0006 蕾が綻ぶ瞬間は
「……そんなに不安そうな顔しちゃってたかぁ。ダメだなぁ」
彼女はそう、苦笑と共に自虐の言葉を紡いだ。
俯いてしまったラティディアに、ルクスの口は慌てて謝罪の言葉を発そうとする。
だがそれよりも先に、勢いよく顔を上げたラティディアの視線によって、ルクスの体は射竦められたように動かなくなった。
目尻を吊り上げ、力強い眼光のままラティディアは
「舞台人ともあろう人間が、不安げな顔をお客さんに見られちゃうだなんてダメダメだ!」
と、大声――言っても、夜であるので抑えていたようであったが――を張り上げた。
「ぼ、僕お客さん……?」
一瞬見せた落ち込んだ様子はなんだったのか。それより、いきなり自分がお客さんになっているのだが。
そんな状況に当惑していると、迫力すらあった視線はすっと地面へと落ち、長い睫毛にその瞳が隠された。
「なんてね、冗談。でも、気付かれちゃったことが悔しいのは事実」
そう言って彼女は笑顔を作るが、歪んだ眉に――ああ、無理している。
「なにかあったの? 僕でよければ、聞くし……ああ、でも話したくないことだったら……」
「別に話したくないことでもないよ。そんなにね、隠してるってわけでもなかったし」
ぎこちない笑みを頬に引っ付けたまま、ラティディアは告げる。
「――私の両親ね、魔物に襲われて死んじゃったの」
一瞬、意味を理解しかねた。
気丈に振舞っているのはその悲しげな微笑からわかっているのに、声の調子は淡々と、今日は雨らしいよ、なんて言ってきそうな軽いものだった。さすれば自分も、そうなんだ、と簡単に返してしまいそうなラティディアの声音。
だから言葉の意味を解したときは、顔面を打たれたような、そんな衝撃に頭の中が真っ白になった。
ラティディアは視線を地面へと落とし、ぽつりぽつりと降り始めの雨のように言葉を紡いだ。
「私が確か、3歳のころかなぁ……。ずいぶん前のことだからほとんど覚えてないんだけどね。近所のおばさんが泣きながら、うちにやってきたの。そしたら、お父さんとお母さんが死んじゃったのよ、って……。私が聞いたのはそれだけで、あとはお兄ちゃんがおばさんと話してたんだけど、魔物に襲われて……って言葉が聞こえてきてさ。それから、なんだろう……魔物っていう存在が怖くなっちゃって」
ラティディアは言いながら、右耳のピアスに指先で触れる。
「街で商人の一行が魔物に襲われたとか、親衛師団の人たちが魔物と戦って重傷を負ったとか、そんな話を聞くのも怖くて。こんな簡単に、人の命を奪う存在が身近にいるんだって思ったら、絶対街の外になんて出ないって」
「でも、いまラティディアは……」
「うん、街の外に出てる。さっきも言ったけど、私、巡業劇団の団員でしょ? ちょうどイングレッソに劇団が来てたときに公演を見てね、……すっごく、感動したの。感動して、私もこんな風に人を楽しませることをしたいって思った。それに、いつまでも街に篭ってばっかりでもダメだなって、劇団に所属して街の外に出た……出たんだけど」
彼女はそこまで言って、その幼くも愛らしい面持ちを苦痛に歪ませた。額には僅かに汗が滲み、膝に置かれた手のひらが震えている。震えを抑え込めるために握りこまれたワンピースには深い皺が寄っていた。
「ラティ……」
声をかけようとした、その瞬間。
ラティディアは掴んでいたワンピースの裾を捲り上げ、日焼けを知らないような真っ白な上腿を月明かりの元に晒した。
「ちょ……! ら、ラティディア!?」
自分でも情けないぐらいに上擦った声を発していた。ほとんど叫びに近かったと思う。
