹴って潰した。
そうして、勝ち筋が見えた頃。
音が止んだ。
肉が潰れ、液体が噴き出すような生々しい音や誰かの悲鳴ではない。
町、あるいは自らが転移させたジンメンを攻撃していた聖軍が発していた戦闘音だ。
自然と上がっていた口角は瞬く間に下がり、暴言を吐いていた口も静かになる。
(ソーシは兎も角……レーセンの姿がないってことは前線組。このタイミングで消えたってことは……こっちに来てるな)
顎はダメージが殆どないに等しいので意識して噛み殺そうとしていたが、如何せんダメージのある脚の方が早いし、フルプレートメイル姿の聖騎士は形状的に噛めない。
その為、殆どの聖騎士は頭を踏み砕くか、蹴り潰すようにして殺していた。
脚が壊れない程度に加減していたとはいえ、《狂化》は使っていたので当然、地面は相応に揺れるし、音も出る。それらが街の方へ届いてもおかしくはない。
そうして伝わる情報は転移魔法で事前に報告が行っていれば強い信憑性を持たせてしまう。
聖騎士ノアが敗れ、他『聖歌隊』を含めた百名近くは壊滅状態。
そう聞けば幾らレーセンと言えど、引き返してくるだろう。
気配を感知出来ないシキは恐怖に取り憑かれて逃げ惑う聖騎士達を完全に無視し、聖騎士ノアが倒れている方向に向かって走り出した。
(この混乱なら間に合うっ……今なら……!)
周囲の状況を確認しつつ、聖騎士達を減速しないように躱しながら目的地目掛けて猛スピードで移動していく。
そんなシキの前に立ち塞がったのはやはりレーセンだった。
「鬼の子よ……そんなに急いでどこに行くというのだ?」
転移魔法という反則に近い瞬間移動で突如現れたレーセンは気絶する聖騎士ノアの前に立っており、長剣を構えている。
その声は地の底から響いているような重さを感じさせ、空気が凍るのではないかと思うほどの冷たさを帯びていた。
その後ろと横にずらりと並ぶのは先程まで町を攻撃していた聖騎士達だ。
その数はおよそ三百強。ぐるりと辺りを見渡せばシキを囲むようにして次々と姿を表しているので残りの四百……つまり、合計七百強の聖騎士に囲まれつつあるということになる。シキが殺した者を入れれば九百程度。『聖歌隊』のメンバーやその他非戦闘員を含めれば千を越える。晴れて聖軍対シキの図が出来上がった訳だ。
そのことに気付いたシキは即座に両胸、両脚から前方に何度か軽く魔粒子を噴き出すことでブレーキを掛け、止まった。
(最難関とも言える障害があるが、あいつのところまでおよそ百メートル……なら何とか……なる、か……?)
フーッ……フーッ……と気持ちを落ち着かせるようにして深呼吸を繰り返したシキは裂けた頬から血塗れの歯を剥き出しにしながら答えた。
「クハッ……んなもん決まってんだろ。それより何キレてんだ? あ? 部下と上官をやられたのがそんなに許せないか?」
「……何のことはない。俺は孤児院を経営していてな。お前が殺した部下の中に家族が居たのだ。それだけじゃない。ノア様も孤児院出身だ。この意味がわかるか?」
「つまり身内がやられて怒ってるってことか。その程度で一々キレんなよ。チビったらどうしてくれんだ」
「その程度……だと? 俺の子や孫同然の部下を殺しておいて……主様に祝福されし乙女をこうも無惨な目に合わせておいてっ……その程度だとッ!? ふざけるのも大概にしろ『闇魔法の使い手』っ!」
「おーおー、怖いねぇ……」
おちゃらけた態度のシキに思わずと言った様子で怒鳴るレーセンをよそにシキは思考する。
(……俺っつったってことはこいつもスイッチが入ってる。確実に俺を殺すつもりだな。ミサキとゥアイは……チッ、あっちは回収されてらぁ。ゥアイは兎も角、ミサキは使えると思ったんだが……………………本格的にヤバいな。脚ももう限界に近い……倒れたら死ぬ。つっても囲んでるってことは魔法で蜂の巣コースだ。どの道、詰みか)
