0022 王都・トゥルースヌーン
鳥かごを飛び出して知った世界は、思ったよりも平凡で、優しくて――それでいて残酷だった。
それでも僕は、この世界のことを知りたい。
この世界を、変えたい。
***
イングレッソ王国の首都・トゥルースヌーンは積み木のような街である。
元々、周囲を崖に囲われた小高い山の上に作られたそうなのだが、人口の増加に伴い土地が足りなくなったための苦肉の策として建物の上に建物が建てられた。それがどんどんと積み重なっていることから、遠くから眺めた街の外観はまるで大きな山のようだった。
晴れ渡る空の下、視界の先におぼろげに浮かんできた故郷を見つめ――ルクスは小さく溜息を吐いた。
たった二十日足らず。懐中時計と剣と、希望だけを持ち、この不可思議な景観をした街から飛び出してから、まだそれだけしか経っていない。それなのに、この場所に戻ってくるのがもうずいぶんと昔のことのように思える。
自分を閉じ込めていた、巨大な鳥かご。改めて見る故郷の姿に、ルクスの胸はじんっと熱くなった。
「ルクスー? どうしたの?」
ひょっこりと。遠くに望む故郷の姿に目を奪われていたルクスの眼前に、桃色の髪の少女が躍り出た。
不思議そうに大きく見開かれた瞳は、若葉のような鮮やかな虹彩をしている。まだあどけない面立ちでルクスを見つめる少女は、故郷を飛び出したその日から旅を共にしている仲間だった。
「ううん。なんでもないよ。ラティは、イングレッソの出身って言ってたけど……生まれはトゥルースヌーンだったりする?」
問いかけると少女――ラティディアは花が綻んだような笑みを浮かべた。そして大きく首を縦に振る。
「そうだよ! たった二十日しか離れてなかったけど、せっかく帰ってきたんだしね! 友達にも会いたいし、なによりお兄ちゃんに会いたい!」
「ホント、ラティってお兄さんのこと好きなんだね」
「うん! かっこよくて優しくて作ってくれるアップルパイがとっても美味しい自慢のお兄ちゃんだよ! 仕事で出てるとかじゃないといいんだけど……」
ラティディアの足取りはよっぽど故郷に帰るのが嬉しいのか、いまにも踊り出してしまいそうな弾んだものだった。
街道を先行くラティディアの背中を見つめながら、反してルクスの歩調はひどく重たいものだ。首に巻いた空色のスカーフを、口元にまで持ってくる。
「…………逆に、不審者」
背後からかけられた声にぎょっとして振り返る。そこには黒猫を抱えたまだ幼い少年がいた。身に纏ったパーカーの胸元に、隣国ノルム国に拠点を置く魔術師協会のエンブレムが縫い付けられたその少年。幼い容姿とは裏腹に冷めた表情の少年の名は、ハインラインという。魔術師協会の近くで出会いそれから道中を共にする彼は、まだ見習いの魔法使いだ。
ハインラインの光彩の欠けた瞳に見つめられ、ルクスは苦い顔をする。
「……ふ、不審者?」
「……うん」
静かに頷くハインライン。
「もっと……堂々としてたら」
囁くような掠れた声音でそう告げてくる。
――前々から思っていたが、彼は自分の正体に気付いているのだろうか。
ルクスが名乗った際に本名かどうか問うてきたのもそうであるし、ノルム国で自分を追う人間から逃げられるように路地を案内してくれた。しかし彼は、自分の正体について問い質すようなことは一切してこない。それは安堵であり、また恐怖でもあった。
「……そう、だね」
街の大きさが視認できるほどの距離にまで辿り着いて、ルクスは顔を上げた。
確かにハインラインの言うとおりだ。背中を丸めているだけでは却って怪しい。堂々としていれば大丈夫だ。せっかく旅人風の変装までしているわけだし。
眼前に広がる巨大な街の姿に、ルクスは大きく目を見開いた。
周囲をぐるりと崖に囲われたこの街に入るには、橋を渡るしか方法がない。その橋から一直線に伸びる大階段。大階段の周りには、幾多の建物が所狭しと並び、賑やかな人々の様相が確認できた。そして大階段の先に――イングレッソ王国を統べる王家の城がある。
「……大丈夫」
独りごちた言葉に、隣を歩くハインラインが首を傾げた。
