0026 認められた旅路
重苦しい空気が場に満ちる。
ルクスは目の前で座り込んだ少女の、大きく見開かれた若葉色の瞳を見つめた。
「こ、国王が……父親……?」
ラティディアが信じられないといった風に、驚愕の声を上げる。
そんな彼女の隣で、ハインラインが目を伏せた。やっぱり、彼は自分の正体に勘付いていたようだ。
「……じゃあ、ルクスはこの国の王子ってこと?」
「――うん、まぁそういうことになるね」
苦笑気味にルクスが答える。
――やっぱり、びっくりするよね。
当然だと頭では理解しているが、ルクスの内心は不安でいっぱいだった。
彼女たちとは、自らの身分を隠したうえで接してきた。それが、実はこの国の王子でした――なんて告白して、今まで通りでいられるのだろうか。
――初めてできた友達だったのにな。
胸の奥のほうがちくりと痛む。自分が王子であるからと、ルクスにはいままで友達という存在がいなかった。誰も彼もルクスの身分に畏れを抱いて、かしこまった対応をされるか、距離を置かれるだけだった。
だから、彼女たちの存在はとても特別なものだったのに。
ラティディアとハインラインは、黙したままだ。じりじりとした沈黙に、ルクスは居た堪れない気分になる。
「……ルクスが」
俯いていた顔を上げ、ルクスは目前の少女へと視線を向ける。ラティディアは、相変わらず驚いたような表情をしたままだ。
だが、彼女の口から紡がれた言葉は――
「本当の王子様だったなんて……!!」
――なんとも、拍子抜けするようなものだった。
「……へっ?」
かしこまられたりするのかと怯えていたルクスは、ラティディアのそんな言葉に思わず素っ頓狂な声を上げる。
ラティディアは酷く真面目な顔をしては、自らの頬を両手で覆った。
「で、でも確かにいま思えばそれらしいことはいくつもあったよね……世間知らずだし、物腰も柔らかいし……」
「ちょ、ちょっとラティ?」
「…………僕は、最初からそうじゃないかって、思ってた」
ハインラインがぽつりと呟くと、ラティディアは髪の毛を振り乱してハインラインへと向き直る。
「なんで教えてくれなかったの!?」
「……そっちのほうが、面白そうだったし」
「なによそれぇ!!」
涙目になって声を荒げるラティディア。それに対してハインラインはいつも通りの無表情だ。
ルクスは、目を瞬かせる。
「……ぷっ」
気付かぬうちに、口から笑みが零れる。
それに顔を上げたラティディアとハインラインのいつも通りの変わらない様子を見ていたら、胸の奥の緊張が解けていくようだった。
「……もう、なんだよそれ」
怯えてた自分が、馬鹿みたいだ。
言葉とは裏腹に、ルクスの表情には隠しきれない安堵と喜びが浮かんでいる。
「……ルクスは、ルクスだよ」
囁くように告げられたハインラインの言葉に、ルクスはじんわりと目頭が熱くなるのを感じた。
――そうだよ、怯える必要なんてなかった。だって二人は、僕の大切な友達なんだから。
その言葉を胸に刻み付けて、ルクスは笑顔を向けてくれる二人の許へと歩んでいった。
***
夜の刻も五時間が経った頃。
一連の騒動の後始末もあらかた終わり、ルクスは改めて謁見の間へと赴いていた。
三つある豪奢な椅子。中央に位置する玉座に腰を下ろしたこの国の王――そして自分の父親であるレオ・アデライドと向かい合う。
「やはり、逃げ帰ってきたか」
レオの言葉に、ルクスは唇を尖らせてむっとする。
「逃げてきたわけじゃない。目的があって帰ってきただけだ」
ほとんど睨み付けるようにレオを見つめるルクス。レオは「ほう」と大仰な素振りで感心してみせた。
「で? その目的とはなんだ?」
「……刻の歪みを直すために、クロノアジャストの場所を教えてほしい」
レオの表情が驚愕に歪む。一度こそその空色の瞳を大きく瞠ったが、それもすぐに引き締まり険しい顔つきになる。