ルクスの上半身を見ただけで顔を真っ赤に上気させていたラティディアが、自らの足を男に向けて晒すなど信じがたい行動だった。予想外の出来事に、ルクスの動悸が激しくなるのがわかる。顔面に血が上ってくるのがわかり、慌てて視線を明後日の方向に向ける。こういうときは、あ、あれだ。難しい問題を考えたらいいって誰かが言ってた。
頭の中で大嫌いな歴史年表を思い浮かべながら、目をきつく瞑り、どくどくと早鐘を打つ鼓動を抑えつけていると
「……ルクス、」
戸惑ったようなラティディアの声が耳朶をなぶる。
吐息交じりの声音はルクスの思考回路を断っていく。せっかく思い返していた歴史年号も雑念の中に霧散していく。
「ルクス、見て?」
「お、女の子がそんなこと言うものじゃありません!」
見て――なんて、自分だって一応、健全な青少年なんだ。女子の体に興味がないわけではない。
だけれども同時に、女子と多く関わることがなかったために女子に対しての免疫もないのだ。接してきた人間といえば、ほとんどが自分よりも10は歳の離れた女性たちばかりで。そんな人間に、その言葉は破壊力がありすぎる。
耳まで熱くなってきた感覚に、もう恥ずかしすぎて余計に顔が熱くなる。
「深い意味はないから。……お願い」
瞼を閉じているために、彼女の表情はわからない。
だが、その声が冗談でも悪戯でもなく、真剣なものであったことは理解できた。
おずおずと瞼を開き、ラティディアに視線を向ける。
彼女は膝から上の太腿を惜しげもなく晒し、躊躇いの色でもってルクスを見つめている。
そんなにお願いされなくても、目線はどうしようもなく彼女の白く傷一つな――
「……どうしたの、それ」
思わず目を見張って、ラティディアの足を凝視していた。
状況だけ考えたらおかしな光景だ。両親がいたら多分、怒鳴られる。
彼女の――ラティディアの左の上腿には、うっすらとだが、裂かれたような創傷が浮かんでいた。左腿の付け根近くから、膝上に至るまでに一直線に刻まれた傷跡。
目を凝らしてようやく気付く程度だが、それでも少女の体には相応しくない痛ましさだった。
「……三ヶ月前に、魔物に襲われて。それで」
ラティディアは物語の語り部のような単調な口調でもって語った。
その言葉を聞いて、ルクスの心は先程までと性質の違うざわめきが支配した。
「移動中の馬車が襲われたの。被害はそんなになかったよ。たしか……私が一番おっきな怪我かな? で、怪我の治療のためにイングレッソに帰省してたの」
これで話はおしまい――そう告げてラティディアは捲り上げていたワンピースを元に戻した。その頬はほんのりと赤みが差している。
ぐるぐると頭の中ではラティディアにかけるべき言葉を探していたが、こういうとき、彼女を励ませるような慰められるような言葉がぱっと浮かんでこない。自分のそういったところは、本当に好きじゃない。
ああ、そうじゃなくて。もっと彼女を、ラティディアを安心させてあげられるような――
「――――僕が守る!」
ざぁ……っと、静まっていた風たちがどよめいたように一陣の風が吹いた。
ラティディアの桃色の髪が風に巻き上げられる。彼女の瞳は、驚きと戸惑いとが綯い交ぜとなって大きく見開かれていた。
「ラティディア、ノルム国まで行くんだよね。だから、その道中だけでもいい。ラティディアが不安にならないように僕が守――」
「ちょ、ちょっと待ってルクス」
慌てたような困ったようなラティディアの声がルクスを制す。
幾度か目を瞬かせ、ルクスは慌てふためくラティディアを見つめる。ラティディアは、うんうんと唸りながら両手を忙しなく動かしては頬を覆ったり髪の毛を弄ったり、ルクスのほうを見たかと思ったら視線を彷徨わせたり落ち着きがない。
そういえば廃墟にいたときも、彼女を安心させたくてこんなことを言った気がする。
「な、なんでいきなりそんな話?」
