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0003  天空時計ウラーヌス

 遺跡から随分と離れ、結局どこだかわからない小川の傍でルクスとラティディアは駆け続けていた足を止めた。

 とりあえずルクスは土埃や血で汚れてしまった顔を小川の水で洗う。

 本当はジャケットも脱いで洗いたいところだったが、乾かす場所も時間もなかったので脱いで軽く叩いて表面の汚れを落とすだけで我慢した。ポケットに突っ込んでいた懐中時計を取り出して見てみると、夜の刻までもう時間がなかった。

 下流にいるラティディアを見遣ると、靴を脱ぎ、疲れた足を川につけて気持ち良さそうに鼻歌を歌っている。


「ラティディアは、ノルム国まで行くんだよね」


 問い掛けに歌をやめ、こくりと頷くラティディア。


「さっきの変なところからも出れたし、ここからなら大丈夫かも!」


 かもって不安だなぁとルクスは苦笑する。実際二人は現在地がどこであるか把握していない。


「そういえば、ルクスはどこに行くんだっけ?」

「えっ、僕?」


 きっと深い意図はないのだろう。無邪気に問い掛けるラティディアに、自分が追われている身であることを改めて伝えることも野暮な気がした。

 取り合えず頭の中で世界地図を広げた。子供のころから幾度となく眺めていたものだから、地理地形は把握している。実際に外の世界に出てみると、まったく役に立ってくれていないが。

 ラティディアの向かうノルム国は現在、自分たちのいるイングレッソ王国の南西に位置する隣国だ。大きな港町があり、人々や物流の行き来の多い栄えた国である。

 しかし、いくら隣国と言えどもノルム国までは街道を道なりに歩いて2日はかかる距離だ。とても今から歩いて着くわけはない。

 そういえば、と思ってルクスは振り向く。広い広い草原の向こう、おぼろげな輪郭でぽつりと山のようなものが見えた。

 だだっ広い草原の只中にあるひとつの山――遠目からでは山のように見えるが、実際はいくつもの建物が積み重なって山のように見えるだけなのだが。あれが、ルクスの生まれ育った街だった。


「……ルクス?」


 呆然と故郷の姿を見つめるルクスの背後から、ラティディアが声を投げる。その声にルクスは返事すら返せなかった。

 あれが、今まで過ごしてきた場所。今まで知ることのできなかった外側からの世界。胸の奥のほうに、じんじんと痛みと熱さを感じる。

 ようやく焦がれた外に出ることができた。その感覚は、喜びと故郷を離れた僅かな寂しさからくるということだと、ルクスもわかっている。


「一年だけでいいんだ……」

「え?」

「…………ううん。なんでもない」


 ルクスは笑って故郷に背を向ける。まだ寂しさを覚えるのには早すぎる。今は、目の前に広がるこの広大な世界だけをこの目に映していたい。


「でも、どうしよっか。さすがに野宿は危険すぎるし……」

「せめてここがどこだかわかったらいいんだけどね。アハハ……」


 ラティディアの乾いた笑いが風にさらわれ消えていく。

 先程時計で確認した時刻は昼の5時45分。夜の刻までは残り15分だ。


「とりあえず、今日中にノルム国に行くのは無理だし、どこか泊まる場所を探そう」


 ルクスの言葉にラティディアも川に晒していた足をあげて出発の準備を始めた。

 しかし、残り15分でどこまで行けるだろう。せめて街道を見つけられたら、その道なりに小さな集落があるだろうからそこの人にお世話になることができる。

 でも今はどこだかわからない小川の傍にいる。残りの時間では、街道を見つけることも危ういだろう。

 唸るルクス。目の前では、出発の準備を整えたラティディアが曇りのひとつもない瞳でルクスを見つめている。

 確か、地図は持ってきてなかった。ポッケに手を突っ込んでなにかないものかと弄っていると、故郷を出る際に懐中時計と共にポッケに押し込んでいた方位磁石を見つけた。

 よかった、絵本に出てくる旅人の少年が持っている物は絶対に必要なはずだと突っ込んできててよかった。と、胸の内でそう思う。


「よし! ここは北へ向かおう!」

「北ってどっち?」


 方位磁石を覗き込み尋ねてくるラティディアに、ルクスはえっ、と驚きを漏らす。


「あ……ほら、この針の先が示すのが北」

「そうなの!? ルクスってすごい!」


 無邪気に褒めてくるラティディアに、ルクスも一度は拍子抜けしたものの悪い気はしなかった。しかしこの子は、地図も持ち合わせず方位磁石も持たずどうやってノルム国を目指そうとしたのだろう。無謀としか言いようがない。


