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0009  魔法使いの少年

 ざっ、ざっ――と、背の高い草を踏み締める音が規則的に響く。

 足取りは焦れてしまうほどにゆったりと、だが確実にルクスたちの元に向けて進んできていた。

 薄暗い森の中から小柄な影が歩み出た――その瞬間。

 黒くて小さいなにかが、ルクスの顔面目がけて飛んできた。


「――うわっ!」


 慌てて身を捩り、間一髪のところで飛びかかってきた黒いなにかをかわすルクス。

 しかし完全にかわしきれていなかったのか、ルクスの頬には一筋の赤い線が浮かび上がっていた。


「な、なに!?」


 上擦った声を上げて、振り返る。

 自分を襲ってきた黒いなにかは地面へと落ち、毛を逆立て、長い尾をぴんと立てては「ふしゃあー!」と威嚇してくる。

 その姿は、見間違えようもない――


「…………ね、猫?」


 幾度か目を瞬かせ、ルクス。

 すらっとした毛並みの良い黒猫はルクスのその言葉を聞くや否な、より一層毛を逆立てて「しゃー!」と掠れた声を上げる。猫だった。間違いなく猫だった。


「か、可愛い……」


 細身の黒猫を見てラティディアまでもがそんな感想を漏らす始末。

 だが、その黒猫の出で立ちは普通の猫とは異なったものだった。

 姿かたちは一般的にペットとして飼われているような猫と同じであるが、その細身の体にパーカーのような服を纏っており、動き辛そうなことこの上ない。

 ペットに服を着せているのかとも思ったが、いやいや、普通こんな場所にペットとして飼われている猫が訪れるわけはないだろうと首を振る。

 不可思議な格好をした猫を見下ろしながら考えていると、その黒猫はルクスをより一層驚かす行動に出る。


「ここは立ち入り禁止区域にゃにょを知らにゃいにょか!?」


 ――沈黙。

 ルクスは立ち尽くしたままのラティディアに視線を投げた。


「ラティ、なにか言った?」

「え、いや、なにも……ていうか、私こんなに滑舌悪くないよ? 歌の練習もしてるんだし」

「そうだよねぇ……」

「ちょっと、無視するにゃ!」


 もう一度、周囲を見渡す。

 自分を除いて、この場に人間はラティディアしかおらず、先ほどの声の主を見つけることはできなかった。

 やっぱりラティ? にしては「にゃにゅにょ」だのとまるで猫みたいな――


「…………ロード。この人たち、驚いてる」


 突如として、薄暗い森の中からそんな声がかけられる。

 また別の声。にゃにゃにゃとうるさい声の主を探していたルクスは驚き、勢いづいて振り返る。


「……別に、襲ったりしない」


 森の中から一歩足を踏み出し、陽の元にその姿を晒す一人の少年。

 幼げな容姿から見て、歳はルクスよりも四つか五つは離れているだろう。まだ華奢な体の線は、女性のように細く、顔立ちも中性的であるために一瞬こそ女の子かと認識しかけた。

 淡々とした声音を聞いてルクスは思い出す。始めに声をかけてきたのはこの少年だ。ルクスに向けて声を発しているようで、しかし平坦な囁きはともすれば風音に掻き消されそうなものだった。


