0015 そして三人と一匹で
そして次の日。
前日に刻の歪みが起こったにも関わらず、時計の短針と長針が共に真上を指した瞬間に世界には光が満ちた。
当たり前に訪れた昼の刻に複雑な心境を抱きながら、ルクスは大きな欠伸を一つ。
「寝不足?」
桃色の髪を揺らしながら、ラティディアがルクスの顔を覗き込む。目尻に溜まった涙を拭い、ルクスはその問いに首肯した。
昨日の一連の出来事のあと、ルクスはハインラインに案内してもらい魔術師協会の図書館へと赴いていた。
刻の歪みが起きたのは一年前であるため、まだ検証や考察が行われていないのかそれについての書物は見つけることができなかった。代わりにルクスが読み漁ったのは、お伽噺とされている伝承が記された古書だ。
黒猫ロードから告げられた、光の神アデライドと闇の神サターグの名。いくつかの古書を読んだが、やはりどの書物でもその二つの名前は見受けられた。しかし、その二人の神がそれぞれに光の民と闇の民を創ったと言う点が描かれているだけで、それ以上の情報はそれこそお伽噺であった。
昔の時代は神様と人々で、仲良く暮らしていたのよ――とまあ、そんな具合の。
神がいたという伝承が事実であるならば、なぜ神が現在に存在していないのか、そしてなぜ闇の民にだけ呪いがかけられているのか――そんな疑問が次々と頭の中に浮かんでくる。しかしそれらに答えてくれる書物はどこにも見つからず、結局ルクスは図書室の机を枕にいつの間にか眠っていた。
「しかし、アデライドね……」
書物の中に見つけた、その神の名が妙に気にかかる。自分にとってはとても『聞き慣れた』ものであるからだ。
「どうかした?」
「ううん、なんでも」
寝不足だと言ったことを気にかけているのか、ラティディアの顔にはルクスを心配する色が浮かんでいた。
「あんまり無理しないでね。ここからなら、森を抜けるのもあっという間らしいから」
「大丈夫だよ、プラーズバズまであと少しなんだし。それまでラティのことはちゃんと守るよ」
にっこりと笑顔を作ると、ラティディアの表情はすっと暗い色を差した。
ルクスは首を傾げる。なんだか元気がないように思える。
疑問に思いながらも二人並んで魔術師協会の館を後にし、ラーデポリスの入口へと歩を進める。
空は雲一つない快晴で、眩い日差しに照らされた街並みは夜に見る光景とはまた違う趣があった。昨日賑わっていた街の入口から魔術師協会へと続く長い一本道を、二人だけで歩く。
昨夜は出店や道行く人々で賑わっていた通りであるのに、今ではまるでその面影もない。閑散とした人気のない風景が広がっているだけだ。
結局人っ子一人とすれ違うことはなく、ルクスたちは街の入口へと辿り着いた。
そして、そこで思いがけない人物と出会った。
「おはよう」
街の外へ抜けた瞬間に、突如として背後から声をかけられた。
抑揚のない平坦な声。ともすれば、自らの足音に掻き消されてしまいそうな頼りない声。だがそれは、とても聞き覚えのあるもので――。
驚いた勢いのまま振り返る。そこには、門の柱を背に立ち尽くす魔法使いの少年がいた。
「は、ハインライン!?」
上擦った声で名を呼ぶと、ハインラインは手にしていた魔術書を閉じてこちらへと歩み寄ってくる。
見送りのときにいなかったから、てっきり彼はまだ眠っているものだとばかり思っていた。だが、まさか自分たちの先回りをして街の入口にいるとは。
わざわざここまで見送ってくれるのか――と、そんな考えが一度こそ頭を過ったが、それにしては彼の荷物が妙に多い。
「どうしたの、こんなところで……」
「世界を救いに行くんでしょ?」
質問に返されたのは質問だった。目を白黒とさせるルクスに対し、ハインラインは澄ました表情だ。
「う、うん。まぁそういうことになるのかな?」
