第108話 鬼の咆哮
グロ注意です。
《縮地》とはまた違った力強い踏み込みスキルによる刺突に盾を使った体当たり系のスキル。
そして、瞬時に別の場所へ移動できる転移魔法。
それらを応用した聖騎士ノアの戦闘スタイルはとてもシンプルだった。
しかし、『Simple is Best』という言葉があるようにシンプルだからといって弱い訳ではない。
ましてや相手は聖軍のNo.2だ。ジルやムクロという例外を除き、過去一位二位を争うほど強いとシキは感じていた。
接近すれば不壊とすら感じる頑丈な盾で全ての攻撃が弾かれ、冷や汗ものの刺突が繰り出される。
後退すれば《縮地》や転移魔法による奇襲、『聖』属性らしき魔法が幾重にも飛んでくる。
シキには予測系、回避系、感知系のスキルだけでなく、属性魔法の適性もない為、近、中、遠距離と全ての距離においてどうしても遅れを取ってしまう。
特に魔粒子を使っての中距離以上での戦いは斬撃を飛ばすことしか出来ないシキにとって手出しが出来ないのも同じだ。
それでもシキが数分間無傷で戦えたのはステータス……つまりは身体能力に差があったからだろう。
スキル数とスキルの有無、魔粒子を噴き出す装備によってシキの剣が直撃することはなかったが、代わりに純粋な身体能力で勝っていた為、被弾することもなかった。
もう一つ理由を挙げればシンプルであるが故に読みやすかったというのも理由だろうか。
シキが剣を振れば必ず盾に阻まれる。
弾かれて生じた隙を狙って聖騎士ノアが最速最短距離を突いてきても、来るとさえわかっていれば魔粒子ジェットで無理やり後退することで大半の攻撃は避けられる。
その分、大袈裟な回避になるので魔力消費は激しくなるものの、今度は聖騎士ノアの次の行動が読めるようになるのだ。
突きを躱すべく後退すると、聖騎士ノアは後を追おうと《縮地》のような踏み込みスキルで肉薄してくる。
当然だが、聖騎士ノアは無詠唱で魔法が使える異世界人ではない。魔剣以外に隠し武器も『聖』以外の属性魔法や類似する魔法を飛ばすような魔道具の類いも無いとくれば、超が付く至近距離で放てる攻撃は剣によるもののみに限定される。
となると、初動さえ見逃さなければ攻撃の種類も軌道も読めてくる。
突きならば殆ど動作無しにそのまま。斬撃ならば剣を何処かしらに向けて『溜め』を作る。
そこまで読めれば後は躱すだけだ。
シキからすれば「癖……いや、慣れていないのか? こちらが魔粒子で後退してるんだから魔粒子装備で追えば良いものを」とは思うものの、内心はどうあれ、相手は必ずスキルで追ってくる。フェイントや振りも無しに正面から。
恐らくスキルの効果が一歩の踏み込みのみであり、《縮地》同様あまり柔軟性のないものなのだろう。
しかし、真正面からの超接近は驚異的ではあるが、回避に集中すれば躱すことは容易い。
そして、それを成すのが異世界人特有の異常なステータス。
異世界人が異世界人足る所以である特別な『力』だ。
剣を振るい、弾かれ、退がり、躱す。
淡々と、しかし、確実に。
一見無駄に続いているようにも見える、当たれば痛いでは済まない応酬の数々は次第に互いの弱点や癖を晒け出していった。
シキの弱点は勿論、自身の圧倒的な攻撃力によって傷付いてしまうほど低い防御力。
離れられると今度は逆に切れる手札が限られてしまう為、至近距離で戦いたがることが癖と言えよう。
