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0017  港町・プラーズバズ

 潮風が頬を撫でる。鼻孔をくすぐる磯の独特な香りと、湿り気を帯びた風に吹かれてルクスの金髪が揺らされる。


「魚の匂いがするね!」


 先頭を歩くルクスがくるりと振り返り笑みを浮かべる。

 二日前は突然の雨に打たれて足止めを余儀なくされたが、次の日からはからりとした快晴が続き、ハインラインの予想通り目的地のプラーズバズまでは目と鼻の先まで辿り着いていた。

 風の匂いが海が近いと教えてくれている。一歩進むたびに潮の香りが濃くなっている気がする。今まで一度たりと海を見たことがないルクスは、もうじき出会える大海原に心躍らせていた。

 誰の目から見ても明らかに興奮を抑えきれていない様子のルクスを一瞥し、ラティディアは苦笑、ハインラインは眉を顰めて溜息を漏らす。


「魚の匂いって……もう少し頭のいい表現はにゃいのか」

「だってだって! 僕、海見たことないんだよ! きっと素敵なんだろうな~……どこまでも続く大海原……!!」


 きらきらと目を輝かせるルクスに、ロードも緩く首を横に振る。呆れきられているだろうが、それでもルクスは気にしない。気にも留めない。浮足立ったステップで軽やかに歩を進めていく。それに遅れる形で二人と一匹が並んで歩く。


「ルクスって子どもだよね」


 と、ルクスよりも五つは年下のハインラインに言われているが、ルクスの耳に届くことはなく。


「ホントだね」


 困ったような笑みを湛えた、これまた年下のラティディアに同意されている。


「あっ! ほらほら!」


 そう言ってルクスが、街道上の先を指し示す。

 その指の先におぼろげだが、確かに見えてきた街の一角を確認すると、ルクスの歩調はより弾む。


「そんなに焦らなくても街は逃げないって」


 呆れ返ったハインラインも、ルクスを追いかけるようにして歩みを早める。

 そうして先行く二人の背中を見つめて――ラティディアの足取りだけは酷く重たかった。


 ***


 ノルム国の首都、プラーズバズ。

 大陸でも有数の港町として栄えたこの街は、人々と物資の行き交う活気に満ちた街である。

 遠くからでも聞こえてきていた喧騒は街に入るなりより大きなものとなり、飛び交う客引きの声や怒号が混ざり合って騒々しいほどの賑わいだ。

 正面に広がる大通りにはいくつもの商店や露店が軒を連ねており、老若問わない商人たちが奪い合うようにして道行く人に声をかけている。

 忙しない人々の往来に街に入って早々尻込むルクスたち。こんな中ではぐれてしまったら迷子は確定だ。祭りのような賑わいを見せる中で、小さな子どもも初老の商人も人々の隙間を縫うようにして人ごみの中を抜けていく。

 街には潮の香りが満ちている。潮風からの塩害を防ぐためだろう、街の建物も煉瓦造りのものが多かった。しかし、ルクス待望の大海原はまだ見受けられない。プラーズバズの街は広いから当然だ。街に入ればすぐにでも海を拝めると思っていたルクスはひっそりと唇を尖らせた。


「残念だったね」


 ハインラインが背の高いルクスを見上げて口元に弧を描く。それにルクスは苦い顔を返す。

 それよりも今は、海よりもまずやることがあった。


「ラティの劇団は、どこらへんにいるかわかる?」


 首を捻り、背後のラティディアへと問う。

 プラーズバズまで来た目的は、ラティディアを彼女の所属する劇団と合流させることだ。


「たぶん広場とか、そういったところで公演してると思うんだけど……」


 ラティディアがきょろきょろと視線を彷徨わせる。と、すぐそばにあった街の掲示板に気付いて


「あ、うんうん! ほら。やっぱりまだ公演やってるよ。よかったぁ~」


 そう弾んだ声を上げる。

 ラティディアの示すポスターに目を向けると、確かにそこにはラティディアの所属する劇団リベルヴィの文字があった。黒と白を基調に、シンプルにまとめられたポスターの内容を見ると、場所はプラーズバズの南広場、演目は眠り姫とのことらしい。演目の下には出演者の名前が連なる。もちろんのことだが、そこにラティディアの名前はなかった。


「南広場ならここからすぐにゃ」


 ハインラインのパーカーの中に納まっていたロードが、すとんっと煉瓦の敷かれた道へと降りてくる。

 ロードは長い尾をゆらゆらと揺らしながらルクスたちを案内するように歩き始めた。


「……まっ、待ってロード!」


 そんなロードを止めたのは、上擦ったラティディアの声だった。慌てたラティディアの声に驚いたのか、一度こそ尻尾をぴんと立てたが――何事もなかったかのように鷹揚に振り返る。


