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0018  街のカゲ

「遅いね、ラティディア」


 カフェで頼んだカフェオレを一口飲み、ルクスがそう零す。随分前に注文していたそれがすっかり冷たくなってしまうほど、ラティディアが去ってから時間が経っている。


「…………迷子になってないといいけど」

「あ、確かになってそう。僕、ラティと出会ったのってイングレッソにある廃墟でなんだ」

「ルクス……廃墟にゃらまだしも、この街で迷子はホントに洒落ににゃらにゃいぞ」


 冗談めかして笑うルクスに、珍しく真剣な顔をしたロードが神妙そうに告げた。


「どうして?」

「この街は交易の街であるが故、色んな国から大勢の人間がやってくるにゃ。国が違えば文化も違う。一見賑わっているように見えるこの街も、喧嘩と暴動で騒がしいだけと言っても過言ではないにゃ」


 そう、ロードが言い終えるや否や、ルクスたちから少し離れたカフェの席が音を立てて砕け散る。一人の青年が、テーブルに突っ込んだのだ。悲鳴と歓声が響き渡る。ルクスはぎょっとした。

 テーブルに突っ込んだ男は額から血を流し、忌々しげに唾を吐く。鋭い視線の先にいるのは、同じぐらいの年齢だろう、茶色の髪をしたガラの悪そうな男。指の関節を鳴らし、満足そうな顔で青年を見下ろしている。

 青年がよろめきながら立ち上がる。周囲の人垣からガヤが飛ぶ。それが喧嘩の合図だった。


「…………この街は、船乗りや商人とか、気性の荒い人間が多いにゃ。それにその日暮らしで生活する浮浪者のようにゃ人間も少なくにゃい。喧嘩なんて日常茶飯事にゃ」


 呆れたように溜息を零すロードにハインラインも首肯する。ハインラインがテーブルの上に広げられたパンケーキにフォークを突き立てたと同時に、背後の人だかりから雄叫びが上がる。どうやら決着が着いたようだ。甘いはずのカフェオレを口に含むが、ルクスの顔は苦々しげに歪んだ。


「ラティ……大丈夫かな」


 そんな心配が現実のものとなっているなんて、街の喧騒に呑まれたルクスたちがわかるわけもなかった。

 ――ふと、喧嘩を見に集まっていた野次馬が、喧嘩の決着もついたというのにがやがやと騒ぎ始める。顔を上げると、野次馬の人垣を掻き分けるようにして一人の男がカフェのほうへと向かってきていた。


「どうしました、喧嘩ですか?」


 周囲へと穏やかに問いかける青年。街の自警団かなにかが騒動を聞いて駆け付けたのだろうと、そうルクスは思っていた。

 だが、人ごみを抜けて現れた青年の姿を見た瞬間――ルクスの全身は総毛立った。

 黒を基調とし、袖や襟元に金色の装飾を施された衣服を身に纏う青年。左胸には紋章が縫い付けられており、遠目でも窺える紋章のデザインは太陽と双剣をモチーフにしたものだ。太陽は王家を、双剣はその組織に所属するすべての人間を指している。


「親衛師団……っ!」


 太陽と表される王家は、この世界でただ一つ。イングレッソ王国の王家のことを示す。そのイングレッソ王国の王家と国民を護るべく存在する組織、それが親衛師団だ。

 そして、その親衛師団に――――ルクスは追われている。

 まさか、ここまで追ってきていたのか。うまく撒いたとばかり思っていたのに。

 いや、相手は自分に気付いていない。別任務でこのプラーズバズに赴いていたのだろう。早くこの場から去ってしまえば、相手は自分に気付かないはずだ。

 動揺に早鳴る鼓動を抑えつけるようにして、ルクスは自分自身に言い聞かせる。

 ほんの数メートル先に、自分を追う人間がいる。目が合ってしまえば最後だ、間違いなく気付かれる。

 捕まれば、また鳥かごの生活に逆戻りだ。逃げ出した罰として、これからずっと外の世界に出ることを許されないかもしれない。


(それだけは、それだけは嫌だ――!)