対する聖騎士ノアはシキと互角に渡り合える強さの裏付けである圧倒的な所持スキルの数が弱点だ。
癖は全ての距離で戦えるオールラウンダーだからか、離れ過ぎれば魔法等の遠距離攻撃に、近付き過ぎれば魔剣による近距離攻撃のみに自ら攻撃手段を限定すること。
手数の多さは確かにその強さに拍車を掛けるが、スキルは使用し過ぎると激しい頭痛に襲われる特性がある。厄介な転移魔法も同じ。聖騎士ノア自身の魔力量や使用回数に限界があるので永久に使い続けることは出来ない。
癖に関しても剣撃と飛ばす斬撃以外に攻撃手段のないシキにとって至近距離は最も得意とする距離だ。師が世界最強の剣聖である点や互いの相性、ステータス差を考えればシキに軍配が上がるだろう。
ゥアイやミサキという重荷を背負っているとはいえ、時間を稼げれば相手は自滅し、マナミが目覚める可能性も出てくる。
そう考えれば希望が見えてきたようにも感じる。
が、ここで問題なのは未だ姿を見せない他の聖騎士だ。
シキは聖騎士ノアはただの囮であり、他の聖騎士達の詠唱時間を稼いでいるのだと予想していた。
(奴は転移魔法が使える……いつでも離脱出来るとなれば徹底的に付きまとうことで後衛を牽制する俺の十八番は通じねぇ。……チッ、時間を掛ければ奴を倒せるかもしれない代わりに蜂の巣にされて死ぬ。時間を掛けなくても気を抜けば死ぬ。時間を掛けすぎたら何も出来ずに死ぬ……ゲイルやライとサシで殺り合う方がまだマシたぁつくづく嫌になる相手だ。このまま後手に回る前に《狂化》して攻めた方が良いか……?)
以前は五分間限定という制限があった《狂化》だが、スキルレベルが上がったことで、既にそのような弱点は無くなっている。
とはいえ、攻撃力は三倍に、防御力は全くの0になる効果は変わっておらず、《狂化》を使って本気で動けばシキの身体は必ず大怪我を負ってしまう。
例え《狂化》した状態で本気の半分……大体、通常時の1.5倍の力で動いたとしても防御力が0であることに変わりはないので、どの道、悲鳴は上げるし、動き過ぎれば結果は同じ。
しかも相手はジルの爪で作られた最強の剣を弾く盾を持っているおり、初撃を弾かれた際は手首が折れている。
回復薬という最後の保険が切れた今、シキが《狂化》を使っているのは脚のみだ。
攻撃には一切使っていない。
このまま均衡状態を続けるくらいなら……
玉砕覚悟で特攻を掛ければあるいは……
そう考えてしまうのも無理はなかった。
しかし、葛藤にも似たそんな思考は唐突に終わりを告げた。
先ず、シキの耳に一定のリズムで何十人もの人間が声を発しているような音が届いた。
(何だ? この音……歌……?)
トーンやリズムそのものは同じ言葉を繰り返しているように聞こえるが、全員が全員バラバラに歌っているのか、終わりが見えず、延々と耳に残るような嫌な感じだった。
まるで静寂の中で聞こえるキーンという音。それを人の手で再現したような不快な音だ。
(き、気持ち悪い……何なんだこの音っ……)
次に、不快な歌声に顔を歪めながらも迫り来る聖騎士ノアの刺突を避けようと後退した次の瞬間、シキの頬に一筋の線が入った。
赤い鮮血と共に裂けた頬はパックリと開いており、内側の様子をもちらつかせている。
続いて、経験のない鋭い痛みに思わず目を見開いたシキの身体がまるで重りでも付けられたかのように重くなった。
(いっ!? ~~っ……てぇっ……!! ……じゃねぇ! 何だ今の攻げ……きっ!? か、身体がっ……!)
