0036 少女の瞳に蒼穹をみる
騎士団の少女チレスの傷も治し、スフィルから残りの残党の始末もできたと報告を受け、一行は安堵する。
「門番から話は聞いた。皇帝陛下に謁見とのことだな」
ルクスがイングレッソ王国の王子と聞いたあとでも、スフィルの応対に変化はなかった。なんでも敬語が苦手らしい。ティオンが勝手に親近感を抱いて「僕も僕も」と賛同するが、スフィルはそれを軽く受け流し、悲痛な面持ちで申し訳なさそうにするだけだった。
首を傾げるルクスたちに、隻眼の女性は唇を引き結ぶだけで。
「……事情は、ユディーナ様から聞いてくれ」
言われるがままにルクスたちは皇女の部屋へと足を踏み入れた。
部屋の中は、少女らしい小物が多く見受けられた。天蓋付きのベッドや部屋の中央にある大理石で拵えたテーブルなど、皇家らしい高価なものが配置されている中で、ぬいぐるみやフリルのあしらわれたクッションなどがあるのはいささかちぐはぐな印象を受ける。
そんな部屋の端――豪奢なレースの施されたベッドの傍で、一人の少女が佇んでいた。
腰まで伸びた菫のような淡い髪。稲穂のような金色の瞳が、ルクスたちの姿を捉えていた。
「……チレスさんから伺いましたわ。遠路はるばるお越しくださった上に、城を守ってくださったと」
言って、少女が頭を垂れる。深く腰を折る少女の肩は、小刻みに震えていた。
「……君が、ユディーナ?」
「はい。ユディーナ・サターグと申します。お初にお目にかかりますわ」
面を上げて、皇女ユディーナが告げる。
まだあどけない雰囲気を残した少女。歳はラティディアと同じころだろう。だが、ルクスを見つめる瞳はラティディアのそれよりももっと脆そうで儚げな色をしている。
野盗たちを捕えたというにもかかわらず、ユディーナの表情は曇ったままだ。
「皇帝陛下に、謁見とのことですね……」
ユディーナの顔に昏い影が差す。改めてよく見てみると、少女の顔色は青ざめていた。病的なまでに白い手のひらで、ドレスの端を握り締める少女。彼女の足元にはクマやウサギといったぬいぐるみが彼女を囲うように寄り集まっていた。
それを見たルクスが、徐に口を開く。
「えっと……ユディーナ」
「はい」
「謁見の話なんだけど、明日でもいいかな」
ルクスの突然の提案に、ユディーナが目を瞠った。それと同時に、ドレスを握り締めていた力が緩められるのを、ルクスは見逃さなかった。
「こんなことがあった後で、君も疲れているでしょ。僕たちもこの街に来たばかりで、体を休められてなかったし。それでもいいかな?」
ユディーナが緩く頭を振る。その口元が僅かに綻んだのを見て、ルクスも胸を撫で下ろした。
「お気遣い感謝いたします。では明日、ルクス様たちの都合のよい時間で構いません」
約束を取り付け、ルクスたちは城を後にした。
城門をくぐると、騒動があったとは思えないほど、城の周囲は静まっていた。ポケットから懐中時計を取り出し時刻を確認すると、夜の十五時。思った以上に時間が経過していた。時刻を確認したら、実感するのは空腹であって。
「……お腹空いた」
ハインラインが昏い瞳でルクスを見上げている。早く宿へ行って食事を取ろうという強い圧力だ。旅の中で何度も経験したために理解している。
「わかった、うん。宿に行こう」
「……にしても、ルクスって優しいよね」
隣からひょっこりと。顔を覗かせた少女に首を傾げる。
「なんで?」
「皇女様が疲れてるだろうからって、わざわざ出直そうって言ったんでしょ?」
言って、笑顔を浮かべるラティディア。
――確かに、それは事実である。ユディーナのあんな、憔悴しきった面持ちを見たら、誰だってきちんと休んでもらいたいと思うのが普通だろう。そう思っての提案だったが、改めて誰かに言われると少しばかり気恥ずかしい。