 刻の歪みを直すと決めたのだ。だから、この場で捕まるわけにはいかない。

 乾いた喉を鳴らして、息を呑む。額から一筋の汗が伝うのがわかった。

 青年はこの街の自警団を呼んでこようかと、カフェの店員に申し出ているところだ。

 今のうちに――そう内心で呟いて、立ち上がろうと視線を上げる。と、訝しげな表情のハインラインと目が合った。


「ルクス?」


 そうだ、ハインラインにはどう説明すべきだろうか。

 ラティディアには自分が追われている身であるとは告げてある。だがハインラインにはまだその事実を伝えていなかった。

 この場で突然、逃げると言って彼はどういう反応を示すだろうか。

 ハインラインも連れて逃げるべきか? それとも、あの青年がこの場から去るまでの間だけ自分だけが席を立つべきだろうか。

 逡巡の間。

 ハインラインの瞳は、射竦めるようにしてルクスを見つめている。その目に、自分の戸惑いや正体すら見透かされそうだった。


「……ごめん、ちょっと――」

「どこに行くの」

「少し、席を外すだけだから」


 動揺を隠すように、低い声音でルクスが告げる。その言葉にハインラインは一度ばかり瞑目して


「……迷子になられても困るし、僕もついていく」


 そう言って、彼は音もなく静かに腰を上げた。

 ここまで来て迷子の心配をされるとは。内心で複雑な感情を抱いていると、ハインラインは顔を半分だけ背後に向けて――カフェの人ごみの奥を見つめる。


「……路地に行けば、撒けるはず」


 その言葉の意味を、ルクスは一瞬理解することができなかった。

 ハインラインは、あの青年に気付いているのか? 気付いていたとして、どうしてすぐに撒こうという発想に繋がるのだ。彼にはまだ、自分のことをきちんと話していないのに。

 そこまで考えて、ルクスは思い出した。

 ゴブリンに追われて、ハインラインに助けてもらったあの時。ルクスが名前を告げると、彼はこう問うてきた。


 ――――『ルクス』って、本名?


 あの時の問いが、今になって再びルクスの心臓を早鳴らせた。


「ハイン……」

「……なに?」

「……いや、なんでもない」


 ――――僕の正体を知ってるの?

 そんなことを問うたところで、意味などないとわかっている。

 喉まで出かかったその問いを飲み下し、ルクスは先導するハインラインの後を追った。

 少しの辛抱だ、さりげなくこの場から立ち去ればいい。平静になろうと試みてはいるが、それでも緊張と恐怖に寒々とする。ドクドクと高鳴る自分の鼓動が、周囲にも聞こえていそうな錯覚に陥るほど、ルクスの思考は動揺していた。

 少しずつ確かに、青年から距離を離していくルクスたち。

 店から離れ、青年との距離が開けたところで、ようやくルクスは押し殺していた息を吐き出した。

 加えてこの人ごみだ。ここまでくれば――と安堵し、背後を振り返ったその瞬間。

 ――――青年と、確かに目が合った。


「――ッ!!」


 声にならない悲鳴は、どちらのものだったか。

 親衛師団の男が目を剥くのと同時、ルクスは形振り構わずに駆け出した。


「ルク……、っ!!」


 そのあとを追いかけてくるハインラインが、名前を呼ぼうとして慌てて口を噤んだ。


「そこ……右に行って! 細い路地があるから!」

「ちょっと! 一体にゃんにゃのにゃ!」


 ハインラインの叫びにも似た声に従って右に曲がる。表にあった商店の裏口だろう、細く薄暗い路地に滑り込むようにしてルクスは駆ける。

 そんなルクスのあとをハインラインと、現状を理解していない黒猫が必死に追走していた。


 ***


 逃げなければとは、ラティディアも理解していた。だがそれを行動に移す前に、ラティディアの細い手首はいとも容易く男によって掴み上げられる。

 酒臭い息がラティディアの髪に振りかかる。気持ち悪い――と、嫌悪にラティディアの表情が歪んだ。

 男の身なりから、彼が浮浪者であることはすぐに悟った。彼らはこうやって昼間から酒を呑んで、手短な人間と喧嘩をしたり、旅人と思われる人間の金品を盗ったりすることで生計を立てている。

 そして、ラティディアの格好はまさしく旅人のものだ。腰に携えた大きなポシェットが、男に見えていないわけはないだろう。

 兄からもプラーズバズでは浮浪者に近寄るなと、幾度となく忠告されていたのに。迷子にだけはなるなと、劇団のメンバーからも心配されてたのに。――知らず、じんわりと涙が目尻に浮かんだ。その涙が恐怖からなのか不甲斐なさからなのか、それはラティディア自身にもわからなかった。

 他のことに気を取られて注意を怠ったのは自分の責任だ。背後にいた浮浪者に気付かず、彼を怒らせる行動を取ったのも自分が悪い。

 今すべきは、泣くことではない。この場をどう逃げ切るかだ。

 緩む涙腺を引き締めて、ラティディアは覚悟を決める。いまここには、兄も劇団のメンバーも――そして、自分を守ると言ってくれた彼もいない。


「……ごめんなさいっ!」


 謝って、目の前の男が許してくれるとは到底思えなかったが、それでもラティディアは素直に謝罪を口にした。

 男はもちろん、睨み付けた視線を和らげることはない。


「お嬢ちゃん、謝るだけで許されるだなんて――そんなに世間は甘くないと思うぜ」


 男の言葉は、ラティディアが想像した通りだった。

 浮浪者である彼はまとまった金を手にする機会もないはず。こうやって旅人から金を巻き上げて生計を立てているのだ。そんな中で、旅人であるラティディアから殴られたとあれば渡りに船だ。許す代わりにと金を要求することは明白だった。


