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0008  国境の森・ジャナイアル

「長閑な森だねぇ……」


 ルクスの呟きに、声もなく隣でラティディアが頷く。

 ルクスたちは今、イングレッソ王国とノルム国の国境にあるジャナイアルの森にいた。

 自分たちの背丈の三倍、幹の太さはラティディアの胴回りの四倍はあるだろう大樹が生い茂る森の趣は圧巻の一言。青々と茂った枝葉から零れ落ちた日差しに目を細めていると、足元をリスかネズミかの小動物が駆けて行った。

 ドナさんたちにお世話になったのは二日前の話だ。昨日は王都に向かうという行商人一行のキャンプの中に混ぜてもらい一夜を過ごした。

 昼の刻になってすぐさま出発して、それからおおよそ四時間。ようやく二人は国境に辿り着いた。一週間かかるかもというラティディアの言葉も、あながち冗談とも言えなくなってきた。


「国境に着いたから、あと二日ってところかな?」

「何事もなければだけどね」


 悲しい話、二人はここまでの道中で数え切れないほど迷子になった。

 二股の道を誤った方向へ進んだことから始まり、このジャナイアルの森への入り口を間違えて鬱蒼とした雑木林に迷い込んだりと散々だった。お陰で足の裏がジンジンするし、ラティディアの歩くペースも落ちていることから疲労が蓄積されつつあるのだろう。早く森を抜けて宿を取ることが先決だ。

 ジャナイアルの森はそう広い森ではない。地図で知っている限りでは一時間もあれば抜けられる広さである上、樹木が立ち並んでいるにも関わらず燦々と日の差し込む明るい空気は魔物を寄せ付けない。イングレッソ王国とノルム国を繋ぐ国境であるため、道も丁寧に舗装されており迷う心配はなさそうだ。それでも「迷ってしまうのでは」という心配を抱えているのが悲しい話であるが。


「少しペース上げようか。夜の刻まであと一時間半だ。森を抜けて宿を探さなきゃ」

「うん、わかった」


 両手を握り締め、ラティディアが気合を入れなおす。

 そんな矢先であった。


「……分かれ道?」


 ルクスたちの行く手に、二股に分かれた道が現れた。

 向かって右手は今まで歩いていたような平坦な道。もう一方の左手の道はなだらかな斜面となっており、こちらもきちんと舗装はされている。

 こっそりと、ルクスの眉間に皺が寄る。これは選択を間違えたら三度、いや四度だったか迷子となることを意味していた。

 どちらの道とも人が通行した跡はあり、強いて言えば左手の坂道のほうが道幅は広い。

 思考を凝らす。これは、多くの人が通るために広く作られたのか? 改めてよく注視してみれば、左手の道にある足跡のほうがまだ新しい……ように感じる。

 

「――よし!」


 散々悩み、下した結果は――。


 ***


 駆ける、駈ける。

 荒く息を吸い込む度に喉が渇いた音を上げる。酸素が脳まで回らない。思考が混濁する。足が痺れてきた。


「ラティ! 頑張って!」


 駆けながらルクスは、背後のラティディアへと声を張り上げる。返事は細い呼気だけだ。ルクスが腕を引いていなければラティディアはもう走ることすら不可能なほどに疲弊しきっていた。

 しかし、足を止めることはできない。

 後ろを走るラティディアの数メートル後方――人型の魔物数体が二人を追ってきている。

 ルクスが悩み抜いた上での決断は、結果として間違いであった。人が通って間もない形跡があるからと、左手の道に進んだのはもう何分前のことか。

 始めのうちは道幅も広く、舗装された道が続いていたのだが、歩き始めて暫く経ったころから周囲の様子が変化してきた。

 歩道には砂利が多くなり、辺りにも背丈の高い雑草が生い茂り、枝葉にはまとわりつくような蔦が光を遮断する。

 間違えたと気付いたのはそのときだ。しかし、そのときにはもう魔物に狙われていたのだろう。元来た道へ引き返そうと、踵を返したその先の草むらに――赤い二つの光を見つけた。

 瞬時にラティディアの手を掴み、森の奥に続く道へと駆け出す。それと同時か否か、小さな影が草むらから飛び出してきた。

 背丈は丁度、生い茂る雑草と同じほど。――雑草といっても、ルクスの腰辺りまであるものだから、大きいことに変わりはない。

 両足だけで自立歩行。体の大きさも追いかけてくる速度も、十にも満たない子供のそれと同じといっていい。

 だが、人間では到底ありえることのない青色の肌が、ルクスの足を無条件に駆けさせていた。

 体躯は子供のものと変わりないはずなのに、恐ろしいほど血の気がない寒々しい青色の肌。それを覆う衣服も勿論身に着けているわけはなく、目立つ装備品は右手に掲げられた身の丈の倍はあろうかという棍棒だけだ。

 図書館の本で見たことがある。悪戯好きで、執念深い魔物――ゴブリンだ。


(――ああもう! この間からなんでこんな面倒な魔物と出会ってしまうんだ!)


