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挿話  未熟な歌姫の独白

 出会ったときの印象は『綺麗な男の子だなぁ』だった。状況は、崖から落下してくるという突飛極まりないものであったが。

 太陽の日差しに色があるとしたらきっと彼の髪の色のような淡い色の金色で、澄んだ瞳は空の色がそのまま映りこんでしまったかのような眩しい男の子だった。少年と青年の中間にいる、笑う仕草は子供のように幼げなのに、ふとした横顔――例えば自分を背に魔物から守ってくれた瞬間――は、はっとするほど大人びて見えたり。

 天空時計のことも知らないどこか浮世離れした雰囲気や穏やかな物腰は、今まで知り合ってきた男の子とは一線を画した印象を受けた。

 思わず彼に連れられるがまま、迷子になっていた廃墟から駆け出し、そのまま成り行きで見つけた集落の親切な老夫婦にお世話になることになった。

 それで、砂まみれだった彼はドナさんからお風呂に押し込められて、自分がタオルと着替えを届けに行って――いや、このことを思い出すのはやめよう。思い返すだけで心臓がバクバクと忙しなく動き出す。

 ドナさんやリックさんとの食事を終えて疲れ切っていた様子を隠しきれていなかったルクスは、それぞれ分かれて部屋に入った途端、一度大きな音を立てたきり声も物音も立てなくなった。

 寝ちゃったか、とすぐに理解した。同時に、それだけ疲れていたんだろうなと納得もする。そういえば、彼は自分と出会う直前まで誰かに追われている様子であった。それからも魔物と戦ったり、闇の中で魔物に襲われないように気を張ってくれていたり、疲れるのも無理はない。思えば自分は、彼に頼ってばかりだなと申し訳なくなった。

 ラティディア自身も疲れていないと言ったら嘘になるが、布団に潜り込む前にやらなければならないことがあった。

 窓を開け放ち、窓枠に腰掛けて夜空を仰ぐ。雲に覆われた空は天空時計も月も見えず、世界は闇に包まれている。

 ラティディアは隣で眠っているであろうルクスを起こさないよう大きさに注意をしながら、そっと風に旋律を乗せた。

 三ヶ月前からの就寝前の日課だ。下手くそな歌声がそっと意味を紡いでいく。

 劇団の歌い手がいなくなって暫く経ち、募集もかけていたのだが一行に入団者は現れなかった。感動を与える劇を行うとして知名度の高い劇団リベルヴィは、同じぐらいに厳しい練習が行われるとしても有名であった。

 そのため劇団にはもう半年近く歌手がおらず、団長があれこれと試行錯誤しては歌手のいない穴を埋めてはいたが、やはり歌手というものは舞台の花形。その欠落は大きかった。

 舞台の訓練にも厳しさが増し、その結果入団希望者が遠のくと言う悪循環を繰り返して数ヶ月が経ったころ――移動中の馬車が魔物に襲われた。

 襲ってきたのはウルフの群れであった。ウルフは群れを作らないという話だったのに、そのときは違った。これも『あれ』が原因であろうか。

 幸いなことに劇団に大きな被害はなかった。馬車の側面に30センチほどの穴を開けられ、裂傷がついたのは団長にとっても頭が痛い話だっただろうに、団長が心配したのは真っ先にラティディアのことだった。

 魔物に襲われて左太腿に傷を負ったラティディアは、そのときのことを詳しく覚えていなかった。

 ただただ恐怖に打ち震え、左足の痛みに身悶えた。体から血が失われていく感覚に、どうしようもない絶望と死の恐怖を味わった。――覚えているのは、そんな感情だけだ。

 魔物に襲われたのはちょうどイングレッソ王国に向かう道中で、ラティディアを含む数名の負傷者の手当てに劇団は全力で王都へと向かった。

 その場での適切な応急処置と、王都の最先端の医療技術によって犠牲者を出すこともなかったのは幸運だった。傷跡も、暫くすれば見えなくなるらしい。

 だがしかし、ラティディアの心に刻まれた恐怖だけは、どんな手段をもってしても治すことは不可能だった。

 王都はラティディアの故郷であり、唯一の家族である兄や見知った友人たちと共に過ごせば、きっと心の傷も塞がってくれるだろう。落ち着いたら、追いかけてきなさいと団長はラティディアに告げて王都を後にした。

 毎日毎日、怖くて仕方なかった。

 劇団は大好きだ。憧れの舞台に立ち、観客からの歓声と笑顔を一身に浴びるあの瞬間が大好きだった。

 踊り子でまだ新米の自分は、そんなに多く舞台に出演するわけでもない。しかし、舞台に立つあの高揚感はラティディアの宝物だった。

 いつの日か憧れる主役となり、もっと多くの人を感動させたい――そう、願っていたのに。

 また、魔物に襲われたら?