「君は?」


 そう言えば剣を抜いたままだったと、ルクスは刀身を鞘へと収めながら幼い少年に問いかける。


「……ハインライン」


 瞬間、なんのことだか理解しかねた。


「えっと、君の名前?」


 少年――ハインラインは小さく首肯する。

 「そう」とだけ返し、ルクスは居住まいを正す。ハインライン少年はそれっきり、言葉を発さない。

 なんとなくの気まずさにルクスが頭を掻いていると、ハインラインはルクスの隣を通り過ぎ、毛を逆立てたままの黒猫へと歩み寄った。


「こっちは、ロード」


 ひょいっと、小さな黒猫は小さな少年にいとも簡単に抱え上げられる。

 こっち――と言うに、この猫の名前がロードなのだろう。

 言われて見たらこの黒猫が身に纏ったパーカーと、ハインラインの着たパーカーはデザインがよく似通っている。なるほど、ハインラインの飼い猫か、と納得しかけたとき、


「ロード=ラインベッタだ!」


 抱え上げられている黒猫が、そんな言葉を発した。

 ああ、目の錯覚かとルクスは目を擦る。もう一度黒猫に視線を向けると


「にゃんだ! その『猫が喋るわけにゃいよにゃ』とも言いたげにゃ顔は!」


 ――錯覚ではなさそうだった。

 猫が口を開くと発せられる『にゃにゃにゃ』と聞き難い言葉の数々。抱えているハインラインの腹話術とも考えたが、それにしては喋り口調が流暢すぎる。


「ウソ、猫ちゃんが話してる……?」

「猫ちゃんって言うにゃー!! みゃーはロード=ラインベッタというにゃまえがあるにゃー!」


 とかく聞き取り辛い鳴き声――もとい話し方であったが、黒猫・ロードが言うに、猫ちゃんと呼ばれるのはお気に召さないらしい。どう見ても猫なのに。

 猫が人語を用いるという衝撃に、驚きを隠せないルクスであったが、世界は広い。そんな猫もいたんだ! と驚き以上に感動を隠し切れなかった。


「ロード、僕の……教官」


 喧しいロードとは正反対に、ハインラインは抑揚のない声で静かに語りかけてくる。

 猫であるロードのほうが、よほど人間らしい話し方をしているのではないかと思えるほどだ。


「教官?」

「そう……」


 ハインラインは頷くっきり。言葉を次いだのはロードだった。


「みゃーは『魔術師協会』に所属する魔師にゃ! この無口で無愛想なガキはみゃーの教え子!」

「ね、ネコが先生でハインラインが教え子……?」


 ハインラインの後方で頭を抱えだしたラティディア。

 そういえばと思い、ルクスはこほんと咳払いをした。


「僕たちの自己紹介がまだだったよね。僕はルクス。で、君の後ろにいる女の子がラティディア。ノルム国まで行こうとして、ちょっと迷っちゃってたんだ」

「だ・か・ら! ここは立ち入り禁止区域にゃにょに、なんでノルム国まで行こうとして迷い込むにょにゃ!」

「それは話すと短くなるんだけど……まぁ、迷子になっただけって言うかなんて言うか」


 鬼気迫るロードの視線から逃れるようにしてルクスは視線を明後日の方向へ向ける。ロードから鋭く睨まれている気がするが、それはそれとして。


「さっき僕たちを助けてくれたのは魔術だよね。ありがとう」


 ルクスはハインラインに向けて感謝を示す。笑みを浮かべて手を差し伸べるが、ハインラインはふいっと顔を背けてしまった。


「え、えぇ……。僕なにか、悪いことした?」

「別に」


 ルクスの言葉を否定するようにも、不服そうにも聞こえるハインラインの言葉。抑揚のない音の中で、彼の感情の起伏を感じ取ることは難しい。

 逸らした視線をハインラインは再びルクスに向ける。じい――っと見つめる暗い瞳の奥は、少年のものとは思えないほど輝きに欠けている。

 ハインラインはその輝きに欠けた瞳で、品定めをするかのようにルクスの全身を見渡した。旋毛から爪先まで余すところなく眺め回され、ルクスの背には一筋の汗が伝う。深いハインラインの茶色の瞳に、自分を凝視する意図を見つけられないからだ。


「な、なに?」

「『ルクス』って――――本名?」


 きょとんと、ルクスが質問の意味を量りかねて首を傾げる。

 しかしルクスの背筋には、自らの動揺を表すかのように汗がぶわっと吹き出していた。平静な顔を作ろうと、努めて努力する。

 ハインラインの視線は、ルクスの腰に携えられている大剣に釘付けだ。


「ほ、本名だけど?」

「……ふぅん」


 納得したのかしてないのか、ハインラインの一本調子な声音に判断はできなかった。

 くるりと小柄な少年はルクスに背を向け、元来た獣道へ引き返そうとする。


「あっ、待って――」


 言い終えるか否か、ルクスの腹の虫が盛大に鳴った。

 その音を聞いたハインラインが、目を細めて振り返る。立ち止まってくれた、くれたけど――。

 ルクスは『穴があったら入りたい』とはこんな状況をさすんだろうなと痛感しつつ、熱くなってくる顔面を覆った。

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