第41話 虚無
暗い洞窟の中に、一つ、また一つと灯りがともる。ヴィマラやハヤル達が「魔法」で手の平大の炎を作ったのだ。
人々は互いの姿を確かめると、肩を撫で下ろして安堵の表情を浮かべた。ある者は壁面にもたれかかり、またある者は近くにいる仲間達と抱き合う。シェンズ達は壁のいたる所に這っている巨木の根の上に腰を下ろしていた。
ユウが立つ入り口付近と違い、少し奥にある仲間達がいる場所は広くて深い。
寄って行くと、外で吹く暴風の音も鳴りを潜めていた。ひんやりと湿った空気と濡れた土の匂いが雨を思い出させるだけである。
「無事に全員逃げ果せたかな。いない者がいないか確認してくれ」
フレデリックの指示で大人達が人数確認を始めた。居残り班はオリガとハヤルが指揮をとっている。
人が八十人も集まれば、自然と幾つかの小集団が出来上がる。居残り班の中にも、年齢や出身から五つほどのグループが作られていた。
「ペドロー、ペドロはどこだい」
ジュリアの声に反応して、ユウの心臓が大きく脈を打った。
「ペドロならユウと一番後ろにいるよ」
シェンズが答えた。
鼓動が痛みを覚えるほどに強まった。
ジュリアが地面を踏む足音と心臓の動きが重なる。
「ユウ、ペドロがどこにいるか知らないかい。一緒だったんだろう」
投げかけられた問いに答える事が出来ず、ユウはただ俯くしかなかった。
ユウの態度を不自然に思ったのか、ジュリアが顔を覗き込んできた。
「どうしたんだい。疲れちゃった? それともどこか怪我でもしたかい?」
ユウは下を向いたまま首を横に振った。
ペドロの事を伝えなければならないと思っても、言葉にするだけの力がない。
ユウは黙って洞窟の外を指差した。
「あいつ、まだ外をウロウロしてるのかい。しょうがないね」
言葉とは裏腹にジュリアの顔は和らいでいる。それがユウの胸を余計に圧迫した。
伝えなければならない。その一心でユウが絞り出した言葉は、機械の稼働音のように無味乾燥に響いた。
「ペドロは僕をここに放り込んで……、それから風に飛ばされて、水柱に呑まれました」
言葉の意味がわからないといった表情で、ジュリアがもう一度ユウの顔を覗き込んだ。
「えっと、つまり、まだペドロは外にいるってことだね。だったら呼んでこないと」
ジュリアの脚は入り口の方に向かって歩み出す。
そんな彼女の腕をオリガが強く掴んで引き留めた。
オリガの額には縦の皺が深く刻まれ、唇は固く結ばれている。
「こういう時にどんな言葉を選ぶべきか、私はそういう事に通じていないから、正直に言うことしか出来ない」
低く澄んだ声にいつもの勢いがない。遠回しな前置きもオリガらしくなかった。
「あの規模の渦に呑まれた場合、生物の身体は四方からかかる力に耐えられない。万が一に助かったとしても、上空まで巻き上げられ、そこから地上に落ちる事になる」
「それってどういう意味だい」
「言ったままの意味だ。わかるだろう」
オリガが諭すようにジュリアを見つめる。
既に人数確認を終えた者達は、二人の成り行きを静かに見守っていた。
「そう、それじゃあペドロの奴、死んじゃったのね」
ぞくり、背中から切りつけられたように、ジュリアの言葉がユウに刺さった。
ユウが必死に思うまいとしていた言葉は、いとも容易く紡がれてしまった。
踵を返して奥に戻るジュリアを仲間達が囲んでいる。
「ペドロが死んだって本当なの」
「あの糞ガキがそんな簡単にくたばるのか」
「友達を救って自分が死んじゃうなんて、なんか意外よね」
「確かに彼らしくないな。彼はもっとしぶとい男だよ」
不思議とどこからともなく笑いが起こった。