 そんな囁きに体が動かなくなる。せめて一人でも練習をと思っていたのに、小刻みに震える体は思ったとおりに動いてくれなかった。自分の体だというのに、恐怖に支配されたこの心によって自分の夢すら砕かれるのか。

 情けなくて。でも、親を殺したのも魔物だ。そう思って、また怖くなる。まるで底なし沼のように、足掻けば足掻くほど恐怖が体を縛り付けていく。

 疲れ切った心と体で、何日も眠りにつけていなかった。兄が随分と心配して、知り合いからよく眠れると有名な紅茶の茶葉をもらって淹れてくれたり、自分の好物であるアップルパイを作ってくれたり手を尽くしてくれたのに、いざ眠りにつこうと目を瞑ればあのときの光景が瞼の裏に蘇る。その度に、恐怖を抑えつけてベッドの中で丸まりこんだ。

 気を紛らわそうと、本も読んだ。大好きなおとぎ話。王子様が、さらわれた姫を救いにくるお話。自分にも、そんな相手がいてくれたらいいのに。なんとなく空しくなって、結局眠れなかった。

 じゃあ好きなことをしようか。そう思って踊ろうとする。――怖くて体が動かせない状態だというのに、どうやって踊れようか。

 再三頭の中で考えたが結局打開策は見つからず、毎日規則的に訪れる昼の刻に、ああ今日もダメだったと溜息を零すことを繰り返した。

 溜息の数が何度目だったか数えることも憂鬱になったとある夜。兄が突然、


『昔はお前が寝付けない日、子守唄を歌っていた』


 と恥ずかしそうに告白した。妹の自分が言うのもあれだが、クールでカッコいい兄が自分のために子守唄を歌ってくれていたという衝撃的事実に、思わず大爆笑をしてしまった。まあ、その後ゲンコツを食らわされたが。反省はしました。

 その告白を聞いて、ラティディアはふと思い出した。そういえば踊りの練習に夢中で忘れていたが、歌うことも好きだった。

 亡くなった母と一緒に、音程もやたらめたらな歌を歌ったことをおぼろげながらに覚えていた。

 ――そうだ、歌でも歌おう。これなら、体が動かなくてもできる。

 すうっと大きく息を吸い込み、喉を震わせて旋律を紡ぎあげる。

 一心不乱に、覚えている限りの歌を歌った。昔は、上手だねって近所のおばさんたちが褒めてくれていた。もしかしたら、劇団の歌手にもなれるかも? そう考えたらより一層、歌声に熱が篭った。

 歌い続けて、喉が痛くなって、結局疲れて。

 久々に眠れたのは、歌い疲れた結果のことだった。窓から差し込んできた日差しに重い瞼が開き、久しぶりに眠れた安堵と歌い切った達成感に、溜息を吐き忘れた朝は爽やかだった。

 それからというもの、眠る前は歌を歌うようにしている。

 不甲斐ないが、未だに魔物の恐怖は消えていない。ベッドに入ると、少しだけ体が震える。気を紛らわすために歌を歌うが、いまは歌の練習をして歌手になるためという大きな理由ができた。

 今日は劇団に追いつくために王都を出た日だ。兄から五月蝿いくらいに注意されていたのに早速迷子になり、魔物に襲われてしまうという不幸に見舞われてしまった。

 だけど、彼に出会えた。迷っていた廃墟を抜け出せたのも、魔物による恐怖から庇ってくれたのも全部彼だった。


「窓枠に寄りかかったままだときちんと疲れ取れないよ?」


 悪戯に問うても、規則正しい寝息が返ってくるだけだった。

 先程まで話し込んでいた彼は、いつの間にか自らの腕を枕にしたまま可愛らしい寝息を立てていた。


「またいきなり起きたりしないよね……」


 歌を聞かれてしまったのは、正直な話恥ずかしかった。寝てしまったものだと思っていたのに、いつの間にか顔を覗かせていたからビックリしたものだ。まだまだ練習中だというのに、ルクスはその歌声を好きだと言ってくれた。

 じんわりと心の奥があたたかくなるのがわかった。まだ誰にも内緒の歌を、そう言って褒めてもらえたことがこの上なく嬉しかった。

 これから暫く、ルクスとは道中を共にする。

 魔物を怖がる自分を、劇団に合流するまで守ってくれると言ってくれたルクス。

 出会ってまだ数時間だというのに、なんてお人好しなんだろう。だからこそ、彼が何者かに追われている理由も問い詰めようとは思わなかった。――そう考える自分もよっぽどお人好しだと思うけど。


「うう、ちょっと冷えてきたかな……」


 比較的温暖な気候のイングレッソ王国といえど、夜にワンピース一枚だけではやはり体が冷えてくる。

 座っていた窓枠から腰を上げて、窓のすぐ傍にあるベッドに飛び込む。枕に顔を押し付けていると、柔らかい毛布の感触に意識がぼんやりとしてきた。

 日課も終えて、ルクスと話し込んでいたからすぐに眠れそうだ。

 しかしラティディアの胸は、いつもとは違う感情によって高鳴っていた。

 目を閉じたら、さっきまで話をしていたルクスの笑顔が瞼の裏に蘇る。もうちょっと話してたかったな。明日からいくらでも話せるのに――ノルム国に着くまでは。

 きゅっと、心臓が締め付けられるような気分だった。苦しいはずなのに、どこか蕩けそうな感覚はラティディアにとってはじめての感情だった。


「さっきの歌、もう少しうまく歌えるようになるかな……」


 リベルヴィの団長が作詞作曲の、恋の歌。

 次に歌うときは、多分きっと、今までよりもうまく歌える。

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