はじめての依頼
山水画の襖を開けた先に広がっていたのは、旅館かと見紛うほど広い畳敷きの大広間だった。
一番奥には横長の床の間があり、桜と小鳥が描かれた春らしい掛け軸がかかっていた。
その床の間を背にするようにして、善蔵は胡坐をかいて畳の上に座っている。善蔵の向かいには、入口に背を向けて依与が正座で座っていた。
瑞生たちが来たことに気づいた善蔵は、顎をしゃくって中に入るように勧める。それを見た瑞生は、恐る恐る室内へと足を進めた。
少しささくれだったい草が、靴下を突き抜けてちくちくと足の裏を攻撃する。くすぐったいような痛いような感触を感じながら中へと進むと、迷った末に瑞生は、依与の横に腰を下ろした。
「じゃあ、二人ともごゆっくり」
中には入って来ず入口で立ち止まっていたゆかりは、音がしないようにゆっくりと襖を閉めて出て行く。
やっぱり、ゆかりさんの目には見えないんだな。そう思いながら、瑞生はちらりと依与を窺う。けれど、依与は狐のお面をつけていて、表情を知ることはできなかった。
「瑞生、依与がお前の目付け役になることになった」
善蔵の言葉に、瑞生はその大きな目をぱちくりとさせる。
目付け役。耳慣れない言葉が気になって問い返せば、善蔵はそんなこともわからんのかと言わんばかりに、喉の奥で小さく唸った。
「妖怪のことを何も知らんお前の、まあいわば教育係みたいなものだ」
なら最初からそう言ってくれればよかったのに。それならちゃんと理解できた。
口元まで出かかった言葉を、瑞生はぐっと堪える。まだ一日しか過ごしていないが、善蔵の人柄は何となく感じ取ることができた。たぶん、口答えしたり屁理屈を言ったりすれば、間違いなく機嫌を損ねることになるだろう。ただでさえ嫌われているようなのだ。下手なことはしない方がいい。
わかるか? と善蔵に問われるように見られ、瑞生はこくりと頷く。
「それで、だ。2人にはこいつを、ふたばあたちに渡してきてもらいたい」
善蔵はそう言うと、横に置いてあった蓋つきの透明の瓶を瑞生たちの方に押しやる。5リットルはあるかと思われる大きな瓶。その中には、たくさんの小さな薄緑色の丸い物体と液体が入っていた。
「これは?」
「青梅の砂糖漬けだ。これを学校帰りにでも、ふたばあに渡してきてくれ」
「ふたばあ……ですか」
たしかその名前は昨日も聞いた。美術室の前で、真幸と俊が言っていたのだ。そのときは、学校に憑いている山姥だと説明された。なのに、そんな彼女たちになぜ砂糖漬けを持って行くのか……。
疑問に思っているのが顔に出ていたらしい。善蔵は1つ咳払いをすると、おもむろに説明をし始めた。
「ふたばあたちは、悪戯好きでな。すぐに生徒たちに悪戯をしかける。だから、こうやって彼女らの好物を定期的に差し入れることで、手を出さないようにしてもらっておるんだ。……陰陽師の仕事というのは、こういった人間と妖怪たちの間に軋轢が生まれないよう、事前に立ちまわって動くことが多いんだ」
わかったらほれ、持って行け。そう言いながら善蔵は、青梅の入った瓶を押しやる。瓶が畳を擦る音がする。
瑞生は腰を浮かせて瓶を手に取ると、そのまま立ち上がった。後から、依与も音もなく立ち上がる。
「話は以上だ。行っていいぞ」
善蔵は、言うやいなや掛け軸の方へと体ごと向いてしまう。
(……なんだか感じ悪い)
もやもやとした気持ちが心に広がるのを感じながら、瑞生は青梅の瓶を腕の中でもう一度抱え直した。
瑞生の後に続いて、依与も廊下へと出る。
ぱたんっと背後で襖が閉まる音がしたのを聞いて、瑞生は振り返った。
頭一つ分は高い位置にある依与の顔。そこに付けられている狐のお面からは、彼が今どんな顔をしているのか、どんな気持ちでいるのか、一切読み取ることができない。
「あの、これからよろしくお願いします」
とりあえず、挨拶だけはしておかないといけない。そう思った瑞生は、依与に向かって頭を下げる。けれど落ちてきたのは、ふっと鼻で笑う音だった。
「別に、お前とよろしくするつもりはない」
上から降ってきた冷たい声に、瑞生は思わず顔を上げる。そこには、相変わらずの狐面姿の依与がいた。腕組みをし、そっぽを向いているその姿からは、先ほどと違って不機嫌さのようなものが見え隠れしている。
「えっと……」
なんて返せばいいのかわからず戸惑っていると、依与は背けていた顔を瑞生の方に向けた。白い狐面の奥で睨みつけられたような気がして、瑞生はびくりと肩をとび上がらせる。
そんな瑞生にはお構いなしに、依与は2人の間に空いていた距離を一気に詰める。
「あのじいさんに頼まれたから仕方なくやるだけ。勘違いするな」
依与はそう言い捨てると、瑞生の脇を通って玄関に向かって歩いて行ってしまう。
その場に1人取り残された瑞生は、ただ呆然と固まっていた。




