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0011  ホープというもの

 迷路だと言われても納得しそうな入り組んだ通路を、ハインラインに先導されるままついていく。駆けっこができそうなほど幅広の長い廊下があるかと思ったら、人二人が辛うじてすれ違えるような細い通路があったり。古ぼけた内装はどこもかしこも似たり寄ったりで、元来た道を戻れて言われても不可能だろうと呑気に思う。ラティディアに至ってはよほど迷子になりたくないのか、ルクスのジャケットの裾を掴むほどだ。

 そんな廊下を、迷うことなく進んでいくハインライン。さすがこの魔術師教会に所属している人間だと感心したのも束の間。

 先頭を歩いていたハインラインが徐に立ち止まる。

 すぐ後ろについていたルクスは思わずつんのめって、目前のハインラインにぶつかりかける。すんでのところで足を止めハインラインの肩に手を置くと、余りの細さにぎょっとする。見た目からして華奢だとは思っていたが、これは痩せすぎであろう。


「ハインライン、もう少し食べたほうがいいんじゃ?」


 肩に手を添えたままで、ルクス。

 ハインラインは訝るように首を捻ってルクスを仰ぐ。


「きちんと食べないと大きくなれないよ?」


 にっこりと笑いかけたのだが、返されたのは明らかなる怒りの目線だった。

 お人形みたく動かない表情ではあるのだが、見上げている茶色の瞳の奥には憤怒の炎が灯っており、ルクスは察する。――これは、言わないほうがよかったね。

 ハインラインの背丈はルクスよりも頭一つ分は小さい。隣立つラティディアと大差ない身長も相俟って、ハインラインの見た目は女子と言っても差し支えないだろう。ハインラインからしてみたら、不都合以外のなにものでもないが。


「コイツは食べるには食べるんだけどにゃあ」


 ハインラインのフードの中で丸まっているロードが、溜息交じりに呟く。

 そんなロードの呟きを聞いているのかいないのか、ハインラインはルクスに向けていた視線をぷいと背け、再び歩みを進める。

 置いて行かれないように慌ててそのあとを追いかけていると、ぱっと開けた場所に出た。

 それと同時に胃を刺激してくるような、肉の焼けた香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。見れば、食堂のような場所だ。広いスペースに所狭しと並べられたテーブルに腰掛け、数名の人間が食事を取っている。魔法の原理について食事もそこそこに熱い議論を交わす者たちや、目の前の料理よりも本に噛り付いている若者。

 そんな光景を見つめていると、先導するハインラインがぽつりと声を漏らした。


「食べてるもん……食べてるもん……」


 拗ねたような声音が、どこかいじらしかった。


 ***


 食べてるもん――という言葉は嘘ではなかった。むしろ、これは……


「は、ハインライン……よく食べるね……」

「……そうかな」


 テーブルの上に所狭しと広げられた料理の数々。

 魔術の研究を活動の主とする魔術師協会にある食堂というだけあって、料理のバリエーションも調理方法もシンプルかつ少ないものであったが、鳴るほど腹の減っていたルクスにとっては十分すぎるものだった。

 ポトフにミネストローネにチキンライス、三種類のスパゲッティに骨付き肉のステーキ等々。――たぶん、卓上にはこの食堂の全レシピが広がっていると思う。

 しかもそのほとんどがハインラインが頼んだものなのだから、ルクスは自らの目を疑う。ハインラインの小さな口の中に見る見る吸い込まれていく料理の数々を呆然と見つめながら、ルクスは自らの頼んだミートソーススパゲッティを口に含む。


「そういえば、人少ないね」


 オムライスをスプーンで突きながら、ラティディアが周辺を見渡す。

 言われてみれば、この時間帯は食事時だというのに食堂には人がそう多くないように思う。ざっと見るだけでも十数名だろうか。広い食堂内は空席のほうが多い。


「……魔術の研究ばかりだから。みんな食事のタイミングはばらばら」

「そうそう。深夜になってよーやく丸一日にゃにも食べてにゃいことに気付いて、食堂に這いずってくる奴らもいるにゃ」

「もったいないよね……せっかくタダなのに」

「だからといっておみゃーは食べ過ぎにゃのだがにゃ」


 ハインラインの隣で魚の切り身を頬張りながらロードが冷たい視線を向ける。

 そんな視線を意にも介さずハインラインは大皿を手に取り、その上に残っていたスパゲッティを吸い込むようにして頬張っている。とうとうラティディアがあんぐりと、開いた口を塞げなくなっていた。


「……食べないの?」


 と首を傾げるハインラインは、自分たちの食事をも狙っているのだろうか。心なしか物欲しそうな視線を向けられている気もしたが、それをはぐらかすように声を上げる。


「やっぱり魔術師協会だけあって、みんな魔術の研究ばっかりなんだね。……そういえば、魔術師協会は魔法使いの育成をする組織でもあるんだっけ」


 問いに、ハインラインは小さく首肯する。

 魔術師協会はルクスが言うように、魔術師を育成するための組織だ。

 有史以来、歴史と共に発展を続けてきた魔術師協会は数多くの魔術師を輩出し、その腕は対魔物相手に遺憾なく発揮されてきた。

 魔物相手に剣で戦うのは、どうしても危険が伴う。それだけでなく数の面においても魔物は勝り、優秀な剣士が一人いたところで、次から次へと襲い来る魔物に対処するのは厳しいものだ。

