鈴を持つ者たち
起立、礼、と日直の声が教室に響く。さようならと礼をしながら皆が一斉に言うのを見て、真似して後に続く。
体を元に戻し終わった生徒たちは、鞄を手に取ると次々に扉の方へと向かっていく。その姿を見ながら瑞生は、1日が無事に終わったことにほっと息をはいた。
(疲れた……)
どっと疲労が体にのしかかってくるのを感じながら、瑞生はのろのろと帰り支度を始める。
持ってきていた教科書を全部鞄に入れて机の中がからっぽになった時、影がかかるのを感じた。見上げれば、そこには白鞄を肩から斜めにかけた真幸が立っていた。
「お疲れ! 途中まで一緒に帰らない?」
「あ、うん!」
嬉しい申し出に、一も二もなく頷く。すると隣から、俺も一緒にいいー? と声をかけられた。
「いいけど、さっさと支度しなさいよ」
「へいへーい」
真幸に言われ、俊は鞄を取りに後ろのロッカーへと向かう。ぽてぽてと上履きを鳴らしながら歩くその後ろ姿を見て瑞生は、なんだか姉弟みたいだなと思って笑った。
「あ、私ちょっと美術室に寄っていい? 絵具バッグ持って帰りたくて」
教室を出たところで真幸が言った。
「おー、寄れ寄れ、好きなだけ寄っといでー」
気だるげにあくびをしながら答える俊を、真幸はギロリと睨み付ける。
「あんたには聞いてない! ……いいかな? 瑞生ちゃん」
「あ、う、うん」
真幸に顔を覗き込まれ、瑞生は思わず頷く。けれど内心は、行きたくない気持ちでいっぱいだった。なぜなら、美術室がある廊下と言えば昨日わけのわからない声と感触に驚いて倒れてしまったところだ。今回はどうなるかわからないが、また倒れてしまわないとも限らない。
(でも……)
ここでダメだなんて言うのも変だし、何より理由を聞かれたときに説明に困ってしまう。おとなしく瑞生は真幸のあとをついていくことにした。
階段の前を素通りして、3人はずんずん歩いていく。2、3個空き教室の前を通り抜けた先にある図工室に差し掛かった時、瑞生はぎゅっと手を握りしめた。また、何か起こるかもしれない。そう思って、全身に力を入れる。
けれど、図工室を通り抜けて行き止まりの手前にある美術室まで来ても、昨日感じたような寒気も聞いたような声も何も起きなかった。
そのことにほっとして、瑞生は体から力を抜く。すると、そんな瑞生の様子に気づいたのか、真幸が声をかけた。
「瑞生ちゃん、どうかした?」
茶色い髪が首を傾げた拍子にさらりと揺れる。気づかわし気なその表情に、瑞生は思わず口ごもった。
なんでもない。そう言ってやり過ごしてしまうことはできるし、その方が簡単だ。けれど、なぜだかそうはしたくないと思ってしまった。それは、本当に心配そうな真幸に嘘をつきたくなかったからかもしれないし、誰かに話を聞いてもらいたかったからかもしれない。
「あの、昨日もここに来たんだけど、なんだか変な声を聞いて」
「声?」
真幸も俊も不思議そうに首を傾げる。瑞生はその言葉にこくりと頷いた。
「うん。しゃがれたおばあさんみたいな声。むすめ子が来たぞとか何とか言ってた。あと、なんだか妙に寒気もして……」
言葉にしてみると、ひどく非現実的なことを言っているように聞こえた。現に、真幸も俊もびっくりしたようなぽかんとした顔で瑞生を見ていた。変なことを言ってしまった恥ずかしさで、顔が赤くなる。
「ごめ、やっぱり忘れ……」
「それ、たぶん山姥だよ」
やっぱり言わなければよかった。そう思って取り消そうとしたそのとき、俊が口を開いた。驚いて目をやれば、俊はさも当然のことを言ったという顔をしてそこに立っていた。
「ああ、山姥! たしかにそうね」
俊の言葉に、隣にいた真幸も大きく頷いて同意する。けれど、瑞生には何のことやらさっぱりわからなかった。
「あの、山姥って?」
「あ、瑞生ちゃんは来たばかりだから知らないよね。ここ、山姥たちが取り憑いてるの」
取り憑く。日常ではまず耳にすることのない言葉に、また瑞生の頭にはてなが浮かぶ。それに、山姥というのも何のことだかわからなかった。瑞生が知っている山姥といえば、物語の中に出てくる、包丁を持っていて人間を食べようと襲いかかってくるおばあさんの妖怪のことだ。
(ん? 妖怪?)
また、ここでも妖怪だ。今日だけで何度妖怪という言葉を聞いたことか。ひょっとすると、この二人もからかっているのだろうか?
でも、目の前にいる真幸と俊を見ても、瑞生をからかったり変なことを言ったりしているといった雰囲気はしない。ただ、さも当たり前のことのように口にしている。そのことが、瑞生には不思議でならなかった。
「山姥って、あの妖怪の山姥?」
とりあえず、瑞生の考えている山姥で合っているのか確かめようと尋ねてみる。すると、真幸も俊も何を聞くのかといった顔で同時に首を縦に振った。
「そう。あ、でも心配しないでね! あのふたばあたちはちょっと悪戯が好きなだけで危害は加えないから!」
「そうそう。それに、この鈴をつけてりゃあ滅多に姿みせねーしな」
そう言って俊は、白鞄についている鈴のストラップを手に取る。よく見れば、真幸の白鞄にも同じような鈴のストラップがついていた。ただ一つ違うのは、俊の鈴には水色の組紐がついていて、真幸の鈴には朱色の組紐がついていることだ。
(あっ……)
二人がつけている鈴を見て、瑞生は今朝庭で拾った鈴を思い出す。二人が持っているのよりだいぶ古びてはいるが、あれも同じような鈴だった。ただ、やっぱり組紐の色は違っていて、あれは橙色だった。
もしも会えたら渡そうと思って、ブレザーのポケットに入れていた鈴を触る。布越しにでも、はっきりとそこにあるのがわかったが、触れても音一つ立てなかった。
(そういえば、二人の持っている鈴も音がしてないな)
たしか、歩いている時も鈴の音はしていなかったはずだ。
なぜだろう。ふと気になった。それで真幸に問いかけてみれば、彼女は何でもないことのように答えてくれた。
「ああ、これはただの鈴じゃなくて『魔除けの鈴』だから」
「『魔除けの鈴』?」
「そう。この村に住む人たちは生まれた時に作ってもらうの。これは、人間に悪意を持ってたり害をなすような妖怪を打ち払う効果があって、そんなやつらが傍にいる時にしか鳴らないの」
そう言いながら真幸は、試しに白鞄についている鈴を振ってみせた。たしかに、何度揺らしても音は一つとして鳴らなかった。
魔除けの鈴。また、気になる言葉が増えてしまった。
真幸たちが当たり前のように妖怪と口にしていることといい、さっきからわからないことだらけだ。
(もう、これは聞いてみるしかないよね……?)
勇気を出すため、瑞生は両の手のひらをぎゅっと握りしめる。そして、意を決して口を開いた。
次の瞬間、真幸と俊の口からは、えーっ!という驚きの声があがった。




