第42話 始まりの場所
耳の奥、頭蓋骨の底の方で誰かが自分を呼んでいる、そんな気がした。
身に覚えのある感覚だ。以前にも自分の内から声が響いてくるのを感じたことがある。
「……ウ、ユウ、起きてよ」
闇に溶けて霧散していたユウの意識が引き戻される。
徐々に鮮明になる感覚と一向に消えない浮遊感。
瞼を開けても、目の前には暗闇が広がっているに違いない。
ただいつもと違うのは、聞き覚えのある少女の声がいつまでも自分の名を呼び続けていることだった。
ユウが目を開けると、辺り一面の漆黒に青白い光がぼんやりと揺らめいていた。
光に照らされて、小さな肩から細い首、やや丸みを帯びた愛嬌のある顎の輪郭が浮き上がる。
「シェンズ、僕の前にいるのはシェンズなの」
やはり声は音にならず、頭の中で木霊するだけだ。
だが、ユウの思いはシェンズに届いたようだった。
少女は小さく身震いすると、勢い良くユウに飛びついてきた。
奇妙な感覚だった。
抱き留めた少女の身体は確かに腕の中にあるのに、その感触は朧げで泥の人形を抱いているような錯覚がある。
感覚に制限がかかっている、そんな感じだ。
「もう、全然起きないんだもん。心配したじゃない」
シェンズの思ったことが脳内に直接流れ込んでくる。音が出る事はなかった。
「私たちどうなっちゃたの。ここってどこなのかしら」
「シェンズはこの場所に覚えがない? 僕は『新世界』に来る前、ここと似た所にいたんだけど」
「それなら私も一緒よ。でもあそこは本当に真っ暗で、周りには誰もいなかった。不安で心細くて、だから私、あんな『真理』をつくったのよ」
意識だけで通じ合っているのに、声を出せない口をパクパクと開きながら二人は会話していた。
無駄な事だとわかっても癖で口が動いてしまう。
「私、ユウがいてくれて本当に安心したんだから。こうやって一緒にいれるのも、この石のおかげかな」
シェンズは首から下げた鉱石を指で摘み上げた。
ユウも腕輪をつけた右腕を持ち上げる。
二つの欠片は薄い白光を放ちながら怪しく輝いていた。
「それで、これからどうしよう。ユウは帰る方法わかってる」
この問いにはユウも腕を組んで黙り込むしかなかった。
「これまでは気が付ヴィたら向こう側にいヴァジ……」
「今何て言ったの。よく聞こえなかったヴッけど」
シェンズの声も上手く拾えない。
先程から二人の言葉に別の雑音のようなものが紛れ込んでくる。
「シェンズ、僕達の声以外ヴズ、何ザッ聞こえな……」
「えっ、何。何て言ってるのか全然わからヴッよ」
これ以上話しても伝わらないのは目に見えている。
二人は黙って耳を澄ませるようにした。
心に浮かぶノイズに意識を集中する。
静寂の中で時折、モノが擦れるような僅かな音がする。
良く聞くとその音は掠れた人の声のように思えてきた。幾つもの声が折り重なっている。
「……けて、助けてあげて」
ユウの意識が意味のある言葉を掬い上げた。聞き覚えのある言葉だった。
「今の聞こえた?」
ユウの声にシェンズは神妙な面持ちで頷いた。
誰のものとも知れない声は繰り返し鳴り続けている。
「あの子を助けてあげて。きっと貴方たちを待ってる」
「あなた達は誰。ここはどこなの」
突然、シェンズが声に向かって話しかけた。
謎の声がピタリと止み、静けさがその場を満たす。
突拍子もない行動にユウも呆気にとられて言葉が出ない。
静寂は一瞬、そして、言葉が怒涛となって押し寄せた。
「私、私が誰かだって」
「もう誰でもないよ」
「ここには何もない。終わりと始まりの場所」
「イヤ、こんな所真っ平よ」
「俺が俺でなくなってく」
「いつまでこんな……」
高い耳鳴りを伴って、雑多な声が頭の中を響き渡る。
もはや言葉とは言えない叫びや唸りまで混じっていた。
延髄の辺りに強い圧迫を感じて、ユウは両腕で頭を抱えた。
シェンズは耳を両手で押さえている。
脳内で怒号が飛び交う。これまでは重なって同じ事を言っていた声達が別の事を言い合っていた。
気分が悪い。
吐き気まで催してきた。
止まる所を知らない無秩序な喧騒は消し去ろうにも方法がわからない。
何もかもどうでもよくなり、ユウの意思が声に潰される刹那、またあの声が聞こえた。
「あの子を助けてあげて」
騒ぎの中にあってもはっきりと聞き分けられた。
温かな女性の声。ユウは何故だか母親の顔が目に浮かんだ。
不思議と他の声は退潮し、意識に上らなくなっていった。
「お願い、まだあの子は一人で生きていけないの」
切実な願いなのに、声に切迫した感じはない。
ただ包み込むように和やかで快かった。
ユウは声に身を任せた。
「きっと間に合う。だって『子どもは死なない』んだから」
意識が遠のくなか、ユウはその言葉を確かに聞いた。