既に後ろへ下がっていたシキは言うことを聞かない身体に引っ張られ、不格好にも尻餅をつく。
(何だ!? 身体が急に重くっ……)
歌、攻撃、不調と続く謎の三連鎖に困惑しつつ、隙を作るまいと瞬時に両脚から魔粒子を噴射し、身体を一回転。後、体勢を整えて着地したシキだったが、脚が地面に着いた瞬間、脚から力が抜け、カクンと膝を付いてしまった。
「なっ……!?」
延々と続き、脳内に残る呪詛のような歌声が響く中、とうとう全身の力まで抜け始め、両手を付くシキ。
腕や脚に力を入れようとしても何故か入らない。
身体が脳の命令を拒んでいるように、まるで立ち上がれない。
何をした、と何とか顔を上げて睨むと白過ぎて濁っているようにも見える聖騎士ノアの瞳が四苦八苦しているシキの姿を捉え、目が合った。
戦闘が始まって以来、再び無表情に塗り固められていた端麗な顔は心根しか笑ったように見えた。
余裕綽々と歩を進めてくることといい、僅かにだが、上がっている口角といい……
何らかの策に嵌まってしまったらしい。
「くっ……」
(先手を取られた……! このままじゃ不味いっ……こ、殺される……!)
ゆっくりと近付いてくる聖騎士ノアの様子に油断は見られない。
隙も無ければ人質も通用しない。
命乞いが通じる相手でもない。
(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいっ……! どうすれば良い!? どうすれば生きられる! 考えろっ! 考えろ考えろ考えろ!)
先程の心底からの焦燥。
それがぶり返したように変な汗が流れ始める。
歯を食い縛っても抵抗しても意味はなく、魔粒子を使っても転移魔法を使える者相手に逃げられる訳がない。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
身体が動かない今、心臓だけが激しく揺れる。
意図せずして、まるで過呼吸になったかのように短く、早い呼吸になってしまう。
「ふ……ふふ……よく、やってくれました」
人生最大の危機に冷静さを失いかけていたシキの耳が不快な歌声の中で、凛としていると同時に、どこか喜色を含んだ声を拾った。
「勇者ライ並み……あるいはそれを凌ぐ強さ。本当に驚きました。この私が『神の盾』を使って均衡状態に持ち込むのがやっととは……ふふっ……非常に……それはもう非常に危ういところでした。どうですか、『聖歌』の具合は? 忌むべき邪神の使徒である魔族には良く効くでしょう」
「せ、『聖歌』……だと……?」
「ええ、魔物や魔族等、主様が『悪』と定めた存在を浄化する特別な歌です。前線ではなく、こちらに待機させておいて正解でしたね」
そう言いながらこちらを覗き込む聖騎士ノアの口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
全く表情の動かない人物が明確に笑った。
単体でも何処と無く不気味な光景だが、そもそも白い髪に白い瞳、白い肌、白い装備と白続きの出で立ちだ。
幾ら整った目鼻立ちをしているとはいえ、それこそ不気味と感じてしまう。
(浄化……? 確か、『聖』の魔法でアンデッド系魔物の消滅させることを指す……他には…………そうだっ、魔物の弱体化! 『聖歌隊』がどうって言ってたのはこれのことかっ!! ……この、歌……さっきからやけに息苦しいのも……焦ってるからじゃなく……)
聖騎士ノアの言葉にイクシアで教わったことを脳内で反芻し、思い出したシキは『聖歌』の効果を感覚的にだけでなく、理屈で理解した。
が、時既に遅し。
やがて、シキは「はっ、はっ、はっ……」と短く、浅い呼吸に変化していき、頭に鈍い痛みを覚え始める。
「く、あぁっ……!? あ、頭が……っ!」
仮面越しでもわかるほど必死に頭を抑えてもがくが、何の解決にもならない。
そして、後押しするように吐き気と倦怠感が襲い、全身に鳥肌が立つ。悪寒や震えもだ。
(がああっ……! こ、の……感じっ……! ライ達の《光魔法》と同じっ……!?)
