0035 魔術師は闇に笑う
廊下を駆けるルクスたち一行。スフィルが指し示した先は、謁見の間であった。
神聖エグザト帝国の皇女・ユディーナがいるという部屋は、その謁見の間からそう遠くない場所にあると言う。
イングレッソのものと違い入り組んだ廊下を駆け続けていると、次第に喧騒が近付いてきた。刃物がぶつかるような金属音も、方向を同じくして聞こえてきていた。
角を曲がり、謁見の間へと続く扉を目前としたその時――、扉の前にいた二人の男がルクスたちの姿に気付いた。男二人はすぐさま短剣と斧を手に取り、一行へと向かってくる。
「下がってろよ!」
叫ぶと同時、ティオンが駆け出して男たちへと飛びかかる。軽やかとも言える足取りで男たちとの距離を一気に詰めると、持っていた槍を高々と掲げ、短剣を持った男へと振り被る。高い金属音が響き渡ったと思った次の瞬間には、男が手にしていた短刀は根元からぽっきりと折られてしまっていた。
「ティオンさん、しゃがんでください!」
続いて響いたのは彼儚の声だった。彼儚は右手を宙へと翳す。――すると、彼女の手元には複数の氷の刃が生まれていた。
彼女の右手は再び宙を切り、それに反応するようにして氷の刃が男たちの許へと放たれる。鋭く尖ったその切っ先は、本物の剣のような輝きを纏い、男を身に着けた衣服もろとも背後にあった壁に縫い付けた。
「いきなり怖いんだよお前は!!」
ティオンがしゃがみ込んだまま彼儚へと怒鳴り上げる。だがしかし、文句を言いながらも武器を持った男二人の動きをものの一瞬で封じてしまったのだから、二人の息はそれなりに合っているのだろう。
「野盗の多くは、謁見の間にいるんだよね」
「ああ、だが……今はユディーナ様の安全が優先だ」
スフィルが早口で答えた。厳重に閉じられた扉の先では、怒号と剣戟の音が絶えずして響いている。
「案内してください」
隻眼の女性が頷く。一行はそのあとを追って、再び走り出した。
***
ユディーナの部屋に続く通路は、野盗たちによって照明を壊されたのか闇に包まれていた。
視界を奪われ立往生を余儀なくされたとき、平坦な声音が囁く。
「ラティ、この間教えてもらってたでしょ……光の魔法」
「え、あ……うん!」
ハインラインの言葉に、ラティディアが慌てて右耳へと手を伸ばす。ハインラインもそれと同時に、胸元で揺れている緑色の珠を握り締めた。
「――――その希望に願いを刻む」
そんな文言から始まる魔法の詠唱。少女と少年の声が重なって、歌のような澄んだ詠唱が闇の中へと木霊する。
二人の詠唱が完成し、ラティディアとハインラインのホープが一際強く輝きを増した。そして次の瞬間、煌々とした光の塊が生まれ、それが一行の目線ほどの高さでふわりと浮かび上がった。
「誰だ!」
野太い声が響き渡る。それと同時に慌ただしい足音がルクスたちの許へと近づいてきた。ひとつ、ふたつ……いや、それ以上だ。
「ちぃっ。うじゃうじゃと鬱陶しい……」
憎々しげにティオンが呟き、槍を構える。それに並ぶように彼儚も前へと進み出た。
闇から姿を現したのは四人の男であった。槍、斧、鉈と、それぞれに違う武器を振り上げてルクスたちに迫ってきている。
ルクスも腰の大剣へと手を伸ばす――が、それを抜けずにいた。相手は野盗といえど、普通の人間だ。今までのような魔物とはわけが違う。怪我をすれば痛いだろう、下手をすれば死ぬかもしれない――そんな不安が胸の中を支配する。
だがここで剣を抜けずにいたら、あっという間に自分たちが被害を受ける。ラティディアもハインラインも戦闘には向かないし、護衛の二人も自分たちを守りながらでは行動が制限されてしまう。
そんなことを思っていたら、敵はもう目前にまで迫っていて――。
握り締めた柄に力を込める。剣を引き抜こうとした、その瞬間
「――動けねぇならすっこんでろ!!」