ようやく返ってきたラティディアの言葉に、ルクスは落ち着いた気分で簡潔な答えを返す。
「僕がそうしたいって思ったから」
思い返せば、ラティディアと初めて会ったあの廃墟でウルフと対峙した際のラティディアの怯えようは異常であった。
世間的にも魔物は恐怖の対象として恐れられているが、魔物の姿を視認したときのラティディアは石のように硬直し、顔面からは血の気が引いて見ているだけで痛ましいほど怯えきっていた。
この集落に来るときだって、暗闇の中で彼女の手は微かに震えていたのを覚えている。
その原因を知った今、彼女をこのまま一人で行かせることは自分が許せない。きっと彼女はノルム国までの道中を一人、震えを堪えながら歩んでいくのだろう。方向音痴だから、ノルム国までは何日かかるんだろう。自分も人のことを言えた義理ではないが。
「…………それ、ずるいよぉ」
絞り出されるようにして発せられたラティディアの声は、力なく頼りないものだった。
口元を両手で覆い、瞳を伏せる仕草は幼子のようないじらしいものがある。
「ダメかな?」
「………………だ、」
「よ?」
「ダメなわけ、ないじゃん……。よ、よろしくお願いします」
頬を薔薇色に染め、上目遣いで告げられた言葉に、ルクスは満面の笑みを返した。
「でも、ルクスも行くところがあるんじゃないの?」
「あ……いや、僕は特にそういったのはないんだ。……詳しくは、話せないけど」
自分は彼女の触れられたくなかったであろう部分を聞き出したくせに、随分と都合がいいことだと内心で自嘲する。
事情を話せば、彼女はこうして普通に話してくれることもなくなるだろう。どうしても、それだけは避けたかった。
「うん、わかった」
しかしラティディアは特別、ルクスを問い詰めることもせず納得を示した。次に目を見開くのはルクスの番だった。
「え、なんにも聞かないの?」
「うん。だって、自分になんにも得がないのに私を守ってくれるっていう人だよ? 疑ったりなんてしない。それに、話せないのも事情があるんでしょ?」
「……うん」
「なら、聞かない。ありがとね、ルクス」
そう言って彼女ははにかみながら表情を綻ばせる。
ありがとう、は自分のほうだ。こんな得体の知れない人間に向けて、曇りのない笑みを向けてくれる。打算も壁も感じない彼女の澄み切った笑顔は、ルクスの心をじんわりと沁み込んであたためていく。
そう思ったのも束の間、
「なんだかルクスって、王子様みたいだよね」
ラティディアの何気ない一言に、ルクスの心臓はまるで剣でも突き立てられたかのような衝撃を受けた。いや、多分本当に刺されたらこれどころではないだろうが。
全身を巡る血が駆ける。鼓動は五月蝿いくらいに音を立てているのに、自分の体からは血の気が引いていくのを感じた。背筋がすうっと冷える。のに、手のひらには汗を握っている。
「ど、どどどうして?」
発した声が裏返っている。吃りすぎたと言ってから後悔した。
そんなルクスの様子に気付いていないのか、ラティディアは思い起こすように視線を持ち上げて小首を傾げる。
「昔、お兄ちゃんに読んでもらったおとぎ話の王子様に似てるなーって思ったの」
「そ、そうなんだ。……そうだよね、うん、そりゃそうだ」
「どうかしたの? ルクス」
「なな、なんでもないよ! そうだ! さっきラティディアが歌ってた曲ってなんて歌なの?」
自分でも無理な話題転換だと思ったがこの際気にしていられない。
「え、あの歌?」
首を大きく縦に振ると、ラティディアはきゅっと目を細めて可憐な笑顔を浮かべた。
「少女がはじめて恋をした歌」
綻ぶような笑顔の中で、彼女の目元が朱に染まっていたことにルクスは気付くことがなかった。