「い、いくら必要なんですか……」


 震える声音を抑えつける。懐が温かいとはお世辞にも言い難いが、金銭でこの場を切り抜けられるのであれば助かるに越したことはない。

 男から左手を掴み上げられて身動きの取れない状態であるのに、ラティディアの対応は肝が据わっていた。


「有り金全部だ」


 それも想定内だ。背に腹は変えられない。

 ラティディアが自由の利く右手で、腰に携えたポシェットに手を突っ込んだその時――右耳のピアスが、揺れた。男の瞳にそれが映る。


「なに、嬢ちゃん。上物持ってるじゃねぇか」


 男の指先が、ラティディアの耳たぶに触れる。

 武骨で乱暴な手が耳元に触れたその瞬間、ラティディアの背中が粟立った。


「さっ……!! 触らないで!!」


 あまりの嫌悪と恐怖に、ラティディアは無我夢中で男の体を突き放した。

 よろける男。だが、男に掴まれていた左手が離れることはなかった。


「それは、なんつったっけ……。あれだろ、トープとかいう、珍しい奴だろ?」

「……これは、ホープよ……」

「まぁ細かいことはどうでもいいだろ。それ、希少価値があるとかで高いんだよな」


 男がつらつらと語るが、ラティディアの耳にはそれがただの音の連なりとしてしか届いていなかった。

 辛うじて拾えた、希少価値がある――という言葉。確かにルクスも、珍しいものだと語ってはいたが、ラティディアにとってはそんなのどうでもよかった。ただ一つしかこの世に存在しない、これは母親の形見のピアスなのだから。


「それをくれたら、今回の件は水に流そう。な、嬢ちゃん。金を巻き上げられるよりはマシじゃねえか?」

「これを盗られるくらいなら……有り金全部持っていかれたほうがマシよ!」


 悲鳴にも似たラティディアの言葉に、男の表情が歪む。

 ちっ、と男が一つ舌打ち。

 ラティディアがはっとして顔を上げたその瞬間、ラティディアの体は地面に投げ飛ばされていた。


 ***


 そういえば、こんなことが前にも何度かあった気がする。

 駆け続け、必死に酸素を求める体を奮い立たせる中、ルクスの思考は妙に平静であった。

 鳥かごを抜け出した直後と、ゴブリンに追われていたあの時。思えばこの十日間で走ってばかりである。自嘲めいた笑みを口の端に浮かべて、ルクスの駆けるスピードが緩むことはなかった。


「次……っ、左に行って」


 喘ぎとも区別のつかないハインラインの声に示されるまま、飛び込むように左へ曲がる。人一人が辛うじて通れるような細い路地を、ルクスとハインラインはがむしゃらに走り続けていた。

 荒い息を吐きながら背後を振り返る。すぐ後ろを必死についてくるハインラインの後方――親衛師団の青年が自分たちを追いかけてきている。


「いい加減、諦めてよ……!」


 そう漏らすが、それは向こうだって同じだろう。

 髪も衣服も乱れるままに、一体どれぐらいの時間追いかけっこをしているのかわからない。

 細い路地は日の光を嫌うかのように、薄暗く気味の悪い場所だ。建物と建物の間から日が差してもおかしくないはずなのに、それがない。ちらりと頭上を見遣ると、青空を拒絶するように、建物と建物の間にトタンが掛けられていた。

 どうしてそこまで? しかし、それを考えている余裕はいまのルクスにはない。

 その時、背後でガタンッという、けたたましい音が鳴り響いた。駆ける速度もそのままに、首を捻って背後を確認すると――ハインラインが路地に置かれていた樽にぶつかってよろめいていた。


「ハイン!?」


 慌てて足を止める。

 ハインラインは地面に膝をつき、壁に手をついて必死に立ち上がろうとする。


「大丈夫だから――」


 言って、ハインラインの顔色は――病人のように真っ青だった。

 ルクスは瞬時に理解した。

 ハインラインは見ての通り、線も細く華奢だ。そんな彼がずっと、休む間もなく親衛師団の青年と必死の追いかけっこをしている。体力が尽きて当然だ。それを、ルクスはもっと早くに気付くべきだった。

 目の前で全身を使って呼吸するハインライン。こんなことならやっぱり、自分だけで逃げるべきだった――。

 後悔もそこそこに、ルクスはハインラインの細い体を担ぎ上げた。


「ちょっと! ルクス!?」


 普段は平坦な声音が、今回ばかりは動揺を隠し切れていなかった。


「ゴメン! もともと僕の所為だから! あとでなんでも奢るから!」


 もうすぐ背後まで迫ってきた青年を振り払うように、ルクスは全力で駆け出した。それに並走するようにして黒猫ロードもついてきている。


「次どっち!?」

「左っ」


 担いだハインに言われるがまま、勢いを殺さず左へ飛び込む。

 と、路地を曲がったその瞬間。

 突如として影から伸びてきた手が、ルクスの首根っこを掴んだ。それに気付くと同時に、ルクスの体は地面の上を滑っていく。

 突然の出来事にルクスの思考は真っ白だ。擦り剥いた顎を痛いと感じることもできずに、目を白黒とさせる。

 青年とはまだ距離があったはずなのに――まさか別の追っ手がいたのか!?

 地面に転がるルクスの視界に、灰色のブーツを履いた足が浮かび上がる。


「だっ……誰!?」


 顔を上げたルクスの目に飛び込んできたのは、予想外の人物だった。

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