罵声にも似た叫びを上げて、ティオンがルクスの眼前へと飛び出してきた。ティオンの槍の切っ先が弧を描き、彼と同じく槍を構えて襲いくる野盗へとそれを振るう。野盗の持つ槍の柄が折れ、男の肩から腹にかけてをティオンの槍が鋭く切り裂く。鮮血が迸った。だが、致命傷までには至らなかったらしい。男は地面へと倒れ伏した。
「だから足手まといっつったんだよ!!!」
再びの怒号にルクスが震えあがる。彼の怒りに気圧されたわけではない。彼の言葉に怯えていた心が勇み立ったのだ。
「大丈夫。僕も、戦える」
不安げな蒼い瞳がルクスを見つめていた。安堵させるように大きく頷いて、ルクスは大剣を鞘から抜き放つ。
激しいぶつかり合いの音に気付いたのか、遠くのほうから再び足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
またティオンに足手まといと言われるわけにはいかない、剣を正眼に構え、戦えないラティディアとハインラインを背中に前へと一歩踏み出す。
闇に眼を凝らす。――と、そこから飛び出してきたのは、信じられないものだった。
体中を灰色の毛が覆い、四本足で疾駆してくるその姿。それは――
「……魔物!?」
そんな、まさか。魔物が人間に加勢しているというのか。信じがたい光景に目を瞠る。騒動に混じって城内に侵入してきたのかとも考えられたが、それならば野盗たちにも混乱があって当然であるのに、そんな様子は見受けられない。
魔物は狼のような姿をしたものだった。ウルフにも似ていたが、ウルフにしては体躯が二回りほども小さい。
「……下等な魔物だ、適当に餌付けていればなつく場合も大いにある」
驚愕しているルクスの隣に、常盤色の髪をした少女が並ぶ。ミランジェは、自らの目の高さまで右手を掲げる。すると、袖のあたりから茨のような文様が彼女の肌の上を這うように伸びてきた。それはまるで生き物のようにミランジェの素肌を伝っていく。あまりの不気味さにラティディアが短い悲鳴を上げたのも厭わず、ミランジェは冷たい容姿の中に嗜虐的で蠱惑的な笑みを浮かべた。
ミランジェが虚空で茨の文様が浮かぶ手を振り翳す。その瞬間、彼女の手のひらから飛び出すように、灰色のなにかが姿を現した。
「ドッチオーネ、やっておしまい」
灰色のなにかに向けてミランジェが命令を下す。それは歪な両翼で滑るように飛んでいき、野盗たちに従う魔物へと距離を詰める。
鷹に似た頭部を持ちながら、まるで人間のような長い腕がある異形の生物。細長い指の先から伸びた鋭利な爪が、魔物の体を貫いた。
「召喚術……?」
「珍しいか?」
「ええ、実際に目にするのは初めてです」
ミランジェは挑戦的な瞳で彼儚に微笑んだ。そんな中でもミランジェの召喚した異形の生物は、魔物や野盗たちを圧倒していく。
「僕の出番はなさそうだねぇ」
「ドッチオーネ、この男もやってしまえ」
「冗談じゃないか。怖いなぁ、ミランジェは」
「軽口を叩いている暇があれば働け」
ミランジェの刺すような声音に嘆息するケネス。
急ぎ足で廊下を進んでいると、先頭を進んでいたティオンが「あっ」と声を上げた。
彼の視線の先を追うと、複数の野盗相手に一人の少女が扉を守るようにして銃を構えていた。扉に刻まれた緻密な意匠から見るに、あれが皇女の部屋なのだろう。
「これ以上近寄ると撃つわよ!!」
銃を構えた少女の声が震えている。扉を前に立ち塞がる、騎士団の制服を着た少女の肩口には赤いものが滲んでいた。
少女を囲う男たちは十名強。こちらよりも多い数だ。
「どうする」
「ティオンさんはあの女性を。わたしが他を引き受けます」
「できんのかよ」
乱暴な一言だけを残してティオンが駆け出す。それと同時に、彼儚が詠唱を開始。短縮化された詠唱はあっという間に完成し、彼儚が首元の珠へと手を伸ばす。魔術が発現する。彼儚の足元から氷の結晶が生まれた。それは床の上を這うように、一気に野盗たちの足元まで伸びていく。まるで蛇のように絡みつき、凍てついた鎖は野盗たち全員の行動を封じ込めた。
