村の人たち
「おー、小宮の若夫婦じゃねぇか!」
田んぼの間につくられた道は、歩くにつれてだんだんと道幅が広くなってきていた。
今瑞生たちが歩いている道は、三人が並んで歩いても車一台が余裕で通れるぐらい広い。
そんな道の前方から、軽トラックが走ってくる。運転席側から顔を出しているおじさんは、陽気に手を振りながら大声で呼びかけた。そして少しずつ速度を遅くすると、瑞生たちの隣に車を止めた。
「よう! そっちが新しく来た嬢ちゃんかい?」
「こんにちは、夏川さん。今駅まで迎えに行ってたところで……」
「水瀬瑞生といいます」
ぺこりと頭を下げた瑞生を見て、夏川というおじさんはにかっと笑った。
真っ黒に日焼けした顔の中で、白い歯が一際輝いて見える。春先だというのにタンクトップを着ていて、年の割にたくましく鍛え上げられた腕があらわになっていた。毛穴一つ見えないつるつるの頭皮は、日差しを受けて光っていた。
「よろしくな。こりゃえらいべっぴんな嬢ちゃんだなあ」
「夏川さん、ちょっかい出さないでくださいよ?」
「心配いらねえよ! なんせ俺は女房一筋だからよ」
とぼけながらゆかりが聞く。それに、夏川は声を出して豪快に笑った。あの、どちらかと言えば大人しそうな久教もけらけらと笑っていて、小宮夫妻と夏川が親しい関係であることが感じられた。
とにかく楽しそうな雰囲気が伝わってきて、瑞生の顔にも思わず笑みが広がる。
じゃあそろそろ行くから。そう言って切ってあったエンジンをかけようとして、夏川は不意に手を止めた。
何かを思い出したようで、あっと小さく呟いた後、瑞生の方に顔を向き直す。
「そういえば、もう学校は見てきたのか? 明日からもう学校だろ」
「あ、すっかり忘れてました。……まだ時間もあるし、一回見に行っておく?」
腕時計を確認しながら久教が問う。
すっかり忘れていたが、言われてみればまだどんなところか一度も見たことがない。明日から通うのなら、前もって見ておいた方がいいかもしれない。
そう思って瑞生はコクンと頷いた。それを見て夏川は、また歯を見せて笑った。
「今から行くなら、うちの俊もいるかもしれねえな。会ったら仲良くしてやってくれよ!」
「はい、わかりました」
俊というのが誰のことかわからなかったけれど、とりあえず瑞生は頷いておくことにした。たぶん息子さんのことだろう。
瑞生の返事を聞くと、夏川は満足そうに頷き、視線をもとへと戻した。そして、キーを回してエンジンをかけた。ブルンブルンとエンジンモーターが回る音が響く。
片手をあげて少し頭を下げ、挨拶をするとそのまま車を発進させた。
タイヤが通った後に、土埃が舞う。
見送るように、しばらく車が遠ざかっていくのを見ていたが、行こうかとゆかりが言ったのを機に、また歩みを再開させた。
「お知り合いなんですか?」
さっきから気になっていたことを瑞生は尋ねた。なんとなく流れで聞かないでいたが、本当はずっと誰なのか気になっていたのだ。問いかけを聞いて、久教は苦笑を浮かべた。
「ああ、そういえば全然説明してなかったね。夏川さんはお隣さんなんだ。といってもビニールハウスはさんで三つ分向こうだけど」
ビニールハウス3個先が隣……自分がこれまで住んでいたところとの違いに瑞生は唖然とした。
父がローンで買ったという一戸建ては、庭がある家がいいという母の要望で、周りにある家よりもかなり大きめに庭がとられている。そのおかげで、近隣の家との近さはあまりないのだが、それでも庭がない家の後ろ側は勝手口を出るとすぐに後ろの家の壁が見える。ほかの家も、両側が隣の家の塀とキチキチの距離だったりする。
それが普通だったというのに、ビニールハウス3個とは……田舎というのが規模が違うなと瑞生は思った。
「でもまあ、このあたりは皆知り合いだったりするしね」
「それに、うちはちょっと特殊な家だから」
久教の言葉に、瑞生の頭にはてなが浮かぶ。
特殊な家、とはどういうことだろう。
(お母さんは何も言ってなかったよね……?)