「ラティディアはどうやってノルム国を目指そうとしたのさ」


 苦笑交じりにルクスが問う。ラティディアは花のような笑顔を咲かせ、すっと手を上げて傷一つない指先で空を指した。


「あれだよ。『天空時計』。あれの12時の方向が北だから、街道を10時の方向に向かえばノルム国に着くってお兄ちゃんが教えてくれたの」


 ラティディアが指差す方――それは即ち空である。その先を見上げてみれば、突き抜けるような晴天の中に巨大な、それこそ視界に収まりきらないほどの時計が時を刻んでいた。

 青いキャンパスの中に白い線で描かれた今にも溶けて消えてしまいそうな淡い時計。だが、確かにそれは時を刻んでいた。

 手元の懐中時計と同じ時を示し、同じように長針が動く。


「天空時計ウラーヌス……」


 それが、この時計の名前であった。

 どうやって存在しているのか、どうやって動いているのか、それは誰も知らない。『いつの間にか存在していた』らしいのだ。教科書にも歴史書にもそうとしか書かれていない。

 ぼうっとその不可思議の塊とも言える時計を、穴でも開けるつもりなのかと思えるほどの眼差しで見つめるルクス。

 しばらく見つめて、


「あっ」


 と気付く。天空時計の長針は、12時の方へ今まさに動こうとしていた。

 長針が12時を指し示す、その瞬間。

 前兆も音もなにもなく。ただ突然に、世界には闇が訪れた。

 数瞬前まであった青空は、今は漆黒に塗りつぶされ幾千もの星々を散りばめた夜空へと移り変っている。

 天空時計は闇の中に白い線をくっきりと浮かび上がらせ、昼の刻よりも鮮明に時を示している。こうやって驚いている間に、夜の刻になって1分が経過していた。


「早いね、もう夜の刻かぁ……。早く街道見つけないとね」


 ラティディアが苦笑交じりにそう言う。

 今から18時間という長い長い闇が世界を支配する。そしてまた18時間後に、先程起こったような昼と夜の変化が突然訪れるのだ。

 空に浮かぶ月と星だけでは心許ない明かりが地上に落ちてくる。目の前にいるはずのラティディアの姿も、闇にぼやけて距離感が掴めない。


「とにかく、急ごう。この時間は魔物が……」


 言い終えるか否か、ルクスが徐に振り返る。

 夜の刻は、魔物の活動が活発化するため、街の外には出歩かないようにするのが常識だ。街にも魔物の侵入を防ぐための壁や柵などを施しているのだから、魔物の存在は人間にとって脅威であるのは事実である。しかしそれでも、魔物に人間が襲われるという被害は後を絶たない。

 今しがたも、背後からの魔物の気配をルクスは感じ取っていた。ルクスが気付いたからこそ、魔物はルクスたちから距離を取ったが、いつまた迫ってくるかわからない。それだけでなく、自分が気付いていないだけで魔物は行動を始めているのだろう。自分たちが狙われるのも時間の問題だった。


「せめて明かりでもあればなー」


 魔物は基本的に光を嫌う。強い光源があれば、それを避けて魔物も自分たちから離れていくだろう。

 が、そんな都合のいいものは持ち合わせていない。絵本の旅人はカンテラを持っていたけれど、生憎自分は光源どころか火の元すら持っていない。

 時間が経ったことで闇に目が慣れたのか、目の前のラティディアは小首を傾げてルクスに声をかける。


「明かり? 懐中電灯ならあるけど」


 そう言って彼女は徐に腰に携えていたポシェットに手を差し込む。暫くごそごそとポシェットの中身を探していたかと思った、その瞬間。

 ぱっと、目の前が真っ白になった。


「わっ!」


 思わず仰け反る。ちかちかと眩む視界を瞬きを幾度かして元に戻すと、目前で誇らしげな顔をするラティディアを見つめた。

 ラティディアの手に握られているのは、煌々とした明かりを放つひとつの懐中電灯。眩いばかりの光はいま、ルクスの足元を照らしている。


「お兄ちゃんが持っておけって。『お前はなにかなくても心配』だってさ」

「大事にされてるんだね」

「馬鹿にされてるだけな気もするけどね」


 不満交じりの声音でラティディア。

 ラティディアの持っていた懐中電灯の明かりが魔物を遠ざけたのか、周囲にあった魔物の気配も感じられなくなった。

 しかし、気になることがある。


「ラティディアのお兄さんって……何者?」

「お兄ちゃん?」


 ラティディアは不思議そうな顔をして小首を傾げる。

 彼女の持っている懐中電灯は、側面に組み込まれた『ホープ』が太陽光を取り込んで光を発生させる物だ。これに使われている『ホープ』は基本、魔法を使う際に用いられるものであるが、他にも人々の生活で必要とされる水を作り出したり、火を起こしたりそういった用途でも使われている便利なものである。

 しかしこの『ホープ』自体は希少なものであり、生活に必要なものとして広く利用されてはいるが、市民一人ひとりが所持できるような代物ではない。

 ラティディアの持っている懐中電灯だって、普通の市民がカンテラで光を取るのに対して、貴重な『ホープ』を組み込んでいる代物であり高級品としてなかなか手に入らないとして有名だ。そんなものが、劇団の踊り子だと言うこの少女のポシェットから出てきた。驚かないほうが無理だ。


「お兄ちゃんは、イングレッソ王国の親衛師団に勤めてるよ。かっこいいんだから!」


 どこか誇らしげな様子で、ラティディアは言う。

 会ってまだ間もないルクスに、兄のかっこよさを語るぐらいだから、ラティディアは随分とそのお兄さんが好きなのだろう。その気持ちが伝わってきて、ルクスの口元にも笑みが浮かぶ。

 しかし、


「親衛師団……か」


 聞き慣れた単語に、ルクスの声もどこか暗くなる。


「どしたの?」

「あ、いや……知り合いがいてさ」

「そうなんだ! もしかしたら私も知ってるかもね。お兄ちゃんに会いに仕事場行ってたりしたから、親衛師団の人とは結構知り合いなんだー」

「あはは、そうだね」


 はぐらかすような笑顔を向けてルクスは踵を返す。

 僕だって、知り合いすぎてて今は会いたくないくらいだよ――その言葉は、口の中で噛み潰した。


「さ! 早く街道を探そう! 僕、お腹すいた!」

「あ、言われたらなんか私もお腹へった! 行こう行こうー!」


 懐中電灯から放たれる明かりを振り回し、ルクスとラティディアの二人はどこにあるのかわからない街道を目指して歩き始めた。 

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