聞かれることのない感謝
ここの人間たちは何故こんなにも警戒心が薄いんだろう。
彼女は内心せせら笑うのと同時に大いに戸惑いも感じていた。今まで彼女が接してきた人間たちとは明らかに違う光を見出していたから。
この人間たちならもしかしたら―――…とバカな事を思う。もしかしたら、自分の全てを受け入れてくれるのでなはないか、と。
そんなことあるはずがないのに。そんなこと考えることすら馬鹿げている。
どうせ受け入れてもらえないのなら、せめて仮初の姿でも、この居心地の良い場所で。
にゃあ、と鳴けば優しく撫でてくれる。
食べ物にも困らない。
寝る時も温かいベッドの中に入れてくれる。
彼女は千晶が好きだった。
ちなみに、千晶と一緒に住んでいる金髪の男も嫌いではない。美味しいご飯をくれるのはいつだって彼だったから(千晶の料理センスは壊滅的なんだ、と以前男がこっそりと彼女に教えてくれた)
【姫】というのは、どうやら彼等が付けた彼女の名前らしい。自分には名前というものがなかったから、なんというか新鮮でこそばゆい。
「姫ー。起きてるー?悪いけど、あき起こしてやって」
ふんわりと目玉焼きの香りを纏わせながら、金髪―――千晶はこいつのことを慎吾、と呼んでいた―――が彼女の寝床のある千晶の部屋に顔を出した。彼女がここに来てから寝起きのすこぶる悪い千晶を起こす役目は彼から彼女へと移っていた。
にゃあ、と一声鳴いて、了承の意を示す。
「よろしくなー」
彼は彼女の返事を聞くと満足そうに笑みを浮かべてその整った顔を引っ込めドアを閉めた。朝御飯の続きを作りにでも行ったのだろう。
もぞもぞと布団をかき分けてどうにか千晶の胸元に乗っかる。いつもは、皺の寄っている眉間も眠っている間は綺麗なもので、実年齢よりも幾分幼げな寝顔を無防備に晒している。
かわいい。
不意に脳裏にそんな単語が浮かんだ。素直に一言、可愛い、と。
この姿のまま街中を歩けば自分に向けられる単語を何故自分がこの人間、しかも既に成人を迎え、普段は愛想のカケラもないこの男にそう感じるのだろうか。
解らない。解らないけど、伝えたい。
どうやらこの男も、それから同居人も。決して明るいとは言い難い内情を抱えてきているのであろうことは、二人の会話、そして時折独り言のようにそれぞれが彼女に対して話しかけてくる言葉の中から感じられた。
どこか共感めいたものを感じているのだろうか。
この自分が。この人間達に。
ふと息苦しく、しかし温かいものが体を走り、彼女は千晶が寝入ってることを確認そて自分を曝け出した。
どちらが仮初の姿なのかは判らない。
ケモノの姿と少女の姿。
今までは何故自分は普通の単なるネコとして生まれなかったのか、後悔にも似た思いだった。極力嫌いな人間の姿は模らず、ただ只管にネコとしての人生を歩んできた。
長い、長い間。
けれど、こうしてこの男と出会って、少しはこの姿を好きになれるかもしれない。
彼女の全てを知ったら、もう触れてもらうことはなくなるだろうけれど。だから、こうやってこっそりと。
少女の姿を模って、君に伝えよう。
「ありがとう」
憎悪こそすれ、他のモノに感謝なぞ感じたことのない彼女から出たその言葉は、少しぎこちなく、たどたどしく、けれど精一杯の気持ちを込めて、誰に知られることなくひっそりと部屋の中に響いた。
彼女は満足げに笑えば、姿を変え、にぁあ、鳴き声を上げて千晶の顔をピンク色の肉球でポフポフと叩く。
それが今の彼女の、日課。
【姫】と呼ばれる度に貴方たちに近づいた気がして嬉しくなった。
おいで、と手招きされる度に、貴方たちが好きになった。
どうか、どうか壊れるまでこの温かい光に浸らせてください。
欲しかった。ずっとずっと欲しかったものが今、目の前の手の届くところにあるのだから。




