0031 いまはこのままで
ラティディアから告げられた言葉に、ルクスはシーツの中で目を瞠る。
あまりにも突飛なその発言に面食らっていると、ラティディアは満足げに鼻歌を一つ残して、ルクスから距離を置いた。そのまま足音が、部屋の外へと去っていく。
「……ど、どういうこと?」
シーツを剥がし、徐に起き上がるルクス。
呆気にとられた少年の問いに、答えてくれる声はなかった。
***
結局ルクスは、その日一日をベッドの中で過ごした。空腹もあったがそれ以上にはしゃぎすぎた疲れを取りきれず、幾度となく夢の世界に旅立っては起きてを繰り返した。
ようやくすっきりとした目覚めを迎えたのは、もう昼の刻も目前と迫った夜の23時だった。
しんと静まり返った真っ暗な室内。ティオンは――出かけているのだろうか。ぼんやりする頭で起き上がると、腹の虫がぐぅと鳴いた。
「……起きたの?」
突如として聞こえた声にルクスが肩を跳ねさせる。
淡々とした口振りは、聞き慣れた魔法使いの少年のものだった。
「……聞いてた?」
「うん。……そのせいで目が覚めた」
「は、恥ずかしいから、からかわないでくれるかな」
隣のベッドで寝そべりながら本を読みふけるハインライン。彼の光彩の欠けた瞳がルクスを捉えると、ルクスは言い知れぬ恥ずかしさによって顔を赤く染めた。いっそ笑い飛ばしてくれたほうが楽だ。彼が笑ってるところなんて、滅多に見ないんだけども。
「……随分寝てたね」
「船に乗るのって、初めてだったから。はしゃぎすぎてたみたいだよ」
「うん……正直、うるさかった」
「すごく正直だね」
平坦な声音で毒を吐くハインラインに苦笑していると、彼は読んでいた本を閉じて徐にベッドから起き上がった。
のんびりとした足取りで部屋の隅にあるテーブルまで足を運ぶと、彼はその上に置いてあったなにかを手に持って再びルクスの許へと戻ってくる。
「……起きたら、って、彼儚が」
言って差し出されたのは、硬そうなパンにベーコンとレタスが詰め込まれたお世辞にも美味しそうとは言い難いサンドイッチだった。
「宿の人に、頼んで」
言葉数少ないハインラインだが、さすがにそれなりの時間を共にしてきているので、言いたいことはなんとなく察した。
いつまで経っても起きてこないルクスのために、彼儚が宿の人に無理を言って作ってもらっていたのだろう。
「ありがとう」とルクスがハインラインに告げると、ハインラインは不思議そうに首を傾げて読み止しの本へと手を伸ばした。
渡されたサンドイッチに噛り付き、ルクスはぼんやりとハインラインの姿を見つめる。見た目通りのぱさぱさとした食感に顔を顰めていると、ハインラインがちら、と視線をルクスに向けて――
「……ラティが」
と、静かに言ってきたものだから、ルクスは咀嚼していたパンを盛大に喉に詰まらせてむせ込んだ。
「い、いきなりなに?」
けほけほとせき込みながら、ルクスが問う。ハインラインは相変わらず焦点の定まらないような瞳でルクスを見つめるだけだ。
「……なんだか、ご機嫌だったから。なにか、あった……かな、と」
柔らかそうな髪を揺らしてハインラインが小首を傾げる。
なにか察しているのかいないのか。昏い褐色の虹彩に、彼の真意を読み取ることはできなかった。
居心地悪く目を逸らす。魔法使いの少年は、膝の上に置いた魔術書へ視線を落とした。
「……ラティから、」
喉元から絞り出すように、ルクスが囁く。ハインラインはちら、とルクスを一瞥し、また本へと向き直った。
「『私はルクスに恋してます』って、言われたんだけど」
「……わぁ」
代わり映えない平坦な声でハインラインが驚いて見せる。
「……ラティ、結構大胆。――で? ルクスは?」
「僕……?」
ハインラインからの問いかけにルクスは疑問符を浮かべる。ハインラインの眉間に、細く皺が寄せられた。