「ルクス……私がお風呂行ってる間になにがあったの」
「あ、そっか。うん、それは追々話すよ。――で、なんでそんな話を?」
ハインラインは相変わらず無表情だ。その顔色の中に彼の心情を窺うことは難しい。
だけれども、日の光を受けた彼の瞳は昨夜の昏い色でなく、期待に満ちたような明るい光彩を映していて――
「僕も行くから」
唐突に突然に。
魔法使いの少年は口元に僅かな微笑を湛えてそう告げた。
「……え」
声にできたのは、それだけ。
言葉の意味を解せずに、ルクスはそれきり沈黙する。
どれだけの沈黙が続いたのか。時間にしてみたらほんの一瞬かもしれない。
そんな静寂を切り裂いたのは、
「ハインライン――――!!!」
目の前の少年を呼ぶ、怒りの声だった。
声のほうへ視線を投げると、魔術師協会へと続く一本道を全力で駆けてくる黒い物体を見つけた。
黒い物体はハインラインの足元まで着くと、後ろ足に力を込め大きく跳躍。前足から鋭い爪を突き出して、ハインラインの顔面目がけて振り被った。
いきなりの事態になす術もなく、ハインラインはその小さく可愛らしい生物に向けられた一撃を避けることができなかった。
その生物が振り被った一撃で、ハインラインの顔面には三本の赤い線が刻まれる。
してやったりといった風体で、着地した黒い物体――いや、黒猫ロードは、猫の癖に人間味あふれた怒りの表情でハインラインを睨み付けた。
「授業の時間ににゃっても教室にやってこにゃいと思って部屋に行ってみたら、こんな手紙を残してどこに行く気にゃ!」
鼻息荒く、ロードは咥えていた紙をぺちりと地面に叩きつける。
それを拾ってルクスが中身を読んでみると「旅に出ます」と一言。真っ白な紙にそれだけ書かれてあった。ハインラインは手紙でも無言だなと、妙な感想。
「そんにゃ理由で魔術師協会を出て行っていいと思ってるのか!!」
酷く憤慨しきった様子でロードは地団駄を踏む。尻尾の毛も逆立っているし、相当頭にきていることは目に見えて明白だ。
しかしそんなロードに対しても、ハインラインは全く正反対に平静な態度だった。
「じゃあ、ちょっと留学ってことで? 外に出て勉強してくる」
「じゃあってにゃんだ! じゃあって! あからさまにいま思いついた感じじゃにゃいか!」
「大丈夫だよ。基本学習はきちんと自分で学ぶから」
「みゃーはそんなことを言いたいわけじゃにゃいにゃ――!」
人通りのない静まり返った魔術師たちの街にロードの鳴き声――もとい、喚き声が木霊する。
全身の毛を逆立てて、怒りのあまり「フシャー!」と威嚇の声すら上げ始めたロード。
そんな黒猫を、背後から一人の影が抱き上げた。
「ロード。教官なのに大人げないよ?」
笑んだような穏やかな声色。聞いたことのあるものだった。
ロードを抱え上げた人物へと視線を向けると、そこには真っ黒な影。いや、全身を衣服に覆った人物がいた。
声音から察するに、この人物は
「ケネスさん?」
名を呼ぶと、真っ黒な影は「なに?」と返事を返してくれた。やはり、この影は魔術師の第一位、ケネスである。
「る、ルクス。この人だれ?」
「あ、そっか。ラティは会ってないんだね。この人はケネスさん。魔術師協会の魔術師で、その中でも第一位らしいよ」
言っても、ラティディアは小首を傾げて「そう」と呟くだけだった。
魔術師の位がわからないのも理由だろうが、それ以前にいまのケネスの格好は顔どころか指先の一つも見えやしない。そんな人物を紹介されては、ラティディアの反応も鈍くなるのは当然だった。
「ルクスくんの隣にいるのは、駆け落ち中のラティディアちゃんかな?」
「だから! 駆け落ちじゃないですってば!!」
顔色も窺えないが、間違いなくケネスは意地悪に笑っているであろう。そもそもなんでそんな根も葉もない話がケネスの耳に入っているのだ。