 ルクスは内心で歯噛みする。ウルフといい今回のゴブリンといい、どうしてこんな厄介な魔物と遭遇してしまうんだろう。

 ウルフが恐ろしいのはそのスピードと研ぎ澄まされた牙と爪だ。一噛みで肉が食い千切られ、一裂きで皮膚を抉り取る。

 その残忍な習性に、数多の命が奪われたことか、考えることもしたくない。

 だがウルフとはまた毛並みの異なった恐ろしさがゴブリンにはある。

 ゴブリンはウルフと異なり、群れを成す。一体が獲物を見つけると、人間には不快な鳴き声を響かせて周囲にいる仲間を呼ぶ。

 そして獲物を集団で執拗に追い回し、相手が疲れたところを一斉に襲い掛かり捕食する。


「――っていうか、ゴブリンの主食は小型の魔物だろ!?」


 ぶつけようのない叫びを吐き出す。

 自分たちを追いかける速度は、お世辞にも速いとは言い難かったが、「ギェッギェッ」という奇怪な鳴き声を上げているのを見るに、群れの仲間を呼んでいるのだろう。

 その前に逃げ切りたい――が、不幸なことに逃げるべき道がどんどんと狭まり獣道へと変化していく。茂る野草が足元に纏わる。

 道なき道を進んでいくのもひたすら、背後からの奇怪な鳴き声の感覚が短くなってきた。

 振り返ることはしなくともわかる。仲間が合流したのだろう。ぐっ――と、少しでも距離を離そうとラティディアの腕を引き寄せる。

 何分走っているかも覚えていない。自分は何度、こうして追われればいいのだろうと諦めにも似た感情をぐっと胸の奥隅に抑え込む。

 獣道をがむしゃらに。徐に、眼前の景色が開けた。


「――ッ! しまった!」


 同時、ルクスが引き攣った声を上げる。

 森を抜けたと、一瞬思った。しかしそこは、行き止まり。目の前には見上げるほど高い崖がルクスたちを取り囲むようにして左右に広がっていた。

 追い込まれていたのかとそのとき理解する。だが理解したところでもう遅かった。


「ラティ、下がってて」


 乱れた息を噛み殺し、努めて落ち着いた声音で告げる。

 呼吸もままならぬラティディアを背後に押しやり、ルクスは腰に携えてある大剣へと手を伸ばした。


(――一、二、三……四体、か……)


 ゆっくりと、余裕綽々に。だが確実に迫ってくる魔物の数を確認する。

 四体。はっきり言って、今の自分には到底捌き切れる数でないことは嫌になるくらい理解している。

 だけれども逃げるわけにはいかなかった。実際、逃げ切れる状況でない。

 頭の中で読み耽った魔物百科の本を捲る。ゴブリンは集団で、仲間内だからこそできる卓越した連携で獲物を襲う。

 一体ずつであれば、自分でも相手にできるほど、格別強いといった魔物ではないのだが、四体ともなると全方位から襲われたらなす術がない。


(……こういうときは、魔法が一番なんだけど)


 生憎と、自分は魔法が不得手だ。剣術の修行は幾度となく積んできたが、魔法はそもそものセンスがないのか全くといっていいほど習得できなかった。

 背後で息を整えているラティディアであれば、以前のウルフのときのように魔法を使うことも可能であるかもしれない。が、彼女は自身が身に着けているピアスがホープであることすら知らなかった。彼女にそんな負担はかけられない。

 柄を握り締め、ルクスは眼前に悠々と現れる魔物を睨みつけた。

 迷う暇はない。後ろにいるラティディアを、守ると決めたんだ。

 爪先に力を込める。踏み潰された雑草が滑り、足場が悪いこの場所でどれだけ戦えるか。

 ゴブリンが武器を掲げ、一斉に突っ込んでくる。それと同時、ルクスも携えていた大剣を鞘から抜き放った。

 ――その時だった。


「……――シャドウスピア」


 声が、響き渡った。

 その声がルクスの鼓膜を揺らすのが先か後か。魔物の足元――否、足元にできた『影』から、黒いなにかが浮かび上がった。

 漆黒。影をそのまま引き上げたような冷たい色の『それ』は次第に形を成していき、鋭利な刃物のようなものへと形成されていく。それはまるで、槍のような――。

 そう理解したのも束の間。その『漆黒の槍』は音もなく、ゴブリンの体を穿った。

 突然の一撃へなす術もなく、一斉に崩れ落ちていくゴブリンたち。貫かれた胸元から毒々しいまでの青色の体液を流し、生気を失った体は地面へと転がる。

 呆然と、ルクスは立ち尽くす。

 魔物を貫いたはずの漆黒の槍は跡形もなく消え去り、まるで今見たものが幻であったかのような錯覚を覚えさせる。しかし、眼下で地に伏したゴブリンたちを見るに、それが現実であることは間違いない。


「……なにしてるの」


 呆気に取られたルクスたちに対し、淡々とした声音がかけられる。

 まるで風のない湖の水面のように、深々と降り積もる雪のように抑揚のない平坦な声。だからルクスは、自分が声をかけられたのだと理解するのに少し時間を要した。

 顔を上げる。森の奥から、一つの足音がこちらへ向かって近付いてきていた。

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