0027 新たな同行者
神聖エグザト帝国はイングレッソ王国の北西に位置する大陸にある。エグザトの首都であるリソワールヴァリテへ向かうには船を使い海峡を越えて、そこからさらに北上しなければならない。イングレッソ王国の首都トゥルースヌーンからリソワールヴァリテまでは、なかなかに遠い道のりだ。
二度目の旅立ちの空は、澄み切った快晴であった。
ルクスは、どこまでも続くような遠い地平線を眺める。
「どれぐらいで着くのかな」
「順調にいけば十日ぐらいでしょうか。海の状態にもよりますが」
ルクスの問いに答えたのは、青みがかった黒髪の少女・彼儚だ。ルクスとは同い年だと言うのにも関わらず、彼女の立ち振る舞いは楚々として優雅なものだ。
「海の状態?」
「ええ。イングレッソ王国のあるこのユーナフィ大陸から、エグザト帝国のあるドーン大陸までに海峡があるのは、ルクスさまもご存知でしょう?」
ルクスは頷く。彼儚は「やっぱり」と目元を緩めて笑みを作る。
――僕が地図と睨めっこしてるってこと、誰にもばれてないと思ったのに。
ルクスは誰にも気付かれないように地図を広げては、遠い異国の地に思い馳せた幼少期を思い返していた。
「やはり刻の歪みの影響で、海が荒れることも多いのです。ですから――」
「下手したら数日間、港で足止めくらうかもしんね―ってこと。わかった?」
突如として彼儚の言葉を次いだのは、高い声音をした栗色の髪の少年だ。少年・ティオンは、生意気そうな表情でルクスの顔を覗き込んでくる。
まさか海の状態までもが、刻の歪みによって乱されているとは。予想外の事実に衝撃を受けながらも、ルクスは改めて気合を入れる。
「うん、わかった。頑張って刻の歪みを直さないとね!」
「……すぐその発想に行きつくのが楽観的っつーか」
ティオンが呆れたように嘆息。しかしルクスは、そんなことに気付くこともなく両手を握り締めては一人で小さくガッツポーズを作っていた。
「意気込まれるのは構いませんが、ご無理だけはなさらないでくださいね。ルクス様」
隣から心配そうな顔で覗き込んでくる彼儚に、ルクスはちょっとだけ眉間にしわを寄せて苦い顔をする。
「……彼儚、言おうと思ってたんだけどさ」
「はい?」
「せっかく旅してるんだし、その……様ってやめない?」
すると彼儚は蒼い瞳をぱちくりとさせて小さく首を横に振る。
「それはいけません。ルクス様はイングレッソ王国の王子なのですよ」
「それはわかってるけどもさー……」
唇を尖らせてルクスが拗ねた顔をする。
そんなルクスたちの背後で――
「ね、ねぇねぇハイン……る、ルクスと彼儚さんってなんか仲良さげじゃない……?」
「……知らない。彼儚は、親衛師団にいるんだし、それなりに……会ってたんじゃ?」
困惑と動揺を浮かべるラティディアが、ハインラインの肩をゆらゆらと揺らしながら二人の姿を見つめていた。肩を揺さぶられるハインラインは少しばかり迷惑そうに口を引き結んでいる。
「――だってさぁ、ラティとかハインは僕のこと『ルクス』って呼んでくれるんだよ! ねえラティ?」
「ふわぃ!? ……え、あ、まぁなんというか、改めてルクス様とか畏まるのも変かなーって思ってなんだけど……」
突然のフリに驚愕しながらも、ラティディア。それを聞いたルクスは、なぜだか自信満々な素振りで彼儚に振り返る。ラティディアやハインラインが『ルクス』と呼ぶのだから彼儚も、と言いたいのだろう。
得意げな顔をするルクスに眉を下げる彼儚であったが、自信満々で真っ直ぐなルクスの瞳に見つめられて観念したのか、小さく首肯。ルクスはぱっと、弾けるような笑みを浮かべた。
「ありがとう、彼儚」
「ええ。――『ルクスさん』の頼みですから」
「……あ、うん……まぁそれでもいっか」
露骨にしょぼくれるルクスであったが、そんなことも束の間。
ガルル――――と、突如として背後から聞こえた呻り声に、ばっと振り返る。
視界の先、すぐ後ろにいるラティディアたちから大よそ10メートルほど離れた場所で、二体のウルフが鋭い牙を光らせていた。
ルクスの脳裏に蘇ったのは、廃墟での記憶だ。あの時もウルフに襲われて、自分は重傷を負った。そんな経験からか、自分の意志と反して思わずに体が強張る。まだ距離はあるが、低く呻るウルフは廃墟で遭遇したものよりも二回りも巨体だ。
ラティディアが身を縮ませる。彼女が悲鳴を上げようとした、その瞬間に――ルクスの目の前を、なにかが駆けていった。
「……!」
駆け出していたのはティオンだった。携えていた槍を構え、一瞬にしてウルフとの距離を詰める。
低く構えた槍の切っ先を、ウルフへと突き出して彼は身を屈める。ウルフがティオンに飛びかからんと、涎の滴る口をかっ開いて後ろ足で大きく跳躍。
それに動じることもなく、ティオンの持つ槍は迷いのない洗練された軌跡を描き、ウルフの喉元を突き上げていた。