「……お前のような世間知らずに、世間を騒がせている刻の歪みが直せるとでも?」
「そうよ、ルクス。あなたはこの国の王子。その身に何かあってからじゃ遅いのよ」
レオの右隣の椅子に坐した、細身の女性が身を乗り出して告げてくる。
コーデリア・アデライド――この国の王妃であり、ルクスの母親である。
「……わかってる。でも、どうしても僕がこの手で……刻の歪みを直したいんだ」
コーデリアが憂えた面持ちでルクスを見下ろす。
ルクスは視線を落とし、一か月にも満たない短い旅路のことを思い返していた。
「僕は……今までこの城にいて、外の世界のことをなにも知らなかった。物語の中でしか、街のにぎわいや空の青さを知らなかったんだ」
空はどこまでも高く澄んでいた。草原に吹く風はあたたかくて柔らかかった。それは、この城――鳥かごの中にいては知り得なかったことだ。
「それに、市井の人がどんな生活をしているのかも。外の世界に出てみて、僕はようやく世界の優しさと残酷さを知ったんだ」
道中で出会ってきた人々は誰も、ルクスに対して親切に接してくれた。
そんな優しさに触れた反面、世界そのものは『刻の歪み』という現象の所為で大きく揺らいでいる。ラティディアが魔物に襲われたのは、ドナさんが作物の育ちが悪くなったと言うのは、どれもこの『刻の歪み』が原因だ。
そして――ゲルナイトという組織が生まれたのも、また『刻の歪み』が発端である。
「……僕はこの国の王子として、この問題をどうにかしたい。だから、僕はここに戻ってきた」
顔を上げて、自分の両親へと向かい合う。
レオの瞳は、ルクスの決意を見定めるかのような鋭いものだった。この国を何十年と統治してきた、自らの父親の視線は重く厳しく――だからこそルクスは、その瞳から逃げようとはしなかった。
長い沈黙が、終わる。
「……クロノアジャストの場所は、私も知らない」
ルクスがはっとして目を瞠る。レオの根負けしたような仕草に、ルクスはパッと表情を明るくする。
「先刻、ゲルナイトに渡した古文書に書かれていた――らしい」
「……らしい?」
あやふやな表現を嫌う父親の、濁したような口振りが妙に引っかかる。
「今まではこのような、昼と夜の均衡が崩れることはなかった。だから古文書の存在は知っていたが、その中身までは私も知らないのだよ」
レオが目を閉じて深く嘆息。
先ほどの明るい笑みはどこへやら、せっかくの手がかりを失したショックでルクスは呆然と自らの父親の姿を見つめた。
自分と同じ色をした瞳が、真っ直ぐにルクスの姿を捉えている。
「だが――手がかりが完全になくなったわけでもない」
「……本当!?」
思わず、声を上擦らせて父親へと問い返す。レオは大きく首肯して居住まいを正した。
「お前も気付いてはいるだろうが、エグザトだ。神聖エグザト帝国の皇家にもこの国と同じような古文書があるはずだ」
またあやふやな言葉尻。それもそうだ。ゲルナイトは闇の民の絶望から生まれた組織だ。闇の民である彼らがわざわざ光の民の国であるイングレッソ王国に赴いてまで古文書を求めたということは、エグザトの皇家にある古文書はもうすでに奪われている可能性がある。
それに、光の民と闇の民は今日までまともな交流を行ってこなかった。実際、レオも海を挟んだ隣国の事情までは知らないのだろう。
関わり合わない、互いに干渉しない二つの種族。だから今まで、ルクスは闇の民の呪いのことをまったく知らなかった。
「……ねぇ父さん。僕にエグザトのことを教えてくれたってことは――」
おずおずと、ルクスは自分を見下ろす父親の姿を仰いだ。レオの表情は――この国の国王とは思えない悪戯で子供染みた満面の笑みだった。その奥で、コーデリアが瞼を伏せて小さく息を吐いていた。呆れたような、諦めたようなそんな吐息だ。
「ああ。お前の好きにしてみろ」
