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東雲千晶―しののめちあき―

 東雲千晶の朝は、同居人に叩き起こされて始まる。何故わざわざ叩くのかと以前聞いたら

「お前はどんなに呼んでも起きねーんだよ」

などと逆ギレされてしまった。彼を怒らせるとその日一日まともな食事が食えなくなることをこれまでの長い付き合いから重々承知しているので、それからは叩かれても文句を言わないようにした。これは、とても賢明な判断だったと思う。

 とにかく。

 東雲千晶の朝は、同居人に叩き起こされて始まる。

 本日も、いつものように起こされて始まる――――…はずだった。

「――――……ナニコレ」

カプリ、と鼻先に鋭い痛みが走り、常以上に最悪な目覚め。それでもまだ寝ていたくて夢と現の狭間でグズグズしていたら、今度は左頬に軽い衝撃。

 なんなんだ、一体。

 通常と違いすぎて流石に不審に思った千晶が、うっすらと瞼を開けるとそこには。

 白いカタマリと碧い瞳。

 正体不明の物体は未だ千晶の鼻面に噛み付いている(そうとしか思えない痛みなのだ)のだから近すぎて焦点が合わない。そのため、そのくらいしか確認が取れないのだ。胸の辺りにある適度な重さと温かさが妙に心地良い。

 覚醒したからにはいつまでも横になっているのはどうにもよろしくないので、顔面の真ん中に痛みを感じるままに枕から頭を離す。上半身を上げると標的――この場合の標的とはもちろん千晶のことだ―――が起きたことに満足したのか、正体不明の物体は地球の重力に逆らうことなく千晶の太腿の上に身を落ち着けていた。

「――――……」

ヘソ辺りに甘えるかのように擦り寄ってくるその物体をじーっと見つめる。噛まれて、おそらくは赤くなっているであろう鼻の頭を撫でながら。

「あんた、何?ドコのコ?誰の許可を得て俺の安眠を邪魔すんの?」

目の前の物体から応えなぞ在るはずがないと知りつつ、太腿の上の温かい白いカタマリをその毛並みに沿って撫でながら問いかけると、まるで言葉が自分に向けて発せられていることが解ったような絶妙なタイミンくで顔を上げ、妙に人間味を帯びたその碧い瞳をこちらに投げかけてから、不意と扉の方に移した。

 コンコン、とにわかに硬質な音が響いたあと、ドアノブが捻られ同居人が顔を出す。

「おー。はよ。いやー、姫は偉いな。あきを起こせるなんて」

常通りアホな顔をした同居人は、千晶の太腿の上にいる白いカタマリに驚くどころか、親しげに話しかけつつ、部屋のほぼ全域を占めているベッドの側へと歩み寄り、スプリングを軋ませてベッドの端に腰掛ける。

 ふわり、とベーコンエッグと珈琲の混じった良い匂いがした。

 金髪の同居人に【姫】と呼ばれた白いカタマリは全てを知ったような、得意そうな光を宿したあの碧い瞳を再度こちらに向けてきた。

「え…。まさか、さっきの応え…トカ?」

有り得ない、と思いつつもそうとしか考えられない千晶が、そう呟くと、肯定するかのように【姫】は、にゃあ、と小さく鳴いた。

「うわぁ―――…。ナニコノコ。っていうかほんとに何」

「何って―――…ネコ?」

「いや、違くて。そんなこと聞いてんじゃなくて、なんでネコがウチにいるのかってことだよ」

このアパートはペット可だったか?いや、そう考えてみればそうだったかもしれない。別にそんなことはどうでも良くて。

 特等席、とばかりに我が物顔で太腿の上に鎮座する真っ白い猫の背を撫でる手は止めずに、視線だけを暢気に煙草をふかしながらこちらを眺めている同居人へと移し、問う。

「で?説明は」

「昨日な。拾ったんだよ」

「拾ったって…。コイツを?」

「正確には勝手に着いて来た、とも言う」

「ネコが?」

「ネコが」

「誰に?」

「オレに」

―――…それであんたはあっさりとウチに入れたワケですか。しかも【姫】なんて名前まで付けて、本来自分の役目であるモーニングコールまでやらせて。

 野良とは到底思えない実に気持ちの良い肌触りを楽しみながら、千晶は言いたいことを飲み込んだ。

「ふーん…」

「なー、あきぃー」

「何」

「飼ってい?」

そう来るだろうと思っていた。寧ろ、連れて帰って来て家の中に入れている時点であんたの中で飼うことは決定事項だろうに。

 ふと、下に視線を投げると白いカタマリ―――…基、【姫】はこちらを見上げていた。

 頼むから、そんな期待したよーな目ぇこっち向けんな、バカ。

【姫】は猫のくせに表情が豊かだと思う。こちらの言うことが解っているかのように反応を返し、自分の意思を訴えるように鳴く。実際本当に理解しているんだったらこれ程楽なことはないのだからイイけど。

「いーんじゃない?大家がイイって言うなら」

「大丈夫だろ、あいつネコ好きだし」

…そういう問題か?

 【姫】を顔の前まで抱き上げて、瞳を覗き込む。

「姫?」

千晶が確認するように聞くと、案の定白猫は、にゃあ、と鳴いた。

 

現と幻の狭間をゆらゆらと揺られながら流されていく異端児たちの行く先は、時折頼りなげに揺らめいて、それでもちゃんと存在している。

きっと、今日もいつもと変わらぬ一日だろうと。

千晶はなんの根拠もなくただ漠然と、そう思った。


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