思わず上げた怒声を気に留めることもなく、ケネスはカラカラと笑い声を立てる。
「……それで、ケネスさん。その格好は……」
「ああ、これ? 昨日話したでしょう? 僕は『闇の民』なんだ」
闇の民。闇の神サターグから生まれたとされる存在。昼の刻に生きられない人間。
ケネスは両手を広げて芝居がかった素振りで告げた。
頭から目深にフードを被り、口元は布で覆われている。その僅かな隙間から、影に隠された特徴的な赤い瞳だけが覗いている。長袖のコートに両手には手袋。完全に光を拒絶した出で立ちだった。
それも当然だ。彼は日の光に当たると死んでしまう。ルクスも話に聞いただけであったが実際に闇の民の姿、そして苦労を目の当たりにしてうまく言葉が出せずにいた。
「別に、そこまで気を遣ってくれなくても大丈夫だけど。――それより、君たちはこのやんちゃな黒猫くんをどうにかしないといけないんじゃ?」
フードの奥の赤い目が優しげに細められる。その言葉にまず反応したのは、ケネスに抱きかかえられている華奢な黒猫だった。
「やんちゃってにゃんにゃ! みゃーはもう成人だぞ!」
「そういうことじゃなくて。……愛弟子の旅立ちが寂しいのはわかるけどさ、かわいい子には旅をさせろって言うじゃない。外の世界を見ていろいろ経験してみるのもいいと思うよ。こんな小さな街で学べることなんて限られてる」
ロードは反論しない。それは言い丸められたのか、ロード自身が一理あると納得しているのか定かではないが、一度こそロードは大人しくなった。
が、それも一瞬のことでロードは全身をじたばたと暴れさせて、ケネスの手から逃れる。
「おみゃー、一人で旅になんて行けるわけがにゃいだろう! みゃーも行くにゃ!」
「え、いや。旅はたぶん僕も一緒だと思うけど……」
「そんなのどうだっていいにゃ! ジャナイアルの森にですら迷子ににゃるおみゃーが一緒でも不安が増すだけにゃ!」
やたらめったらなロードの言い分にも、ルクスは言い返せない。実際迷子になる自信のほうがあるからだ。
「これは、心配性っていうか……過保護?」
ルクスの背後でラティディアが的を射た。ロードが反射的に毛を逆立てて威嚇するが、それはラティディアの言葉を肯定したも同然だった。
「にゃー! もう! ついていくったらついていくにゃー!!」
「わかったわかった。……もう。魔元老には僕から報告しておくし、悪いけど……ハインライン、このうるさい黒猫を連れてってくれるかな?」
「うるさくにゃいにゃ! 教官として当然にゃ!」
「はいはい、わかったってば」
観念といった素振りでケネスが両手を上げる。
ケネスからの承諾を得たロードは、嬉々としてハインラインの体をよじ登り彼のフードの中にすっぽりと収まった。ふんっと一つ、満足げな鼻息を吐く。
そんなロードの様子に、ルクスもラティディアも呆れの眼差しを隠せない。ハインラインに至っては諦めたような表情で溜息を零した。
一騒動はあったものの改めてラーデポリスを出るため、ルクスたちは荷を抱え直す。
「よし、これからよろしくね、ハインライン!」
結局勢いで彼もついてくることになっているのだけれども、旅はたぶん大勢のほうが楽しいだろうし。ルクスは爛漫な笑顔をハインラインに向けるが、ハインラインは相も変わらず無表情で頷くのみだった。
「うん。僕がいたら迷子にはならないから……」
一言、毒は吐かれたけど。
苦虫を噛み潰したような表情になっているルクスの隣で「これからよろしく」と、ラティディアとハインラインが言葉を交わしていた。
「じゃあ、行っておいで」
ケネスがひらひらと手を振った。
それに手を振り返して、ルクスたちは魔術師たちの街・ラーデポリスを後にした。