自分は――この世界を変えるために、この場所に戻ってきた。世界中に被害を及ぼしている『刻の歪み』を直すために。ルクスは王家が知っているとされる、刻の管理をするクロノアジャストと呼ばれるものの場所を教えてもらわなくてはならない。
冷や汗が背中を伝う。喉が乾いてくる。
それでもルクスは歩むのをやめない。自分を閉じ込めていた鳥かごへと、確かな信念を持って進んでいく。
そしてルクスと一行は――街へと続く古い石橋を渡っていった。
***
街を入ってすぐは、土産物屋や商店などが軒を連ねる人の行き来が多い地区だ。石造りの建物が積み重なるように建っている光景は、街の外からも思ったがやはり面白い。
交易の街であるプラーズバズとは違い、ここは市井の人々が集う場所であるから往来が多いとは言ってもそれほどまでの騒がしさはない。子どもたちが鬼ごっこをして、主婦が世間話に華を咲かせている。
そんな、故郷であるのに見慣れない光景に、ルクスの胸は好奇心で高鳴った。
「……ね?」
背後をついてきていたハインラインが、口角を上げていたずらに笑う。ルクスは苦笑することで返事とした。
街の入口付近には、自分を追っている組織である親衛師団の本部がある。だが、灯台下暗しとはこのことで、まさか自分がこんな場所にいるとは誰も想像だにしていないだろう。
「とりあえず……どうする? とりあえず休める場所でも探そっか」
ラティディアの言葉で、ルクスはポケットから懐中時計を取り出す。時刻は昼の四時過ぎ。昼の刻になってすぐに出立して歩き続けていたので、確かに休みたいのは同意だった。
「適当な場所は……あ、あそこの宿とかどう? ラティは家に帰れるだろうけど、早いうちに宿でもとってたほうがいいんじゃ」
「そう……だね、うん」
眩い日差しを煩わしそうに、ハインラインがパーカーを被りながら頷く。そこはかとなく顔色も悪かった。
ああ、そうだ。彼は体力がないのだとルクスは思い出す。
「ラティはどうする? 一回家に帰る?」
「ううん……悩む、けど……帰ってもお兄ちゃんいま仕事だろうし……とりあえず私も宿に行くよ」
「そっか」
そしてルクスたちは、人混みに紛れるようにして宿へと向かった。
***
「ルクス遅いなぁ……」
宿に着いて少ししたときだった。ラティディアが窓枠に肘をついてぼんやりと外の景色を眺めながら呟いた。陰に隠れるようにして本を読んでいたハインラインが、視線だけをラティディアへと投げる。
「言っても、まだ一時間ぐらいでしょ……。すぐ帰ってくるって」
ハインラインは再び膝の上へと置いた本へと視線を落とす。そのすぐ隣で、彼の教官であるはずの黒猫がお腹を出して眠っていた。ちなみに彼――黒猫・ロードはここに来る道中でも、教え子であるハインラインの腕に抱かれて眠っていた。猫の彼にとってはこの長旅は疲れるものだったのだろう――ということにして、ハインラインは自分を納得させていた。
「でももうすぐ夜の刻だよ? ルクスと街とか見てまわりたかったのに」
頬を膨らませてラティディアが不満げな溜息を漏らす。それを一瞥して、ハインラインは開いた本の文字を追う。
宿に着いてすぐだった。部屋に入って早々に、ルクスが出てくると言って宿を後にした。それから一時間弱経っている。
――彼は、そろそろ目的の場所に着くころだろうか。壁に掛けてあった時計を見遣り、ハインラインは考える。
証拠はない。だが、確信があった。太陽のような金色の髪、空の色を映しこんだような青い瞳。そして、彼自身の名前――それから導かれる彼の正体は、自分たちなどと旅をするような人間ではない、と。
もしかしたらルクスとは、先ほど見送ったのを最後に二度と会えないかもしれない。
ルクス自身もそれをわかっているように――彼の表情は、少し辛そうで、でも決意を抱いたものだった。
「……早く帰ってこれるといいね」
「ん? ハイン、なにか言ったー?」
「……ううん、なんでも」
首を傾げるラティディアに鈍い返事を返すと、彼女は納得していないような顔で再び窓の外を眺め始めた。




