0021 だってもっと、一緒に
「それじゃあ僕はここで。僕は別に人の恋愛に首を突っ込む気はないし、だから頑張ってね、ルクスくんとハインラ……」
「なにを頑張るんですかそれは!」
ケネスの言葉を途中で遮って、ルクスは声を荒げる。
結局最後まで飄々としていたケネスは緩やかに手を振り去って行った。
知り合いに会いにとは言っていたが、こんな路地で誰と会うのだろう。そんな疑問を抱えながら、ケネスに教えられた南広場までの道を歩く。
ラティディアは劇団に合流できただろうか。時間的にはもうすでに、彼女が待ち合わせ場所に着いていてもおかしくなかった。
お礼がしたいから待ってて――と、そう言っていたラティディア。大したことはしていないのに、律儀な子だなぁなんて呑気に思う。
それと同時、彼女の歌声が思い出される。風に消えてしまいそうな、儚げだが胸にじんわりと沁み入ってくるようなあたたかい歌声。
毎晩毎晩、ルクスたちが寝静まった頃を見計らって彼女が歌を歌っていたのは知っていた。歌手になりたいと語っていたあの笑顔が、なぜだろう、いまはぼんやりとしか思い出せない。
もうすぐで彼女とはお別れだ。自分とハインラインは、刻の歪みを直す旅へ。ラティディアは劇団に戻って踊り子として活躍するだろう。
一度でもいいから、彼女が舞台に上がっている姿を見てみたかった気もする。だけど、ルクスは決めていた。世界中に多大なる被害をもたらしている刻の歪みを、自分の手で直してみせる。世界を救ってみせるのだと。そうすれば、ラティディアの舞台を見に行く暇もないだろう。それに第一、自分は追われている身だ。
「でも、そっか……」
ぽろりと零れた声に、ハインラインが隣で首を傾げた。
――もう、夜に溶けるあの歌声を聴けないんだな。
そう思うとなぜだか、胸の奥のほうがちくりと痛んだ。
***
カツカツと、ペネロップのヒールが石畳を叩く音が響く。迷いのない足取りは、待ち合わせ場所だと言った街の入口へと向かっているのだろう。会わせたいと、紹介したいとペネロップに告げたのは自分であるのに、ラティディアはいま、彼に会いたくなかった。
彼に会ってしまえば、それでお別れだ。彼は刻の歪みを直す旅へ。自分は劇団の踊り子として汗を流す毎日へ。
――あんなに劇団に戻りたいと、そう思っていたはずなのに。
菫色の髪を揺らし、先を行くペネロップの背中を見つめる。
初めて巡業劇団リベルヴィの舞台を見たのは、自分が15歳の時だった。ラティディアの故郷である王都・トゥルースヌーンにリベルヴィが公演に来ていたとき、初めて劇団のことを知った。
溢れかえる人ごみの奥――馬車を改造した舞台で繰り広げられる一つの物語。その時の演目は、団長オリジナルの恋物語だった。
――たった一目で、心惹かれた。
花のように広がる大きなフレアスカートの裾を摘み、プレザが優雅に舞台上へとあらわれる。同時に奏で始めたオルガンの、華やかだけども艶やかなメロディに乗せた、空に抜けるような高く高くどこまでも澄んだ歌手の歌声。
素敵だった。自分の周りの観客が口笛を吹いたり両手を打ち合わせたりと盛り上がっている中で、ラティディアだけは一人、声も出せずにただその場に立ち尽くしていた。
この舞台を網膜に焼き付けたい――ううん、私も、この舞台に上がりたい!
