第30話 再びの暗黒空間
ユウが目を開けるとそこは真っ暗だった。
瞼を開いたり閉じたりしてみたが、目の前は黒一色で塗りたくられていた。
右を見ても左を見ても、どこまでも漆黒が続く。
身体を動かした感覚はあるのに、何の感触も得られなかった。
無音無臭、脳と神経は機能しているのに全ての感覚器官が閉じてしまったような違和感。
ユウはその感覚に覚えがあった。
「旧世界」と「新世界」との間、一時だけウユウが留まった場所である。
以前連れてこられた時には両親を思い、友を思い、ただただ泣いた。
そして願った。いや、誓ったという方がユウにはしっくりくる。
「『新世界』に悲しみはいらない」と。
一瞬、ユウの頭の隅を嫌な予感がかすめた。
「また世界は終わってしまったのではないか」
感じ取れないはずの心臓を直接握り潰された様な苦しさがユウを襲った。
シェンズやペドロ、ヴィマラ達、「新世界」で出会った仲間達の顔が現れては消える。
息苦しいのに空気は吸えない。
「僕は悲しいのか」
自問したが、どうも違う。
既にユウは悲しいというのがどんな感情か思い出せなかったが、今の痛みがそれと違うのはわかった。
その痛みは感情というには鮮明で現実的過ぎたし、ユウはいたって冷静だった。
ここへ来る直前の事も思い出した。
洞窟の奥で足を滑らせたユウは、倒れて頭を強打したのだ。
意識はそこで途切れている。
「ペドロー、聞こえる」
大きな声を出したつもりだったが、言葉はユウの頭の中で響くだけだった。
現状確認は出来たが脱出する方法がわからない。
夢なら早く目覚めたかったが、頬をつねろうにも動かしたはずの手は自分の身体に触ることさえ出来なかった。
不意に、ユウはあることに気が付いた。
心中に響く自分の声に、微かな雑音が混じっているのだ。
壁かなにかに遮られているような籠った音が、途切れ途切れに鳴っている。
自分の声の残響でもないようだった。
ユウはその音に意識を集中してみたが、如何せん耳から音を拾うのとは勝手が違う。
音は良く聞き取れなかった。
音を聞くことさえ満足にできない自分に軽く失望する。
他の仲間ならきっと上手くやるだろう。
ペドロならばどうするだろうか。
ペドロの言葉が頭に浮かんだ。
「ユウは自分で思っているよりもずっと特別なんだからな」
確かに今のユウには「特別」がある。
「魔法」を使えば、自分の感覚器官を飛び越えて、周囲の些細な事象までも知覚することが出来る。
「僕に出来るかな」と思う。
「自覚を持てよ」
頭の中のペドロが背中を押してくれた。
ユウは雑音から意識をはずし、自分の中心に意識を戻す。
頭蓋の中から神経組織を伝って段階的に意識を拡張していく。
頭の先から指先まで、順に感覚が走り抜ける。
五感が閉じていることがむしろ雑多な情報を消し去り、意識を集中させた。
指先からさらに外へ、ユウは意識を解き放つ。
視覚も聴覚も嗅覚もない。
スポンジが水を吸うように、渾然一体の感覚が周りの空間に溶けていく。
瞬間、ユウの目の前が開けた。
黒は白に変わり、また黒に戻る。
点滅する世界に合わせて背筋を何かが駆け上がる。
ユウの感覚は雑音だったものをはっきりと捕えていた。
女性の声だ。
「助けて、あの子、助けてあげて」
その声はホットミルクから立ち上るほのかな甘い香りが感じられた。
「あの子って誰?」
尋ねようとして集中を解くと、ユウの意識は急激に世界から押し戻された。
一度は掌握した世界がどんどん遠ざかり、ユウ一人を残して世界は彼方へ消え失せた。
目を開いて初めに映ったのは茜色の空だった。
身体を起こそうとしたが出来なかった。
何かが腹部に乗っていて、つかえて起き上がれなかったのだ。
見ると、ユウを枕にシェンズが小さな寝息を立てていた。
シェンズを目覚めさせないように静かに上体を起こした。
シェンズの顔を間近で見るのは随分と久しぶりな気がした。
長いまつ毛、小さな唇、首筋から肩へと続く細く滑らかな曲線。
何気なくユウが手を伸ばそうとした時、シェンズの瞼が開いた。
とっさにユウは手を引っ込めた。
二人の視線が交差する。
無言で見つめ合う二人の顔は、空と同じ赤色に染まっていた。
「あっ、あのさ、シェンズ……」
言いかけた矢先、ユウは左右からほぼ同時に体当たりを喰らい、再び仰向けに倒された。
「ユウ、目が覚めたのね。大丈夫なのね。あたし、メラニーよ。わかる」
「ユウが起きたー。良かったぁ。みんな~ユウが起きたよー」
半ば馬乗りに近い態勢でメラニーとヴィマラが抱きついてきた。
二人の声が聞こえたのか、他の者たちも次々に集まってくる。
ペドロが、オリガが、ハヤルやサラ、レナードも皆一様にユウの目覚めを喜んでいた。
集まった人達にもみくちゃにされ、ユウは出かかった言葉を呑み込まざるを得なかった。