「にゃんにゃ?」

「あ、えっとね………………そ、そう! お礼! お礼したいから……ちょっと待っててくれるっ? 団長にも、ルクスたちのこと紹介したいし!」

「いいよ、お礼なんて。大したことはしてないよ」

「いいから! お願い待ってて! すぐ戻ってくるから!」


 言うが早いか、ラティディアはルクスたちに背を向けて人ごみの中へと駆け出していった。行き交う人々に混ざり、ラティディアの姿はすぐに見えなくなる。

 呆気にとられた二人と一匹は立ち竦む。暫く呆然と佇んだ彼らは、揃って顔を見合わせると


「……まぁ、待ってようか」


 きちんとお別れもしてないことだし。

 ハインラインが頷いたので、二人は近くにあったオープンカフェでラティディアを待つことにした。


 ***


 迷っていた。

 街の入口から南広場へはさほど遠い距離でも入り組んだ道でもないはずなのに、ラティディアは迷っていた。


「あー……うー……なんで迷っちゃうかな……」


 細い路地で独りごちる。周りには人の気配が窺えなかった。大通りの賑わいから一転した、うす暗く人気のない場所。まるで大通りから隠れるように、ひっそりと並んだ酒場の扉にはクローズの札が掛けられていた。店が閉まっているからと言っても、まだ未成年のラティディアにとっては居心地のいい場所ではない。迷うにしてももう少しあっただろうと、ラティディアは内心で嘆息した。

 自分が方向音痴だというのは、周囲からも再三言われてきた。自他共に認める方向音痴で、イングレッソからノルム国に向かう道中で変な廃墟へと迷い込んでしまったのも記憶に新しい。

 ――そうだ、あの廃墟で迷子になったから……ルクスと会えたんだ。

 たった十日前のこと。でも、それがとても遠い出来事のように思えた。

 崖から落ちてくるというあまりにも突飛な出会い。それからの道中を共にして、こうして目的地であるプラーズバズにも無事辿り着けた。

 嬉しいはずなのに――。これからまた変わらない、厳しいけど楽しい劇団での旅が続けられるのに――。

 路地を進む足取りが、少しずつ遅くなる。

 このまま劇団に合流したら――二度とルクスには会えないのだろうか。あんな、太陽みたいな眩い笑顔に、魔物に怯えていた自分の心がどれだけ救われたのか……その感謝も、まだできていないのに。

 呆然と空を見上げると、日の光を拒絶するかのように建物と建物の間にトタンが橋渡されているのが見えた。そのため、青空を窺うことができない。


「いや……お礼とか、ホントはそんなことじゃなくて……」


 立ち止まる。

 ラティディアは誰に言うでもなく、自分自身に言い聞かせるように呟いた。

 プラーズバズが近づくにつれてジクジクと疼き出した胸。そして、こうしていざお別れとなると喉の奥のほうがきゅっと痛くなる。――その痛みの理由は、他の誰でもない自分が一番よく理解していた。

 それを振り払うように、誤魔化すようにして、ラティディアは大きく頭を振る。


「う、うん! ちゃんとルクスとハインにお礼して、それで二人の旅を応援しなきゃね!!」


 ぐっと拳を作り、沈みかけた気持ちを奮い立たせる。

 劇団に戻るとはいえ長いブランクがあるし、空席となった歌手の席を目指してずっと歌の練習もしてきた。

 これから遅れた分を取り戻さないと、そうでなくとも厳しい劇団の稽古についていけない。

 ラティディアは大きく息を吸い込むと、握り締めた拳を大きく突き上げる――


「よし! 頑張るぞー!!」


 ――ガンッ!

 と、空へと伸ばした拳がなにかを打ちつける音。同時に響く「うぐっ」というくぐもった誰かの声。

 すうっと血の気が引いていくのがわかった。慌てて振り返ると、そこには顎を抑えて俯く30代ぐらいの恰幅の良い男が一人。

 完全に完璧に間違いなく、ラティディアの拳がこの男の顎を殴ったのは明白だった。


「ごっ……ごめんなさい!」


 半ばパニックに陥りかけながら、ラティディアが男に駆け寄る。ラティディアよりも頭一つは背の高い男が、顎を摩りながらラティディアの姿を見下ろしていた。その瞳はまるで射殺すような悪意に満ちていて――


「なにしてくれてんだ、」


 どすの利いた男の声にラティディアが身震いする。低く響く声と共に漂う、酒臭い男の息に眉を顰めた。

 ――ああ……どうしよう。

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