シキは突如襲ってきた《光魔法》の気配や力に当てられた『闇魔法の使い手』特有の症状に苦しみ、悶え、挙げ句には泡を吹き出した。
しかし、それでも意識だけは離すまいと強く唇を噛み、生温かい血が溢れる感覚と突き刺すような痛みで何とか堪える。
「……醜い姿。おぞましさすら覚えます。このまま浄化される様を見ていたかったのですが……とても見ていられるものではありません。涙を飲む思いで楽にして差し上げましょう」
これまでとは打って変わって感情を出し、悔しそうに魔剣を握る聖騎士ノア。
彼女にとって魔物や魔族、獣人はショック死しかねない苦しみの果てに漸く〝死〟という救済が行われるものなのだろう。
それを裏付けるように、「まだ足りないっ……でももう見たくないっ」とでも言いたげに葛藤を続けながら近付いてくる。魔剣をシキに向けたり、抑えたりと忙しないが、感情を出している今ならハッキリ迷っているとわかる。
その迷いはもう少し苦しませたいものの、魔族を直視し続けるのは拷問だという彼女の価値観によって生まれたものだ。
現在進行形で激しく苦しんでいるシキには到底想像も付かないし、そんな余裕もない。
だが、その迷いは確かに数秒の時間をシキに与えた。
次々とシキを追い詰める策を講じてきた聖騎士ノアやレーセン。
元を正せばジンメンの『封印』を解いてしまったのは自分でも、聖軍に起こされた数々の悲劇や自らが行った苦行のような殺人は必要のないものだった。
ジンメンの特性が未だ謎に包まれている以上、やり方に文句は言えない立場だが、だからといってこんな非道が最善だとは到底思えなかった。
何より。
自分のせいで手段を選ばない聖軍に手を出させ、何千、何万という人々が死んだ。
中にはフレアのような友人も、知り合いだって大勢居た。例え素性を隠していたとはいえ、表面上は上手くやっていけていたこの街で。
何も知らない幼子も、子供を身籠る妊婦やそれを見守る夫、明日もこんな日常が始まるのだと信じて疑わない少年達も、ジンメンの恐怖に夜も眠れない日々を過ごしていた主婦や年頃の乙女達も、それら全ての人々を守るべく、努力と工夫を重ね、街を永らえさせていた兵士や冒険者達も。
全ての命が理不尽に散らされた。
そんな現実も、押し潰してくるような責任も、こんな行いをする聖軍も、それをさせた自分も……
全てが許せなかった。
感情というのは御し難いもので、人を成長させる要因にもなれば狂わせることもある。
殺せると思い込み、慢心した聖騎士ノアとは裏腹に殺されると思い込み、こうなった原因に怒りの矛先を向けたシキはただ叫ぶことしか出来なかった。
しかし、聖騎士ノアが寄越した数秒という短い時間の間にシキの一つ目のタガが外れたのは確かだった。
◇ ◇ ◇
「――んな……ふ――!」
「っ……」
それはまるで先程、シキが〝死〟を覚悟した瞬間の再現だった。
小声で、しかし、確実に何かを言っている。
襲いくる苦痛に耐えるように頭を抑え、口元からは唇から流れる血が染めた赤い泡を吹いている。
元が紅色をしているにも関わらず、血走った眼でギョロリと睨み付けてくる様はやはり人ではないのだという感想を聖騎士ノアに抱かせた。同時に、得体の知れない恐怖もだ。
自然と後退りし、シキの様子を窺う。
その行動は一種の思考停止であり、様子の怪しい相手に更に数秒を与えるということは敵に塩を送るようなもの。
狂ったように悶え苦しみながら、ジルのような狂人染みた強者が発する殺気を撒き散らし始めたシキを目の前にしてそのような、ある意味当然の事実に気付くには聖騎士ノアは少し未熟だった。