「……なにか答えた?」
「…………ううん」
ハインラインは肩を竦めて嘆息した。
「ラティって、一度突っ走ると、止まらないよね……イノシシみたい」
呆れたような半眼で、魔法使いの少年はルクスを見上げる。ルクスは、手に持っていたサンドイッチの最後の一切れを口の中に押し込んだ。
「ルクス、は……どうしたい?」
「どうしたいって?」
「告白されたことへの、答え」
告白――そう聞いて、ルクスは頭をひねらせる。そうか、自分はあの少女から告白されたのか。言葉としてそれは理解できた。だが、その向けられた好意に対してどう応えるべきか、ルクスは答えを出せずにいる。
「……まだ実感がないんだ」
「じっ……かん?」
ルクスは首を縦に振る。
「ずっと、城で生活してきたから、同世代の人間とあんまり関わりがなかったんだ。だから……恋とか、僕にはいまいちよくわからない」
何度も何度も、擦り切れるほど読んだ絵本の中で、情熱的な恋に酔う恋人同士が描かれていたことがあった。幼い時分ではその意味がよくわからず、周りの人間に「どういう意味?」と問うては困らせていた記憶が蘇る。
「ハインは、恋したことある?」
「……あると?」
「思わないね」
口元を緩めて、ルクスが苦く笑う。ハインラインが少しだけ拗ねたみたいに唇を尖らせた。
「……恋ってなんだろうね」
勢いよくベッドに倒れ込んで、ルクスは窓へと視線を向ける。
――窓、ではないか。イングレッソであればガラス窓があるはずの場所に設置された木製の扉によって、月明かりすら部屋には差し込まない。
窓を設けて日の光が差し込んだところで闇の民にとって害でしかない。イングレッソとエグザトを比べて初めて見つけた違いと言えば、それだった。
「……大切にしたい、とか、一緒にいたい……とか?」
ぼんやりと思案に耽っていたルクスの耳に、淡々とした声が届く。
ハインラインが、顎に手をやって――真剣な面持ちで考え込んでいる。
「……大切にしたい……かぁ」
天井を仰いで、ルクスがハインラインの言葉を反芻する。
ラティディアは、無邪気で素直で、守ってあげたい――と思う。だが、それが恋かと言われたら、違う気がする。
だって、それを恋だと言うのなら
「……大切にしたいが恋なら、僕、ハインにも恋してることになるや」
冗談めかしてルクスが告げる。
闇の中で眼を凝らしてハインラインの表情を窺うと――ハインラインは顔を歪めて頬を引き攣らせていた。
「ルクス……気持ち悪い」
「冗談だってば!」
声を荒げて否定する。
その時、ちょうど時計の針が昼の刻を示した。
――が、太陽は、一瞬遅れて空へと昇った。窓のない部屋で語り合っていた二人は、その事実を知ることはなかった。
***
「おはよう! ルクス! 今日もカッコいいね!」
出会って早々。満面の笑みを浮かべたラティディアがルクスに向けてそう告げた。
突然のことに面食らうルクスであったが、ラティディアの花が咲いたような愛くるしい笑顔に、つられて笑みを零す。
「おはよう、ラティ。……ありがとう」
ちょっとだけ、照れ臭い。ロードやティオンの視線が訝しげにルクスへと向けられている。
それに気付かぬふりをしてルクスが二人から顔を背けると、魔術書を片手に抱えたハインラインと目が合った。
「……まぁ、いまはこのままでいいんじゃ?」
囁くように、ハインライン。ルクスは小さく頷いた。
弾けるような笑顔で先行く彼儚に並んだラティディアの背中を見つめて、
「……いつか、理解できたときに」
誰にでもなく、そう呟いた。
しかし、それよりもまず《刻の歪み》だ。そのために、ルクスはこの地へ赴いたのだ。
振り返る。昨晩泊まった、窓のない宿をその目に焼き付けるように凝視する。神聖エグザト帝国までは、もうすぐだ。




