青梅を渡しに
放課後。一緒に帰ろうという真幸と俊の誘いを断って、瑞生は1人美術室の前に来ていた。
右手には、青梅の砂糖漬けの瓶が入った紙袋を提げている。
ふたばあたちに渡して来い。そう善蔵に言われたものの、そもそもどうすればふたばあに会えるのかさっぱりわからなかった。
(……初めて会った時はここだったし、会えるよね)
そう思ってさっきから待っているのだけれど、一向に姿を現す気配がしない。
もう美術室の前で立ち尽くしてから15分は経った。最初は下校したり部活へ向かったりする生徒で賑やかだった廊下も、今ではしんと静まり返っている。どうやら、今この階にいるのは瑞生だけのようだ。
空は陰りだし、窓から差し込む光はだんだんと橙色を帯びてきている。床には、長く黒い影ができていた。外では、カラスの鳴き声に混じって、グラウンドで走り込みをする陸上部員の掛け声が聞こえてきている。
ピーンポーンパーンポーン、と遠くで村内放送のチャイムが鳴る。村のいたるところに取りつけられたスピーカーから、今日の出荷状況を知らせるアナウンスが響き出す。
ありふれた夕方の風景。何も特別な感じはしない。妖怪が出てくる気配など微塵も。
(帰ったらダメかな)
もう諦めて帰ろうとしかけたそのとき、後ろから「おい」という不機嫌そうな声が聞こえてきた。驚いて振り返ると、そこには依与が立っていた。腕組みをしながらこちらを見下ろしている彼は、顔は見えなくとも怒っていることが伝わってきた。
「おまえ、ここで何してる」
「何って……ふたばあに青梅を渡すために」
待っているところです。そう瑞生が言うと、依与は天を仰ぎながら左手を自分の額に当てた。手で影になるお面。その隙間からは深いため息がもれてきていた。
呆れ果てた、と言わんばかりの態度に、瑞生はむっとして眉根を寄せる。
「どうしてですか?」
「阿呆。お前は、黙って待たれていて気づくのか?」
その言葉に、瑞生はうっと言葉に詰まってしまう。たしかに、依与の言っていることはもっともだ。もしも自分がふたばあたちの立場だったら……呼びかけられも何もせずに待たれていても気づくはずがない。
じゃあ名前を呼べばいいのか。そう思って、息を吸い込んで大きく口を開けようとしたそのとき、スパンッと頭をはたかれた。
「いたっ……!」
手加減なしに叩かれて、思わず目が潤んだ。なのに叩いた張本人である依与は、いけしゃあしゃあと瑞生を見下ろしていた。
「お前は本当に阿呆だな。悪戯好きのあいつらが、呼ばれて素直に出てくると思うか?」
またまた瑞生は言葉に詰まってしまう。ふたばあの性格は会ったことがないからわからないが、悪戯好きだというのなら素直に出てくるとは考え難い。また、日曜日の時のようにおどろおどろしい出てき方をされたら……。考えただけでも背筋が寒くなって、瑞生はぶるりと体を震わせた。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
そこまで言うからには何か案があるんだろう。そう思って問いかければ、依与はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「……人に何か尋ねる態度とは思えないね」
不機嫌さを表すように、体の横に垂れ下げられた依与の手は、トントンと足の側面を叩いていた。
依与の態度に、かちんと頭に来る。けれど、ここで下手なことを言ってしまえば絶対に方法なんて教えてもらえないだろう。それは困る。私だって、こんなことさっさと終わらせて家に帰りたい。
(……仕方がない)
観念した瑞生は、一つ大きなため息をつくと、依与に向かって深々と頭を下げた。腰が直角に曲がった綺麗な礼。腹が立つ。頭なんて下げたくない。そう思っていても、染みついた作法はどうしても無意識のうちに出てしまっていた。
「教えてください。お願いします」
腰を折り曲げたまま依与の反応を待つ。
しばらくして、男性にしては高い、透き通った声が頭上から降ってきた。
「お前、ちり紙は持っているか?」
弾かれるようにして瑞生は顔を上げる。そして、耳慣れない言葉に首を傾げた。さらり、と長い黒髪が横に揺れる。
「……ちり紙って何ですか?」
きょとんとした声。それに依与の動きが止まる。
しばしの沈黙。そして、肺の中がからっぽになってしまうような長い長いため息の音が狐面の下から聞こえてきた。
「お前は本当に……」
その先の言葉は息に混じって聞こえなかった。けれど、呆れているような雰囲気は十分伝わってきた。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
これまで毎日更新してきたのですが、これからは週に2回、火曜日と金曜日(17時頃)に更新させていただくことにします。
拙い作品ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。