「――ふざっ……けるなあああああああっ!!!」
ミサキやゥアイすら放り投げて苦しんでいたシキがそう叫んだ瞬間。
「何っ……!?」
その叫びが物理的衝撃波に昇華されたように聖騎士ノアを後退させた。
あくまで数歩分だが、滑るようにして後ろへ退がらせられたのだ。
オーク魔族のゲイルが使っていた雄叫び攻撃と同じ、《咆哮》スキル。
土壇場でのスキル取得、己の〝死〟と痛みを忘れたような鬼の形相は対峙している聖騎士ノアに心底からの焦りを覚えさせるには十分だった。
「っ、こ、殺し――」
「――があああああああっ!!」
被せるように発せられた雄叫びは物理的攻撃ではなかった。
鼓舞だ。
自身を鼓舞する叫びだ。
今までにない速度で肉薄するシキの形相は仮面に隠れていても、そう思わせる気迫があった。
堪らず攻撃や味方からの援護を受けるという選択肢を捨て、盾を構える聖騎士ノア。
その行動は図らずも正しかったらしい。
聖騎士ノアが装備する『神の盾』の効果は『不壊』。
一見、魔道具や魔剣の類いに見える魔法陣があるが、何のことはない。ただ絶対に壊れないだけの最強の盾だ。
故に自身のダメージをかなぐり捨てた特攻に近い殴打でも傷一つ付くことはない。
しかし、当然ながら欠点は存在する。
シキはそれを初撃で看破していた。
ある意味自身にも当てはまる欠点。
衝撃である。
盾そのものがどんなに頑丈でも持ち主まで頑丈にはならない。
初撃の反動でシキの手首が折れた時、同時に聖騎士ノアの左腕を襲った衝撃は彼女の腕の骨をも砕いていたのだ。
だからこその殴打。
我慢しようのない苦痛に長剣を手放していたのもある。が、手っ取り早く衝撃を与えられる攻撃は斬撃でもなければ刺突でもない。
ただの殴打だ。
そして、だからこそ、聖騎士ノアの行動は正しかった。
もし、聖騎士ノアが避けようとしていたならば躱しきれず、直撃していただろう。
もし、聖騎士ノアが反撃しようとしていたならば被弾覚悟で殴られていただろう。
聖騎士ノアの行動はこの状況において最も正しかった。
だが、その結果は……
盾を持っていた左腕は一瞬でひしゃげ、身体を突き抜けた衝撃によって後ろのテントを巻き込みながら吹き飛び、時折、地面に頭や脚をぶつけ、凄まじい勢いで何回転も転がるというものだった。
行動そのものは正しくとも、咄嗟の判断で動いた身体は正確に動けなかった。
微妙に反応が遅れていたが故に、聖騎士ノアは体勢を崩していたのだ。辛うじて盾で防いだだけの僅差の防御でシキの殴打が止められる訳がない。
「ガ、ハッ……!?」
百キロ以上で爆走する車に衝突されてもそこまでは飛ばないであろう距離まで吹き飛んでいった聖騎士ノアは遥か後方の荒れた大地に大きな線を描き、漸く動きを止めた。
◇ ◇ ◇
流石の聖騎士ノアでも意識を失ったらしく、白目を剥いており、全身をだらんと弛緩させて倒れている。
腕や口からは勿論、地面に当たった頭部だけでなく、全身から夥しい量の出血。背中に至っては地面への熱いキスによって磨り減ったのか、鎧や服は消え失せ、骨が見えるほど削られているようだ。
一方でシキの右腕も酷い有り様だった。
拳は潰れ、手首に陥没しており、肘は左腕のように変な方向へと向いている。
肘から先がぶらんぶらんと力無く揺れている光景は思わず目を背けたくなる。
しかし、それでもシキは正気を保っていた。
「~~~っ!?!? っ……ぐ、ああぁっ……!!」
あまりの激痛に涙や鼻水は止まらず、『聖歌』による不調は関係なく、変な汗や震えまでもが襲ってくる。
(ぁっ……あああ……っ!!?)
(痛い痛い痛い痛い)
(クソっ、がああああっ……!)