現状で取れる最善の行動、動きを想定し、生き残る道を模索していくシキ。
しかし、どう考えてもチェックを掛けられている。必然的にシキの思考も己の状況を飲み込んでいく。
(HP、MPは共に三割以下。……あぁ、これマジで詰んだわ。頭守ったところで嫌なとこ直撃すれば死ぬしなぁ、この怪我だと。寧ろよく動いてる。七割死んでるとか殆ど死体だぞ……かといって諦めるって選択肢は無しだ。万に一つも有り得ねぇ。せめて一太刀でも……)
顔を真っ赤にしていたレーセンは冷静さを欠いていたことに気が付くと、シキと同じように深呼吸をして落ち着こうとするが、余程身内が大事らしく、あまり効果があるようには見えない。
その様子を笑いつつ、自身が受けた属性魔法の威力を思い出しながらシミュレーションを重ねる。
(爪斬撃で迎撃しながら即死する攻撃だけ避ければ何とか……いや、それでも怪しいな。この際、両腕は捨てて……最悪、胴体は被弾しても良い。胸当てがあるから即死はしねぇ。……良し、オーライだ。成功確率が五十%以下確実なのが問題だが。ったく、嫌になる。……ジル様、ムクロ……悪ぃ、俺……死んだ。せめて最期に一度だけ会いたかった……)
最早、〝死〟を受け入れたシキは〝死〟を超越した。
その境地こそ、ジルが最強に至った『力』の一片なのだが、今この場においてそれを指摘、理解出来る者は居ない。
「フーッ……ふーっ……ふぅ……クハッ……可笑しいな、これから死ぬってのに……」
激しい鼓動を打っていた筈の心臓が止まったかのように静かになり、荒かった呼吸も平常に戻った。
そんな自分に首を傾げながら笑い……構えた。
腕無しのクラウチングスタートに近い構えをするその顔に苦痛や恐怖の類いはない。
怒りどころか焦りもなく、敢えて言うならば……無だ。
完全なる無。
〝無我の境地〟。
(ライの【明鏡止水】……こんな感じなんだろうな)
最後に思ったのはライのことだった。
「詠唱が終わり次第、維持! タイミング合わせぃっ!」
スキルで拡声されたレーセンの号令が辺りに響き渡り、魔法を根源させてはその場に留め始める聖騎士達。
レーセンが怒り狂っている間に包囲網は完成しており、各々予め詠唱をしていたのか、宙に浮く属性魔法の数は圧巻の一言に尽きる。
大量の機関銃や手榴弾、爆撃機で囲まれているようなものだ。それも全員がそれらを使用できる技量を持ち合わせているときた。
当然だが、当たれば一溜まりもない。とはいえ、全方位から狙われているとなれば嫌でも当たる。
シキはここまで囲まれたら余計な撹乱は無駄と判断し、深呼吸をしてその瞬間を待った。
数秒後。
「……放てええぇっ!!」
圧倒的な物量がシキに向かって殺到した。
全方位からの一斉射の中、シキは過去に何度か経験のある一種のゾーン状態に入っていた。
景色が色褪せ、目に映る全ての動きがゆっくりになった世界。
属性魔法の殆どの属性で創られた玉、槍、壁……etc。
中には岩石や氷の刃、果ては電撃まで見える。
そんな魔法が当たる直前、コントロールしても追えないであろうギリギリの境目でシキは高く跳び跳ねた。
下の方でたちまち爆発が起こり、ふわりと身体を浮かせられる。
瞬間、先程よりは気持ち少ない数の魔法が放たれた。今度は唯一の逃げ場である地面に撃っている者も居る徹底ぶりだ。
数、威力、方向、形状……考え得る全てを一瞬で看破し、両腕、両肩から紫色の魔粒子を噴き出したシキ。
壊れた腕が独りでに動き出し、貫通性のないものは装備のない右腕が、その他、ガード仕切れないものは魔粒子を指から噴出させて無理やり出した左腕の爪が迎え撃つ。
既にボロボロだった右腕は『土』で砕かれ、『火』で焼かれ、『水』で潰された。
