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第36話 転機②

「悪いね、ぼうや。辛かったら無理しなくても良いんだよ」


 魅惑的なささやき声と熱い吐息がユウの耳をくすぐった。

 背中に感じるやわらかな感触と相まって、下腹部辺りから湧いてくる(よこしま)な思いをさらに掻き立てる。


「ジュリアさんは足を怪我しているんですから、気にしないでください」


 必死に欲望を抑え込みながら、ユウは背中の女性に答えた。

 朱一色の大地の上、ユウ達一行は帰路を急いでいた。

 先を歩くヴィマラとメラニー、そして、ユウの隣にぴたりと張り付いたシェンズの三人は川の水で満たされた水嚢(すいのう)を抱えている。


「ユウ、いつでも私が代わってあげるんだからね」

「まだ大丈夫だよ。僕、もうちょっと頑張るから」


 恨めしそうに自分達を睨みつけながら、何度も交代を提案するシェンズをあしらうのもユウにとっては一苦労だった。


「女の子には厳しいんじゃないかい。気持ちだけ受け取っとくよ」


 というジュリアの善意も、今のシェンズには逆効果だった。


「やってみなくちゃわからないじゃない」


 終いには、むきになってユウからジュリアを取り上げようとする始末だ。

 自分の劣情を落ち着かせつつ、あらぶるシェンズも落ち着かせなければならない。

 二面戦争を余儀なくされ、ユウの頭はフル回転、パンク寸前である。

 いよいよ限界、という所で思わぬ助け船が入った。


「シェンズってあたしよりもお姉さんよね。その割にわがままばっかりで、すっっごく子どもっぽいわよ」


 前から戻ってきたメラニーの一言に、シェンズの動きが止まった。


「えっ、私ってそんなに子どもっぽいの?」


 青くなったシェンズが真剣に聞き返しても、返答はない。

 ユウもヴィマラも、会ったばかりのジュリアでさえも、口を隠して込み上げる笑いに耐えていた。

 メラニーだけがうんうんと頷いている。


「もー、誰か何とか言ってよー」


 シェンズの悲痛な叫びだけが、吹き抜ける風に乗って遠くまで響いていた。


 夜の闇が辺りを覆いきる頃、ユウ達五人は大樹の下の広場に戻った。

 既に探索班も帰ってきた後で、ペドロ達が五人を出迎えてくれた。


「ずいぶんと長い水汲みだったな。俺らの知らない所で楽しい事でもしてたんじゃないの」

「どうだろうね。ペドロの想像に任せるよ」


 近頃ペドロはこの手の冗談でユウをからかうのが好みらしい。

 初めはうぶな反応を返していたユウも、()れた対応がすっかり板についてしまっている。


「今の声、もしかしてペドロなのかい」


 振り返ると、ユウの後ろからジュリアが顔を出していた。


「やっぱりペドロだ。あんたも生きてたんだねえ。そんな所に突っ立ってないで、こっちにおいでよ」


 びっこを引きながらも歩み寄ろうとするジュリアを前に、ペドロはその場を一歩も動かない。

 瞳が落ち着きなく四方に行き来し、半開きの唇は喜んでいるとも驚いているともつかなかった。

 小刻みに震えているようでもある。

 ユウはこれほど動揺しているペドロを見たことがなかった。

 やっとの思いで手の届く所までたどり着くと、ジュリアは躊躇(ちゅうちょ)なくペドロを抱きしめた。


「良かった、良かったよ。またあんたと会えるなんてね」


 包み込むような穏やかな音色がジュリアの口から紡がれる。


「本当にジュリア姉ちゃんなのか」

「そうさ、本当の本当に私だよ」


 ジュリアと抱き合うペドロの目には涙が光っていた。


 その日はジュリアを含めて五人が新たに加わった。

 彼らの自己紹介を聞きながら、ユウはペドロにジュリアの事を尋ねてみた。

 照れくさそうな素振りを見せながらペドロが話したことによると、二人は同じ街の生まれということだ。



 ペドロがファベーラ出身なのに対し、ジュリアは比較的裕福な家庭に生まれた。

 ただ、お転婆な気性からジュリアは自然とファベーラの子どもやストリートチルドレン達とつるむようになっていった。

 二人が初めて会った時、既にジュリアは辺り一帯の悪ガキ達を束ねる女親分になっていた。

 皆、ジュリアの家の事は知っていたが、彼女の明け透けな態度と底なしの明るさに惹き付けられていたから、批判する者は一人もいなかった。

 色々と悪事も働いたが、ジュリアが立てた計画は必ず成功した。

 やる事なす事全てが楽しかった。

 だが、夢のような時間は突然に終わりを告げた。

 ジュリアが姿を見せなくなったのだ。

 後になって彼女の一家が街を出て行った事を知った。



 それ以来、ペドロは一度もジュリアと会っていない。

 神妙な面持ちのペドロに、ユウはその気持ちを測りかねていた。

 それはユウの知るどのペドロとも違った。


 ちょうどジュリアの紹介が終わろうとしていた。


「そういう訳でこれからよろしくね。最後に私の『真理』なんだけど……」

「ジュリア、それは言わなくて構わないよ」


 フレデリックがジュリアにいつもの説明を始めた。

 今は共同生活をしている同士だが、他の者と袂を分かつかもしれない。対立するかもしれない。その時切り札になるのが各々の「真理」だ。無暗に公にするべきものではないし、嘘を言う者も出るかもしれない。真偽が特定できない以上、混乱を避けるためにも「真理」の事は黙っておいた方が良い。

 概ね、ペドロが主張した通りの説明である。


「うふ、うふふ、あはははははは」


 話を聞いていたジュリアが突如として肩を震わせ始め、大口を開けて笑いだした。

 フレデリックは目を点にしてジュリアを見つめ返し、他の者の視線もジュリアに集まる。

 ひとしきり腹を抱えて笑い転げた後、姿勢を正したジュリアは良く通る声で宣言した。


「誰の悪知恵かわからないけど、もうそんな(わずら)わしいこと考えなくても良いよ。私の『真理』があるんだから」


 ジュリアの鮮やかな唇の間から整った白い歯が少し覗いた。

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