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タイム オブ スプリング ~春待ち世界 黎明と黄昏を忘れた空~  作者: 鈴沖トバリ
CHAPTER 2 「空に焦がれた少年、空を呪った少年」
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0029  痛みの原因

 次の日の空は澄み切った快晴であった。念のためにティオンが港へと確認に行くと、船は問題なく出航するとのことらしい。

 出航時間は昼の1時だ。一行は手早く出発の準備と食事を終えて港へと向かう。

 港には全長で20メートルほどの船が一隻。船員曰く、エグザトとは交易らしい交易も行われていないために、積み荷などを載せず、人の輸送のみに使用されるだけの船であるため、これほどまでに小型な船だそうだ。周辺を見渡しても、他にエグザトへ向かうらしき人の姿は見受けられない。

 寝惚け眼で欠伸を噛み殺すティオンを横目に、ルクスの瞳は好奇心に煌めいていた。


「船だよ! これから海の上を走るんだよ!」


 興奮を隠そうともせずに、ルクスはいまかいまかと出航のときを待っている。


「船ぐらいで騒々しいにゃ……もうちょっとおみゃーは静かにできにゃいのか……」

「あー、無理でしょ。うちの王子様は世間知らずだし。確か、船に乗るのもはじめてらしいぜ」


 ハインラインのフードの中で呆れた眼差しを向けるロードに、ティオンが半眼でそう告げる。ティオンは昨晩、宿の周辺をずっと警護していた。先ほどから何度も欠伸を押し殺している様子があることから、相当に眠たいのだろう。

 彼と同じくして、ぼんやりとした表情の少女が一人。


「そういえば、昨日の予定って大丈夫だったの?」


 鈴のような声音で、眠たそうに瞼を擦る少女に問いかけたのはラティディアだ。問われた彼儚は薄く笑みを浮かべて「ええ」と頷く。


「夜のうちに済ましてきましたので」

「言われてみたら昨日彼儚さん、ずいぶん帰り遅かったよね」


 そうでしょうか、と彼儚が首を傾げる。ラティディアは釈然としないような怪訝な面持ちで彼儚を見つめたが、彼儚は動じた素振りもなく笑みを深くするだけだった。


「――ねぇねぇ! 彼儚! 船ってどんな原理で動いてるの!?」

「きゃっ……る、ルクス様。お教えしますので、早く船に乗りましょう」

「うん!」


 好奇心の塊になったルクスが彼儚を連れて行く。どうやら彼は船がどうやって動くのか気になるようだ。

 そんな二人の背中を見送って、ラティディアの表情が余計に不満げで不服そうで不貞腐れたものになる。

 そういえば昨日聞きそびれていた。二人は一体どんな関係なんだろう。聞いてみたいけど、なぜだか怖くてなかなか二人に切り出せないでいる。

 じりじりした気分で唇を噛み締めていると、


「…………そんな不貞腐れた顔してっと、不細工が余計不細工に見えんぞ」


 隣を通り過ぎ様に、栗色の髪の少年がそう呟いた。

 かぁっ、と一瞬にして顔に熱が集まる。


「ちょっと!! 不細工ってどういうことよ!!」

「言葉のままの意味ですおばさんー」

「おばさっ……! 一つしか歳違わないでしょー!!」


 真っ赤な顔のまま、ラティディアが肩を怒らせてティオンの背中を追う。

 そんな一行を見送って、ハインラインとロードが


「……賑やかだね」

「これはうるさいという表現が適切にゃ」

「ああ、確かに」


 妙に納得した様子で、騒がしい一行のあとを追って船に乗り込んだ。


 ***


 船は夜の刻になってすぐに神聖エグザト帝国のあるドーン大陸に着いた。こちらの港町も、イングレッソのものと同じく寂れており、闇の民が活動を開始する時間であるというのにもかかわらず、人々の往来はほとんどない。


「案外、イングレッソと変わらないんだね……」


 闇の民の国であると聞いてはいたが、ざっと一望する限りではイングレッソの町と比べて差異はない。

 塩害を防ぐための煉瓦造りの建物。町一番の大通りも、露店が一つ二つと申し訳程度に並ぶだけだ。


「……今日は、もう宿を取りましょうか」


 穏やかな声音で彼儚が提案する。ルクスはそれに、重く頷いた。今日はもう、出かけられるような気分ではない。


「はっ! まさか船ではしゃいで酔うとか! まるでガキじゃん!」


 小馬鹿にしたようにティオンが笑う。それに反論し返す気力もなく、ルクスはがくりと肩を落とした。そんなルクスの背中をラティディアが摩ってくれる。

 ティオンの言うとおり、ルクスは初めての船旅に興奮しきっていた。

 そうでなくとも小型の船で揺れやすいのに、ルクスは頻りに船の上を散策しては初めての光景に目を輝かせていた。

 で、その結果がこれだ。ルクスは顔を真っ青にして酔っている。


「……だから世間知らずの王子様の護衛なんて嫌だったんだよ! ……うぷ」

「……ティオンも、ガキなんだね」


 口元を手で覆うティオンに、背後からハインラインが一言。きっ、とティオンが鋭い視線をハインラインへ向けるが、ハインラインはどこ吹く風で手元の魔術書を読み耽るだけだ。

 その反応に機嫌を悪くしたティオンが、食いかかろうと口を開くが――すぐに地面に膝をついて項垂れる。


「無理はされないでください、ティオンさん」

「だから……ガキ扱いすんな! うぷっ……」


 背中を摩る彼儚にティオンが吠える。呆れた溜息をハインラインが零して、彼を先頭に一行は宿へと向かっていった。


 ***


 吐き気と戦う二人を部屋へと押し込めて、残りの三人と一匹は宿の食堂でこれからの進路について話し合っていた。――と言うのは建前で、昼の刻までに二人が回復すれば、その足ですぐにでもエグザトに向かおうと決めた以外は、それぞれが勝手に思い思いの行動をとっていた。