「……でもちょーっと、妬けちゃうなぁ」
半眼でラティディアがルクスを見つめる。
それにはにかんだ笑顔を返しながら、ルクスたちは繁華街のほうへと足を向けた。
「……そういえば、彼儚とあの男はどこ行きやがった」
唯一ティオンが、その場にいない二人に気付いた。城を出てくるまでは一緒だったはずだ。はぐれるなんてないはずだ。――だが
「――まぁ、すぐ帰ってくるだろ」
自身も疲れていたティオンは、深追いをせず。先行くルクスたちのあとを追った。
***
城から離れ、繁華街に続く道から外れた街の一角。そこで、人気のない路地裏で少女と青年が向かい合っていた。
「……それで、なんのご用でしょうか」
蒼い瞳の少女が、背の高い青年を見上げる。壁を背に、彼儚は日頃となんら変わりのない穏やかな笑みを浮かべていた。
「用っていうか、ちょっと質問っていうのかな?」
少女が逃げられないように、壁に手をつき青年が首を傾ける。血のような赤い双眸が見つめる先は、彼儚の首元に光るホープだ。白い肌の上で不可思議な光を放つ、勿忘草の花のような色のそれは、魔術を扱うためには必要不可欠なものである。
「さっきさ、君――――ホープ、使ってなかったよね?」
唐突なケネスの問いにも、彼儚の表情は揺るがない。
「見間違いではありませんか?」
「そんなことないと思うけどなぁ。一応僕、魔術師協会に所属してるわけだし?」
青年の指先が少女の首元の珠に伸びる。
ケネスが言う『さっき』とは、もちろん城の中での話だ。
「あの風の魔法。詠唱を短縮したのはわかる。君がそれだけ魔術に長けてるってのもね。でも、君は焦ってたのかすっかり『ホープに触れる』という動作を忘れてた。違う?」
魔術を発現するには、詠唱と、ホープに触れるという一連の動作が必要となる。
だが、彼儚は風の魔法を使った際――ホープに一度も触れていない。
「……それが、どうかしましたか」
彼儚は否定をしなかった。それにケネスは、口元を釣り上げる。
「すっごく興味あるんだよね。魔術師協会は名の通り魔術を研究してる組織だ。いままで何万もの魔術師たちが研究に身を投じてきたけど、誰一人として魔術を使う際の大前提であるホープについて深入りすることができなかった。ホープなしで魔術を発現することは不可能というのが当たり前だったからね」
赤い瞳は好奇心に煌めいている。まるでどこかの王子のようだ――なんて内心で考えながらも、彼儚はケネスの言葉に頷きもなにもしなかった。
「それだったのに、その大前提を覆す子が目の前にいる。興味が湧いて当然じゃない?」
「……わたし相手に研究でもなさるつもりですか」
「そうだねぇ。まぁ、安心してよ。人体実験とかそんな悪趣味なことはするつもりもないし」
軽薄な笑みを浮かべてケネスが彼儚との距離を詰めた。
「お手伝いをしたいのは山々ですが、わたしはルクス様の護衛です。わたしにできることは限られていますよ」
「そう言われると、無理やりにでも連れ去りたくなるよね。僕ってさ、僕の思い通りにならないことが嫌いなんだ――」
言ってケネスが、彼儚の手首を掴み上げる。乱暴に掴まれた痛みに、彼儚の表情が強張った。
嘘か本当か見極めのつかないケネスの気まぐれな声音。飄々とした口振りに、彼儚は内心で当惑していた。
まさか本当に連れ去られるわけはないだろうと頭では理解しているものの、赤い瞳は真剣な色でもって彼儚を見下ろしている。青年の底の知れない口振りと笑みに、彼儚は彼の真意を汲み取れないでいた。
無言のまま、ケネスと彼儚が見つめ合う。そして――その瞬間は唐突に訪れた。
世界の色が、反転したのだ。
