0038 存在の是非
ユディーナから告げられたその言葉を、ルクスはすぐに受け入れることができなかった。
明かされた事実を受け止めるのに、唇が渇き切ってしまうほどの長い時間を有して、ようやくルクスは喉を震わせる。
「……亡くなったって」
「母上も、その時。……わたくしは体調を崩して自室におりましたので、こうして生き延びております」
淡々とした声音に反して、ユディーナの両の手のひらはドレスの裾を固く握りしめている。
まだ成人の儀も迎えていないような幼い少女が、ある日突然両親を失い、その細い肩に大国を背負うことになってしまった。それがどれだけの負担をこの少女に与えていたのだろう。俯くユディーナの眦に、光るものが浮かんだと気付いたその時には、ユディーナは両手で顔を覆い、崩れるようにして泣き出してしまった。
「兄がいたのです……その兄も、刻の歪みを直後に行方をくらませてしまって……!」
謁見の間に響く少女のか細い声。膝を折り蹲る少女に慌てて駆け寄ったラティディアが、その小さな背中をゆるく摩る。
「ご両親も亡くして……お兄さんもいなくなって……辛かったね」
悲痛な面持ちでそう囁くラティディア。彼女もまた、魔物によって幼いころに両親を亡くした身の上だ。兄がいるという共通点もまた、ユディーナの心境を理解できる要因であるのだろう。
泣きじゃくっていたユディーナの涙がようやく涸れるのには、それなりの時間を要した。「みっともない姿をお見せして……」と申し訳なさそうに項垂れるユディーナに、ルクスは一歩歩み寄る。
「お兄さんは、誰かに連れ去られたとか、そういう可能性はないんだよね?」
ユディーナは首を振って否定を示す。
「兄は、剣術を嗜んでおりました。簡単に連れ去られたり……殺されたり、は、ないはずです」
「そっか……」
それならば、昨日の一件のように皇家を狙った犯行、という線は薄い。
「ある日、忽然と。前触れもなにもなく、まるで神隠しのように……」
ユディーナ曰く刻の歪みが起きて一か月ほど経ったとき、兄は突然姿を消したという。部屋に荒らされた形跡もなく、前日に変わった様子もなかったと。
彼女から聞く話だけでは、彼の行方がどこか特定――いや、生死すら判断がつきかねない。もし彼女の兄が生きていたとしても、こんな刻の歪みが頻発する中で闇の民である皇家の人間が生きていけるのかとの不安も頭を過る。少なくともルクスが同じ境遇であったのならば、恐怖で体が竦んでいることだろう。
「……こんなことを聞くのは、とても申し訳ないのだけど……ユディーナ、君は古文書の在り処を……知ってる?」
小首を傾げ、一つに結わえた髪を揺らしながらハインラインがユディーナに問う。ユディーナは「いいえ」と小さく項垂れた。
「古文書は……何者かに盗まれたようで」
「盗まれたぁ!?」
ティオンが声を荒げる。それにびくりと肩を震わせるユディーナ。彼女の傍に付き添って今もなお背中を摩るラティディアが、鋭い視線でティオンを睨み付けた。
「盗まれたって……」
「刻の歪みの、あとに……。騎士団の者たちも刻の歪みで多くが亡くなり……他にも……警備が手薄になっていることをがわかっていたのか、わたくしも知らぬ間になくなっておりました」
「……他にも、って?」
ユディーナの濁した言葉を、ハインラインがすかさず拾う。その目はやはり、光を欠いた冷たい色で。
「…………ゲルナイトを、ご存知ですよね」
彼女の血色の悪い唇が形作った言葉に、ルクスは目を瞠る。彼女の口からまさか『ゲルナイト』なる単語が出てくるとは。いや、刻の歪みに関することで、彼らのことが耳に入っていてもおかしくはないのか。
「うん、知ってる」
「そのゲルナイトに吸収されてしまった者も、少なからずいるのです」
「……やっぱりね」
ハインラインが納得したように視線を逸らす。先ほどから告げられる事実に驚愕しきったままの頭に、いまさらそんな情報が飛び込んできても余計に混乱してしまうだけだ。
思案する。ゲルナイトの目的。それは、この世界を闇に変えること。この目で確かに見た、刻の歪みによって大切な人を失い、嘆き苦しむ闇の民たち。ゲルナイトに吸収されてしまった――否、自ずからその野望に加担した者も多いのであろう――騎士団の人間もまた、だれか大切な人を亡くしたのだろうか。そう考えると、一概に騎士団の者を責める気にもなれなかった。そして、ゲルナイトという存在の是非についても。
古文書はゲルナイトに盗まれたと考えるのが妥当であろう。イングレッソを出る際のレオの言葉も確証がなさそうなものであった。
可能性が低かったとはいえ、クロノアジャストへの手がかりはやはり盗まれてしまっていた。クロノアジャストを探し求める旅は、また振り出しに戻る。
「……ルクス様、お願いがあります」
掠れた声音。ユディーナのものであった。
「……なに?」
真っ赤になった瞳を覗き込み、ゆっくりと彼女に問い直す。ユディーナの目には、涸れ果てたはずのものが滲んでいた。
「ルクス様たちは……これからも旅を続けられるのですよね。それならば……兄を、お兄様を……!! どうか見つけてくださいまし……っ!」
ユディーナはルクスの赤いコートにしがみつくように、そう懇願する。行方知れずのこの国の皇子。彼さえこの国に戻ってさえくれば、この国の治安も少しは改善されるのであろうか。それ以前に――ユディーナが、安心して笑うことができるのだろうか。この二日間で会った中で、年端もいかない少女の、笑顔は一度も見ていない。
「……もし見かけることがあったなら、可愛い妹さんが心配してますよって、きっとそう伝えるよ」
コートを握りしめる少女の手に自らの手を重ねて、ルクスはそう答えた。
***
ユディーナに別れを告げ、ルクスたちは城を後にした。
「はぁぁ。結局手がかりは掴めずじまいだな」
大きく伸びをしながら、あからさまに落胆した声をティオンが上げる。
イングレッソ王国から海を渡って隣国まで来たにもかかわらず、得られた手がかりはひとつもなし。気落ちしてしまうのも無理はない。だが、それでもルクスにとっては得るものがあった。まったく知ることのなかった、闇の民の多く住まう隣国の現状、刻の歪みが引き起こすあまりにも悲しい惨事。
「これからどうするの……? 他に行くあては?」
「……それでしたら、テルズ国に行ってみるのはいかがでしょう」
「テルズ国?」
彼儚の言葉をルクスが繰り返す。
――テルズ国。ルクスたちも一度赴いたことのあるノルム国の西に位置するナラティブ大陸にある国だ。
「テルズ国は『旅人の終着点』とも言われるほど、旅人が多く集まる国です。世界中を渡り歩いた旅人たちが集まっております。クロノアジャストの手がかりを見つけられる可能性は少なくはないかと」
彼儚の提案は一理ある。イングレッソの王でさえ、古文書を開けたことがなかったためにクロノアジャストの場所を知らなかった。それならば、世界中を巡った旅人でクロノアジャストの手がかりとなる情報を持っている者がいる可能性というものに賭けてみる価値はある。旅人が多く集まるというのだ、万に一人でも知っている人間がいないとも限らない。
「行くあてもなくなったことだし、行ってみようか、テルズ国」
そう言ったルクスに、皆が頷いたことで次の行き先が決定した。