 だが魔術師は違う。魔術師は魔物と距離を開けていても魔術を発動することが可能であるし、広範囲で発動したら一度に多くの魔物を討伐することもできる。魔物の討伐といった面で、魔術師たちは人々の安寧に一役買っていることは間違いない。


「それに、ホープの……精製」


 ぽつりと、注意して耳を傾けなければ聞き逃してしまいそうなハインラインの声音。


「ああ、そっか」


 頷いて、ルクスはハインラインの胸元に光る珠を見遣った。

 一見すると、ただの装飾品ペンダント。しかし宝石というには細工もなく、覗き込めば深く吸い込まれそうな不思議な色味を持ったその珠は間違いない――ホープである。

 ホープは魔法を使用するためには必要不可欠なものであり、魔術師協会に所属するという彼が持っているのも当たり前のこと。

 そして、彼が持つホープ――これを精製するのも魔術師協会が行うことの一つである。


「ホープにも種類があるんだよね、僕もなにかの専門書で読んだっきりだからあんまり覚えてないけど」

「うん……。人間の生活に、欠かせない」


 ハインラインの言うように、ホープの用途は魔法を使用するためだけではない。

 詳しい製造工程などはどの書物にも載っていなかったため詳しいことはルクスも知らないが、水を湧き起こし渇水の地に肥沃な土壌を生み出したり、発電し街に電力を供給するといった目的にも使用されているとのことだ。ホープ一つだけで、人々の生活がどれだけ豊かになったことだろう。

 高い魔術の技術を持つだけでなく、歴史に残る偉業を成してきたのにも関わらず、魔術師協会は有史以来の五百年の歴史で一度たりともその力を市井の人々に向けることはなかった。魔術師協会が五百年ともいう長い歴史を未だに刻み続けているのも、そういった事実があってのことだろう。ハインラインのような幼い少年が魔術を志すのも少なくない話だ。

 話の内容をわかっているのかいないのか、ルクスの隣に座るラティディアが「ふんふん」と適当な相槌を打っている。

 ルクスとしては、そんな希少なホープを彼女のようなごく普通の少女が持っていることが不思議でしょうがないのだが。それに、彼女は魔法を魔法と理解して使っていないだろうし……。

 時間があればハインラインに魔術のことについて教えてもらおうと、そう思ったときだった。


「――さっきの刻の歪み、原因はやっぱり『あれ』か?」

「ああ、たぶんだが……『ゲルナイト』の仕業だろうな」


 広い食堂内。人も少ないために、近くにいた魔術師たちのそんな会話がふと耳についた。

 ――刻の歪みに原因が? それに『ゲルナイト』?

 聞いたことのない単語に首を傾げていると、それに気付いたのか正面に座っていたハインラインがポトフを飲み干してから口を開いた。


「……世界を闇にしようとしている集団」


 一瞬、言葉の意味を解せずに目を瞬かせる。

 吐いて出た返答は「へっ?」という間の抜けたものだった。


「だから『ゲルナイト』。ゲルナイトっていうのが刻の歪みの原因を作ってる」

「ちょちょ、ちょっと待って。意味がわからない。なんで世界を闇にしなきゃいけないの? そんなのおかし……」


 言いかけて、ルクスは慌てて口を噤む。ぞっとするような視線が背中に刺さる。

 勢いよく振り返ると、周囲にいた魔術師たちの瞳が一斉にルクスのことを見つめていた。

 ――見つめている? いや、そんな優しいものじゃない。若い青年は怒りの色を、年老いた老婆は憐みの色を。それぞれがそれぞれの感情を滲ませた瞳で、射竦めるような視線をルクスに向けている。

 つぅっと、背中を冷たい汗が伝っていくのが分かった。


「…………もしかしておみゃー、闇の民の呪いのこと……知らないにょか?」


 最後の切り身を咀嚼しながら、ロードが訝しげにそう問いかけた。

 呪いって……そもそも、闇の民とはなんのことだ。頭の中でぐるぐると思考を巡らせるが、ルクスの答えは首を横に振ることだけだった。

 言い知れぬ罪悪感が胸の奥に渦巻く。

 ――自分は無知だ。外の世界のことをなにも知らない。

 鳥かごのような場所に閉じ込められ、つい先日にようやく外の世界に飛び出せた――飛び方もまだわからない、なにもできない無知な鳥。

 だけどそれが許されるわけはないのだ。僕は世界を知らなきゃいけない。それが僕の義務であるのだから――。


「……ルクス?」


 俯いたルクスを見上げるラティディアの声に、はっとして顔を上げようとした瞬間。


「ふぉっふぉっ。落ち込むことはないわい」


 身を切られるような空気の満ちる中、突如として背後から朗らかな笑い声が響き渡った。

 それと同時、食堂内の雰囲気が一変しぴんと張りつめたものへと変わる。

 魔法議論に熱くなっていた二人は慌てて立ち上がり背を正すし、本に夢中だったものは本を取り零す。目前のハインラインすら、明らかに表情を強張らせ硬直してしまう始末だ。

 そして、そんな彼らが驚愕と緊張の面差しで見つめるのは――自分の背後?

 くるりと、ルクスが振り返る。

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