0014 古書が示す行方
「刻の歪みを直す方法を教えてくれませんか?」
ついて出た言葉は、あまりにも突飛な質問だった。それはルクス自身も自覚するほどに。
問われたほうはというと案の定というかもちろんというか、呆気にとられた面持ちでルクスのことを見つめている。
「……ルクス、本気で言ってるの?」
ハインラインの瞳が訝りの色を映す。その瞳の中に自らの姿があるのを視認すると、ルクスは大きく頭を振った。
「うん、本気」
冗談でもからかいでもなく、ルクスは真剣に問うている。この場にいる、刻の歪みについて詳しいであろう二人へと向けて。
ルクスの返答を受けたハインラインの表情は疑いから一転、驚きが浮かぶ。雨に濡れた地のような、昏い虹彩が揺れていた。
――なんだ、普通にそんな顔もできるんじゃん。
内心でそんな風に考えていると、
「……あ、あははははははは!!」
突如として食堂内に高らかな笑い声が響き渡った。
吃驚して声のほうへと振り向くと、魔術師の第一位である青年が腹を抱えて笑い転げていた。優しげな面立ちは笑いすぎにより歪み、眦にはうっすらとだが涙まで浮かぶ始末だ。
そこまで笑われるほどだろうかと苦い顔をしていると、それに気付いたのかようやくケネスは面を上げた。
「いやいや、ごめんね。あんまりにもいきなりな質問だったから。しかも冗談じゃないって聞いたら余計」
言いながらも、ケネスから笑みが消えることはない。
「で? 一体全体、どうして刻の歪みを直す方法を知りたいのかな?」
その声色は大人が子供に問いかけるような響きであった。行儀が悪いのも厭わず、ケネスは机に腰を下ろしてルクスの顔を覗き込んでくる。
「――……旅をしてるんです」
『旅』――そういうと聞こえはいいが、実際は幽閉された生活が億劫で逃げ出しただけだ。物は言い様だなぁと、自分自身で苦笑する。
ケネスが「へぇ?」と気のない返事で小首を傾げた。
「僕は、この世界についてなにも知らないんです。だから、旅をしようと飛び出した」
格子に囲われた生活は、平和だけれども退屈だった。毎日毎日、分刻みで決められた生活に飽きもしていた。
そんな生活の中で見る窓の外に望む青空はどこまでも澄んでいて、眩い光に照らされた地平線がどこまで続くのかと思いを馳せたこともあった。
――あの森の先にはどんな風景が。
――あの町の人たちはどんな日常を送っているのだろう。
見知らぬ景色への憧憬を擦り切れるほどに繰り返し、結果ルクスは鳥かごの中を飛び出した。
「でもそれは自己満足で。僕はただ、憧れた外の世界を見てみたかっただけで……」
それだけの理由で旅に出て、自分はいま大勢の人間に迷惑をかけているだろう。両親や知り合い、自分を追っている彼らにもだ。
それなのにこの状況を作り上げた原因が「逃げ出したかったから」という身勝手なものであるのは、わざわざ追っ手を撒いて隣国まで赴いた理由としては不誠実極まりないだろう。――いや、こうやって逃げ出してる時点で身勝手であるのは自覚してるけど。
「この旅に理由が欲しい――この旅を続ける理由が欲しいんです」
「自分勝手な理由だね」
笑んだ声色は変わらず。けれど、見上げた先の赤い瞳はルクスの感情を見透かすような冷たいものだった。得体の知れない恐怖に、首筋がすうっと冷える。
「旅を続ける理由のためだけに、刻の歪みを直そう――ねぇ。無謀だと思うなぁ」
にっこりと。微笑みながらのケネスの言葉には明確な棘がある。
「無謀でも、やってみないことにはわからないです」
「そもそもの原因がわかってないのに? はっきり言って、僕もこの『刻の歪み』の原因は知らないよ?」
「……それは」
魔術師協会の第一位ですら知らないと言う『刻の歪み』の原因。
やっぱり、自分ではどうしようもないのだろうか。自分のような世間知らずで非力な存在が、世界規模で大きな影響を及ぼしている『刻の歪み』になす術はないのかもしれない。
それでも、なにもしないままは嫌だ。なにもせずに「はい、そうですか」と諦めることだけはしたくない。
旅の理由が欲しいというのは、嘘ではない。だけれどもそれ以上に刻の歪みの悪影響を知ってしまった今では、見て見ぬ振りができないのが本音だ。ラティディアのように魔物に襲われて大怪我を負ったり、まだ見ぬ闇の民にこれ以上の犠牲を増やさないためにも。少しでもいいから足掻きたい。
返事を返せずに、ルクスは俯く。
「――――原因は、わかっておる」
そんな彼の頭上に、和らげな声が降ってきた。弾かれたようにルクスは顔を上げる。
背後を見遣ると食事を終えた魔元老がハンカチで口元を拭っているところだった。
