第13話 説得
広場の片隅に場所を見つけたユウとペドロはそこで横になった。ペドロがすぐにいびきをかき始めたのに対し、ユウは寝転がって目を閉じても一向に眠ることが出来なかった。
未だ興奮が冷めないのも一因だった。自分があんなに話せるとは思ってもみなかった。そして何より、自分の言葉で他人の心を少なからず動かせたことが誇らしかった。胸の奥のつかえは跡形もなく消え去り、今はへその下辺りに大きな熱量を持ったものがふつふつと煮立っているのがわかる。
だが、身体の滾りとは一転して、ユウの心には濃い霧がかかっていた。ユウが頭の中で反芻していたのはプルチネッラの言葉だった。
「無効になる『真理』があるのも嘘じゃないんだ」
そして実際に、フレデリックの話によれば実際にレナードの「真理」は効力を発揮していないように思えた。
それではユウの「真理」はどうなったのだろうか。「新世界に悲しみはいらない」そう願った自分の「真理」は本当に効力を発揮しているのだろうか。自らそれを確かめることは出来なかった。
ユウは「旧世界」のことを思い出しても悲しくなることはなかった。その悲しみは無数の涙と一緒に全て流してしまった。既に悲しみを克服したのだという自負にも似た気持ちがユウにはあった。だからこそ、現状で自分が悲しみを感じないことが、「真理」の証明にはならなかった。
身体を起こすと隣のペドロはぐっすりと眠っていた。寝顔はユウ達と変わらない無邪気で無防備な年相応の少年である。ユウは所在なく立ち上がると辺りを見回したが、動くものは何もなかった。
誰かの寝言や身体を掻く音、寝返りを打つ音を聞きながら広場の中央の方へ歩いて行くと、女性が一人で火の番をしていた。見張りは男性一人、女性三人合わせて四人のはずだったが、他の三人は見当たらなかった。
灰色の髪の女性は少し小さくなった焚き火の側に座って、爆ぜて乾いた音を立てる炎を見つめていた。先程のフレデリックの話に登場したオリガである。ただ一点を見ているその顔は無表情にも、怒っているようにも、考え事をしているようにも見えた。ユウにはその表情が悲しそうに感じられた。
一度そう見えてしまうと、ユウはオリガが気になってしまいどうしようもなくなった。これは自分の「真理」が本当に有効なのか確認する良い機会だとユウには思えた。
足音を立てないように用心しながら焚き火に近づく。しかし、炎に照らされる場所を前にしてユウの脚は止まってしまった。オリガが悲しんでいるかどうか確認する方法を、ユウは全く考えていなかったのだ。
ユウが行くも戻るも出来ずにいると、不意にオリガがユウの方に顔を向けた。驚いたユウはバランスを崩し、危うく後ろに倒れそうになった。身体を立て直したユウに、オリガが話しかけた。
「どうした少年、子どもが起きていて良い時間じゃないぞ」
透き通ったきれいな声だったが、その調子は平淡で少し機械じみた響きがあった。
「えっと、何だか眠れなくて。僕も火の近くに行っても良いですか」
とっさに出たユウの返答に、オリガは何も答えなかった。
ユウはオリガから一・二歩離れた場所に腰を下ろした。やはりオリガは何も言わなかった。それから重く長い沈黙が続いた。どれほどの時間が経ったかはわからない。現実には五分もなかったかもしれないが、数時間と言われればユウは信じただろう。重圧に耐えきれなくなったユウが先に口を開いた。
「何か悲しいことでもあったんですか」
「は? 何だって」
唐突な質問にオリガが聞き返した。
「いえ、火を見ている顔がどこか悲しそうだったから」
元々ユウは人と話すのが得意ではなかった。だから、遠回しに自分の思いを伝えることも、巧みな会話で相手を自分の思っているどおりにあやつることも出来なかった。素直に言葉を紡ぐやり方しか知らなかったのだ。
「別に悲しい訳じゃないさ……」
オリガの言葉から機械じみた響きは薄れていたが、それは好意的なものではなかった。
「強いて言えば……、苛立ちだよ」
今度は明らかに怒気を含んだ声だった。ユウは母親や女の先生を怒らせてしまった時の、救いの無さ、取り付く島の無さを、オリガから感じ取っていた。全く動かないオリガの鉄仮面が逆に恐怖心を喚起させた。
「何がそんなに気に入らないんですか」
恐る恐るユウは尋ねた。こんな時はひたすら下手に出ながら、相手に言いたいことを全部言わせて嵐が過ぎるのを待つしかないことをユウは知っていた。
「何が気に入らないって、全部だよ。この世界も、周りの連中も、全部さ」
オリガが早口でまくしたてる。
「何が『新世界』だ。今までの物理法則は何一つ通用しないんだぞ。これまでの私の研究も経歴も全部ご破算だ。先人達の研究の成果だって全部水の淡さ。私たちが生きていける保証なんてどこにもなくなったのさ」
「それなのにこの連中と来たら、何が魔法だ、最強だ。よく考えもせずに適当なことばかり言って。私が『真理』を考えるのにどれだけ悩んだと思ってるんだ。私たちが暮らしていた世界はな、幾つもの法則が複雑に絡み合って、奇跡的な均衡のもとで成り立っていたんだぞ」
オリガは一息でしゃべりきった。肺の空気がなくなったのか、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
「お姉さんはどんな『真理』をつくったんですか」
たまらずユウが尋ねた。自分の「真理」を確認するどころではなかった。
「『世界は物質によって構成されている』だよ。どれだけ考えてもこれ以上のものは思いつかなかった。今、こうやってお前に身体があるのも私のおかげだぞ」
言うだけ言って気が晴れたのか、オリガの声は落ち着いていた。
「うん、悲しいとは違うな。でもどこかで虚無感を感じていたのかもしれない。こんな世界じゃ物理学者は廃業だから。全ての自然科学の成果は無意味になってしまったんだ」
独り言のように力無く話し続けるオリガに、先程までの威勢はなかった。ユウも何か申し訳のない気持ちになってしまった。何と言って良いかわからず、言葉を探すユウの頭に学校で聞かされた話が不意に浮かんだ。
「科学者辞めないでください、お姉さん。理科の先生が言ってました。『わからないこと、知らないことを追求するのが科学なんだ』って。それで『出来ないことを出来るようにして、皆が生きていくのを助けるのが科学なんだ』って。この世界だってわからないことだらけです。僕たちにはお姉さんの力が絶対に必要になります」
ユウの渾身の言葉にも、やはりオリガは何も答えなかった。
ユウの頭を軽く押すと、「早く寝ろ」とだけ言ってそっぽを向いてしまった。ただ、ユウの耳はその声に穏やかな響きを確かに感じ取っていた。