 ハインラインは相変わらず魔術書と睨めっこをしているし、彼儚は船に酔った二人のためにと薬草を調合しているしで、どことなく手持無沙汰のラティディアは、そんな二人の様子をぼんやりと眺める。


「ハインって、船でもそれ読んでたよね」

「……うん」

「よく酔わなかったね」

「……集中してた、から?」


 小首を傾げる小柄な少年。ラティディアは苦笑して、薬草を選別する彼儚に向き直る。

 すり鉢に乾燥させた渋い色味の薬草を投げ込み、粉末状にしていく彼儚。薬草という響きと独特な色合いも相俟って、そこはかとなく毒々しい見た目にラティディアが険しい顔をする。


「なんだか、苦そうだね」

「ルクスさんは苦いものが苦手ですので、苦みは抑えてありますよ」


 それを聞いて、ラティディアは思い出す。そういえば、旅が始まった当初から気になっていたことがあった。なんとなく聞きそびれていたが、聞くなら今しかない。

 よくわからない覚悟を決めて、ラティディアが唾を呑み込む。


「か、彼儚さんとルクスって……どんな関係なの?」


 俯いていた彼儚が顔を上げ、きょとんとした表情でラティディアを見つめた。


「関係……ですか?」

「え、えっと……あの……なんか、前から知り合いみたいな感じがしたから」


 彼儚が調合の手を止め、顎に手をやる。少し考えるような仕草をしたあと、いつもみたく可憐に笑って


「昔からの知り合いというだけですよ」


 と答えた。


「本当に?」

「ええ」

「……そっか」


 釈然としない気持ちを抱えながら、ラティディアは彼儚の淹れてくれた紅茶を一口すする。


「なんだろうなぁ……なんか、もやもやするっていうか、悲しいっていうか、よくわかんない」


 自分の中にあるもやっとした不確かな感覚の原因がわからない。それがまたラティディアのもやもやを悪化させる。悪循環だ。

 ルクスと彼儚が親しげにしているのを見ると、胸のあたりがきゅっとなる。似たような痛みをどこかで感じた気もした。しかも、それはごく最近――そうだ、ルクスと別れて劇団に合流できるとなったあの時の痛みと、今の胸の痛みはとても似ている。


「……ううん、なんだろう。この痛み」


 胸のあたりを押さえながらラティディアが呟く。と、それを聞いた彼儚が音を立てて慌ただしく立ち上がった。穏やかな振る舞いをする彼女からは想像できない緊迫した面持ちに、ラティディアが面食らう。


「か、彼儚さんどしたの?」

「どうしたのはこちらの台詞です。ラティアさん、胸が痛むのですか? 他に痛いところは?」


 ラティディアの目の前に膝をつき、彼儚がラティディアの腕を取る。心配そうに歪んだ面持ちで、熱はないか、いつごろからその症状が現れ出したのか、矢継ぎ早に問いかけてくる。


「え、べ、別に他に痛む場所は……?」

「わたし、宿の人にお医者さまが近くにないか聞いてまいりますね」

「ちょっと彼儚さん待ってー!!!」


 スカートを翻し、あっという間に食堂から立ち去ろうとする彼儚を、慌てて引き留める。

 そんなに大袈裟なことではないのに――彼儚さんったら心配性だなぁ、と内心で嘆息。しかし、悪い気はしなかった。


「ちっちっちっ。甘いにゃ、彼儚」


 一連の騒動に動じる素振りもなかったハインラインのフードから、黒猫がひょっこりと顔を覗かせる。

 人間であるハインラインよりも人間らしい生意気な表情を浮かべ、するりと地面に飛び降りてくるロードは、ニヒルな笑みを浮かべて胸を反らせた。


「ラティディアのその症状に、みゃーは心当たりがあるにゃ」


 もったいぶったロードの口振りに、ハインラインが小さく嘆息。

 この症状の理由。それはぜひとも知りたい。いつまでもこんな鬱々とした感情を抱えたままでいるのは避けたかった。――猫に説明を受けるのはちょっと癪だが。

 そんなラティディアの内情もつゆ知らず、ロードは流暢に語った。


「それはつまり………………恋にゃ!」


 柔らかそうなピンク色の肉球をラティディアへ突き出し、ロードがふふんと鼻を鳴らした。

 目を瞠るラティディア。ロードの言葉を、頭の中で反芻する。

 ――恋。巡業劇団リベルヴィでは、恋を題材にした物語が多かった。あの団長らしくない甘酸っぱくて切ない物語に「ああ、私もいつかこんな恋をしてみたい」とそう願っていた。

 改めて今の状況を考える。ルクスと彼儚が楽しそうに談笑している姿を見ると、胸が痛む。遡れば、ルクスと離れ離れになってしまうというときも、同じ痛みがあった。――そういえば、ルクスに歌を聞かれたとき、胸の奥のほうがあったかくなって、とても幸せな気分になれた。

 ロードの芝居じみた台詞が、再び頭蓋に響き渡る。

 言葉の意味を解したその瞬間、体中がかぁっと熱くなり、頬が紅潮していくのが自分でもわかった。

 したり顔のロードと、呆気にとられた表情の彼儚と、代わり映えのない無表情のハインラインが、一斉にラティディアを見つめている。


「こっ、恋ぃぃぃ!?」


 ラティディアの絶叫が、宿中に木霊した。

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