「っしゃ」
ウルフの喉元を穿った切っ先を引き抜いて、ティオンが二体目のウルフへと向かい合う。
毛を逆立てて威嚇してくる魔物。ティオンは口元を釣り上げて大地を蹴る。ウルフも同じように駆け出し、鋭い爪の光る前足をティオンに振り被った。身を捩り、ティオンはそれを軽くいなす。
槍を持ち直し、大きく振り上げた切っ先でウルフの首元から胸元までを一気に斬りつける。真っ赤な血潮を流しながら、魔物の体は地面へと沈んだ。
「……す、すご……」
呆気にとられたラティディアがぽつりとそんな感想を漏らす。彼女がそう思うのも同感だ。一瞬に思えるような速度で、二体ものウルフを倒したのだから。
ラティディアから告げられた素直な言葉に、ティオンは振り返っては口元を悪戯に釣り上げた。その姿はやはり、子どもの様な愛嬌がある。実際まだ子どもなのだが。
「だろ?」
「…………でも、頬っぺた」
ハインラインが呟く。怪訝な顔をするティオンが自らの頬に手を伸ばす。と、少年の右頬には、ウルフからつけられたものであろう、一筋の赤い線が浮かび上がっていた。
「けっ、こんなの掠り傷だっての」
袖口で乱暴に頬を拭うティオン。
「……ティオンさん」
そんなティオンに歩み寄り、彼儚が徐にティオンの頬に手を伸ばす。白い指先がティオンの頬に触れると、太陽の日差しのような淡い光が傷跡を包み込んだ。その光が消えると同時、ティオンの頬に浮かんでいた傷も、跡形もなく消え失せていた。
「大袈裟なんだよ、彼儚は」
「小さな傷でも、魔物の爪や牙にはばい菌があったりするんですから、きちんと治さないといけませんよ?」
「だからその子ども扱いやめー!!」
ティオンが肩を怒らせながらそっぽを向く。子ども扱いに納得がいかない様子で頬を赤らめながらも、ティオンは一行を置いていくようにしてさっさと街道を歩いていく。
「ティオンさん、待ってください」
「うっさい! 早く行かねーといつまで経ってもエグザトに着かねーぞ!!」
すっかり遠くなったティオンからの怒号に、ルクスたちは揃って顔を見合わせて――困ったように苦笑して彼のあとを追いかけた。
***
彼儚とティオンが道中に参加したことにより、魔物相手の心配がほとんどなくなった。道中ではなにも問題はなく、エグザト帝国へと向かう船が出ている港への到着も予定より早かった。だが――
「やはり、船を出せる状況ではないようですね」
港へと船の出航状況を確認しに行っていた彼儚が、ルクスたちの待つ宿へと帰ってくると申し訳なさそうに眉を顰めてそう言った。
なんとなく察していたとはいえ、海を挟んだすぐそこに目的の地があるというのに足止めを食らってしまうのは残念だ。だがしかし、窓の外の空は今にも降り出しそうな曇天で、風が強いのか窓枠がカタカタと音を立てている。
「一日一便はあるようですし、そう焦らなくても大丈夫ですよ」
「明日は晴れるかな……」
「そればかりは、断言できかねますね」
テーブルに突っ伏して、ルクスが窓越しの景色を見つめる。
イングレッソ王国から神聖エグザト帝国へと向かう船が出ている港は、ここ一か所だけだ。にもかかわらず、この港町は活気というものがなく、以前行ったプラーズバズの街と比べたらその差は歴然だ。
「この港って、なんでこんなに寂れてるのかな」
同じ疑問に行き着いたようで、ラティディアはソファーに座って魔術書を読み耽るハインラインに問いかける。ハインラインは視線だけをラティディアへと向けて、
「……だって、エグザトに行く人なんて滅多にいない……」
そう、答えた。
ああ――とラティディアも気付いたようで、それ以上はなにも言わなかった。
魔術師たちの街で魔元老であるボールドウィンから聞いた話、そして自らの父親であるイングレッソ王国の国王のレオから聞く限りでも、イングレッソ王国と神聖エグザト帝国は国交がない。互いの国がどういった状況にあるのかすら把握していないのだ。
互いの国へと行き来することもまた、数少ないのだろう。だからこそこの港町もこんなに寂しい雰囲気なのだ。
町の一番の大通りにも、露店がちらほらと窺える程度。しかしそれらの店にも、これといった商品が置かれているわけでもない。二十分もあれば一周できてしまいそうなこじんまりとしたこの町で目立つものと言えば、ルクスたちの泊まる宿屋か木造建ての古めかしい酒場だけだった。
「とりあえず、今日はゆっくりなされたらどうでしょう。予定よりも随分早くここまで来れたことですし」
「そう、だね……うん」
部屋を出ていく彼儚を見送って、ルクスは行儀もなにもお構いなしでテーブルに頬を押し付けた。窓の外は、なんだか物寂しくて出かける気になれなかった。
だからラティディアが彼儚を追うようにして部屋を出ていっても、ルクスはその場から動くことはなかった。