「あ、見えてきたわよ」
そんなことを考えているうちに、いつの間にかだいぶ歩いてきていたらしい。
周りを見回すと、それまで広がっていた田んぼばかりの風景ではなく、ぽつりぽつりと家や商店が立ち並んでいるのが見えた。
そして、ゆかりが指さす方に眼をやれば、小山の上に学校があった。
「あれが学校ですか?」
「そう。村立桜ノ中学校。久教と私も通った中学校よ」
「村の子どもは皆ここに通うからね。すぐに村にも慣れるよ」
小山へと近づくと、校名が彫られた石の門柱と開け放たれた門扉が見えた。
校門の向こうに広がる坂道は、左右から覆いかぶさるように咲いた桜によってトンネルのようになっていて、思わず瑞生は声を漏らした。
風に吹かれてさわさわと揺れる桜の隙間から青空がのぞく。柔らかな桜色と目にも鮮やかな青色がコントラストになって、それはそれは綺麗だ。
「すごく、綺麗ですね……」
「でしょ? 学校名にちなんでこっちの坂に50本、反対側の坂に50本植えられてるの」
「あー! ひょっとして明日から来る子ですか?」
急に明るい声がして、びくりと瑞生は肩を震わせる。
声の方へ振り向くと、そこには象牙色のブレザーを来た少女がいた。つややかなボブを風に揺らしながら、にこっと微笑んでみせた彼女は、自転車を押しながら駆け寄ると瑞生の横に並んだ。同じぐらいの目線に、綺麗に整った顔が来て、瑞生はついどぎまぎとしてしまう。
「えっと、水瀬瑞生といいます」
「よろしくね、瑞生ちゃん。私は矢内真幸。同級生だよ」
「なんで私の学年……」
驚いて尋ねると、真幸はきょとんとした顔をした。
何を言ってるんだろうと言いたげな顔に、瑞生もきょとんとしてしまう。
(何か変なこと聞いちゃったかな?)
そう思った時、真幸は急に楽しそうに笑い出した。
「ああ、来たばっかりだからわからないよね! この学校じゃ、転校生が来るなんて話全学年に一日で広まるよ。なんせ、一学年一クラスしかないからね」
「へえ、だいぶ減ったのね。私たちがいたころは三クラスあったのに」
「何十年前の話だよ」
「まだ十年ちょっと前ですう!」
歩きながら話しているうちに、気が付くと坂を登り終えていた。
桜のトンネルが終わり、日差しが一気に降り注いでくる。その眩しさに思わず眼を細める。
広がるのは抜けるような春の青空。そして、陽の光を浴びて、まるで発光しているかのようにきらめいている白亜の校舎だった。
「……私、見くびっていたかもしれません」
「何それ」
瑞生の呟きが耳に入ったのか、真幸がけらけらと面白そうに笑う。まさか聞かれていると思っていなかった瑞生は、かあっと自分の頬に熱が集まるのを感じた。
「だ、だって、村の学校とか言うから、相当古いのかと思ってたら……」
「まさかこんなに綺麗だと思わなかったって?」
先に続く言葉を言い当てられて、瑞生は勢いよく頷く。
実際そうなのだ。
村の学校なら、築何十年にもなる木造校舎で、きっと床がギシギシ鳴ったりするんだろうと思っていた。なのに今目の前にある建物ときたら、壁は建てられたすぐかのように汚れひとつなく、窓も曇りひとつない。ドーム型の屋根は群青色で、空の青さと相まって綺麗だ。
「ほんと綺麗な校舎ですね」
「うん。でもそれ、体育館だから」
校舎はこっち。そう言って真幸は、自転車のハンドルから片手を離して空中に上げる。
(校舎もきれいなんだろうな)
そう思って指さされた先に視線をやれば、そこには古びた木造の校舎が建っていた。
一瞬、瑞生はぽかんと呆けてしまう。そして何度も、前にある体育館とグラウンドの奥、体育館とL字になるように建っている校舎の間で視線を往復させる。
「そう言えば、避難所になるからとか言うので体育館だけは建て直しされたんだよなあ」
「本当は、校舎もしたかったらしいけど、お金が足りなかったのよね」
そう言って久教とゆかりは、苦笑いをする。瑞生は、二つの建物のあまりにもの違いに唖然として、言葉が出てこなかった。
ピカピカの体育館と年季の入った校舎を見れば見るほど、工費を半分ずつにして、バランスよく建て直すというわけにはいかなかったのかと思えてならなかった。