呵責なく笑い合う仲間達の声が、ユウの耳にはスピーカーを通したように聞こえていた。
目の前にいる人達がとても遠くに感じられた。まるでテレビ番組を見ているような隔絶感だった。
「ペドロが死んだ」、その言葉が、有無を言わさずユウに現実を突き付ける。
そして、ユウの頭はすぐに言葉の意味を理解してしまった。
それなのにユウの心には驚くほど何も去来しない。
内なる水面は波一つなく、鏡面のように透き通っているのに何も映さない。
喜怒哀楽、どんな感情も湧いてこない。
無そのものだった。
自分の手を見ると小刻みに震えていた。
手を握ろうと思うと、指は端から順に丸まって拳の形をつくるのに、握った手の温度も、掌に指先が潜り込む感触も、どこか自分のものではないようだった。
思考回路が身体と感情から引き剥がされている。その事を辛いとさえ思えなかった。
いつの間にか、ユウの爪先は洞窟の入口へ向いていた。
意識ははっきりしていた。
何をしなければいけないか脳が判断した。
ペドロを探さなければならない。
ユウの脚は灰色の景色の方へと一歩ずつ進んで行った。
雨が目に入り視界が歪みだしたが、気にならなかった。
急に後ろから組み付かれ、ユウは体勢を崩しそうになる。
腕を振り足を踏ん張って、倒れそうになる身体を立て直した。
胴に回された少女の手は、ユウがどれだけ力を入れても解けなかった。
「シェンズ、手を離してよ」
踠きながら強引に後ろを向き、自分を抱き留める少女と正対する。
シェンズの顔は紅潮し、目は吊り上っていた。女性にしては短い髪の毛が鶏冠のように逆立ている。
その表情にはどんな時にも滲んでいた愛嬌がなく、ただ怒り一色だけが発散されていた。
バツッ
高い破裂音と軽い痺れがユウの頬を走り抜けていく。
後を追って、雨が頻りに地面を打つ音が聞こえるようになった。
「な、なんで」
事態を呑み込めず、ユウは反射的に尋ねていた。
「ユウ、今外に出ようとしてたでしょ。何考えてるの。あんたまで風に呑まれて死にたいっていうの。ペドロが命懸けで助けてくれたのよ。それを無駄にするつもり」
シェンズは激しく捲し立てた。
ユウは何も言い返せなかった。
彼女の言う事はもっともで、その怒りも理解できた。
同時に、外から聞こえる阿鼻叫喚がユウに一つの感情を呼び起こさせた。
雨粒が地面を打ち抜き、風は猛り声をあげて吹き荒ぶ。大樹が枝葉をぶつけ合い、幹が耐えきれず軋み、折れて倒れる。雷の轟音が空気を震わせていた。
あそこへ出て行こうとしていたのか。
身体が硬直し、喉が詰まって息苦しさを覚えた。もう脚を外へ向ける事は出来なかった。
青ざめているユウを見て、シェンズの締め付けが緩んでいった。
「さあ、戻るわよ。着いて来なさい」
言葉は依然として厳しかったが、口調から怒りの色は消えていた。
シェンズは仲間達の所までユウを引いていき、その後も手を離そうとはしなかった。
「ねえ、シェンズ。もう離しても大丈夫だよ」
「だめ。離したら、また外に行っちゃうでしょ」
シェンズは握る力をさらに強めた。
爪が手の甲に刺さって痛痒い。
しばらくは解放せれそうにない。
ユウは諦めて、その場に座り込んだ。
緊張がほぐれると全身が痣や擦り傷だらけな事に気付いた。ついでに、叩かれた頬もまだ少し疼いている。
再び外へ出て行ける状態ではない。
瞼に重さを感じる。
見れば隣のシェンズも静かな寝息を立てている。シェンズの胸の上では、ユウが贈った鉱石が灯りに照らされてチカチカと輝きを反射させていた。
温かな光をぼんやりと眺めながら、ユウの瞳はゆっくりと閉じていった。