***
目の前を砂塵が舞っていく。さらさらと日の光に照らされて煌めくそれは『人であった』ものだ。
それはあまりにも突然に訪れた。ルクスたちが宿を見つけて扉を開けたその瞬間に――《刻の歪み》が起こったのだ。
日の光に照らされた街中には、悲鳴と泣き声が幾重にも響き渡っている。
「……嘘、だよね」
喉の奥が震える。目の前で起こった光景を、ルクスは信じたくなかった。
つい一瞬前まで、自分の視界にいた人々が――刻の歪みが起こった瞬間に砂塵となって姿を消した。それは呆気なく、残酷に、人の命を奪っていった。
「…………闇の民の呪いって、こんな……」
ラティディアが口元を両手で覆って咽ぶ。その背後で、先に宿に入って無事だったミランジェが瞠目していた。宿に入るのが一瞬遅ければ、ミランジェも他と違わず砂塵と化していただろう。
風が砂を浚っていく。石畳の上を流れていくそれが人であったものだなんて、信じられなくて、信じたくなくて。
ルクスは恐怖に震える手のひらを握り締める。
「こんな、呆気なく人が死ぬの……?」
ただ、日の光に触れただけで。目の前にいた友人が、家族が、命を落とす。闇の民は、そんな状況に何百年間も身を置いているのだ。
恐ろしいだろう、光が怖くて当然だろう。それであるのに、刻の歪みなんてものが起こってしまって、闇の民はいったいどんな心境にいたのだろう。
――トゥルースヌーンで出会った、闇色の少年の姿が、ルクスの脳裏に蘇っていた。
世界を闇に変える――そう、あの少年は言っていた。漆黒の中で鋭く光る月のような金色の瞳には、強い決意の色が浮かんでいた。
「……いまなら、君の言葉も理解できる気がするよ。――――ダルク」
一度だけ聞いた、少年の名前を呼ぶ。
宿の中にいたミランジェが訝しげな表情を向け、そして――射殺すような眼差しをルクスに向けた。
***
気が付けば、世界は眩しかった。刻の歪みが起こったのだと理解するのに、そう時間は必要なかった。ケネスは不思議と冷静な頭でぼんやり考える。
――昼の刻が訪れたというのに、なんで僕死んでないんだろう。
視界の端を砂塵が舞っている。どこかから流れてきた『人であったもの』だろう。フードも被らず、無防備だったはずの自分もああなっていておかしくなかった。それなのに、どうやら自分は生きている。
「……ご無事ですか」
頭上から、柔らかな声が降ってくる。ケネスの目元を、黒髪がちらつく。くすぐったさに、思わずケネスは目を細めた。
「――助けてくれなんて、言ってない」
鼻孔をくすぐる甘い香りと、少女の柔らかな腕に抱かれてケネスが呟く。
自らを抱き締める少女が、小さく微笑んだ気がした。
「……助けないでくれとも、言われていませんから」
穏やかな声音で、少女がケネスを見下ろしていた。
刻の歪みが起こったのに、ケネスが生きている理由。それはひどく単純なものだった。
つい先程まで連れ去るだのなんだの話をしていた少女がケネスを抱き締め、日の光に触れないようにしてくれた――ただそれだけ。
だが、そのおかげでケネスは生きている。自分よりも小さく華奢な少女の影に隠されて、ケネスは一命を取り留めた。
ケネスの顔を覗き込んでくる彼儚。鼻先が触れそうな距離だ。深い深い蒼の瞳は、自分を案じるような憂いた色で。
「…………この借りは、いつか返すから」
不満げな声音にも、彼儚は柔らかに笑みを深めるだけだった。
蒼い瞳から、ケネスは視線を逸らせない。見たことのない綺麗な色に囚われて、見惚れている。
少女の背後には、澄み切った青空が広がっていた。それはまるで、少女の瞳と同じような深い蒼穹で――。
高鳴り出した自らの鼓動に、ケネスはまだ気付けない。




