落とし物を取返しに
離れへと向かう基と居間へと向かうゆかりと別れて、瑞生は自室へと向かった。
襖を開けて部屋に入った瑞生は、足元を見つめながらほっと息をつく。
真幸に教えてもらったことといい、陰陽師見習いだという基のことといい、この短時間の間にたくさんのことを知ってしまった。正直、その情報量に頭がパンクしそうだ。
(ちょっと、一休みしようかな)
そう思いながら顔を上げたそのとき、部屋の中に人がいるのに気づいた。その人は、ぼんやりと部屋の真ん中に佇んでいて、こちらに背を向けていた。
瑞生の気配に気がついたのか、その人はゆっくりと振り返る。そうして現れた顔を見て、瑞生は思わず大きな叫び声をあげた。
きゃあーっ! という甲高い声が辺りに響く。続いて、バタバタと廊下を走る音が聞こえてきた。
「どうしたの!」
襖がスパンと勢いよく開けられる。振り向けばそこには、驚きに目を見開いているゆかりが立っていた。叫び声を聞いて急いで駆けつけたのだろう。その手には、泡のついたスポンジを握っていた。
「ゆかりさん……」
誰かが来てくれた。そのことに、心が弛緩する。
「あ、あの、あれ……」
首だけで後ろを向きながら、瑞生は部屋の中央を指差す。そこには、先ほどと同じ光景が広がっていて、瑞生は思わず息をつめた。
けれどゆかりは、は? と気の抜けたような声をこぼした。
電気もつけていない部屋。室内は、庭に面している障子を閉め切っているせいで薄暗い。そんな中に、一人の人影があった。
ひょろりと背の高いその人は、着流しを着ていた。そしてその顔には、お面をつけている。薄ぼんやりと浮かび上がる白いお面。その目はキュウッとつり上がり、周りの隈取りは血のような薄黒い赤に見える。口は口裂け女のようにぱっくりと割れていて、今にも襲いかかってきそうだ。
薄闇の中で佇む姿は異様で、恐ろしさすら感じる。
なのに、ゆかりは瑞生の脇を通り抜けると、ツカツカと部屋の真ん中まで歩いて行ってしまう。
そして、瑞生の方を振り向いて言った。
「……誰もいないけど?」
「え?」
ゆかりの言葉に、瑞生は固まる。
だって、たしかにそこにいるのだ。今も、お面をつけた人は瑞生の方を向いている。隠れて見えないが、お面の下の目は、きっと瑞生をしっかり見つめているのだろう。
「い、います、そこに」
そう言って瑞生は、もう一度お面の人がいるところを指差す。
「……誰もいないよ?」
ゆかりは瑞生が差した辺りを見渡す。けれど、不思議そうに首をかしげるばかりだった。
やがて、ゆかりは瑞生に向かって気づかわしそうな笑みを浮かべる。
「きっと、初めての学校で疲れたのね。夕飯まで一休みするといいと思う」
ゆかりは、瑞生のところまで来ると、スポンジを持っていない方の手で労わるように頭を撫でた。優しい感触が髪越しに伝わってくる。
「ち、ちが……」
違うんです。そう言おうとした時、向こうでピーッとやかんが沸騰したことを知らせる音がした。ゆかりは、瑞生の頭から手を離すと、火を止めに炊事場へと駆けて行ってしまう。
部屋には、瑞生と怪しい人だけが残された。
「おい」
ゆかりが出て行った入り口を呆然と見つめていると、後ろから声をかけられた。その冷たい声に、瑞生はびくりと肩を飛び上がらせる。けれど、なぜだろう、その声はどこかで聞いたことがある気がした。
恐る恐る、瑞生は振り返る。すると、いつの間に移動したのかすぐ目の前にその人はいた。恐怖で、ひっと喉の奥で音がする。
しかし、まじまじと側で見た時、あることに気がついた。その白いお面の上には、ぴょこんと三角の耳がついていたのだ。
(ん?これって……)
瑞生の中で、今朝庭で拾ったお面が思い出される。よく見ればそれは、今目の前にいる人がつけているものとよく似ているように見えた。
それに、着ている着物も、今朝会った人と同じようなものだ。
「あの、依与さん、ですか?」
ひょっとしたらそうかもしれない。そう思って、久教から聞いた名前を尋ねかける。すると、しばしの沈黙の末、狐面の人はこくりと頷いた。
それを聞いて、瑞生の体から急に力が抜けていく。同時に、あれだけ恐ろしく思ったのがバカみたいな気になる。
暗かったから怖く見えただけで、改めて見れば、顔につけているお面も可愛らしく見えた。
「もう、驚かせないでくださいよ……」
「勝手に驚いたのはあんただ」
瑞生の呟きに、依与はむっとしたような声で返す。
「どうしてお面をつけてるんですか?」
ほっとしたついでに、気になったことを聞いてみる。けれど依与はそれには答えず、無言で右手を瑞生の方へ差し出した。
「え?」
鼻先に出された手のひら。それが意味することがわからない瑞生は、少し高い位置にある依与の顔を上目遣い気味に見やる。すると、依与は呆れたように深々と溜息を吐いた。
「……鈴。あんたが持っているんだろう」
早く寄こせとばかりに、依与は手のひらを上下に振る。瑞生はそれを聞いて、今朝拾った鈴のことを思い出す。
急いでブレザーのポケットから鈴を取り出す。すすけた古びた鈴は、持ってみても今度も音をたてなかった。
「はい、どうぞ」
そう言いながら瑞生は依与の手のひらに鈴を乗せる。ちゃんともとの鈴かどうか確かめるように手のひらで転がした後、依与は袂の中に鈴を入れた。今度も音は鳴らない。
(これは、悪い妖怪じゃないってことなのかな?)
先ほど聞いた真幸の説明を思い出しながら思う。
でも、あれは村の人間が生まれた時に魔除けのために与えられる物とのことだった。それなのに、どうして妖怪であるはずの依与が持っているんだろう?
「あの……」
聞いてみようと口を開きかけた時、依与はもうこちらに背を向けていて、庭に面した障子の方へと歩いて行っていた。
ガラリ、と音をたてて障子が開かれる。一気に差し込んだ夕日に、思わず瑞生は目を細める。ぼやける視界。次に目を開けた時、もうそこに依与の姿はなかった。