決意は簡単に固まった。舞台が終わると同時に、ラティディアは道化の衣装をまとった一人の女性へと駆け寄っていた。
それから少しして劇団に入団し、今に至る。
この劇団が作り上げる物語が、大好きだった。それに見合うだけの実力をつけたくて、毎日毎日、寝る間も惜しんでステップを踏み続けた。
自分もいつか、主役を射止めて観客からの声援を浴びたい。
――そう、思ってたのに。
「……ラティア。どうした、顔色が悪いぞ?」
ペネロップが眉を潜めて、顔を覗き込んでくる。
徐に足を止めると、足の裏が地面に縫い付けられたようにその場から動けなくなった。
「……ねぇ、団長。私ね、団長のつくるお話すっごく好きなの」
藪から棒なラティディアの告白に、ペネロップがぎょっとして眼を丸くする。
団長の紡ぎあげる物語は、時に切なく、時に甘く、様々な感情をもたらしてくれる。そして、その物語を演じる劇団の仲間たちの表現力に圧巻さえ覚える。この劇団で作り上げる物語が、この劇団が大好きだった。
……でも、いまはそれ以上に――。
頭を過った彼の、陽だまりのような笑顔が胸を締め付けた。
心配そうな面持ちのペネロップを見つめ返す。震える唇を開いた瞬間、ペネロップの背後を見知った二人組が通り過ぎていくのが見えた。
「る、ルクス……っ?」
ラティディアの驚いた声に、路地から姿を現したルクスは足を止めた。
***
「いや、ちょっと鬼ごっこをしてたら迷っちゃってね。戻るに戻れなくなってたんだ! いやでもすれ違わずに会えてよかったよ!」
顔面一杯に笑顔を浮かべたルクスが心底嬉しそうにそう告げる。それが適当に繕った嘘であるとラティディアは気付けずに、首を傾げて「鬼ごっこ……?」と訝しげな視線をルクスに投げた。その隣でペネロップも困ったような笑みを浮かべている。
「お、おいプレザ。これが……その、ラティアの紹介したい人ってか? どう考えてもラティアよりも年上だろ……それが鬼ごっこって」
「しぃ~。ヤン、わかってないなぁ。女の子って童心を忘れない人に惹かれたりするの。ていうか、結構かわいい顔してるしぃ?」
「プレザ、ヤン。お前らはさっさとシャワーでも浴びてこい。茶化すなら舞台の倉庫整理をさせるぞ」
「やだぁ団長。花形役者に意地悪なんだから~」
緩い笑みを浮かべながら、プレザとヤンがペネロップから距離を置く。食糧に衣装に小道具に、詰め込むだけ詰め込んだ片付けもなにもなってない倉庫整理は誰もが嫌がる団長からのお仕置きだ。ルクスに対する興味よりも、埃まみれにならないほうを選んだようだった。
「ルクスくんと言ったな。ラティアから話は聞いている。ここまで連れてくれてありがとう、感謝する」
「いや、僕は大したことはしていませんって」
謙遜したようにはにかんだ笑顔を浮かべるルクス。そんなルクスの表情を、ラティディアはペネロップの斜め後ろでじっと見つめていた。まるで、網膜へと刻み付けるように。
「それじゃあ、ラティ。元気でね」
ルクスは腰を曲げて、ラティディアの顔を覗き込んでくる。太陽の日差しのような柔らかそうな金髪が揺れて、空の色が映り込んだみたいな青い瞳が細められる。陽だまりみたいな――ルクスの笑顔。
「あっ……お、おれい……」
そういえば、自分はルクスたちにお礼をしたいからと先に劇団に合流したのだ。路地裏での騒動ですっかり忘れてしまっていたが、十日間も道中を共に過ごしたのだから、なにもしないのは気持ちが納まらない。
とは言ってもなにをしたらいいのだろう。頭の中でグルグルと色んなことを考えるが、すぐに渡せそうな物も持っていないし、そもそもルクスが喜びそうな物も知らない。十日間も一緒にいたのに、十日間ではなにもわからなかった。
「いいよ、そんなの。いつかラティの舞台観させてよ。それで僕は十分」
ラティディアの困惑を悟ったのか、ルクスが優しい言葉をくれる。