それでも魔粒子を出すことで何とか均衡を保っていたものの、最後には『風』で斬られ、肩から先が何処かへ飛んでいってしまった。
聖軍には初のお披露目となった左腕の爪は右腕が盾となっている間も肘の関節の動きを完全に無視した魔粒子操作によってその強さを発揮し、属性魔法を尽く斬り落とした。
左から横凪に、かと思えばぐるりと旋回し、肘を捻り折りながら軌道を変えて左に斬りながら戻る。そこから下に向けられた次の瞬間には下から上に斬り上げ……と反応出来る限りで斬撃を飛ばした後は右腕同様盾代わりにされ、最後には肘から先が途中でブチリ……と千切れ、落ちていった。
両腕が無くなったからといって攻撃の手が緩む筈もなく、顔への直撃だけは避けようと今度は脚を使って魔法を弾いたが、腹部に裂傷が出来た後はそれを追うようにして背中、右脚の太股と、次々に大きな切り傷や肉が見えるほどの小爆発を受け、水や氷で創られた槍で風穴を開けられてしまった。
「っ……」
赤を飛び越え、どこか黒ずんだ血を吐き出し、噴き出し、滴らせたシキの瞳はそれでも死んでいなかった。
迫り来る属性魔法の嵐の中を潜り抜けるように身体を捻って数発の魔法を躱し――残っていた左腕の肩に『火』の刃が直撃し、その先を飛ばされた。
傷口が高熱で焼け、血すら出ない光景には見向きもせずに『土』で創られた岩石を胸から魔粒子を出して回避し――魔法で創られた槍が刺さっている右脚に電撃が直撃し、感覚がブツリと切れた。
背中から魔粒子を出すことでひたすらレーセンの方へ前進し――『風』の壁で止められ、『水』の針が右目と右耳に突き刺さった。
耳を捨て、《金剛》で脳まで食い込もうとする『水』の針の進行を止めたシキは漸く魔法の嵐を抜けきったことに気付くと、驚愕、あるいは恐怖しながら再び詠唱を開始した聖騎士達を無視してレーセンの後ろで倒れている聖騎士ノア……ではなく、マナミの元へと一気に加速する。
地面に着地した瞬間、あまりの勢いに右膝が真反対に折り畳まれた。
だが、〝無我の境地〟に至ったシキに痛みや恐怖といった概念は存在しないらしく、シキの心が折れることはなかった。
《狂化》を乗せられた左脚は唯一無事であり、両腕を取り除かれた身体は驚くほど軽くなっている。
故に残った最後の四肢を砕きながらの一歩は確かにマナミの元へ辿り着くことに繋がった。
しかし、ここに来てショック死しかねないダメージを負っても持ち応えた身体と精神は役目を全うしたかのように限界を迎えた。
マナミの元に辿り着いた安堵からか、全てのダメージを自覚したからか……
シキは〝無我の境地〟から解放され、オーク達に喰われた時と相違ない極度の激痛に襲われたのだ。
(っ……!? や……ば……っ……死…………)
見えなくなった右目に関係なく、視界が霞み、マナミの上に倒れ込もうとし――
――何かに突っかかり、動きが止まった。
それは細長く、先端が鋭利な銀色の何かだった。
「……貴様の目的はわかっていた。まさかここまで耐えるとは思ってなかったがな」
シキはいつの間にか目の前に居た盲目の老人に頭を預けるように力無く項垂れた。
そうして地面に向けられた瞳が自分の腹部に当たっている何かを捉え、何をされたのかを悟った。
突っかかったように感じていたのはレーセンの長剣だった。
力尽きたシキの眼前に《縮地》で移動してきたレーセンに突かれたのだ。
最早、痛みのない部位がなく、軽く当たっただけに感じていたそれはシキの腹部を貫通し、背中から出ていた。
何処かの内臓を貫いたらしく、噎せるように血を吐き出す。
(……俺……死ぬ……のか…………)
シキは薄れゆく意識の中で納得する自分と真逆のことを思う自分が居ることに気付いた。
(俺が……死ぬ……?)
