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0012  それはまるでお伽噺みたく

 振り返った先にいたのは、非常に小柄な老爺だった。

 背丈はハインラインと同じぐらいだろうか。コートの隙間から覗いた枯れ木のように痩せ細った腕を見ると、ずいぶんと華奢な印象を受ける。

 それ以上に特徴的なのが、胸元まで伸ばされた真っ白な髭だ。杖を突いてその場に佇むそのさまは、どこぞの仙人と言われても納得できそうな霊妙としたものだ。


「魔元老! どうなされたのですかにゃ!」


 静寂を切り裂いたのは、上擦ったロードの声だった。

 ロードは居住まいを正し、猫のくせに心なしか背筋を伸ばして突如現れた老爺に駆け寄る。

 老爺は首一つ動かさず、口元だけをそっと緩ませた。伸ばされた長い眉のせいで目元は隠されているが、その表情が柔らかいものであることは容易に想像できる。


「ロードか。いや、わしもな、腹が減ってもうて」

「そ、それでしたらこんなところに来られずとも、お部屋に運びますので……」

「いやいや、久しぶりに若い子たちとも話をしてみたくなってな。それと……」


 老爺は首を捻り、中途半端に立ち上がっているルクスを凝視した。

 眉に隠されているはずなのに、その奥の瞳になにもかも見透かされそうだ。


「……面白い旅人が来たと、聞いての」


 すぅっと、背筋が冷えた。不思議な確信だが、この老爺は自分の正体を知っている。

 しかし老爺は、そんなルクスの怯えにも気付くことなくしわがれた声で笑う。


「……ね、ねぇ。ロード。こ、この人って一体……?」


 すぐ隣に座っているラティディアが、なにやらヒソヒソ声でロードに問いかけている。

 そうだ、それは自分も聞きたかった。

 この老爺が現れた瞬間、周囲の人間が突如としてかしこまり、ハインラインですら固まってしまった。むしろ、さっきから彼は瞬きすらしていないような。

 自分の正体を知っているかのような口振りもそうだ。一体この老爺はどういった人物なのだろうと、ルクスもロードに向き直る。

 ロードは一度こそ「失礼なっ」と口を開いたが、自分たちが部外者であることを思い出したのか、ひとつ咳払いをして改まって告げた。


「このお方は……この魔術師協会の魔元老であらせられる、ボールドウィン様にゃ」


 ロードが、言葉にするのも恐れ多いといった具合で、そう紹介してくれる。

 しかし、そもそもルクスたちは魔術師協会に詳しくない。魔術師協会の中でも階級があるのはどこかの専門書で読んだ気がするが、あまり覚えていないので『魔元老』と言われてもいまいちピンとこない。

 きょとんと首を傾げるルクスとラティディアに対し、痺れを切らしたのかロードが


「魔元老は、魔術師協会のトップにゃ」


 そう、声を潜めて告げた。


「うっそ、じゃあすっごく偉い人……」

「にゃにを当たり前のことを……」


 驚嘆を露わにするラティディア。

 しかしそんなラティディアとは逆に、ルクスは妙な納得を胸中に抱いていた。

 周囲の人間が一斉に姿勢を直すという状況もそうであるし、多くの魔術師を育成し、巨大な組織となった魔術師協会のトップであるならば――自分の正体を知っていてもおかしくない。


「お主は『光の民』であろう?」


 唐突に、魔元老ボールドウィンがルクスへと向き直る。

 光の民――先ほどからゲルナイトやら闇の民やら、聞き慣れない単語ばかりを言われてもルクスは返答のしようがない。

 答えを返せないまま申し訳なさに息を呑み込むと、ボールドウィンは再び声を上げる。


「――太陽を見たことはあるかの?」


 きょとん、と。

 ルクスは目を瞠った。それこそ、問いの意味を理解しかねたからだ。


「見たことって……そりゃあ、昼の刻は空に太陽があるし……直視しちゃダメだからきちんと見たことはないです……けど」

「ならば、お主は『光の民』じゃよ」


 いよいよ頭の中がこんがらがってきて、ルクスは首を捻る。


「光の民とは創世のころ、光の神アデライドが創り上げた人間のことにゃ」


 ボールドウィンの言葉を継いだのはロードだ。

 ロードは静止したままのハインラインへと歩み寄り彼の頬を引っ掻いているが、ハインラインは呆けた表情のまま突然現れたボールドウィンを凝視したまま動かない。


「おみゃーの知らにゃい『闇の民』というのは、アデライドが光の民を創り上げたと時を同じくして闇の神サターグが創り上げた人間………………と、されているにゃ」

「されている?」


 ラティディアがハインラインの頬を引っ掻き続けるロードを引き離しつつ、問う。

 ハインラインの頬には見事なまでのミミズ腫れが幾筋も浮かび上がっていた。


「そういう、言わばお伽噺みたいなものだにゃ。だけれどもこの世界に『光の民』と『闇の民』という二つの人種が存在しているのは事実にゃ。このお伽噺もあにゃがち嘘ではにゃいのかもしれにゃい」