――ああもう、なんで変なところで気が付くのかぁ。
頭の中に浮かぶのは、小さな集落で過ごしたときのこと。魔物に怯えていた自分に、この人はすぐに気付いてくれた。必死に隠そうとしていたのに、彼はそれに気付いた上で自分を守ってくれると言ってくれた。
あの時の胸の高鳴りが、再び蘇ってくるようで。
きちんとお礼させてよ――という言葉が、喉の奥のほうでつっかえて出てこない。
「それじゃあ……」
ルクスはそう言って、少しだけ名残惜しそうに背中を向ける。ふわり、と彼の羽織った真っ赤なジャケットが風にたなびいた。
赤いジャケットが翻る様を見て思い出すのは、彼と出会った瞬間だった。ウルフに襲われて、ルクスは自分を背に守ってくれた。
思い起こされる記憶は、たった十日間を共に過ごしただけのものなのに。こんなにも鮮やかに、鮮明に、共に過ごした時間がこの胸に刻み込まれている。
あどけない表情と、少し浮世離れした雰囲気。世間知らずな言動もするけども、それでも誰かのために精一杯のその姿。バカみたいに真っ直ぐなその優しさは、世界に影響を及ぼしている刻の歪みを直そうという発想にまで繋がってしまった。
少しずつ遠ざかる背中。その隣に魔法使いの少年と黒猫が並ぶ。
「――またね、ラティ」
笑顔を共に告げられたその言葉が――『またね』なんて――嘘だと、ラティディアは悟ってしまった。
その瞬間ラティディアは駆け出し、ルクスのジャケットの裾を掴んだ。
「!?」
背後から服を引っ張られ、つんのめったルクスがこけそうになってすんでのところで体勢を立て直す。
その隣に立つハインラインも背後のペネロップも、突然のラティディアの行動に目を剥いていた。
ぎゅうっと、ラティディアはルクスのジャケットの裾を握り締める。
「ら、ラティ? どうかした?」
「………………やだ」
「え?」
顔を見られたくなくて、ラティディアは一歩ルクスとの距離を詰める。
ルクスとの距離が近づくと、胸の奥のほうがきゅうっと締め付けられて鼓動が早くなる。熱くなる頬と目頭に気付かぬふりをして。でも、溢れてくるものは止まらない。
ラティディアは、震えそうになる声音を抑えつけ、
「ルクスと、離れなくないよぉ…………!」
ルクスの背中に縋りつくように、そう告げた。
この手を離してしまったら、ルクスとはもう二度と会えない――そんな予感がして。
ぼろぼろと零れる思いの丈が、自らの頬を伝っていく。
「ルクスと、一緒にいたい……!!」
その瞬間、ルクスの背中が小さく震えた。それと同時、ラティディアの背後にある馬車のほうからどよめきが起こる。
「ほらほらぁ。やっぱりじゃん~」
「うわぁ、ラティア大胆だな」
「………………プレザ、ヤン。お前らは箒と雑巾を持って倉庫に行ってこい。馬車から覗いていた奴は今すぐに舞台裏の整理だ。命令だ、いいな?」
「――は、はぁ~い」
プレザとヤンの二人が、箒と雑巾を片手に馬車の中へと引っ込んでいく。
それを見送って、劇団の団長は困ったように小さく嘆息した。もちろんラティディアは、そんな劇団の仲間たちの様子に気付くことはなく。
団長の一喝によりどよめいていた周囲が静かになると――、ルクスは躊躇いがちに声を発した。
「ラティ、あの。一緒にいたいって、その」
「や、やだなの……このまま、ルクスと……お別れなん……て……!!」
そこまで答えて、堪らなくなった。たった十日間しか共に過ごしていない。けれども、滲む視界に重なるのはこの十日間を共に過ごした、目の前の少年の太陽みたいな笑顔だった。
離れたくない、一緒にいたい。その気持ちが噴き出して、堪え切れずラティディアの瞳から大粒の涙が溢れた。
「うぇぇ……!!」
「ちょっ……! ラティ!? な、泣いてるの!? なんで!?」