野盗たちが狼狽える。両足は床もろとも氷に覆われ身動ぎすらできない。その間に、ティオンが少女のもとへと辿り着いていた。
「チレス、無事だったか!」
「ああ、スフィルさん……よかった、助かったわ……」
スフィルの姿を見て安堵したのか、少女が手から小銃を取り落とし、床へと崩れ落ちる。慌ててティオンがそれを支えるが、少女の膝がガタガタと震えているのがわかった。
「おい、皇女とやらは大丈夫なのか」
「無事よ。部屋の中にいるわ」
チレスと呼ばれた、大きな丸メガネをした少女が答える。肩の傷を治すために、彼儚が彼女の許へと歩み寄ってきた。
それに続いてルクスやハインラインも、扉の前へと歩んでいく。興味なさげに廊下の端で腕を組むケネスと、召喚した魔物を還すミランジェ。
そして――
「おい! テメェなにしてくれてやがる!!」
「言いたいことは牢の中で言うんだな。……すまない、仲間を呼んでくる」
男たちに怯えて立ち竦むラティディアの隣を、スフィルが通り抜けていく。が、その瞬間
「……なっ!?」
スフィルの悲鳴と、鋭い金属音が同時に響いた。何事かと闇の中に視線を向けると、スフィルが細身の剣を闇に向けて振るっている。
それが追ってきていた野盗だと気付くのに、時間はかからなかった。だが、応戦するためには時間がかかりすぎた。影の中から槍の切っ先が、立ち尽くしていたラティディア目がけて伸びてくる。
「ラティ!!」
ルクスが叫ぶが、ラティディアは身動きもとれず呆然と振り落ちてくる刃を見つめることしかできなかった。ティオンが慌てて駆け出す。ハインラインと彼儚が早口に詠唱を紡ぐが、完成する間もなく刃はすでにラティディアの目前まで迫っていた。
ラティディアが強く目を瞑る――その、すぐ隣を
「――!」
黒い影が、横切った。銀色に光る刀身を手に、その影はラティディアに向けて振り落とされた刃を弾き返す。
突如して現れた黒い影に闇にまぎれた野盗が僅かに動揺を示した。だがそれも一瞬で、槍を持った野盗は再びそれを振り上げる。
影はそれを自らの持つ剣で軽くいなし、男の顔面向けて切っ先を突き上げた。直後、男の悲鳴が轟く。闇から姿を現した男は、右目から血を流しながら瀕死の形相で黒い影を睨み付けている。
唸り声を上げながら男が影との距離を狭める。目を見開き震えあがるラティディアを逃がそうと黒い影が動くが、ラティディアは身動ぎすらできない。
男はやたらめったに乱暴な手つきで剣を振るう。怒りにまかせたそれは動きが読めず、男が大きく振りかぶった瞬間、短刀が黒い影を切りつけた。
「ひ――……ッ!」
彼儚が引き攣った声を上げる。黒い影がよろめいたその瞬間にはもう、少女の唇は魔法の詠唱を始めていた。
彼女が詠唱を完成させると同時、室内であるにもかかわらず吹き出した風がまるで意思を持ったかのように男向かって突撃する。暴風に巻き込まれた男は、錐もみしながら遠くの壁へと衝突した。
それを見届けて、黒い影はラティディアから離れ、どこかへ消え去る。蒼い瞳がその影の消えた先を、無言で見つめていた。
「ラティ! 無事!?」
大慌てでルクスがラティディアに駆け寄る。ラティディアは呆気にとられたような表情で「う、うん」と緩く頭を振った。
「……誰だ、さっきの奴」
「……さぁ」
ハインラインが気の抜けたような返答を返す。ティオンは訝しげな視線を彼儚に向けるが、彼儚はその視線に気づくなり小首を傾げて笑みを浮かべるだけだった。
そして――
「…………」
そんな一行の様子を遠目で窺っていた青年が、不意にその表情を鋭いものにした。
赤い目が捉えるものは、蒼い目をした少女の首元に光る小さな珠だ。
「……へぇ」
ケネスの口元が愉悦に歪んだことに、誰も気付くことがなかった。