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
(咄嗟に腕を捨てるなんてバカかっ!?)
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
(いや、そうする他なかった! やらなきゃ殺されていたっ!)
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
(そうだっ、止まっ……るな! 動け!)
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
(『聖歌隊』を潰せェッ!)
シキの脳内で増殖している思考がそれぞれ別の感情を持ち、それぞれが状況の確認へと回り出す。
聖騎士ノアがやられたからか、『聖歌』は止まっている。
逃げるのは変わらず不可能だ。ならば取れる選択肢は『聖歌隊』の全滅。
少なくとも『聖歌隊』さえ居なければ何も出来ずに殺されることはないのだ。
だが、身体が動かない。
否、動けない。
生きたまま喰われたことのあるシキでもハッキリと意識が残っている状態で拳が潰れるという経験はない。
喰われた際に痛みへの耐性を付けるスキルを取得したにも関わらず、まるで意味を成してないかのようにシキの脳を痛みそのものが埋め尽くしていく。
頭ではわかっていても身体が言うことを聞かない、とは正にこのことだろう。
『聖歌』に引き続き、シキは金縛りにあったように動けなかった。
(あああぁっ……!! 動けよッ! 何してる! ノアは倒したんだ! 他を殺せば生き残れるんだぞ!?)
増殖した思考の内、半分が狂っているせいで、まともな思考の方が次々と痛みで埋まっていく。
唯一残った思考で発破をかけるが……
動けない。
止まっていても痛みが和らぐ訳でもなければ聖軍が見逃してくれる訳でもない。
そう理解している筈なのに。
気付くと、修道服を模したような衣服の上に軽装の鎧を着込んだ者達に包囲されていた。
数は三十ほど。十中八九、『聖歌隊』だろう。
「ノア様が……やられただと!?」
「しかも奴に気付かれたぞ! 聖騎士は何をしている!」
「お、落ち着けっ! 貴様らの役目は『聖歌』を歌い続けることだ! 素早く体勢を整えろ!」
「そうだっ、ここで我々がやられればっ……」
突如現れた『聖歌隊』の者達は悲鳴を上げたり、怒鳴っていたりと混乱していたが、やがて落ち着き始め、動きを止めた。
よく見れば先程前線でシキが殺した聖騎士達の指揮官らしき人物も居る。
転移魔法でこちらの護衛に付いていたのだろう。
(チィッ! またあいつか!)
どうしても動けないからか、名も知らぬ一人の指揮官に憎悪にも似た激しい怒りを乗せた睨みを効かせる中、シキの《直感》が発動した。
強制的に理解させられる独特な感覚。
『聖歌』が始まる。
またやられてしまう。
そう《直感》したシキは一か八か、《咆哮》スキルを使って叫んだ。
「畜生おおおおおおっ!!! 動けええええっ!!」
人の口から発せられた筈の声は衝撃波となり、周囲に居た『聖歌隊』の大半を吹き飛ばすことに成功した。
どうやら《咆哮》はレベルが低くとも、それなりに使えるスキルらしい。
そして、そんな二度目の《咆哮》により、意図せずして『聖歌』が止まった理由と『聖歌隊』が姿を現した理由が判明することになる。
衝撃波と化した己への発破が地面を揺るがしながら周囲を震わせる中、『聖歌隊』以外の聖騎士が何処からともなく現れ、同時に吹き飛んでいることに気付いたシキは瞬時にそれらを察し、自身の感知能力の低さにドキリとしていた。
(こいつら……! 最初から擬似的な光学迷彩で俺を囲んでいたな……!? 転移魔法と同じ『時』の魔法……転移が出来るなら空間に作用させて自分の姿を消して見せるくらい出来そうなもんだ。俺は目に見えるテントばかり意識を取られて……クソっ、感知系スキルがないからこうなるっ!)