その瞬間。ルクスの顔面いっぱいに笑みが広がった。飛び跳ねそうになるのをぐっと堪えて、ルクスは父親に向けて「ありがとう!!」と大声を張り上げた。
「一年だけでいいんだ! 僕が成人の儀を行うその日まで――それまで、無理はしないから」
その言葉はレオの背後で憂えた表情を浮かべる自らの母親へ向けたものだった。コーデリアは一度こそ目を瞠ったが、すぐに口元を緩めて頭を振った。まだ不安げな色は残るものの、母親のあたたかな笑顔を一目見るだけでルクスの心中も穏やかになれる。
「――ありがとう」
両親に認められ、ルクスは再び鳥かごの外へと向かう。
行き先はまだ見ぬ、闇の民の国『神聖エグザト帝国』だ――。
***
古文書を奪われたとはいえ、まったく手がかりがないのも心許ないルクスは国会図書館へと赴いていた。国会図書館は庶民たちの居住区と貴族街の間にある公共施設が集まった地区にある。この国で最も蔵書が多く、雑誌や貴重な書物等、多種多様に集められていることから警備は厳重であり、また場所も貴族街へと近いところに建っている。
扉の傍に警備の人間が二名佇んで、館内には寒気を覚えるほどの静寂が満ちているが、ここは一般の人間も利用可能な施設だ。一部の貴重な書物の持ち出しが禁止されているだけで、昼の刻であれば利用客も多いのだろう。しかし今は夜の刻――しかも十六時を回っている。普通であれば閉まっている時間帯だ。
ルクスは明日すぐにでもここを発とうと考えていた。だから、些細なことでもいいなにか手がかりをと、国書大臣に無理を言って図書館に入らせてもらった。
古書独特の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。自らの立てる足音を聞きながら、ルクスは一般客が利用不可の歴史書の棚が並ぶ一角へと辿り着いた。
棚にぎゅうぎゅうに詰めこまれた古書の数々。表紙を頼りにクロノアジャストや神々の伝承についてが記されている書物を探してはみるが――どれも古ぼけて、表紙の文字を読み解くことすら難題だ。
「……お探しのものは見つかりましたかの」
しわがれた老爺の声が聞こえてきたのは、ルクスが適当に引っこ抜いた書物に目を通していたときだった。
棚の奥から顔を覗かせたのは昼の刻――それこそ、ゲルナイトとの一件があったあの時に、古文書を運んできたその人物だった。
「やっぱり、なさそうだね」
肩を竦めてルクスが答える。歳の割に背の高い老爺は、困ったように白いものが混ざった眉を下げた。
「私もどこになにがあるか程度しか把握しておりませんので、ルクス様のお役に立てなさそうですな。いやはや、申し訳ない」
「気にしなくていいよ。むしろ、僕のほうこそこんな遅くに付き合わせてしまって」
そうやって国書大臣を気遣ったはいいが、途絶えた言葉のあとに続いたのは自らの大きな欠伸だった。
昼間にあんな騒動があったのだ。実際のところ、体も心も疲れ切ってしまって広げたページに綴られた文字の意味も頭の中に入ってきていない。
「孫ならば、なにかわかるかもしれませんがな」
国書大臣は棚に並んだ書物の背表紙を流し見ながら呟いた。
国書大臣の――この者も貴族だ――櫻華蒼真の孫。
「生憎いまは仕事中でしてな。なんなら呼び寄せましょう」
「いや、いいよ。櫻華も、もう帰って構わないよ。僕ももう少ししたら帰るから」
言って、ルクスは棚にある目ぼしい本をすべて引っこ抜いて腕の中に抱えた。その際に積もっていた埃が宙を舞い、鼻から吸い込んでしまって盛大にむせ込んでしまった。渋る櫻華を半ば無理矢理に見送って、ルクスは図書館のテーブルへ古書を広げては、小難しい記述が続くページを捲っていく。
記されているのは、魔術師協会で見たものと変わりない――お伽噺のような神々との歴史。クロノアジャストのことに関しては、手がかりさえも見つからなかった。