目の前の背中が慌てふためいたように忙しなく動く。振り返られそうになったが、それでは泣き顔を見られてしまうからと、ラティディアは裾を掴む力を強くして、ルクスの背中に寄り添うような形になった。動きを制限されたルクスはおろおろとしている。
「――鈍感」
ルクスの隣に佇むハインラインが一言。ルクスは「うえぇ!?」と困惑の声を上げた。
なにか言わないといけないのはわかっている。けれども、しゃくりが止まらなくて言葉が告げられない。涙ばっかり止め処なく溢れてくる。
「……ラティア」
そんなラティディアへ、背後から声がかけられる。声音は聞き慣れた、劇団リベルヴィの団長のものだった。
ラティディアは鼻を啜りながら顔を上げる。ペネロップには劇団の稽古中に幾度となく泣き顔を見られている。ので、泣き顔を見られても気にはならなかった。振り返った先のペネロップは眉根を下げて、呆れたような笑顔を浮かべている。
「泣いてないで、きちんと伝えてくれ。お前は、どうしたいんだ?」
ペネロップの言葉は、劇団の稽古中にも幾度となく聞いたものだった。うまく踊れず、目に涙を湛えているラティディアに向けてペネロップは「お前はどうしたいんだ」と問いかけてくれた。
「ルクスと……っ、旅がしたい……」
自分がどうしたいのか答えると、団長はいつもどうすればいいのか教えてくれる。
いまだって、泣きじゃくる自分に姉のような優しさでもって進むべき道を示そうとしてくれている。
「そうか。ならそれは私ではなく、ルクスくんにきちんと言うべきだな」
そう言って、ペネロップはそっと背中を叩いてくれた。
そのあたたかい手のひらに後押しされるように、ラティディアはぐっとしゃくりを呑み込んだ。
「ラティ……」
「あ、のね。私ね……ルクスと、もっと一緒に旅したいの」
声はもう、震えていなかった。
「ここまで来るのに、守ってもらってばっかりで……役に立たないかもしれない、けど。ここでお別れしたら後悔すると思うの」
ジャケットを握っていた手を離すと、ルクスは躊躇いがちに振り返った。驚いたようにも、困ったようにも見えるルクスの表情。
初めてルクスのそんな顔を見た。
もっと、もっと、この人のいろんなことを知りたい。
自分よりも年上なのに、世間知らずで子供っぽくて。でも、時々びっくりするぐらい大人びた優雅な仕草をする。ニンジンはちょっと眉間にしわを寄せて食べてる。誰にでも優しく、何事にも一生懸命で真っ直ぐな、太陽みたいに眩しい人。
まだ、それぐらいしか知らない。だから、もっともっと。ルクスと一緒にいて、ルクスの笑顔を見ていたい。
ラティディアは、ありったけの思いを込めて告げた。
「だから……一緒に連れて行ってくれませんか」
泣き顔を見られているのは、恥ずかしかった。この言葉を告げるだけですごく胸がドキドキする。ルクスの答えを待っている間、気が気じゃなかった。
戸惑ったような視線を向けてくるルクスをラティディアはじっと、見つめ返す。
「……危険な旅になるかもしれないよ?」
「うん」
「……ちゃんと、守ってあげられないかもしれないよ?」
「うん」
「……い、いつ終わるかわからな、」
「――ルクス、しつこい」
隣で静観していた魔法使いの少年が、少しばかり苛立ちの混じった声で切り捨てる。ルクスは再び「えぇ!?」と間の抜けた叫びを上げたが、ハインラインからの鋭い眼光に言葉を詰まらせては、答えあぐねるように頬を掻いた。
「……本当に、いいの?」
「うん。一緒に、行きたい」
真っ直ぐに見つめたルクスの顔は、少しばかりはにかんだように視線を逸らした。だけどもすぐに――いつもの、太陽のように青空のように眩い笑顔を浮かべて、彼は手を差し出してくる。
「それじゃあ、改めてよろしく。ラティ」
差し出された手のひらを、ラティディアは溢れだしてきた涙を拭うことなく握り締めた。
「――うん!」