(い、嫌だ、死にたくないっ)
(この怪我じゃどうせ助からない)
(誰か、助けてっ!)
(何か……眠く、なって……きた……)
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!)
(ジル様……ムクロ……俺……は……)
(嫌だッ!!)
負担の少ない思考系スキルを使う余力も尽きたのか、幾重にも連なる思考の数々はやがて消えていき、一つだけ……オリジナルとも言うべき、原初の思考のみが残った。
増殖している時は半分以上が発狂していただけあってまともな思考も出来ないが、凄惨なダメージを負う身体から伝わってくる〝死〟の恐怖は圧倒的な『負』の感情と魔力を呼び起こすことに成功した。
〝無我の境地〟に至っている時とは真逆とも言うべき感情の爆発。
思考がまともだったからこそ、〝死〟を克服し、〝無我の境地〟に至れた。
だが、発狂している状態で先程よりも強い絶望を味わえば出てくるのは単純な生存本能。思考そのものが役割を果たしていないせいで、野性的な部分が強く出てしまう。
這い寄る〝死〟を前にシキは町やコーザ達の村の悲劇、フレアやエルティーナ達のことすら忘れ、生物本来の純粋な本能に支配された。
即ち、己の生存と己を脅かす〝敵〟の排除。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ッッッ!!!」
『死にたくない』という願いと『殺してやる』という殺意はシキに活力を……否、最期の死力を与えた。
「ぬおっ……!?」
突如として上げられたシキの断末魔のような叫びに思わず剣から手を離し、一歩後退りしたレーセン。
《咆哮》ではないただの叫びにも関わらず、その気迫に飲まれた。経験が足りないが故に未熟さが抜けきらない聖騎士ノアとは違い、自身の才能の限界を知り、ならばと経験と場数でその差を埋めていたレーセンが、だ。
しかし、退がりながらも荒ぶる魔力を感じとり、《闇魔法》の暴走を疑った次の瞬間。
シキの身体から紫色の炎が轟ッ! と噴き出した。
その炎は全身から放射するように出ており、目の前に居たレーセンを包み込むだけに留まらず、詠唱をしていた他の聖騎士をも飲み込んだ。
「っ!?」
「ギャアアアアアアッ!?」
「熱っ、熱い!? だ、誰か助けっ」
「うわああっ! 火がっ、火がああああっ!?」
地面に転がる者、水筒の水を味方に掛ける者、詠唱が終わっていたことを幸いにと『水』の属性魔法を使う者……混沌とした戦場で聖騎士達は悲鳴を上げながら対処に回る。
が、消えない。
土を掛けようが、水を掛けようが幻想的かつ悪魔的な炎は悠々と燃え続け、どのような行動を取ろうとも勢いは止まらない。
中には稀に消火することに成功する者が現れるものの、何故か再発火し、結果的に混乱が広がるばかりだ。
やがて、焦燥も極まり、味方に抱き付く者やすがる者が現れ始め、惨状は更に過酷なものへと変貌していく。
「喉が、身体が焼けるぅっ……! 助けてくれぇっ!」
「おいっ、や、止めろっ、くっ付くなっ! 離れっ……ぎゃあああっ!」
「熱い熱い熱いいぃっ!」
「ひぎゃああっ!? よ、鎧が溶けて離れないっ!」
「むがあああああああっ!?」
地面や聖騎士に次々と燃え移り、勢い良く燃え盛る紫色の炎は超高温を放っているらしく、兜や鎧が溶け、身体にへばり付いてしまった者まで現れた。
一度浴びれば瞬く間に身体全体を包み込み、息も出来ないまま喉を焼かれ、溶けた兜や鎧がへばり付く。
何とか逃れようと暴れて味方に燃え移らせては更なる地獄を生み出す。
《闇魔法》の、絶対にくっ付いて離れない〝粘纏〟の性質を持った炎。
死に体のシキから放たれたのはイケメン(笑)や早瀬を焼いた最凶最悪の炎だった。