重たくなる瞼をどうにか押し開いて、ルクスは夜の二十時まで粘ったが――結局、古書を枕に眠りについてしまっていた。
***
「にゃははははは!! ルクス! 顔に変にゃ痕ができてるにゃ!」
目覚めた直後。甲高い猫の鳴き声に頭を揺さぶられるような最悪な寝覚めで、ルクスは読み耽っていた古書を棚にしまい込んでいた。
「すっごいクマだよ?」
腹を抱えながら床で転げまわるロードを窘めつつ、ラティディアがルクスの顔を覗き込んでくる。
「うん。まぁ、たぶん……。ラティは? ちゃんと寝れた?」
昼の刻も一時間が経過して、国会図書館は一般の客で中々に賑わっていた。童話集を母親に読んでもらっている子どもや、歴史年表と睨めっこをする学生。そんな彼らを横目に、ルクスたちは国会図書館をあとにする。
「うん! 私はいつでも元気だよ! お兄ちゃんには会えなかったけどちゃんと快眠! 寝不足はお肌に大敵だもんね!」
えへんと胸を張るラティディア。昨日の一件があって心配していたが、杞憂に終わったようだ。彼女が空元気をしている様子は見受けられない。
元気いっぱいなラティディアの隣で、大きく欠伸をして寝惚け眼のハインライン。――と、ようやく笑いも収まったのか彼の足元にちょこんと座るロード。
彼らは国書大臣から自分がここにいると聞いたらしく、ルクスを迎えにわざわざ国会図書館まで来てくれた。改めてこれからもよろしくねとお願いするつもりであったルクスは、まさか迎えに来られるとは思っておらず少しばかり気恥ずかしい気持ちになった。でもそれ以上に、彼らがまるで当たり前のことかのようにルクスの許に来てくれたことが嬉しかった。
両親との挨拶は昨日のうちに済ましている。手近な商店で朝食のサンドウィッチとこれからの旅路に必要なものを買い揃えていると、自分がまるで普通の旅人にでもなった気分になれた。でもこれから始めるのは、世界を変えるという大きな目的を持った旅だ。
ぼやけた視界も、太陽の眩い日差しを浴びることによって少しばかり冴えた。居住区を抜け、商業区を通り過ぎ――街の唯一の出入り口である大橋へと歩を進めたとき。
「――ルクス様」
と、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。途端に寝惚けていた思考がはっきりとして、ルクスは声のほうへと振り返る。
橋のすぐ脇に――ルクスがこの街を逃げ出した直後、自分を捕まえようと追っていた少女と少年が佇んでいる。
「随分と眠たそうな顔だな、王子様」
栗色の髪の少年が、口元に生意気な笑みを湛えて告げてくる。ルクスはなんだか、嫌な予感がした。
二人は自分を追っていたときの、親衛師団の団服を脱いで動きやすそうな格好をして、大きな荷物を抱えている。いやはやまるで、これから旅に出るような――――まさか。
「お。ラティちゃん久々ー」
「ってあれ、ウェイさん? なんでここに……」
ひょっこり、と。自分たちを待ち構えていた二人の背後から、赤茶色の髪をした青年が顔を覗かせる。ひらひらと手を振ると、ラティディアが驚いたように目を剥いた。
「なんでって、同僚のお見送り?」
言って青年――ウェイが、旅装束の二人へと視線を向ける。
ルクスはごくりと、喉を鳴らして唾を呑み込んだ。自分を待ち構えていた、旅装束に大荷物を抱えた二人。そして、ウェイの言う『同僚のお見送り』。これらから導き出される結論は――。
優雅な雰囲気の少女がルクスの前へと一歩、歩み寄る。
「これから、わたしども二名がルクス様の旅の護衛につかせていただきます。これからよろしくお願いしますね、ラティアさん。ハインラインさん」
少女というには大人びた、穏やかで気品のある面立ちの――彼儚が、自分と、背後の二人へと微笑みかける。彼儚の隣でまだ幼げな少年・ティオンが、かったるそうに欠伸を噛み殺しながら、空を仰いでいた。