姿を消すだけでなく、気配を遮断するようなスキルも併用しているのならば。
いきなり現れたのも何処からか延々と『聖歌』を歌えていたことにも合点がいくというもの。
加えて、先程『聖歌』が止まったのは単純に《咆哮》で『聖歌隊』が体勢を崩したから。
続々と現れる聖騎士達は身体を浮かせ、後ろへ追いやられているが、『聖歌隊』はその比ではなく、勢い良く吹っ飛んでいる。恐らくステータスの低い者やそれらしい職業の者を集めたのが『聖歌隊』なのだろう。
(脚は……まだ動く。左腕は確実に動かない。右腕もダメになった……つっ……めちゃくちゃ、痛ぇ……けどっ……今なら、殺れる……ッ!)
統率者の気絶によって士気が落ちたのか、聖騎士は兎も角、『聖歌隊』の動きは遅い。
魔族になってからやたら尖っているように感じる歯が見え隠れするほどデカい傷口が開いた頬に激痛は走っているがギリギリで動かせるダメージで済んでいる両脚。感覚が途切れたように感じる左腕に陥没した右拳、ひしゃげた右肘と自身の状態、〝敵〟の状態を深呼吸しながら確認し終えたシキは再び殺気を撒き散らし始めた。
「クハッ……クハハハッ……あぁ……痛ぇ……痛ぇなァ……!」
最早、武器も防具も持てない状態。
死に体と言って良いほどの負傷であるにも関わらず、シキは不敵に嗤う。
思考が落ち着いてきたからか、戦闘狂のスイッチが入ったからか……聖騎士ノアが気圧されたほどの殺気を全方位に放ちながらいつもの獰猛な笑みを浮かべたシキに対し、油断なく構えていた聖騎士達は息を飲み、後ずさった。
「フーッ……なあ、聖騎士共。人間……いや、人型の生き物が産まれた時から持っている武器が何か知ってるか?」
先程まで痛みで動けなくなっており、涙や鼻水を垂れ流していた者とは思えない肉食獣のような瞳が聖騎士の一人一人を見渡すように捉え、細められると、コツッコツッという不可思議な音が響いた。
わかりやすく、歯と歯を当てたアピール。
互いの生死が懸かった戦場で行われたその行動は酷く不気味であり、酷く恐怖を煽った。
「歯だ。人の顎の力ってのは以外とバカに出来ない。古来から爪と歯は武器として使われてきたんだからな。もっと言えば俺の攻撃力はさっき見た筈だ。それが乗せられた歯と顎で噛まれたら……どうなると思う?」
総勢百人以上居るであろう聖騎士達の中から再び息を飲む音が漏れる。
《狂化》が使えるとはいえ、聖騎士ノアを一撃で打ち破ったシキの攻撃力を想像して恐ろしくなったのだろう。
「「「「「……………………」」」」」
『聖歌隊』も聖騎士も関係なく、誰もが無言で立ち尽くす。
街に攻めていった聖騎士達の怒号や何かを破壊するような音のみが聞こえてくる。
何が言いたい。
何を考えている?
唐突なシキの演説に困惑しつつも、一対多で圧倒している筈の状況で漂う異常な緊張感に例の指揮官すらも固唾を飲んだその時。
「………………良し、動いた」
というシキの声がやけに大きく響いた。
どうやら無駄とも言える大袈裟な演説はただの時間稼ぎだったらしい。
痛みで言うことを聞かなかったシキの身体が動いている。
足の爪先をトントンッと地面に当て、軽く屈伸が出来るくらいには動かせている。
「クククッ……クハハハッ……ダメだな……もうダメだ、我慢出来ねぇ……さあ、お喋りの時間は終わりだ。蹴られて死ぬか、噛まれて死ぬか、仲間の誤射で死ぬか……好きなのを選べ。選んだところでそう死ねるかは別だがな……」
動かない両腕を気にすることなくぶらんぶらんと揺らしたシキは緩んでいた口元を更に緩めると裂けたように嗤った。