淡々と告げられた衝撃的な事実に、ルクスは幾度となく目を瞬かせてボールドウィンを見つめる。聞き間違いかと疑ってしまうほど、ボールドウィンは事もなげに穏やかな動作で食後の紅茶を啜っている。
「原因が、わかってるって……」
「そのままの意味じゃよ。いや、『推測がついている』と言ったほうが正しいかの」
カップを置いて、ボールドウィンは「確証のない話ではあるが」と前置いてから言葉を続ける。
「この世界の刻は、ある装置によって管理されておる。その名は『クロノアジャスト』といい、世界中にいくつか存在しておるらしい。そのクロノアジャストがなんらかの形で不具合を起こした結果、現在の刻の歪みが起きている――――仮定の話ではあるがの」
そう言って徐に魔元老はコートの懐へと手を突っ込んだ。そして懐から取り出したものは、煤けた日記のようなものであった。
「……これは?」
「この世界の刻がどう管理されているか、古い時代の推論が書かれた手記じゃ」
手渡されたそれは、元は高価な上製本であったのか表紙に細かな刺繍が施されている。しかしそれも目を凝らしてやっとわかるほどで、幾百年もの時を経て風化した本は、今にも壊れそうなほどに脆いものだった。
表紙を捲ると黴か、ツンとした匂いが鼻につく。やはり古い手記であるのか、開いたページには虫食いの穴だらけで滲んだ文字も読めない個所のほうが多い。
だけれどもその掠れた文字列の中に、確かに『クロノアジャスト』という文字があるのをルクスは見つけた。
手記にはこう続く。
『クロノアジャストと呼ばれる、刻を管理するものは世界に複数存在している。これはイングレッソ王国の――――から聞いた話であるが、場所までは知らないらしい。その場所を知るのは、この世界を――するイングレッソ王国と神聖エグザト帝国の二大国家の王家のみが知ると言う』
「――……イングレッソと、エグザトの王家」
その単語を手記の中に見つけたルクスは、思わず声に出していた。
胸の奥のほうがじりっ――とちりつく。
「この、クロノアジャストの場所がわかれば、刻の歪みを直す方法がわかるかもしれぬ。しかしそれには、両国家の協力が必要不可欠じゃろうがの」
にやり。と、魔元老の口元が弧を描く。悪戯な微笑のまま、ボールドウィンは年相応のゆったりとした動きで腰を上げた。
「両国家もこの事態を打開するべきだとは考えておるじゃろう。なに、わしがエグザトの皇家に紹介状でも書いてやろうか」
言うが早いかボールドウィンは食器を片し、食堂から出ていこうとルクスたちへ背を向ける。
「……エグザト帝国に、ね」
独りごちて、ルクスは髪を掻き毟る。結局、この魔元老に自らの正体はバレバレであったわけだ。
あっという間に食堂から去っていった魔元老。老爺が消えたほうへと暫く視線を向けたまま、ルクスは小さな溜息を零した。
「どの道、逃げられるわけはないんだけども……」
そんな呟きを拾ったのか、いままで沈黙を貫いていたハインラインが顔を上げた。
そういえば、とルクスは思い出す。この幼い少年は、刻の歪みを直せるかどうかをルクスに問うていた。そこから、こんな両国家を巻き込むことになるであろうボールドウィンの提案に繋がったわけだ。
「ルクスは、クロノアジャストに行くの?」
肩を張り、緊張の色は抜けないまま。ハインラインの両手のひらは、膝の上で強く握り締められている。
ルクスにはどうしてハインラインが刻の歪みを直せるかどうかを聞いてきた理由はわからない。でも、表情の変化が乏しいはずなのに、諦めたように伏せる視線や、こうやっていま自分に問いかける真剣な面持ちを見ていたら、彼もなんらかの理由でこの現状を変えたいと思っているということは容易に想像ができた。
「うん、行くよ」
旅の理由が欲しいといったことだけでなく、純粋にこの現状を解決したい。それがルクスの正直な本音だった。
クロノアジャストに行くためには両王家の協力が必要不可欠であるのは理解しているし、だけどそれを避けたいという気持ちもまた正直な心情である。
「『知らなかったから』が理由にはならないよ。『無謀だから』が諦める理由にもならない」
世界規模で影響を起こしている問題を、自分一人の手で簡単にどうこうできる問題でないこともわかっているつもりだ。
それでも知ったからには目を逸らすことはしたくない。やれる限りをやって、それでダメならどうしようもないけれど。こうして多くの人間に迷惑をかけ、助けを得て旅をしてる以上、自分もでき得る限りのことをしたかった。
平然と答えたルクスに対し、ハインラインは目線を落とし返事もなにも返さない。
妙な沈黙が満ちる中。食堂内には興味もなさげに本を読むケネスが、ページを捲る音だけが響いていた。