「でも……それがなんで太陽が見たことあるかって話になるの? 二つの人種に違いはあるの?」


 ロードは、明らかに表情を曇らせる。彼の澄んだ青色の瞳は、憐れむような寂しげな色に揺れていた。


「違いは……昼の刻に生きられるか、生きられないか」


 ――囁くように。

 今まで呆けていたハインラインが、徐に口を開いた。一欠片の感情の滲まない表情と声音。


「それって、どういうこと……?」

「さっき、ロードがルクスに聞いてたよね。『闇の民の呪いのこと、知らないのか』って」


 こくり、とラティディアが頭を振る。

 すっかり冷めきった目の前の料理に手をつけるのもやめ、ハインラインは淡々と告げた。


「闇の民と呼ばれる人種は、日の光に当たると死んでしまう……そんな呪いがかけられている。誰が、なんのために、そんなことは一切わからない。時期は有史以来……かな。詳しい時代はわからないけれども。…………違いなんて、それだけだよ」

「ちょ……ちょっと、待って。そんな話、聞いたこともない」

「無理もないよ。光の民と闇の民に交流はないし。…………見た目に違いなんて何一つないのにね、それだけの違いをどう判断してるんだろう」


 嘲るように、僅かにハインラインの口元が歪む。


「でも、これでゲルナイトの目的も理解できるでしょ……彼らは、同じ闇の民がより生き易い世の中にするために、世界を闇に変えようとしてる」


 理解できるでしょ――そうは言われたが、初めて知った事実を受け入れることができずにルクスの頭は真っ白だった。

 この世界には『光の民』と『闇の民』と呼ばれる二つの人種が存在する。それらは光の神アデライドと闇の神サターグから生まれ、闇の民には昼の刻に生きられない呪いがかけられている――そんなこと、いきなり言われて「はい、そうですか」と納得できるわけはない。

 そりゃあ、自分は世間知らずを自負している。でも、だからと言ってそんな重要なことがこうまで知られていないのは違和感だ。

 ラティディアは知っているのだろうか、そう思って振り返ったときだった。


「私は……なんとなく、知ってたかな」


 耳元のピアスに触れながら。やっぱりこれは、彼女の癖であるらしい。


「……珍しいにゃ。普通、光の民はこの呪いのことは知らないほうが多いにゃ」

「私ね、巡業劇団に所属してるの。リベルヴィっていう。知ってる?」


 ハインラインもロードも、首を横に振ることで答えとした。


「あはは、残念。いつか見てもらいたいなー。私が言うのもあれだけど素敵なんだよ……って、話が逸れちゃったね」


 困ったようにはにかみながら、ラティディア。

 居住まいを正しながら、膝の上で自らの手のひらを握り締め、若葉色の瞳は朝露に濡らされたような色を映す。


「……私ね、神聖エグザト帝国に一度だけ行ったことがあるの」

「エグザト……闇の民の多くが住まう国だにゃ」

「うん。しかもね、刻の歪みのあとに」


 ロードが僅かばかりに瞠目する。

 『神聖エグザト帝国』――ルクスの故郷であるイングレッソ王国とは海を挟んで北西に位置する大陸にある国だ。地図で場所は把握しているが、国の詳細までは知らない。こんなことになるなら毛嫌いせずにきちんと歴史も勉強すべきだったと思う。


「刻の歪みって……一年前の、だよね」

「うん」


 『刻の歪み』という言葉は、昼の刻と夜の刻の均衡が崩れた際を指す言葉だ。

 ここに来る以前に起こった、本来であれば昼の刻であるはずなのに夜の刻になってしまう現象のことを指すものでもあるが、もう一つ、この言葉にはある事件を指す意味も含まれている。


 もう一つの意味は――、一年前に起こった昼夜が逆転した日のこと。

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